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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第10話:鏡花水月のイデア
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ガラスより硬い野望

「んー、いまいち」

「そんなこと無いよっ。まあまあ美味しいよ?」

「まあまあって付けたら台無しだろ……」


 恋を教えたいという私の身勝手な動機から、莞日夏には璃宙と学校の夏期講習を受けてもらっていた。その間、離ればなれになっていたわけだが、それはもう、私にとっても莞日夏にとっても、耐えがたい苦痛だった。いくら金を積まれても、絶対莞日夏と離別しない。私も覚悟が深まったのであった。


 一方、莞日夏は自分に非があると思い込んで、璃宙や雪環とクッキーを作り、涙目になりながら謝罪しにきた。その健気さは、私をいっそう追い込んだ。考えてみれば、私は概念や観念でさえも、莞日夏にあげたことがない。皮相的な表情を曲解して、勝手に都合良く好いてくれていると勘違いしていただけ、そう思って莞日夏の言葉を素直に受け取れなかった。


 その場では子供騙しで逃げたけど、いつか本音を披瀝しなくては……。私に関してはそんな悶々とした心構えの中、莞日夏は溜まっていた想いをぶちまけられた快哉の中、雪環の家で貰ったクッキーを食べている。莞日夏曰く、レシピに忠誠を誓ったらしいのだけど、何人前か確認しましたか……?


「ん、勉強するの?」

「いやぁ……、最近さぼってたから……」


 私が机の上に勉強道具を広げると、莞日夏が物悲しそうに尋ねてきた。どれもこれも莞日夏のせいなんだけどね。


「そう言えば、時雨って志望校どこなん?」

「うーん、一応、第一志望は白高にしようと思ってるけど」

「おー、白高?一番頭いいところだー。すごいね、時雨」

「受かってない人を煽てても意味ないよ……」


 しかしそんな風に、無自覚に煽ててくれる莞日夏に触れたくなってしまって、彼女の頭をぽんぽんしていた。


「ちなみに、自信はどれくらいあるの?」

「性格悪い質問するねぇ、ゆき。先生に、もう一つ下のレベルを勧められるぐらいの自信だよ」

「わかんないよ、それじゃあ……」


「そっかー。来年になったら、みんなバラバラの学校に行くことになるのかー」

「嫌だなぁ……」


 莞日夏は私の問題集を見つめながら、呟くように、私だけに聞こえるようにそう言った。


「学校終わってから集まればいいんだよ、安心して莞日夏ちゃん」

「そっ、そうだけどっ、私としては、ゆきが社会の荒波に揉まれて沈まないか心配だ」

「璃宙ちゃんに気を揉んでもらわないといけない程、やわじゃありませんーっ」


 莞日夏はまだ浮かない顔をしている。あと半年の猶予も目に入ってなさそうだった。それはきっと私もだろう。私も莞日夏と同じ高校がいい。そのためなら、志望校のレベルを下げるのも厭わない。それで、私の価値が目減りするようなことは無いのだから。


 しかし、莞日夏のことを愛しているが故に、莞日夏の行動など容易に予測できてしまう。そんなことを莞日夏に包み隠さず伝えた暁には、千回はテコピンが飛んでくる……というのは冗談にしても、莞日夏の中に暗い影を落とすことは確かだった。


 でも、璃宙が雪環を気に掛けるように、それ以上に私は莞日夏のことが心配だ。どう折り合いを付けたらいいのだろうか……。


 今日は、莞日夏が三者面談するらしいので、蒸し暑い曇り空の中、校門前で彼女を待った。莞日夏と出会ってからだいぶ時間が……そうでもない気がする。まあ、大事なのは時間ではない。


「やっぱり、莞日夏と同じ学校に変えるの?」

「はーあ、莞日夏は真面目だから、そんなこと言ったら怒ると思う」

「面倒な奴を好きになっちまったんだなぁ、ほんと」

「璃宙ちゃん!口を慎みなさい」

「まっまあ、私も大概だから……」


 まさか、まともな初恋が同性に差し向けられるとは、さっきまで思ってもみなかった。まあ、幸せならそれでいい。私は青々と茂る稲の絨毯を眺めながら、150年分のやりたいことでも考えていた。


 面談は15分の予定だったのだが、1時間経っても戻ってこない。私たちが待っているのに、忘れて帰るような不届き者なわけないので、様子見に名乗りを上げた。


「時雨!その、わかってるよね」

「まあ……、えっどうしたらいいの!?」


 背中で語ろうと思ったが、どうやって莞日夏を折伏するのか、何も策を用意していない。他人任せで気が引けるけど、やっぱり璃宙に背中を押してもらうしかない。私は璃宙の元に駆け寄り、幼気に助けを求めた。


「そーだなぁ……。莞日夏が大切なんだったら、時には否定することも必要じゃない?」

「そうだけど、莞日夏があっさり意志を曲げるかな」

「私は時雨が宥めれば、矛を収めると思う。莞日夏だって、無謀を承知の上だろうよ」

「わかったよ。でももし、これで関係に亀裂が入ったら、るりのせいにするからね」

「本当に、私たちがいなかったら、今頃どうなってたことやら」


 璃宙がぼやいたことはまったくその通りで、いつも璃宙たちに助けてもらってばかりいる。こんな友人と恋人に恵まれ、なんだか何でもできるような気がしてきた。二人が見守る中、私は今度こそ背中で語った。


 それで、教室の隙間から面談を盗み見するまでもなく、莞日夏は白高に行きたいと、ほぼ駄々をこねていた。その決意の固さに、親御さんは閉口して、厚狭先生も怒りはしないが、段々内容が露骨になってきた。


 教室の扉に体をぴったりくっつけて、中の様子をうかがっていると、さすがに厚狭先生に視線を察知されたが、先生はすぐに莞日夏へ視線を戻した。もう、藁にも縋る思いで、私に何とか説得してほしいということか。そうかそうか、頼まれたら断れない質なので、私は扉を思いっきり開けた。


「莞日夏なら、莞日夏なら何とかなります!何とか……なるんです!」

「うーん、でもこの成績……」

「わかりました。私が寝ても覚めても、付きっきりで勉強を教えます。次の模試でC判定取れたら、正式に認めてください。いいですねっ?」


 私は机に手を突いて、厚狭先生に猛烈な勢いで迫った。先生は親御さんと目を見合わせ、次に莞日夏のほうを見た。莞日夏は私の提案に強く頷き、もう踵を返せない空気を醸成できた。


 次回の面談までの猶予を貰い、ひとまず第一歩を踏み出す権利を得た。まあこれは勝利どころか、無謀でその場仕立てで、匹夫の勇に駆り立てられただけの青い計画が、私たちに牙を剥くことが決まっただけなのだが。


「莞日夏ーっ、私、莞日夏のことが大好きだから、愛してるからっ、莞日夏と同じ学校に通いたいーっ」


 莞日夏と勝利の戯れをしていると、成り行きで言いたかったことを叫んでいた。


「時雨も……そう思ってくれたんだ……」

「頑張ろう莞日夏。きっとできる、そういう運命なんだよ!」

「うん!私、頑張ります!」

「さっ、ゆきの家に行こう。今日からどこの塾よりも厳しくやるからね!」


 校門まで莞日夏と手を繋いで戻ると、璃宙と雪環は彼女が白高を受験するのを、まるで知っていたかのように応援してくれた。


「だって、時雨が莞日夏の肩を持たないなんて、想像できないし」

「そうだよー。二人とも、頑張れーっ」

「そんなに応援されると、照れるね莞日夏」


 雪環による見かけ通りの澄んだ応援に、思わず莞日夏と綻んだ顔を見せ合った。だが次の璃宙による一言で、全部台無しにされた。


「多分、時雨にはあんまり言ってないと思う」

「何でよ、当日まで何が起こるかわからないのが受験なんだよ!?」

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