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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第8話:幾星霜の一里塚
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小川の夢世界

 背丈の3倍くらいはある大きな窓には、暗闇の中、大粒の雪がポテトに振りかかる塩のように、まっすぐ降り注ぐ様が映っている。それを、全館空調の温い空間で、ダイニングにて蜜柑でも食べながら、積もらないことを祈っている。去年は中々酷い目にあった。勉強?そんなもの、新年のめでたい時期にふさわしくない。


「小川、それで何個目?」

「6」

「私、まだ2個目なのに……。同じタイミングで食べ始めたはずでは?」

「そんな、ちんたら白い部分取り払ってるからでしょ」

「実質皮の一部だから。皮剥いてるだけだから。みかんを皮ごと食べるなんて有り得ない」

「みかん鍋……」


ミヤコワスレのマスターから毎週のようにみかんが贈られてくるので、腐る前にどんどん消費してくれるのはありがたいけど、もう少し味わって食べたら?とは思っている。せっかく程よいサイズの房で構成されているのだから、2口で終わらせるのではなく……。


「今年ももう終わりだねー」

「色々あった……気がする。胃が痛くなるようなことばかり」

「そう?でも来年は、小川に心配をかけるようなことは起こらないから、安心して?」


 私は先日のライブを何とかやり遂げた。楽譜から目を逸らせなかったし、偶然なのか成長なのか分からないし、金輪際緊張しないという保証はないけれども、いつでもあの時の自分からエールを貰える。


「2024年の抱負は、楽譜を見ないでライブを完了すること。頑張るぞー」

「えー、楽譜、見ればいいじゃん。それが成功への近道だって、仮説が立ったんだから」

「だってダサいじゃん。オーケストラじゃないんだよ」

「そんな、時雨みたいなこと言うなよー。わかりやすい一生懸命だったら、今なら必ず報われるんだし」


 言っていることが矛盾している。一生懸命はパフォーマンスじゃない。顔を上げて、伝えられるものがあるのならば、そうしてこそ本当の一生懸命であろう。


 まあ、私も甘やかされ過ぎている。観客と過去に怖気づかないよう、腕を磨いて、他の人から技術を盗んで、絶対を実現して見せる。これが2024年の抱負……よく思い起こしてみると、結局毎年同じような目標を立てている。そりゃあ、小川が眉をひそめるのも無理はないか。


「んー、まあ、怪我とか、体調だけは気を付けてよ。自分を過度に追い詰めたり、頭をスピーカーにぶつけないでね……」

「それは、天稲ちゃんが何とかしてくれますよ」

「一体どこから、そんな天稲ちゃんへの信頼が湧いてくるのやら」


「じゃあ逆に小川は?来年の抱負」

「タイ太陽暦2567年の抱負かー。何だろう、すぐに浮かばない」

「数学オリンピックも出場しちゃったし……。あれ?やりたいことリストあったよね」

「うん。じゃあ今年は、空でも飛ぼうかな」

「最近、ヘリウム不足が馬鹿にならなくなってきてるらしいけど……」

「なんで風船で飛ぶことになってるの?普通に、飛行機を操縦する免許が欲しいってだけだよ」

「そのリストって、私を笑えないぐらい、メルヘンな願いがいっぱい書いてあるじゃん」

「そんなことないだろ……。空港の上級会員向けラウンジに入ってみたいとか、二日酔ってみたいとか、数学の未解決問題を解いて賞金を貰いたいとか……」

「本当に、恣意的に選んでない?」

「強いて言うなら、家の屋根に上がって、星でも見たい……とか?私の家は、一軒家じゃないからねー」

「おー、かわいい。そういう願望もあるんだね」

「私を何だと思ってるんだ」

「今からやってみる?親もいないし」

「はっ、え?」


 そうと決まれば、早く叶えてしまおう。うちの屋根はそんなに急峻じゃないので、何とかなるはず。できることから兀々と、無際限な欲望を宥めるにはそれしかない。私は半纏を羽織ってべた雪の中、外の倉庫から大剣みたいなはしごを探り出した。


「はぁ、思った数億倍寒い……。耳が痛くなってきた」

「忠告したんだけど……。だいたい、これじゃあ星なんて見えっこ無いじゃん」


 空一面で、雲が灰色に光っている。私はそんな空も、度々感じる冷たさにも風情を見出しているが、小川はそれなりに不満だったらしい。未練がましく夜空を見上げつつ、手の中に暖かな吐息を吹き込んでいた。


 しかし無慈悲にも、肩やら頭やらに雪が積もっていく。来年を待たず、下界は一面の銀世界になっていた。


「小川、寒いならもう戻る?」

「これはこれで、風流なんじゃない。あー、花が降ってきてるみたいだ、雲のあなたは春なんじゃないかなー」

「まだ冬は始まったばかりだよ?」

「まあその、いい感じだなって。雪は雪で綺麗だよね」


 そう言って小川は肩を寄せ、私に密着してきた。そこまで感動しているのなら仕方ない。半纏一つでしのげるような寒さじゃないから、代わりにありがたく小川から体温を頂いた。こんこんという幻聴が聞こえそうになる中、気が付くと除夜の鐘が鳴るまで耐え忍んでいた。


「もうこんな時間か。というか心なしか、頭が重いな……」

「これは、三が日は寝込むことになるかもしれないね……」


 自然とお互いの頭に積もった雪を払っていた。


「そんなに簡単に風邪引かないよー。まだ若いし」

「私はともかく、小川は致命傷になりかねないんだから。追い焚きしておくので、お風呂入って体温めて。私は蕎麦を用意してるから。うーん、お父さん食べるかなぁ。酔い潰れて帰ってきそう」

「はーあ、またいくら吹っ飛んだのやら」

「いや、買い物したのはお父さんだから、ただのやっすい蕎麦だから!」

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