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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第10話:鏡花水月のイデア
201/212

愛のためなら何をしてもいい

「明日から3連休だねぇー」

「そうかー。時が経つのは早いねぇー」


 誰もが平等に有している、後知恵バイアスの象徴みたいなことを言っただけなのに、隣を歩く嘉琳に拍子抜けな顔をされた。


「私が常に正しいんだけど?」

「時雨なら、ゴールデンウィーク真ん中の平日が3日もあるなんて許せない、と口酸っぱく繰り返すかと」

「まあ、別にいいんじゃない?どうしたって、学生は有給取れないんだから」

「ふーん。じゃあさあ、明日暇だよね、どっか行こうよー」

「えー、これから暇じゃなくなるかも」

「は?なんか見たい映画とかある?」

「皆無」

「えぇ……。じゃあ、おいしーいあんみつが食べられる、甘味処は?」

「いや、誘ってくれるのはありがたいんだけど……。予定ができる気がするんだよねー。また今度、こっちから誘うよ」

「……はぁ」


 いくら自分の都合よく事が運ばなかったからと言って、人に聞こえるように溜息を吐かないでほしいものだ。これは信頼の裏返しだというのに、あー、心が痛い。


 向こうは手札を尽かしたのか、教室に着いて別れるまで、何も話しかけてこなかった。もしかしたら、機嫌を損ねてしまったのかもしれないが、知ったような口ぶりで、斜め上から接してきた嘉琳にも非はあるんだから。


「二人とも、仕事熱心ね~」


 美術室にて、鏡花と細かい文字で網膜を焼いていると、3年生になってから常に暇そうな蒔希が、まずまずの味の紅茶を持ってきた。真朱帆とはクラスが別になったので、もうあの味に舌鼓を打つことはできない……。


 なぜ蒔希と常葉がこんなにだらけているかと言うと、ひとえにあの縁佳という少女のせいらしい。何となく生徒会に招き入れてみたら、ほぼ乗っ取られたという。現在は、彼女が全ての仕事を取りまとめ、取り仕切り、執り行っている。


 それで、レクリエーションの企画の件で縁佳に気に入られた鏡花は、こうして仕事を押し付けられている。本人も拒んでしまえばいいのに、成功体験になってしまって、私の存在が前提みたいな量の仕事を持って来やがる。


「先輩も、3人でこんな大変な仕事をしてたんですよね……。頭痛くなりませんか?」

「してないよ?」

「え?」

「予算なんて、適当に通せばいいの。そうすれば、この会長はちょろいって思われて、良心との兼ね合いから無駄遣いも全部詳らかに記載してくれるようになる。ちょっっと上に行く予算が多くなるけど、進学実績があれば黙るでしょ」

「そんな上手くいくかなぁ」

「大丈夫よ。ただまあ、あの人は仕事を振ることに、何か意味を見出してるみたい」


 まあ、生徒会の内情より、今は目に疲労が溜まっていることのほうが気になる。私は鼻の頭をぎゅっとつまんだ。流し目で鏡花の様子を確認すると、彼女は文句一つ言わず、黙々と熱心に作業を進めていた。


「そろそろ、帰る時間だから。切りのいい所で終わりにしてね」

「じゃあもう辞めるか。帰ろーよー、鏡花ー」

「んーっ、まだ半分も終わってない」

「それなら今度こそ、仕事を期日に間に合わせないことで、平島さんを失脚させよう!」

「は?真面目に仕事して。明日も学校に来て、頑張ろう」

「そもそも、平島さんは選挙で選ばれた生徒会長じゃないから、失脚とかないからね?」


 鏡花はちゃんと悪魔の囁きを切り捨てた。それでこそ、私にとって一番大切な存在。正直で意固地で一生懸命であってくれる。私はのたうち回りたいのを我慢して、厭そうに休日出勤を承諾した。


「珍しいねー。心を入れ替えたら、それは時雨っちじゃないと思うけど」

「しっ失礼なこと言わないでっ。鏡花のためだから、先輩がいくら呼んでも、絶対手伝わないからっ」

「まさか、後輩の手を借りるぐらいなら、ミジンコの手を借りるよー」


 こうして、私と鏡花の3連休は、生徒会の仕事漬けで終わった……ら悲しすぎるので、腕まくりをして気合いを入れ、何とか2日で業務を片付けた。


 私も鏡花も、美術室の椅子に背もたれがないことに、これだけ腹が立ったのは初めてだ。仕方ないので、反対の机に肘を突き、椅子をがたがたさせながら足をのばした。窓から青空の爽やかな息吹が入ってきて、思う存分クールダウンできる。


 鏡花は “ありがとう” という縁佳からの感謝のメッセージを見て、感慨深そうにしている。


「んー、終わるものだなぁ……」

「終わるかどうか怪しい量を引き受けないでよ」

「んー……」


 まあ、向こうの望む働きをして、信頼を勝ち取ってしまったのでもう遅いのだが、こんなに人からのお願いを断るのが苦手な人もいないだろう。そうだよね、鏡花を責めるのはお門違いか。


「まあ、もし受けちゃったら、私も協力するから。その時は遠慮なく」

「ん……」

「あぁ、こっちも困ったことがあったら、鏡花をあてにするからねっ。お互い、弱さも見せ合ってこー」

「うん、私にも、なーんでも相談して!料理に洗濯、掃除に箚記、何でもできるから!」


 鏡花が元気でいれば、それ以上何も悩むことなんてない。その期待には応えられなさそうなのが、残念だなぁ。


「ときに鏡花、明日は何をして過ごすつもり?」

「んー?いっぱい寝る」

「そっかー。鏡花が良ければ、二人で出かけない?適当に買い物したり、お茶したり……」

「おー、いいよー」


 耳が熱を帯びるぐらいには勇気を出したのに、想定より表情の変化が乏しくて、内心焦っていた。ただまあ鏡花自身が、にこにこ嬉しさアピールをするべき場面じゃないと判断しただけで、しばらくすると少しずつボロが現れ始めた。


「行きたい場所とか、希望ある?」

「大久野島!」

「それ以外っ」

「うさぎ以外、眼中にない」

「ケーキバイキングとか興味ない?」

「んー?いっぱい食べられるの?任せて!」

「決まりだね。後は……適当に考えておくか」


 私のあまりに単純な類推は的中し、鏡花は目を輝かせた。今さら、疑う余地なんてないはずなのに、なぜだかむずがゆさを覚えた。いや、確信を得たからこそ、その先にある “なぜ” が気になって、その上それに対して、オカルティックな説明しか用意できないから、未だに混乱しているのだろう。


 って、そんな失礼なことで悩んでいる場合じゃない。私の全てを捧げたいぐらい、愛しい鏡花と最高に満たされた休日を過ごして、それで……そうしたら……いつか歩いた花道に、また戻れるのかな。


 私は他人の印象よりもずっと、すぐに冷静さを欠くし、内面が行動に表れてしまうし、自分の容姿に自信がない。待ち合わせ場所で、何度も自分の顔をチェックしているナルシストがいたら、それは私です。


「ん、来るの早いね。寝坊しそうな感じなのに」

「鏡花まで本当のことを言わないでよ~」


 しかし、なんで鏡花は制服なんだ……。予定より早いし、鏡花の服を選んであげることにした。けれど、私ごときが鏡花のお召し物を選定するなんて、頭が高い事この上ない。前は雪環の意見を仰げたから、こんなに命懸けじゃなかったんだけど。


「どーっちがいいと思いますかね?」

「そうですねぇ。右は流行ってますし、でも色合いは左のほうが、お友達に合ってると思いますよ」

「両方買わせる腹積もりですね?」

「そんなつもりは……。とっとりあえず、試着してみては……?」


 私の色眼鏡を通してしまうと、全くあてにならない。全部「うおー、かわいいー」と叫んで終わる。結局、店員さんに丸投げすることにした。


 おめかしが完了した鏡花は、何度も袖を確認したり、反射した自分の姿を探したり、道端のお地蔵さんにも自慢しそうなぐらい上機嫌だったので、まずはショッピングモールの中を漫然と一周した。


「ありがとう!時雨が選んでくれた服、大切に着るね!」

「えっまあ、私が選んだわけでは……」

「ん?店員さんに、すごい勢いで迫ってたよ?」


 他者に丸投げできるわけもなく、私よりは詳しいはずの店員さんに、素人の意見をぶつけまくって、自分好みの雰囲気に寄せてしまった。言い換えれば、鏡花を着せ替え人形のように扱ったわけだが、当人はそんなことを気にせず、一皮剥けた自分に驚嘆している。


 こうやって純朴に喜んでくれて、澄ました顔で山盛りのスイーツを平らげ、少女らしくクレーンゲームでお金を溶かし、歩き疲れて寄りかかりながら歩く帰り道まで、何もかもが蘇ってくる。あのクソったれの夢の記憶も、これが現実であることを証明するのに役立った。


 でも全部を元通りにして、幸せを永遠にするためには、もう一つ工程を踏まなくてはならない。そろそろ潮時なのだろうけど、今日が終わったら始めようと思ったけど、中々今日を終わらせる覚悟を持てない。


 眠くて判断力が鈍っているのをいいことに、ベンチで鏡花の乗るはずだったバスを一本見送った。


「楽しかったね、鏡花」

「うん……」

「連れ回しちゃってごめん。眠くなっちゃった?」

「うん……」


 あまりに眠そうな鏡花は、私に体重を掛けて、いつも通り頷くだけだった。このまま見送って、犯罪になったりしないだろうか……。


 何もしない、至福のひとときを過ごしていると、次のバスの発車時刻が迫ってきた。これ以上、鏡花を引き留めるわけにはいかない。


 私は立ち上がるついでに、鏡花の唇に軽くキスしていた。そう、周りに人もいるし、鏡花を驚かせてしまうだろうから、一瞬だけにしておいた。鏡花にとっては、夢の出来事として記憶されることだろう……。


「んっ!?今、何が……時雨!?」

「いいいいっいいから、早くバス乗りなって。次は30分後だよ!」

「だって、時雨が、なんか、錯乱してたからっ」


 変に注目を集めちゃうから騒がないでよ!私は鏡花のテコピンを決死の覚悟で避けながら、彼女をバスに押し込み、さっさと駅に向かって逃げた。いつもみたいに、見送ってなんてやらない。


 実際、安閑と口付けを躊躇っている場合ではなかった。電車がもうすぐ発車してしまう。さっさと余韻と湯船に浸りたいし、もっと急ぐことにした。


 駅構内を小走りして、階段を駆け上がったので、存外余裕はあった。早く休もうとして、もっと疲れるという本末転倒な結果になったが、何はともあれ間に合って良かったー。


「あれ、時雨?」


 椅子の横のポールを掴んで息を切らしていると、嘉琳に話しかけられて背筋が凍った。無論、嘉琳の誘いを袖にして、鏡花と二人きりでいることを選んだのだから、お叱りを受けても……じゃなくて、縁を切られてもおかしくない。


「かっ嘉琳っ、貴様なぜここにっ!?」

「何だったら満足するの?暗渠探し?それとも雑草の同定?」

「別に……。驚いただけだし」

「まっ、この時間だったのは偶然とは言え、同じ方向だしねぇ。そんなに驚くこと?」


 どうして、そんなに平然と流暢に言葉を紡げるのか勘繰ろうと思ったが、そう言えば嘉琳は余裕のある乗車をしていた。呼吸を整えるためにも、嘉琳を無言でじっと見つめた。


「あの時雨、別に、怒ってないからね」

「むすっとしてたでしょ。私だって、他人の気持ちぐらい考えるんだよ」

「それは……ごめん、私も幼稚な部分あるから……」


 嘉琳は目を逸らし、こんなことに謝りたくなさそうに謝った。そんな事ができるなんて、ただの善人みたいじゃないか。


「でも、他の予定があるなら、素直にそう言ってくれれば、とは思ったからね」

「その時は未定だったからっ」

「いやいや、最初からその気だったんじゃないの?どうして、冷たい人を演じたの?」

「本当に、予定が実るか分からなかったからだって!」


 そりゃあ、声を張り上げてしまうし、焦りもする。二度とリトライできないかもしれないゲームを、諦めきれないところまで進めてしまったら、脈はずっと速いまま、そして何もできない時間が吐きそうなぐらいもどかしくなる。そして、話しかけられたら一生恨む。


「わかったから落ち着いて。どうして子持ちの野生動物みたいに、気が張り詰めてるのかは知らないけど、今日見た限りだと、そんなこと心配する必要なさそうだったけどなー」

「えっあっ、それって、どういうもこういうも無いよね、見たんだね、そっかそっか……」


 周りに他人が歩いてる中、鏡花の手を握ってみたくて、後ろで自分の手を結んで開いてしたり、エスカレーターで後ろからほっぺたをつまんでみたり、鏡花がまだ食べてないケーキだけをひたすらかき集めて、あーんしてあげたり、そういうのを全部目撃されていたのだとしたら……したら、そもそもどうして、私はこんなに秘密にしたがっているのだろうか。


「和南城先輩の後輩好き属性が移っちゃったのかもねー」

「そっそうだね、そうかもね、私は可愛がられるとは明日の方向の愛しか貰ってないけどね」


 真実の愛を貫くのには、難関も必要ということかもしれない。何はともあれ、やけに普段通りの嘉琳が電車から降りて、私はようやく一息つくことができた。

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