一緒ならどこまでも
ここ数日、鏡花は浮かない顔をしている。何か大事を抱えて、そわそわしている。じっくり観察して、あれこれ憶測を立ててみたのだが、ただの独りよがりに自信を持てない。
「遠足はどこ行くの?」
「長野」
「長野かー。いや、私の代と変わらないんだけどね。楽しかったなー」
あまり長々、問わず語りをするものでもないと思ったので、楽しかったの一言で片付けておいた。
どう贔屓目に見ても、鏡花は人付き合いが得意ではないので、最初は同じ班の人と上手くやっていけるか、不安に感じているのかと勘繰ったが、私の中に蓄積されたビッグデータを基に、広義のAIで分析すると、そういうことでも無いことがわかった。
追い詰められると、素っ気なくなるのもそっくりだなぁ。結局、鏡花の仕草に見惚れて、だらだら喋っていると、あっという間に下校時刻になっていた。帰る時も、何かを警戒するように、周囲をきょろきょろ見回している。お化けが出てくる前触れみたいで、ちょっと背筋が凍ってきた。
「島袋さーん、こんな時間に出会うとは。部活だったのー?」
背後から、かくも他人行儀でよそいきの呼び声が聞こえた。敵だなぁと思っているのは鏡花も同じなようで、私が動くよりも先に胸に鼻をうずめて、しっかり抱き着いてきた。もっと明るかったら、滅多にお目にかかれない、最高にキュートな鏡花の顔を、脳に焼き付けられたというのに、話しかけるタイミングぐらい見計らいなさいよ。
「どうしたのー?鏡花に用事?だったら、代わりに私が引き受けるよー。門限が厳しいらしくて、早く帰らないといけないんだってさー」
「えっ、あっ、それはありがたいなぁー。でも私は島袋さんに用があってねー」
「あぁそう、そう易々とは引き渡さないけどね」
私には、鏡花がひたすら “ごめんなさい” と呟いているのが聞こえているのだ。贅沢な悩みを贅沢だとみなす発想すらない人に、この悲嘆を本気で受け止められるわけない。黄色い声を使うのは辞めた。
「待って待って多々良さん!私は敵じゃないよーっ」
「んあ?三中だった?一個下にこんな子いたっけ、そんなわけないよな……」
「初対面だよ!私は1年1組31番平島 縁佳、天下泰平の平に、群島理論の島に、合縁奇縁の縁に、佳人薄命の佳で平島縁佳、どうぞお見知りおきをー」
縁佳はそう言いながら、友好と無害の証として、指を広げて両手を小刻みに振っている。どうやら、怖いもの知らずの大物新人が、この学校に入ってきたらしい。悪い人ではないのだろうが、その仮面と鏡花の相性が悪い。
「親切なのはこんぐらだけど、誰に対しても、相手を軽んじるような態度は避けたほうが無難だよ」
「知ってるよー、それくらい、お説教されなくても。そうじゃなくて私の用っていうのは、頼んだ仕事の進捗を把握したかっただけ」
私は自分の胸の辺りに視線を落とした。鏡花は相変わらず、もぞもぞしている。なるほどー、全然やってないんだなー。しかし、私が鏡花の肩を持たずして、誰が持つというのだ。私は鏡花の肩を優しく握った。
「そういう事だったのね。まあ、私も協力するから、遅れを取り戻そう?」
「いやいやそんなそんな。私も、蓬莱の玉の枝を探させるような仕事をお願いした自覚はあるから、ちゃんと自分で片付ける……というか、その目途は立ってる」
それを聞いた鏡花は、私の横に自立して、足を肩幅に開き、縁佳に向かって、通りがかった人の7割が足を止めるぐらいの音量で叫んだ。
「私、一人で仕事できるからー!」
「うーん、でもデッドラインが……」
「心配無用!本気を出したらすごいこの私が、全面バックアップ!」
「ん?さっき、一人でって……」
「よーし、行くぞ鏡花、全力前進漸近!」
「よーそろー?」
私の隣の陽だまりはそうでなくちゃ。一生懸命なだけなのも、取り柄であり武器なのだ。縁佳という、得体の知れない後輩から貰ったパスを、的確に活用してみせる。
門限なんて聞いたこともないらしいので、今からミヤコワスレで作戦会議をすることにした。
「時雨ちゃん、最近シフト入れてないよね。たまには働かない?」
「今から、人生で一番大切な会議するんで。代わりに成さーんのシフトを増やしといてください」
「うわーん、腰痛いのにぃー」
何度でも繰り返してやるが、普段はバイトがいなくても回るぐらいしか、お客さんが来ないのである。なので、非人道的だという心象をいだかれるのは心外だ。だから、ねぇ鏡花、カスタードも貫くような眼光で、じっと見つめないで……、心臓を撃ち抜かれそう。
懐かしさと食傷の塊であるクリームソーダを口に含み、落ち着きを取り戻した。
「気を取り直して……。頼まれた仕事って、結局何なの?」
「んー……、レクリエーションでやる企画を考えて、みたいな」
「ほーん、そんなことやるんだ」
「遠足前に、みんなの結束を強めるためらしい……」
どういう類いの人間が言い出したのか、それはおおよそ想像できるけど、なぜ鏡花にこんな仕事が回ってきたのか、はっきりさせられない。縁佳が口車に乗せ、横車を押したのか?まあそもそも、それを追及してる暇があるのか?
レクリエーションの日付を尋ねたら、鏡花は1から指で日数を数え始めた。せめて、もう片方の手まで動員してくれ……。
「2日、うん、今日を入れて」
ほんのり桃色がのった、繊細で傷一つない指が2本そそり立っている。つまり、大掛かりな準備が必要なくて、世間的に目に入る人間が全員楽しめる企画を、明日までに用意せよ、と。怒らないけど、もっと早く教えてよ!
「大変だから、自分だけで何とかするよ」
「いや、眉に火が付いた状況だからこそ、私が協力するんでしょ。大丈夫、私と一緒なら、どうとでもなるから。そう意地を張らないで」
必死の訴えに心を打たれた鏡花は、ようやく首を縦に振ってくれた。ここで信頼を勝ち取れれば、その、もっと親しくなれる。私にとっても試練なのだ。
「それでさ、何かざっくりとしたアイデアはあるの?」
「ん……、いっぱいある」
「いいよ、遠慮せず言ってみて」
「1つ目、セパタクロー。3人1組を40人クラスで組んだら一人余る。それが私」
「6クラスだから、余り者で組めるね。却下」
「2つ目、卓球ラリー参加人数のギネス記録を狙う。今の記録は200人、学年全員でやれば、いける」
「明後日に自分がラリーしてる様子、想像できる?」
「ん……」
鏡花は目を大きく見開いて、今までで一番強く頷いた。まあ、それくらい自分を過信できるのは、ある意味長所である。却下だけど。
「3つ目、普通にいくつかのありふれたスポーツ、ゲートボールとかをやる……。うん」
「おー、ゲートボールねぇ。ルール知らないけど、きっとそれなりに楽しめそう」
老人に人気ということは、激しい動きが少ないということである。これなら普段、視界に入れてもらえない人も参加してくれる、かもしれない。ここで私は合点がいった。縁佳が鏡花に意見を仰いだのは、そういう日陰者に救済を与えるためなのではないか。まあ彼らがそれを望んでいるかはさておき、縁佳は社会的善人なのだなぁ。
「4つ目、方向性を変えて謎解き……。もう作ってる」
「どれどれ、ちょっと挑戦してみようかな」
意味深な図柄が書かれた紙を受け取り、私は鏡花渾身の一題を解いてみた。……才能ないかもしれない。時間がないので、さっさと答えを聞くことにした。
「……そしたらこの紙で兎を追って、耳になる部分の物の名前を書くでしょ?そうしたら、それぞれの文字を、メルセンヌ素数3、7、31、127、8191字戻すの。それでそれでこの表と照らし合わせると、この円はモホロビチッチ不連続面を表してるってわかって……」
「いくら白高生が博識でも、さすがに難しいんじゃないかな……」
「んー……、頑張ったのに……」
頑張りすぎて、訳が分からなくなっている。しかし謎はよく練られているし、繋ぎ合わせれば良い企画になりそうだった。何より、鏡花の努力を無駄にしたくない。ふてくされて、全部鞄にしまっちゃおうとした鏡花の手を、ふんわり包み込んだ。
「これで行こう。せっかく考えたのに、もったいないよ」
「ん……、あんまり良くない……」
「自信なくて持っていけなかったのね。大丈夫、私が付いてるから。明日、縁佳の元に行こう?」
私がそう提案すると、鏡花は珍しく首を縦に振らなかった。
「どうして私なんかに頼んだのかなぁ」
「それはもう、鏡花のアイデアが欲しかったんだよ。鏡花にしかできない事もあるんだから」
「ん……、本当?本当に、こんなので、許してもらえる?」
「というか、鏡花が全力を尽くした結果、それでも問題が起きたのなら、それは仕事を振った、あの平島縁佳という人間に非があるのよ。さっ帰ろう?あんまり遅くなると、親御さん心配するだろうし」
「んっ、うん……」
意固地な鏡花は、まだまだ疑念を残しつつも、やけくそ気味に同意してくれた。最初はこんなものさ。他人も自分も、簡単には信じられないよね。
翌日、私たちはあくびを噛み殺しながら、縁佳の元に赴いた。昨晩は、ミス研から没になった謎解きも仕入れ、綺麗に再構成して企画書をしたためたので、もう眠くて仕方ない。
昨日、あんな風に呼び止めたくせに、縁佳は代案を用意してるからと、鏡花の案を取り下げようとした。でも鏡花は意固地な性格なのである。本当は自分を曲げる気なんて無くて、誰かの支えがあれば、きちんとそれを押し通そうとする。
「これ、島袋さんが作ったの?ここまで用意ができてるなら、やりますかね」
「ん、この人が作った」
「あっ、ご苦労さまー。お礼に、裏予算で新しいベースでも買っていいことにしようかな」
わざわざ鏡花の名前を刻んだというのに、彼女は迷わず私を指さした。こっそり目頭が熱くなってしまい、後で小川に白けた目線を送ってもらうことで、自分の感情を抑えるはめになった。
やっぱり鏡花は正直者だった。正直で意固地で一生懸命な、精巧な壊れ物、手垢のついていないガラス細工みたいだ。そんな子の前で、卑しい感情が浮かんでくるはずがなかろう。ベースとか、どうでも良かった。