7年越しの再会
「本当にやるんですか……?」
「いいから、早くしなさい」
凡人はいつも天才の足を引っ張る。ミス研の二人が、犯人の家にお話を伺いに来た刑事さんっぽくしたいと発案して、ベージュのコートまで用意したのに、颯理がそれを冗談のように仕立て上げやがる。
「やはり、我々の力でここまで辿り着いたわけで、当然そのことをアピールする必要がある」
「いや、無いですよ!むしろ、謙虚にしてたほうが、かっこいいですって」
「わかってないなぁ、笹川さんは。これは思いやりですよ」
「思いやり……ですか。事件が起きて狂喜乱舞してる様を見て、正直人の心なさそうって感じたのですが……」
「でもここまで馬原さんに寄り添って、解決に導いてくれたんだから。二人はいい人だよ。信じてあげたら?」
自分に都合よく事が進むと気分がいい。颯理も渋々、私たちと同じように角に隠れて、二人の様子を見守った。
「どうも、我々こういう者です」
二人は白高の生徒手帳を、あたかも警察手帳であるかのように提示した。松下は特に恰幅がいいので、遠巻きに見ると完全に刑事だ。出てきた髪染め中の女性は、駆け落ちするぐらいの知能だからか、八分は信じているように見える。
「馬原 湊都さんはいらっしゃいますか?」
「らみー、ですか……。居ません!ちがっ誰ですか!」
「では、どちらに?」
「知らないですよ。知らないんで、帰ってください!」
「えー?私、何もやらかしてないよー」
7年経ったところで、女性の声はそう変わるものではない。お姉ちゃんが玄関に登場したのは、すぐわかった。
「ゆっくりお聞きしたいことがありますので、お部屋に上がらせてもらえませんか?」
「どうしよう……」
「大丈夫、私は潔白だから。信じて、ほーずき」
「うん……」
おつむの弱い女性は、奥にいるであろう私の姉に視線を送った。そして二人はしれっと鴨居を潜った。
「ちょいちょいちょーい!待ってください、何当たり前のように、女性の家に上がってるんですか!警察呼びますよ!」
「え、何もやましいことしないけど」
「そういう問題じゃないです!」
「えっと……、これはどういうこと、手の込んだいたずら?」
「違います。その、馬原さんの妹と会っていただきたくて……」
ガキのいたずらに、ただただ困惑するだけのいい人を眺めているはずが、急にこちらに飛び火したので、慌てて階段を駆け下りようとするも、盛大に転んで、痛みがじわじわと昇ってきた。
「ふふーん、こっそり馬原さんの足と私の足を、バンダナで結んでおいたのさ!あっ、絆創膏です」
嘉琳は得意げな顔で、憐みもこしらえながら、絆創膏を持って手を伸ばした。私は迷わず反抗した。角を掴んで慌てふためく嘉琳を、タイヤを引っ張るトレーニングぐらい本気で引きずり回そうとした。
「おい待てっ、落ち着けっ、人の心を取り戻せっ」
「遺言に『あなたと一緒の墓に入りたい』って残すから……!死んでもなお命の危険を感じろっ……!」
「それだけは止めてっ!謝るから、寿命が来たら死なせてっ!」
「ふはっはっは……、じゃあこのバンダナを解け……!」
全身の筋肉が千切れるぐらいの力で前に進もうとしているが、さすがに筋力は同格なので、一進一退が限界だった。自力で自殺しようとしていると、人生で初めて後ろから優しく抱擁された。驚くほど、全身の力が抜けていく。
「澪都……良かった元気で……」
「お姉ちゃん……」
駆け落ちを是とするような人間だから、私のことも愛してくれていた。愛を知って、初めて涙を流す。悪役みたいだと揶揄することも、抱きついている人がどんな姿かも確認せず、ただお姉ちゃんだと思しき柔らかさに身を委ねた。
「おーいらみー。待ってるから、ゆっくり感動の再会を堪能してねー」
「あぁ、お風呂先入っててもいいよ」
「はぁ?待っててあげるからぁー」
「あっ、いちゃいちゃしないでもらえます?その愛に普遍的な価値はないんで」
「おーなんだ、岩亀のお坊ちゃまが生意気な!」
「あ、覚えてくれてたんですね」
「そりゃあ、いつか利用できるかもしれないからねぇ」
「機会があれば、いつでもまた利用してください。身内には優しくしますので」
そんな会話が背後から聞こえてくるが、しばらくお姉ちゃんは私に真の愛を流し込んだ。これは人生で最も幸せな時間だったが、よく考えたら、時間さえ用意すればマッチポンプになる。
嘉琳たちも幸せそうな表情で、ヘリコプターへ向かっていった。姉妹愛は世界を救う……って、私はお姉ちゃんとその彼女の花園に軟禁ってこと!?
「ごめんなさいね。中々インパクトの強い料理を出しちゃって」
彼女のほうが運んできたのは、何やら不思議な匂いがするグラタン的な料理だった。いい具合にアクリルアミドが生成されて、食欲をそそる見た目をしている。餃子を食べたことを忘れて、取り分けてもらった分を、熱さに耐えながら夢中で口に運んでいた。
アンチョビの鮮烈な香りとしょっぱさに圧倒される。美味しいけど、確かにご自覚の通り、もう少し別の物を出すのが “普通” ではある。だけど、だからこそ、少しお姉ちゃんを任せてもいいかな、という気持ちになった。
「これはね、ヤンソンの誘惑っていう、北欧の料理らしい」
「さすがほーずき。とっても美味しいよ」
「それはどうも。でもありがたいよ。二人じゃ食べきれるか心配だったから」
「だから、食べられる分だけ買ってきてって言ってるでしょ」
「まあ、明日食べればいいしー」
「そういう問題じゃないのーっ。もっと、節約しようって気概を見せてよ」
「いやー、どうやったら中学校までで、スーパーの特売日を気にする能力が身に付くのさ!?」
「もう買い物は私が仕事帰りにしたほうがいいかなぁ……」
「いや、作る人が買わないと、あれが足りないって困るでしょ」
「そうだけど……。外食より高くついたら意味ないからね」
「栄養バランスを考えてるから、その分のコストということで……」
保月のことを考えては輾転反側していた頃よりだいぶ落ち着いて、成熟した関係性になっていた。ここだけ切り取れば、駆け落ちなんて突拍子もないことをしそうにない。それはそうと、大変アウェイな感じで居心地が悪い……。
「パンは出てきたけど、サーカスはまだ?」
「パンも出してないけど?」
前言撤回、やっぱり、お姉ちゃんはこいつのどこが良かったんだ?と、妹らしい世話焼きな感情が湧いてきた。
「あの、澪都、これがサーカスってことで、手を打たない?」
「うーん、というかお姉ちゃんたちは、いつもこんな言い争いしてるの?愛を感じるわ」
「あっ、それはどうも」
「いや、いつもってわけじゃ……」
「だっていつも、私がらみーの唇を塞いじゃうもんねっ」
そう言って彼女はお姉ちゃんに顔を近付けた。そうしたら物理法則により斥力が働いたのか、お姉ちゃんが耳を赤くして追い払った。理性が残っていることに、少し驚いてしまった。
「ば、ばかっ、妹の前でなんて破廉恥なことを……。良くないっ」
「いやもう高校生だし、未経験でも漫画やらドラマやらで、しっぽり拝見してるでしょ」
「意外と初めてかもしれない。全く、人間とは面白い生き物ね」
「達観してる……!」
「そりゃまあ、実姉の接吻を見せられたら、それくらいしか言うこと無いでしょ……」
子供には少々刺激の強い料理と場面がありつつも、両親の威圧の元に成り立つ家族団欒とは違う、いたって落ち着く夕食だった。お姉ちゃんはこれを二人の力で手に入れたのだから、いくら勉学に秀でた私でも劣等感を感じずにはいられない。
概念的に伊勢海老の脱皮をしていたら、 “お願い” を口にするのが憚られた。傲慢な振舞いには、それが許されるだけの優位性を勝手に必要としている。まあそれも言い訳だった。お姉ちゃんと並び立つと浮き彫りになる、私の浅ましさとみすぼらしさ。だから私は、また逃げようとした。
「私は床で寝るので。お二人はどうぞごゆっくり」
「寒くなってきたし、風邪引くよー」
「いやいや、元来私は布団派なのよ。未だにベッドって、なんか旅行気分がしちゃって寝付きが悪い」
「そう……。ちゃんと布団は掛けてね」
意外と粘ってくれなかった。お相手は寝室に吸い込まれていく私に、軽くウインクして見せた。彼女の企みに踊らされている気がして、その叛骨精神を闊歩させてみた。
お姉ちゃんと同じベッドで横並びになって寝るのは、有史以来初めてである。というか、誰かと寝るということ自体が初めてであった。まだ眠くなるような時間じゃないので、飾り気のない壁を眺めて、退屈の素晴らしさとか、勉学から解放されている今を噛み締めた。
「澪都」
「何」
「何じゃなくて……。どうしたの?」
「優秀な輩と出会ったから、お姉ちゃんの現況を調査する算段が整っただけ」
「澪都がそこまで血眼になったってことは、それだけ差し迫って私が必要だったんでしょ。もしかして、澪都も家出したくなった?」
「衣食住に困ってないから、家出するほどでもない……けど……」
背中越しに伝わるお姉ちゃんの威光に負けて、私は彼女を使役することにした。杓子定規で最低な両親に一泡吹かせられて、私の洗脳を解いてくれた、唯一無二の逸材なのだから、切り札にならなければ妹様は価値を認めてあげない。