クビじゃありません
ベースの歪んだ音の波動が、演奏している私たちを揺さぶる。そこに乗っかる自分の出した音が心地良い。爪弾くことの楽しさを、私は初めて知った。まだ突き詰められる段階じゃないし、それらしい音が出れば、それだけで頬が緩んでしまうので、こんなに充実した日々はない。
先輩方がさっぱりとしたフィナーレを決めて、とたんに肩の荷が下りる。限界まで張り詰めた弦のようなテンションで演奏しているので、毎回終わるたびに、それを真ん中で切断して、膝から崩れ落ちそうになる。古のトラウマがまだ抜け切らない……。
「どうでしたか?今のは」
「うーん、めーっちゃ良かったぁー」
「その……アドバイスとかないですか?」
「えぇー?私がアドバイスするなんておこがましいったらありゃしないよぉー。さっちゃんは、もうこれ以上ないくらい上手だから、もう我が道を匍匐前進するのみぃー」
このいかにも浮遊感のある適当な言動とは裏腹に、見た目だけは生真面目そうな先輩は児玉 常葉、私が所属するバンド「古の炊飯器」のリードギターである。先輩がギターを始めたのは、高校に入学してから、たった一年前だけど、その腕は確かで、古の炊飯器をこの街の高校生の憧れの的に仕立て上げた。
私もそんな、キラキラした青春を夢見る人間の一人に過ぎなかったはずなのだけど、たった一歩前に出てみただけで、天上の女神のような存在に、これだけ近付けるとは……。私はこの春、白高に入学して軽音部に入り、先輩方に話しかけてみたら、気が付くと古の炊飯器のギタリストとなっていた。
それはさておき、同じくギターを担当している常葉に、ゼロからギターのいろはを教授していただくことになっているはずなのだけど、いつもこんな調子なので、結局独学で何とかするしかなかった。一応うちの母も、高校生の頃はバンドでギターをやっていたらしいが、何と言うか常葉先輩と似たり寄ったりの性格なので、やっぱりあてにならない。
「あの、チョーキングした時に、こんな風に指がなっちゃうんですが、どうにかなりますかね……?」
「あぁー、それはっ、ネットで動画見ればわかるよぉー。便利な世の中だよねぇー」
この通り……。常葉先輩から教わったことって、ギターのチョークポイントぐらいしかない。ある分野のプロが、必ずしも教育者として優秀とは限らないとは言え、いくら何でもこれには言葉を詰まらせてしまう。
何のフィードバックも得られないでいると、さっきまでボーカルの人と深刻そうな話をしていた、ベーシストの先輩、和南城 蒔希がこっちにやって来た。 “Garcinia mangostana” と書かれたセンスの悪い帽子を被っている。
「とーこーはー?それじゃあ、笹川さん困っちゃうでしょー」
「えぇー、だってだって、私だって感覚でやってるんだから、教えるなんて無理だって何回言えば……」
「あのねぇ、機械オンチなのは知ってるから、機材の使い方とかは私が教えるけど、演奏本体は常葉が何とかしてあげて」
「ずるいよぉーっ。ツインベースなら、こんなことにならなくて済んだのに」
「ただでさえ、逸りがちの小うるさいベースなのに、これ以上増やしてどうする……」
「自覚あったんですか……?」
「違う違う、あんたらが目立たなさ過ぎるの!」
結局、今回も多忙な蒔希のお手を煩わせてしまった。その様子を、常葉がにこにこ眺めながら問わず語りをするまでがセットである。早く自立して、バンドの役に立てるようにならないと。
「そうそう、笹川さんには一つ提案があって」
「何ですか?」
「自分でバンドを持たない?同級生とか仲のいい人集めてさ」
「うーん、別に、私は今に満足してますが……」
「ここだと他のメンバー全員先輩だし、何ならそれなりに人気バンドだけど……、息苦しくない?」
「音楽的なこーじょーしんも大事だけど、楽しくじゃれあいながら進んでいくのも、悪くないと思うよぉ?」
「でも、今からメンバーを募るのも厳しくないですか?もうある程度、組まれちゃってると思うんですが」
「確かに、今この部に所属してる中には予備役いないけど、友達を誘ってみたら、案外上手くいくかもよ。一人では近寄りがたくても、一緒にやる人が決まってたら、ね?」
「まぁー、戻ってくればいいんだよぉー。席は開けとくからぁー」
そう言われて、今日の練習は終わった。しかし、いくら人脈は広いし、この学校にも知り合いが多いとは言え、バンドを組んでくれそうな相手は思い当たらない。そもそも、ギターを始めてから一か月も経ってないから、音楽面で全く先導できない。これだと経験者はレベルの低さに失望し、未経験者は私とともに路頭に迷うことになってしまう……。
一人で苦悶していても埒が明かないので、翌日、嘉琳に相談してみた。
「それって、クビってことじゃ……?」
「違います」
「うちのバンドでは飼えないから、どっか行ってくれっていうメッセージだと思うけど……」
「違いますっ」
「じゃあ、別に颯理が下手くそとか、才能ないっていうんじゃなくて、まあ初心者だし、必要なことは教えたから、あとは自力でがんばれーってことじゃない?」
「違いますーっ」
私は食い気味に否定した。しかし、嘉琳は攻撃の手を緩める気がない。
「だって、音楽性云々っていう段階でもないでしょ」
「私だって、最近は色々聞いてるんですよ!せっかく英語が多少できるんだし、もっと早く洋楽に手を出しとけば良かった」
「仮に理想があったとして、そこに至るための技術がないのは覆らないから」
「違いますっ!」
「いや、これは違わないだろ。そんな口をすぼめて、適当なことを言うな!」
まあここで何を言おうと、私のギターが上手くなることもないし、先輩に考えを改めるよう請願する度胸もないので、私は皮肉交じえながら話を戻した。
「私は……クビになったわけだけどーっ。でもせっかく始めちゃったし、どうせならギター続けたい……!」
「あーいや、クビなんて言ってごめんって。……冗談のつもりだったのに、颯理が意固地になるから」
「でも本当にそうは思ってるんですよね」
「えー……、そりゃあ自白剤を飲まされたら、きっとそう言うだろうけど、自発的対称性の破れが起こらない限り、それが明るみに出ることはないね」
「はーあ、練習しないとなぁ……」
私はどれだけ歩いてもたどり着けるはずのない、水平線を目指すような気分になって、ため息をつきかけた。危ない危ない、運気が逃げてしまう……。
「それもいいけど、どうやってバンドメンバーを集めるか……。追加で3人は欲しいよなぁ」
嘉琳は上を向きだした。バンド作りに協力してくれるつもりなのだろうか。
「相談してきたってことは、メンバー探し手伝えってことじゃないの?てっきり、そのつもりだったのかと」
思考が逃げていたみたいだった。確かに、嘉琳に言えば、落としどころが見えてくると思っていた気がする。でもこんなに嬉しいし、案外そういうわけでもなかったのかもしれない。
「あっいや、協力してくれるのはとっても助かる」
「でも、颯理の友達で、楽器やりたそうな人とか、やってた人とかいないの?廊下の過客によく声かけられてるし、私なんかより、全然知り合いたくさんいるでしょ」
「うーん、心当たりは……ピンチになったらどうにか引きずり込めそうな人は、一人いるんですけど……」
「まっ、そっちでも色んな人に、それとなく音楽の話を振ってみて、いけそうな人を探してみてよ。私は……スカウト方式で何とかするから!」
「うわっ、嫌な予感……」
嘉琳は腕を組んで、偉そうな態度を精一杯演じている。事務所の社長にでもなったつもりなのだろうか。単に嘉琳が人に迷惑をかけるだけならまだしも、今回の件は私がきっかけなので、私にも責任がある。お願いだから穏便に済ませてください……。
嘉琳の暴走が怖いので、できる限り被害者を減らすために、あることを聞いてみた。
「そう言えば、嘉琳さんは興味ないんですか?」
「え?それは……正直、もういっかなーって感じなんだよね」
「昔、何かやってたんです?」
「家にギターあったから、ちょっとだけ触ったことがある。けどまあ、音楽よりは他のことのほうがやる気あるかなーって感じ」
「そう……」
思ったより落胆してしまった。無茶な期待を立てかけていたかもしれないと、自分を咎めて反省しようと必死になった。
「でも、もしどんなに探してもメンバーが見つからなくて、古の炊飯器にも見捨てられたら、颯理と私と、あとさっき何かやってくれそうって言ってた人と、3人でやろっか」
「でも、あの人と嘉琳さん、そりが合わなくて空中分解しそうだなぁ。絶対メンバーを集めなきゃ」
「えーっ、そこは泣いて笑って、グータッチじゃないんかー?」
「あの、演出家だけは絶対ならないほうがいいと思いますよ」
「なる予定ないけど??」
こうして私たちは、つまるところ私の青春を彩るために必要な人間を探す旅に出た。私は友達に、素人に毛が生えた程度の音楽知識をひけらかしながら、相手の趣味や奥底に眠る夢を探るが、やっぱり私ほどの無謀さを持っている子はいなかった。
メンバーが見つかる算段もなく、部活で先輩方に目を合わせるのも憚られるようになってきた。絶対考えすぎなだけなのだけど、ボーカルの先輩にはやたら睨まれる気がするし、頭の中がこのことでいっぱいになってしまった。




