かまくらとコーヒー
まるで子連れのように椿姫は時雨と澪都を率いて、奈落の底へ向かっていった。妹さんからのお願い、これで達成できるかなぁ。傷口が開いたらどうしよう……。
「誰もコーヒー飲む気ないの……」
早速、椿姫の左腕に澪都が助けられている様子を眺めていたら、桜歌がコーヒー豆を杵で潰しながらぼやいた。
「えっ、じゃああああ、わわわ私が頂きますっ。落ち込まないでくださいっ、阿智原さんのコーヒー、とっても美味しいですっ!」
「淹れたことないんだけど……。いいよ、私に人望がないことを確認できたし」
「ほらっ、まだ豆潰してる段階だから。出来上がるまで時間がかかりそうだから……」
「最近の若者は即効性のある娯楽にばかり身を焦がして。これだから最近の若者は」
「最近の若者代表、信濃天稲でーす!コーヒー豆の香ばしいにおいに釣られて、山麓からタッキングしてきました!」
そうやって皮肉られても、私は作り笑いしかできないので困っていたら、目覚めのJアラート並みの勢いで天稲が現れた。どうやら重力を打ち負かす、新しい滑り方を編み出したらしい。世界で天稲しかできないので、競技にもならないだろうけど。
かまくら内は妖艶なお香で包まれ、そこにエスニックなやかんから注がれるコーヒーの香りが加わる。飲む前から存分にリラックスさせられる。これがエチオピア伝統の作法、ただしめちゃくちゃ省略版、だそうだ。
「美味しい……。落ち着きます、スキー場に、何しに来たのか忘れるぐらい」
「タッキングしに来たんですよ!」
「ところで、阿智原さんは滑れないんですか?」
「スキーできるできない以前に、高所恐怖症にはリフトが怖い。揺さぶって、全員突き落としてやりたい」
「意外ですね……。外部の状況を、極限まで気にしない人だと思ってました」
「じゃあその認識は改めることね。世界は悪意で満ちている、それが私の結論だから。例えば、スキーのストックの先端も、信濃リバーのドラムスティックも、私の定義する悪意なので」
「これですか!」
天稲は懐から一対のドラムスティックを取り出した。愛着があるのか、いつも持ち歩いている。まあこれは天稲に限った話でもなく、私たちの部のドラマーは皆そうらしい。
「あまり調子に乗るようなら、今朝搾りたての山羊のミルクでも飲ませるよ?殺菌してないから、日本人を簡単にトイレへ追い詰められる」
「食品衛生法違反ではありませんか!」
「日本の法律を盾にするなんて、グローバル社会に相応しくない」
肩をすくめて、また最近の若者を論破した気になっているが、むしろEUとかのほうが厳しい規制があるわけで、その発言はブーメランになっている。だから何だ、と思ってはいけない。
そんな食品衛生に対する意識の高い桜歌のコーヒーを、味変しながら3杯頂いたところで、私も更に下へ滑ることにした。天稲は逆に頂上を目指すらしいけど……。こまめに方向を切り替えて、根気強く登って行った。珍妙な光景に、私も足を止めてしまっていた。