トールの強迫観念
その日は榊姫含め、家族で海に来ていた。肌を焦がす太陽、遠い空には入道雲、こんな真夏ど真ん中な日は海の深きを求めたくもなる。
「いくよーっ、水平線まで!」
「地球は球体だから、どんなに泳いでも水平線には辿り着けない……うわっ」
今日の榊姫はやけに浮足立っている。まあ、あまり旅行が多いほうの家族じゃないし、まして海に入るのは初めてだし、その気持ちは同じだった。私も榊姫に引かれて、じゃぶじゃぶ音を立てながら海に入り、思うままに泳いでいた。
「うおーっ、どんなに泳いでも端がないって素晴らしぃーっ」
「榊姫……、待ってぇー」
身体能力抜群の榊姫は、本当に水平線をタッチできそうであった。しかし自分は彼女の姉である。だから、数多のだらけた波をかき分けて、榊姫に食らいついていたはずだった。
榊姫は忽然と姿を消した。ふと顔を上げると、前には彼女の姿が無くなっている。追い越したり、私が変な向きに進んだりしたかと思って、周囲を何十回見渡しても、彼女の姿が見当たらない。そんなはずはない、いくらダメな私でも、実の妹を見分けられるはずだ。
その時の私は何を血迷ったか、私は海に潜った。そうしたら薄光にまとわれて、静かに沈んでいく榊姫を発見した。足は着かないにしても、海底まで何十メートルとあるわけないのに、思い返せるほどロマンチックに、無気力にどこまでも沈んでいく。
学校の窓ガラスを割った時のように、何者かの手によって、何も考えられないように、何かを想わせられ続けた。そんな中でも私は、果敢に榊姫を助けようと手を伸ば……せない、左手が言う事を聞かない、やばい、息が持たない、宇宙はどっちだっけ……。
―――
「次誰だっけ。あっはい、水上さーん」
「はっはいっ!?」
耳を塞ぎたくなるような、物が壊れる音が教室に響き渡った。内職していた人含め、全ての視線が集まるのを感じる。
できる限り悩まないようにしていても、実際に莫大な負荷が全身に加わるので、やつれもするし授業中にうたた寝もする。それはそうと、私の桜色スクールライフはようやく終わった。びっくりして、その反動で立ち上がったら、左腕を机に突いたせいで、机が真っ二つに割れたのである。金属の骨格も、あっけなくその断面を晒している。
「ちがっ……これは……」
私は静寂よりも儚くかすれた声で、弁解に似た何かをしようとした。しかし、例の連続物損事件のことは、すでに校内に出回っており、それと重ねられて必然というか、同一犯なので釈明のしようがない。誰も動けない、私の左腕以外は。
「待って……待ってってば!静まれ、何も壊したくないッ!」
今度は後ろの机を叩き割っていた。異様な状況に、教室中がパニックに陥る。叫ばないと自我が保っていられない。
「そこまでよ!……何がいいかしら」
「え?そんな安閑としてる場合じゃないでしょ。えっとそうだな、ジョワユーズとか。仮面ライダージョワユーズとか、どう?」
「悪役なんだけど……。まあいいや、覚悟なさい、わたくしにもいい所があるってこと、見せてさしあげるわ」
混乱に呼ばれて、どこかのクラスから飛んできた風雅な少女は、似合わぬ長い長い多節棍を握りしめている。彼女のルーズサイドテールが振れたかと思うと、次の瞬間には私の左腕にその多節棍が絡み付いていた。左腕は往生際悪く抵抗するも、やがて金属の擦れる音もしなくなった。
抵抗していないつもりだったが、存外全身に力が籠っていたようで、腰が抜けそうになった。でも何より、この強迫観念を強制的に終了させてくれたことに、一人喜びに沸いた。
「あ、触ったら吹き飛ぶかもよ?時雨ちゃん」
「んあっ!?」
「1割ぐらい冗談じゃないから……。ごめんね~」
私の微かな筋肉の痙攣に反応して、多節棍も振動していた。相当な力で張っている。人のことを言える立場ではないが、あの人も一体どこからそんな怪力を生み出しているのだろうか……。
「で、どうすんの?制圧したけど」
「さあ?というか、制圧したのはこの立花真朱帆なんだけどっ」
「はいはい、すごーい。いや、あの、素直に感心できないんだよねぇー?」