割れ窓から始まる日常の事件
「これは……見事ですね」
「でしょう?もし犯人が著名になったら、アデュナトンじゃなくて、ちゃんと価値がうなぎ上りだから、保存しておきましょうかね」
校舎1階の端にある自習室の窓が割られた。まるで野球ボールが飛んできたかのように、ぽっかりと穴が開いていて、ガラス全体に東京の地下鉄網のようなヒビが入っている。思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
生徒会室で熊よけスプレーを撒き散らして遊んでいた蒔希は、なぜか窓ガラスの砕ける音を感じて、ミス研の二人まで率いてここまでやって来た。この私でさえ気が付かなかったのに、とんでもない地獄耳である。
「そこの通りで野球でもしてたんでしょうか」
私は高い柵の外を指さした。
「今時の令和っ子が、公道で野球なんかしますかね?」
「そうだとしても、だいぶ高いフライだね。取られるよ」
「野球で例え始めたら、おじさんの始まりだと聞いたことがあります」
「いや自分、野球のルールすらあやふやなんだけど……」
「まあ、坊主+真冬に半袖半ズボン、業間休みは校庭に我先に駆けて行ってドッジボールの野球少年による犯行ではないでしょう。なにせ、ボールが落ちてないので」
蒔希が音を聞いてからすぐ駆け付けたし、白高の自習室は誰も利用しないことでお馴染みなので、建物の中にボールが落ちていないのは不自然ではある。
「内部にそんな事する人が居るとも考えにくい……。ポルターガイストってことにしとくかー」
「いやいや岩亀、これは陰謀だ、世界を揺るがす世紀の大事件だっ!」
「陰謀、だったら隠れて謀ってほしいんだけど」
「どうします?破片片づけます?」
「えー、どうせ困るのは職員だけでしょ?わざわざ私たちがやることじゃないー」
「ん、時雨さんが乗り移ってる……?」
「元々こんな性格よ?」
「割れ窓理論もありますし、何とかしたほうが……」
「つまりほったらかしておけば、第2、第3の事件を招けるってことか。よし、このままにしておこう!」
こういう人たちしか発起人にならないから、新規部活の作成が長らく禁じられていたのではないだろうか……。しかし数日もすれば、勝手に事件は解決していることだろう。もっともらしい推理を始めた二人を横目に、私は蒔希と生徒会室に戻ることにした。
「それにしても、もし白高の誰かの犯行だとしたら、やっぱりその人は停学になるのでしょうかね」
「さあ。でも、学校は小さな社会とは言うけど、現実に即したものでもない。さっさと自首すれば、無罪放免でしょうよ」
いくらガラスとは言っても、ただ小突くだけでは割れない。何か明確な意図があって……それでも、たったこれだけで人生を棒に振るなんて、何だか私までおぞましさで震えそうになった。
生徒会室に戻ると陽菜とお付きの人が、神妙な面持ちで、背筋を伸ばして突っ立っていた。確か芽生とか言っただろうか。この学年ではちょっとした有名人である。いざこざから馴れ合いまで、だいたい彼女が一枚噛んでいるらしい。まあ、軽音は他のコミュニティと少し違った空気が流れている。よって芽生の領分ではないから、あまり関わりが無い。
「蒔希ぃ~、この人たち、どうぞぉ~って言っても、全然座ってくれないよぉ~」
「そうねぇ、隣の部屋の好きな席にお掛けください。白湯とかりんとうを出しますので」
「何ですか、そのチョイス。普通にお茶出してあげてくださいよ」
「白黒はっきり付けようじゃないの」
別に白湯は色白ではないのだけど、ボロボロのパイプ椅子に座している陽菜と芽生の前に、白湯と黒光りしたかりんとうが運ばれてきた。二人とも、非常に手を伸ばし辛そうにしている。そりゃそうだよね……。
「さて、どちらから頂いても構いませんよー」
「じゃあ白湯からいきますっ」
陽菜は意を決して、まぶたに力を籠めながら、湯呑に入った白湯を、のけぞる勢いで飲み干した。
「秩父の美味しい水の味がする!」
「そうね、水道水だね」
「これで私たちが潔白であることを証明できたと思うけど……」
潔白云々以前に、そもそも疑ってないし、それで潔白を証明した気にならないでほしい。
「端的に言うと、窓を何者かが割った所を目撃したんです」
「あそこって確か、自習室があるんだよね」
「それなら、今しがた見てきたんだけど」
「えっ、流石ですね……生徒会」
「ただ副会長の耳が良いだけです」
「ちなみに、どんな人でしたか?」
「うーん、後ろ姿しか分からなかったけど、女子であることは間違いない」
「女装説はぁー?」
「いや、足の骨格というか肉付きから否定していいと思う。でも、体格は結構しっかりしてた。身長も私と変わらないくらい」
「そもそも、なもちは顔が広いから、ピンと来ない後ろ姿ってだけで、だいぶ絞れるんじゃないかな~」
「そうそう、ゴミ捨て場も荒らされてた」
「この御札が落ちてた。どう、手掛かりになりそう?」
陽菜は御札模様の奇怪なハンカチを机の上に置いた。一応、どこかの神社の名前が記されているが、果たして効果はあるのだろうか。というか、そんな神聖な物で不浄を拭って良いのだろうか。
「こんなハンカチを使ってる人、そう居ないでしょうから、色々な人に聞き込みをすれば、容疑者をリストアップできそうですね」
「ほぉー、これは私たちにも勝機あるねぇ」
蒔希はそう首を縦に振りながら、なぜかニマニマした表情でこちらを見てくる。
「勝機って、ミス研と戦って何になるんですか?」
「あの子たち、わざわざ自分の部活を作るために、私の尊厳を踏みにじってくれたからね」
「えっ、えぇ……」
「あっ、冗談だよ!?そんなそんな、せせこましい奴じゃないって。ただ、学校の施設が破壊されたとなれば、私が動くのも当然でしょ」
蒔希は必死に手を振って、適当に笑い飛ばしながら否定した。それは建前なのか本音なのか、どうも掴ませてくれないのは、もう慣れた。
「そういうわけで、うちらはほんっとに、なんも悪いことしてないからね!?うちらの仕業じゃないからーっ」
「私、推理とか面倒だからしないけど、常識的に考えたら、二人が外堀を固めに来たって可能性もあるのかー」
「ちょっと陽菜、何余計なこと言ってるの。あぁーっ、私たちは犯人じゃないのでーっ」
「疑ってないよね、ねぇ?生徒会長」
胡乱感を増幅させに行く芽生を横目に、陽菜は私の目に訴えたが、生徒会長は常葉である。つい3か月ぐらい前の選挙を覚えていないのだろうか。私は立候補すらしてない、させてもらえなかったと言うのに。
「疑ってないよぉー。だけど、私の一存で、二人の薔薇色スクールライフも終わるんだけどねぇー」
「どんな処罰にする?」
「入墨でも掘ってもらおうかなぁ」
「あと1年ちょっとの辛抱なんで、頑張りましょう……」
「ぜひ、来年は笹川さんの応援をさせてもらいます……」
なんか棚ぼた的に協力者が得られた。