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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第9話:トールの強迫観念
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追い詰められた金剛力

 あれから数日、猫が身をかがめるように、どんなに微細でも、自分に対するいかなる干渉に、警戒を怠らなかった。真後ろの音にもならない空気の振動にまで、神経を尖らせる。だからと言って、左腕は破壊の限りを尽くすし、己の罪は消失しないのだが、なぜだか今のところ、先生にも警察にも呼び止められずに済んでいる。


 それにしたって、見事に砲身がひん曲がっている。どうしてただの高校に、大砲が隠匿されているのかは、私がやっていることに比べたら大したことない。右腕の違和感、そして罪悪感も取れてきた。もう私は、自分の力を抑えようとしなくなっていた。実はそんなに痛くないし。


 エビデンスに欠けるが、経験則的に無心になっていたほうが、力が暴走しなさそうなので、常に無になれるよう懸命に自己暗示している。もはや目を半開きにして廊下を歩いていると、悲痛な叫びに耳を傾けていた。政治家にはならないほうがいいかもしれない。


「おい芽生、どうなってる、どうなっちゃったんだよ、この学校……!」

「そんなに深刻に捉えなくても……。どうせ、むしゃくしゃしてやった、とかだよ」

「むしゃくしゃは人を殺さない?」

「確かに……陽菜の言う通りかも」

「どーすんだよーっ、芽生、巧みな話術で何とか鎮められないの!?」

「買い被りすぎだよ。接点ない人はちょっと難しい」

「大丈夫、玉っころを交わせば仲良くなれるっ」

「人は朱に交わっても、そんなすぐには赤くならないよ……」

「うへぇ、ぼくって運ないし、テロとかに遭遇したら、真っ先に死ぬんだろうなぁ……」

「まあまあ、3人で固まってれば、きっと大丈夫だよ」


 一番身長の高くてお姉さん格の子が、内気で臆病な少女の手を優しく包んだ。私には到底できない芸当……、なんと無責任なことに羨ましく思っていた。羅刹天に遭遇したかのような、息の詰まるような恐怖をあの子が味わっているのは、私のせいだと言うのに……。


 帰り際、校門を出て右に曲がろうとしたら、反対に向かって歩く二人が、末恐ろしいことを話している。ついその会話の中身を盗み聞きしていた。


「このハンカチ、誰かが持ってるのを見てない?」

「んー?……わかんないなぁ。すぐに思い出せそうなデザインだし、多分初めて見た」

「そっかー。まあ、まだ二人目だからね」

「落とし物なら、然るべき場所に届ければいいんじゃないの?」

「そうじゃなくて、とある事件を解決するための、重大な手掛かりなんだよ」

「もしかして、物損が相次いでるあれ?」

「そうそう。放っておくと、人に危害が及ぶかもしれないから、生徒会でも調べてて」

「そもそも普通に犯罪だしなぁ。受験生かな、何か思う所があるのかも……擁護してはいけないんだけど」

「小川も気を付けてね」

「確かに、黙って散るのももったいない……」

「まあ、小川にそんな筋力はないかー」

「ネットで爆弾の作り方でも調べようかな」


 白玉を頭に乗せた少女が、私のハンカチを持って、犯人探しに勤しんでいる。こんな事がいつまでも見過ごされるわけがない。着実に追い詰められていることを直視せず、私は人類に早過ぎる言い訳にかまけて、惰性のまま生きようとしていたんだ。


 指名手配犯と同じように終わりがなく、そして順応してきた頃に上書きされる恐怖。私は彼女たちに背を向けて、暮色蒼然の冬の曇り空の中、一目散に走り去った。恐怖とは凄くて、逃げる隙しか与えてくれない。家までどうやって帰ったのか、記憶がない。


 でも、どうせ死を待つのならば、記憶がないほうがむしろ都合が良い。


 あの子は、明日はもっと私に近付くかもしれない。法務大臣の気まぐれを待つぐらいなら、いっそのこと自首してしまったほうが……そのほうが重罪になるか。更生したふりして再犯する、救いようのない人間だとみなされるから。


 間違っても、自分の腕が言うことを聞かないなんて、信じてもらえない。こんなに落ち込んで、悩んで、項垂れているのに、この左腕は見事に茶碗を支えていたとしても。


「おっ姉ちゃんっ、今ひまー?おーいっ」

「おあ、(さか)()、どうかした?」

「いやー、相談があってー」


 ベッドで大の字になって、口を半開きにしたりして、無防備を極めていると、お風呂上がりのほかほかな榊姫が上から覗き込んできた。もしかしなくても、気を遣われているのだろう。私は上体を起こして、胡坐をかきつつ聞いてあげた。


「なんか収納に困ってる物ない?」

「特には……。あんまり物を持たないから」

「そんなぁー。授業で木工しないといけないんだけど、何作ればいいか悩んでて……」


 まだ期日まで猶予があるのか、榊姫は椅子に乗って、私の部屋を回りながら右往左往していた。


「しまう物がなくたって、小物入れとか本棚を作ってもいいでしょ」

「えーっ、実際に使ってる様子を、レポートにしなきゃなんだよ……」


「じゃあ望遠鏡」


 私に何かしらは答えさせたかったようで、顎を背もたれに置いて、じっとこちらを見てくる。創造性に欠ける私は、取り出しやすい位置にあった言葉を答えていた。


「んーっでも、ありだよね、オブジェとして部屋に飾ろうかな」

「美術じゃなくて木工なんでしょ。オブジェは認められないんじゃない」

「本当に見える望遠鏡を作れってこと!?手先が器用な榊姫さんでも、突起を細部まで精巧に作ることはできるけどさー」


「あー、ごめん、冗談だから。何にも思い付かなくて……」

「いいのいいの、かく言う私が一番何も考えてないから。まあ面倒だし、てきとーに本棚作ればいっかぁー」

「ごめんね、頭が固くて……」


「そんなの生まれた時から身に染みてるよ~。今さら念押しされなくてもさ」


 榊姫は弾みをつけて立ち上がった。言い出すには、今しかない気がした。榊姫には全部伝えよう。彼女の優しさが無いと、これから来るであろう試練に耐えられないから。


 でも全部鵜呑みにするので、後ろめたさから一から十までは話せなかった。それでも、消滅して逃げたいというわがままは、少し軽減されたように思える。

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