高嶺の花を集めたはちみつ
昼休みの雑駁とした喧騒に注ぐ紅茶の音、それだけで優雅な気持ちになれる。今日の紅茶は、はちみつとレモンの入った、体を温めてくれる至高の一杯だ。真朱帆の話なんて何一つ聞き込まないことにしているので、どこの産地の茶葉なのかとか全く知らないが、この味に至るまで途方もない試行錯誤があったことだろう。
しかし、真朱帆の紅茶の滲むような努力に想いを馳せる前に、どうでもいいことが私の頭をよぎった。一生に一度は、はちみつレモンとかじゃなくて、もはやはちみつを浴びるように、喉が焼けるぐらい飲んでみたい。
「はちみつ……、あっ、バイト先にいっぱいあるじゃん。口開けて、ディスペンサーからぱーって絞り出すかー」
「あの、それってバイトテロなのでは……」
「辞める寸前にやってみよー」
「止めなさい、絶対に!」
その頃には、はちみつに対する熱意は失われているだろうから、安心してほしい。
優雅に気品を漂わせながら紅茶を口に含んで、真朱帆は気を取り直した。何が違うんだろう、小指を立てないところ?
「来週からスキー教室だけど……」
「もうそんな時期かー。懐かしいなぁ、年間予定表を広げて、祝日の数を数えては顔を綻ばせ、土曜授業の数を数えては咽び泣いたあの日が」
「あの、時雨ちゃんは滑れる?」
「ふーん、あんまり自信ないっ」
生まれて30分の子鹿ぐらいの滑りなら辛うじてできるが、怪我の危険があるので、正直なところあまり滑りたくない。
「痛いのと、寒いのは嫌いなんで……」
「寒いのなら、私が何とかするよー」
「えっ、巷で話題の “令和ちゃん” ってあんたのことだったの?」
「えぇ?あれだよ、スキー場で紅茶入れてあげよっかなーって」
「おーっ、かまくらも造ろう!」
「いや、メインはスキーだから……」
「昼食のカレーじゃないんだ」
なんか食い意地の張るキャラクターみたいなセリフで、口にしたことを後悔した。そんなに楽しみにしてない。
「そうだ、私は人並みに滑れるから、教えてあげようか?」
「いやいや、私だって謙遜しただけだし、人並みには滑れるし」
「私、前に競技でスキーやってた人知ってるよー」
「そんな高みは目指してないし、夜にキャピキャピする体力を残しておきたいから、遠慮しとくわー」
「そんな予定があるんだ」
「えぇ、嘉琳と桃鉄100年決戦する予定が」
「それはそれは、また面白そうなことを。私も見物に行こうかな」
何だかんだ、惰性で出された紅茶を飲んだり、教室に居るときは話したりしているが、隙を見せると取り入られそうで、真朱帆にはちょっと恐怖を感じる。半年ぐらい前のことを未だに引きずっているみっともなさは自覚しつつ、あと3か月の辛抱かーと、そわそわしているのであった。