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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第10話:鏡花水月のイデア
202/212

近過ぎると眩しい

 黒くて分厚い箱を開けると、大きなバームクーヘンが姿を現す。余計な飾り立てはなく質素な見た目だが、断面は黄金に輝いているような気がした。私も含めみんな、夢中で上から覗き込んだ。


 4人で食べてくださいと、親御さんが莞日夏に持たせたらしい。休日は必ずと言っていいほど、雪環の家に集まっているわけだが、毎回お菓子を出してもらっているので、そろそろ申し訳なくなってきたところだった。


 私はケーキナイフを手に取って、4等分に切り分けようとしたが、持ってきたのは莞日夏だし、一番健啖家なのも莞日夏だし、やっぱり彼女の分を1’だけ増やしてあげよう。


「んっ、私の分、ちょっと多い」

「あ、気付いたー?」

「平等に分けないとダメだよ!」

「でも莞日夏が持ってきたんだし、何よりいっぱい食べたいでしょ?」

「んーっ、時雨、いつも私を特別扱いするーっ」


 莞日夏渾身のテコピンが額を襲った。不器用だからかあまり痛くない。むしろ、愛すら感じる。


 莞日夏が頬を膨らませている間、璃宙はその様子をニヤニヤしながら眺めつつ、一人で食べ始めていた。


「どうせなら、私の分を増やしてくれたら良かったのにー。お腹すいてるんだよねー」

「豆鉄砲でも食べてな」

「鉄砲も食べないといけないの?」


 それはさておき、上品なバームクーヘンに満足して、ベッドに頭を置いてくつろいでいると、次に何をするかという話になった。


「んー、お腹すいた」

「さっき食べたばっかりだよね……」

「バームクーヘン4分の1で、莞日夏の腹を満たせると思わないことね」

「じゃあ、お菓子を下から持ってくるよ」

「いや、いいよゆき。あんまり無節操に食べさせると、将来太りそうだから。嫌だよ、息吐いてるのに、水に浮き続ける莞日夏」

「太ると、水に浮くの?」

「脂肪は水より軽いからねー。気を付けてよ?莞日夏」

「まー、大丈夫だよ」


 不安すぎて、私は莞日夏の二の腕を何度も揉んだ。今は程良いけど、この先どうなることやら。いい塩梅の内に、いっぱい堪能しておくか。


「私みたいに運動しなって」

「型にはめられるのは、ちょっと……」

「贅沢な奴だな」


「ここにタブレットあるけど、なんかドラマとか見る?」

「さっすがゆき、用意がいい」

「璃宙ちゃんの後輩と、どっちが有能?」

「それはもう、ゆきに決まってるでしょ。あいつら、当番の日もグラウンドの整備しないし、そもそも遅刻してくるし……」

「璃宙ちゃんは私のこと、都合のいい女だと思ってるのねっ」

「何、急にめんどくさいな」


「それでー、何見るのー?」

「めーっちゃいいこと思いついた。めっちゃ感動する映画見て、一番泣かなかった人が負けってゲームしよう!」


 璃宙は自分が天才だと思っているので、おもむろに立ち上がりながらそう言った。それなら、雪環のボケを拾ってあげない璃宙が、一番の薄情者なのだが、勝負するまでもない。


「私たちそれぞれ、今まで違う人生を歩んできたんだから、当然違う背景や価値観を有してるわけで、弁慶の泣き所も全然違うでしょ」

「負けたくないから言い訳してる?してるよね、うん」

「違うよ!?んー仕方ない、戦争でも難病でも死んだ世界でも、かかってきなさい」


 莞日夏は目を細めて、急激に顔を近付けたり、指でほっぺたを突いてきたりした。私だって、泣くときは我を忘れて慟哭する。


 二人並んでいると、ベッドの上の雪環と璃宙が見にくそうだったので、私は足を開いて座布団を軽く叩き、間に座るよう莞日夏を呼んだ。この態勢、少なくとも私は落ち着く。莞日夏のいいにおいに身を任せられるし、ちょっといたずらしても許されるし、最悪いつでも抱き着ける。間違えてホラー映画とか流してくれないかな。


「莞日夏は後ろが気にならないの?」

「んー?気になるよ。すごい触ってくるし、息が耳にかかるし」

「ごめんって、もうしないから」

「ん……」


 しかし、莞日夏に触れられないとなると、目線はタブレットに置いておけばいいとして、手のやり場に困る。飛べないのに、手をバタバタする滑稽な姿を、後ろの璃宙と雪環に晒した挙句、結局いつもの場所に置いていた。


 肝心の映画のほうは、戦場で出会って恋に落ちて、でも危険な作戦に駆り出されて別れを告げるという、王道を行くものだった。いやむしろ、この作品が王道を作っているのかもしれない。だが、丁寧な伏線回収などに目が奪われた私は、全く涙が流れなかった。


「これは……ゆきの単独優勝だな」

「おぉ……これは私たちの完敗だね……」

「二人はまあ、何となくそんな気はしてたけどっ。莞日夏ちゃんまで……」

「うん。なるべくまばたきしないよう頑張ったけど、どこで泣けばいいか分からなかった。感受性豊かだね、ゆき」

「ドライアイになるから、積極的にまばたきしなよ?」

「うん、わかった」


 こんなに祭り上げられた雪環も、実際は目を潤ませた程度で、ティッシュが何枚も必要な状況ではない。箱ティッシュの塔を添えておかなくてよかった。


 まだ明るい帰り道、私はいつものように莞日夏を家まで送った。少しでも一緒にいたいから、歩幅を控えめにした。


「ん、時雨」

「どうした?」

「映画、面白かった?」

「まあ、それなりに楽しめたよ。莞日夏にはあんまり合わなかった?」

「う~ん、なんかよくわかんなかった」

「わかんなかった?まー古い映画だったし、常識も移ろってるかもね」


「どうせ死ぬってわかってるのに、二人はどうして恋に落ちたの?」

「あー……。人間って轍鮒の急の時ほど、刹那的で情熱的な恋を求めるものなんじゃない?」

「じゃあ、私には縁のないことなのかな」

「そんなことは無いよ。人生何があるか分からない」

「う~ん、そもそも恋に落ちるってどんな感じなんだろう?愛する人のために……戦いたくなるのかな。どうなの?」


 莞日夏は普段、宿題などでわからないことを質問してくるのと同じように、私が理路整然と恋を説明できると期待して、真剣な眼差しを向けた。


 この瞬間にも莞日夏にいだいている、淡くない恋心も収拾させられてない私が、まともな解答を献上できるわけが無かろう。首をかしげる莞日夏を、一歩引きながら直視しようとするも、眩しすぎて逸らすしかなかった。


 捨て台詞すらはっきり言えないまま、私は自分の家の方向に走って逃げた。家に帰ってからは、すごく情けないって、自分を苦しいぐらい責めた。莞日夏の疑問は、私のおざなりにしておきたい部分を逆撫でして、恐怖を覚えるほど感情を爆発させてきた。


 けれど、莞日夏への恋心を、確実にしてくれたのもその疑問だった。私は莞日夏のことが、恋愛として好きなんだと思う。わずか14年の人生でも、色々経験させられたつもりだったけど、まだまだ知らないこともある。本物の恋って、こんな感じなはずだろう。


「ごめんね、二人で話す時間が欲しいなんて、わがままを聞いてもらって」

「別に構わんけど。私でいいの?」

「るりぐらいしか、まともに相談できる人がいなくてね……」


 あれ以降、直接会話を持ち掛けられないどころか、莞日夏の隣に立つのさえ憚られて、不自然に距離を置くぐらい、莞日夏のことを意識してしまう。


 このまま一人で踏み出せる気がしない。それで変に病む前に、璃宙に相談することにしたのである。私は放課後、彼女を馴染み深い、正体不明の石碑の前に呼び出した。暑いから、室内にしておけば良かった。


「莞日夏と喧嘩した?それだけ仲がいいってことだろー」


 璃宙はそう言って、私の背中を叩いて励ましてくれた。よく見てるなーと思った。これじゃあ、隠し事できそうにないなぁ……。


「そうじゃなくてっ。わっ私、あの、莞日夏のことがっ……好きなんだけど、どうしたらいいと思う?」


 言ってしまった。そんな勇気があるんだったら、莞日夏に直接思いを告げたほうが、とか余計なことが澎湃と湧き上がってくる。私が慌てふためいている傍ら、璃宙は平然を保っていた。


「告白する度胸がないってか」

「そうだよ、わかるでしょ、しょうがないでしょ。前にあんなことがあったら……。もう懲り懲りだって、自分に言い聞かせてきたのにね」

「それは違うよ時雨。まだ言葉にしてないだけで、莞日夏だって同じことを考えてるって」

「それは……絶対それは無いっ」

「私は最初、痴話喧嘩かなって思ったぐらい。二人はもう相思相愛なのかと」

「はぁー?馬鹿じゃないの?」

「なんだ、馬鹿っつった?せっかく相談に乗ってあげてんのに」

「言ったよっ。るりの頭はどうなってるの、お花畑なの!?」


 こんなに表情を押し殺して、普通に振る舞っていたというのに、それでなんで私が莞日夏に思いを寄せていることが見抜かれるのさ。常にそういう先入観を持っていないと、説明がつかないでしょ。


「何というか、私とゆきだって気心の知れた友達だけどさ、容易に抱き着いたり、体の一部を触ったりしないし」

「そんなこと無いよ。私がいたグループでは、当たり前だったって」

「いや、普通はしないだろ」


 まあ、煩悩が全くなかったわけではないが……。それでも、莞日夏に嫌われない距離を意識し続けてきたつもりだった。


「でも莞日夏だって、同じことを時雨にやってるから、向こうも悪い気はしてないんじゃねーのってだけ。私、ゆきにもそういう感情持ったことないから、真相は闇の中ー」

「そうだけど……。莞日夏は好きだって言われても、たぶん何だか分かってくれない」


 昨日の映画を観た感想から、莞日夏が私に恋愛感情を有してないことは明らかだった。偉い監督に、名優を使っても伝わらなかったのに、私の言動一つで、まったく新しい概念を受け入れられるとも考えにくい。どうしたら、同じ段に立ってくれるのだろうか。


「荒業だけど、莞日夏から少し離れてみたら?」

「離れる?」

「私が夏期講習に誘ってみる。そしたら、1週間ぐらい遊んでる暇がなくなるけど、離れてる分だけ、愛が深まるかもよ」

「……なるほど」

「あっ、これは私の適当な、あの、適当だ。適当に受け取ってよ!?」

「適当に受け取れないよ。ありがとう、るりに相談して正解だった」

「……莞日夏のこと、ちょっと任されてやるよ」


 璃宙は偉そうに腕を組んで、余裕綽々な感じを出しながらそう言った。ただ成績が悪いだけなのに、よくもまあ、そんなに威勢を張れるものだ。


 こうして、自ら己を罰する1週間が始まったのであった。

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