弔いの春風
思い出は色褪せていくけど、恋心は変わらない。初恋の残り香は確実に脈打っている。莞日夏を想う気持ちは、今も変わらない。
遥か彼方にある1年前の私なんて、彼女の日記を開けば簡単に思い出せた。莞日夏の色も声も姿も味も、不器用な完璧主義で、誰が決めたか知り得ない正義を貫こうとする所も、何にも変わっていない。変わっていない彼女を引き出せた。
「おーい、遮光器土偶みたいな顔で、何ぼーっとしてる、のっ」
嘉琳はそう言いながら、私の額にテコピンしてきた。私はいたって冷静なので、ヒリヒリしている感じをゆっくり飲み込んだ。ところで嘉琳はもし私が、ノーベル賞級のアイデアを脳内で転がしている最中だったら、責任取れるのだろうか。
「あぁ、春風駘蕩だから、小難しいこと考える気にならない」
「こんな風になるなら、1年前みたいに、小難しいことで悩んでたほうがいいかもしれませんね」
颯理の言葉で、1年前の自分を思い起こしてみた。まあ、あれは酷かった。放心状態だったんだ。まだバリバリ現役で働いているのに、がんが見つかったみたいな。でも幸か不幸かだいたい即死にはならない。血と弱音を吐き、苦しみ悶えながら灰になる。あれ、ということは、私も死ぬのか?
「もしかして、間違えて1年生の教室に行こうとしたのが、そんなにキャラクターを毀損したと思い込んでる?」
「あー、それ私も見ましたー。でも大丈夫ですよ、他にもやらかしてる人と目が合ったんで」
「何だか颯理って、 “都合のいい” 所があるよね。って、フラッシュバックさせるなっ」
しかし、自分のことは自分が一番よく理解しているのだなと思い知った。私のことを何もわかっていない。
颯理は明日にある新入生歓迎会のライブに備えたいということで、さっさと我々に見切りを付けることにした。彼女はいつものように、颯爽と自転車のペダルを踏み込んだ。
すると見事に空回りして、颯理は嘉琳にもたれかかった。二人とも怪我はしていないが、自転車が馬鹿みたいにぶっ倒れた。
「大丈夫?」
「はい……、時雨さんに心配される程やわじゃないです」
「びっくりしたぁ……。ちょっと見せてごらん」
「見事にチェーンが千切れてない?」
「あー、またやっちゃった」
「そんな、乗り手によって壊れやすくなる箇所だっけ……。あぁ、柳都最速のライディングスター様だった。無茶させすぎたんじゃない」
「嘉琳ー、直してあげなよ」
「そう簡単に言ってくれるね。レクイエムクレムリンが道具とピンを持ってたら、多分直せるけど」
「そう遠くない場所に自転車屋さんありますし、押して行きます。心配かけてすいません」
「まっ、暴走中じゃなくて良かった。気を付けてねー」
緑に色付き始めた逆さ銀杏の麓で、私たちはなぜか、颯理が角を曲がるまで見送っていた。……この無言、とても気まずいが、向こうは全く気に留めてなさそうである。
「どうする、私たちも帰る?」
「えー、どちらでも」
「観測するまで回答が確定しなくてもいいが、私が観測者なので早くはっきりさせろ」
「嘉琳と居るのも楽しいけど、別に今じゃなくても、私は一向に困らないんだけど、まあそっちが帰り道に、道端で逞しく涙ぐましく天を目指すセイヨウタンポポを、くたばるまで踏み潰したくなるぐらい暇だったら、そういうことだったらしょうがない」
「素直じゃなさすぎるでしょ……」
実際のところ、どちらを選んでも利点があるのだが、成り行きでバイト先にて昼ご飯を食べることになった。今日はどの学校も入学式だったからか、同業他社で溢れかえっている。もちろんシフト入ってないので、知ったことではない。
「すごい客入りですね。失礼ながら、しかと目に焼き付けておこうかと」
「でも、嬉しい悲鳴ってやつなんじゃない?」
「そんなわけ無いじゃなーい。ちょっと首相、色んな所に宣伝しすぎだよ」
マスターはお盆を抱えて、呑気に私たちと雑談している。遠回しに手伝えと言っているのだろうか。私は注文した後だけど、メニュー表に視線を落とした。
「ここで油を売ってて平気なんですか?」
「そうそう、うちもロボットを導入したのよ。これでフロアの仕事は、人の手が必要なくなった」
「お金ありますねぇ……。だって時雨、クビだってさ」
「十分親に恩返しできたし、ちょうど辞め時を探してたから、助かるー」
「あっちょっと!時雨ちゃん、辞めないでー!」
「やっぱり、性根が腐ってる……」
ロボットを導入したところで、不測の事態に対応してくれないし、料理は自発的に完成しないので、結局労働力として駆り出された。ロボットを買うお金で、別のアルバイトを雇ったらいかが?
そんなわけで、すっかりランチタイムが終わり、いつものがらんとしたミヤコワスレが帰ってきた。まあ時給に換算したら、嘉琳に奢らされそうで、とても口にできない額を貰ったので、それはいいのだが、わざわざ何も食べずに律儀に待っている必要はない。
「お疲れさまー」
「いや、お店の回転率としても最悪だから」
「ひっどいなぁ、私の気遣いを、そんな風に唾棄しなくても。まっ、私としても実は打算的な行動なんだよ?人が少なくなった今、きっとスペシャルなメニューを出してくれる……はず。というか、それが狙いでミヤコワスレに来たんじゃん」
その目論見通り、食パンまるまる1斤を使った、ハニートーストが運ばれてきた。どうせ余ってるという理由で、機雷のようにポッキーが四方八方に刺さっている。嘉琳は目を輝かせながら、それを切り分けた。
「あぁーうまい、うますぎるっ」
「それじゃあ、正式にメニューに加えようかな。まあまあっ、また覚えることが増えたって、嫌な顔しないっ」
マスターが私の背中を軽く叩いて励ましてきた。そうこの店、毎日のように新メニューが作られるので、手順が定められているとはいえ、覚えることがはちゃめちゃに多いのである。せめて看板メニューがあればいいのだが……。
「どうしたの?食欲ないの?」
「えっ、別に、そんなことは無いけど。もとより小食ですし」
「それならいいけど、何だか最近ぼーっとしてる気がするから」
嘉琳がそう切り出すということは、よほど確証を握っているのだろう。私は彼女の鋭い眼差しに、あえて真っ向から対抗してみた。せっかく、熱々のトーストと冷たいアイスクリームが、絶妙なバランスで提供されているというのに、お互い何も口に運ばず、少しの間牽制しあっていた。
「一周忌があったんだってね」
「どうしてそれを知ってるの」
「雪環さんから聞いた」
「はーあ、ゆきは簡単に人を売るんだから」
「そもそも、あれから1年経ったんだし、予想する材料は揃ってるんだけどね」
しかし莞日夏の一回忌があったとしても、彼女が復活するわけでも、この世の全てが憎くなるわけでもない。だからと言って、感傷的になるなと助言される筋合いもない。私は一旦取り分けられた分を食べ切ると、フォークを机に置いて頬杖を突きながら、嘉琳の食いっぷりを眺めていた。
「きちんとお別れできた?」
「さあ」
「お葬式には、色々あって行けなかったんでしょ?」
「代わりと言ってはあれですけども、毎日のようにお墓参りしてるから」
「それは殊勝な心掛けだけど……。木滑莞日夏はもう、この世に存在していない。その残滓をかき集めても、彼女を復活させることは叶わない。わかってるよね」
「だとしたら、一周忌なんて何のためにやったのさ」
「はぁ……。気を回してくれた遺族の方々に感謝しなさいよ」
「してるよ、社会通念上は」
とは言え、ここ1年で私の中にも、もっと大人な感覚が芽生えていた。時折こういうきっかけを発端に、思い出に浸って感傷的になることはあっても、莞日夏が隣に居たらと考えることは減った。結局、今を楽しまなければやっていけない。
「まぁーもし、何か辛いことがあったら、遠慮なく私に相談してね。1年前みたいに、どうにかするお手伝いをしてあげるから」
「もうあんな醜態を晒すことはないと、誓ってもいい」
「そんなに嫌だったんだ、甘えるの」
「あっいや、そんなことない……やっぱり嘘、うわああああ早く食べちゃおうよっ」
嘉琳の鼻息が、私には見えた。また、恥ずかしい事を思い出してしまった。あーもう、急にお腹が空いてきたっ。