スーパーミラクルトラッシュパンチ
気が付くと、校舎の端にある蕭々としたごみ捨て場の前で、無限を圧縮した大いなる力を、左腕全体に籠めていた。ここ数か月で、奥歯は2 mm削れ、血圧は30上がったことだろう。しかし、意識が遠のいてしまうまで全身で対抗しようとも、この強迫観念を打ち破られない。今日もどうせ、この拳は何かを穿つ。
こんなの、自分の腕じゃない。そうやって現実逃避すれば楽になれる。私の左腕は一瞬も迷うことなく、パンパンのごみ袋に突っ込んでいった。手は洗えばいいし、何なら柔らかくて助かるぐらい……。
ゴミ袋は見るも無残な姿になり、誰が食べたか知れぬ菓子パンの包装から、年末年始に積もった埃まで、辺り一面に散らばっている。これはカラスの仕業だ、きっと皆、そう予想して疑わないことだろう。はぁ、今日はこれっきりにしてくれ……。
「蛙化現象?うーん、うーん……」
「陽菜がそうやって頭を捻って、正解が出てきたこと無いんだけどな」
「いやいやいやっ、ここっ、ここまで出てるからぁっ」
「わかったわかった……」
「うおあーっ!あれだよ、なんかあくびした時に、ウシガエルみたいな声が出ちゃうことあるじゃん。それだぁーっ!」
「盛り上がってるところ悪いけど、全然違うよ?」
「なもちが嘘ついてる時、わかるんだかんね」
「なーに、所詮、こけおどしギャルってことよ」
左腕に静電気で吸着していたビニールが、風に吹かれて路頭に迷っている。って、こんな所で立ち尽くしている場合じゃない。私は何も覚えていない。それは本当のことだ。あんなごみ溜めに腕をうずめるなんて、想像するだけで鳥肌が立つ。私は後ろを振り返らず、声とは反対方向に逃げた。
「すごい荒れてる……」
「現金でも捨ててあったのかな」
「強欲すぎるでしょ。成じゃあるまいし」
「天才ちゃんはー……確かにね。ん、御札が落ちてる……違う手拭いだ」
「あー、これが最近の流行ってるの~」
「なもち、そんなもん流行ってるわけないっ……と言いたいところだけど、世の中何が流行るか、わかったもんじゃないからなぁ」
二人は、自分の2倍ぐらいある大きなゴミ袋を地面に置き、奇特なデザインのハンカチをじっくり観察した。まあ別に失くしても構わない。全く効果なかったから。
「さっきまでここに誰か居たし、その人のかな」
「えぇー、なもちそれ本当?全然前見てなかったー」
今度は周囲を見回している。つい校舎の影から様子見してしまったが、片方は勘付いているみたいだし、再び鼓動が加速していく。ここに居たら明日はない。命からがらこの場を立ち去ろうとしたら、私の運命の歯車をきしませるように、右腕の追従を許さないぐらい、左腕が疼き始めた。
これは私の意思じゃないと何度繰り返しても、誰も信じる術を持たない。だからお願い、鎮まって、誰も傷付けたくない、何も壊したくない!
窓を割った衝撃は、背中中にまで伝播した。派手にかき鳴らした音で、私の咆哮っぽい何かは霧散したものの、絶対あの二人は音の淵源を辿ることだろう。知り合いじゃないから、背後から見ただけで特定されないだろうが、だろうがそうだろうが、私はもう豚箱行きだ。私一つ、跡形もなく消し去れない大いなる力なんて馬鹿にして、ごめんな。
訝しく思われそうだが、後ろ姿ぐらい写真に収められてそうだが、私はただ逃亡していた。一刻も早く学校の敷地から離れようと、日陰で凍った雪に足を滑らせそうになっても、脇目を振らずに駆け抜けた。
しかし、走っている間だけは、朝の新鮮な空気が頬をくすぐる間だけは、厭なことも将来のことも全部忘れられる、なんてことはなく、明日の朝、担任に何気なく肩を叩かれ、職員室で詰問されたらどうしようとか、頭の中がグレイに染まっていく。
あるがまま、流されるままに生きるのが、どうしようもない時の適応機制ではなく、一番茨の道なのが救いようない。今夜も輾転反側に肉体と精神を蝕まれた。それでもどんなに息を潜めても、左腕の疼きはとどまる所を知らない……。