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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第7話:薄明逃避行
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いつの間にか二人

 私は約束通り、保月の横に付いて、露払いのお勤めを果たすこととなった。着実に、保月にずっと付きまとう変な人がいる、という噂が広まっている。それに、保月は話す相手を限定するようになった気がする。


「お願いっ。代わりに試合出てくれないっ!?」

「そうだなぁ。今日はピアノがあるんだよ。発表会が近いから、行かないわけにはいかなくてね……」

「ふーん。なんか最近、ノリ悪いね。変な噂立ってるし」

「そんなものに一喜一憂するなんて、馬鹿らしいよ」


 勇ましいことを言うのは勝手だけど、ちらちら私のほうを見ないでほしい。その噂の相手は私なのだから。


「もうじきテストだぁー!やばいーっ!」

「9科目とかむりむりぃーっ」

「窓に頭打ち付けるほど追い込まれてるんだ……」

「教えてあげたら?らみー」

「自力で勉強しなきゃ、教わっても伸びないよー。せいぜい、拝んでおけばいいんじゃない」

「ねぇランチパ、こいつら見返してやろうよ。本気出しちゃお!」

「はっはー、任せとけ。私はやればできる子って、親から刷り込まれてるんだから」

「じゃあうちらの点数の合計で勝負。泣き言はダメだからね~」

「はいはい、せいぜい満点超えられるように頑張ってね」


 二人はそれでもまともに勝負する気があるようで、さっさと教室を出て行った。しかし彼女たちに突き付けられた勝負を、馬鹿らしいと無視することもできない。こんな不平等なルールでも勝利を掴めるぐらい、高得点を叩き出さないと、後でどうなることやら。


「どうした?」

「いや何でも」

「日頃からやっておけば、今になって焦ることはないのにねぇ。あ、今日うちの家来ない?」

「習い事は?」

「テスト前は免除してもらってるの。じゃなかったら誘わないって。製鉄所に逃避行した時、多方面から散々怒られて、もうこりごりなんだよ……」

「うーん、でも私は勉強しないといけないから。ごめん、また今度」


 最近、放課後に保月と遊ぶことが増えたので、少し滞り気味なのもそうだし、そんなに遊んでいると親からの心象も良くない。そりゃあ、保月の家とか、一回ぐらい行ってみたいけど……。


「じゃあ逆、私がらみーの家行くよー!」

「えぇ……。それはその、広くないし、アパート暮らしだし」

「大丈夫、勉強しに行くんだからぁー」


 保月はまるで最初から期待していたようだった……期待と言うより、決定していた。私も少しは間をおいて抵抗したが、向こうは意志を変える気がないようなので、仕方なく重い腰を上げて承諾した。


「ふん、旨い、私が持ってきた手土産なだけある」

「△AIH≡△CIFよりIH=IF、△AIE≡△CIGよりIE=IG。よって四角形EFGHは平行四辺形である……」

「あらあら、勉強熱心なこと」


 アパートの部屋の大きさなんてたかが知れているので、保月が煎餅を食べる良い音が響く。一応、彼女も勉強道具は机の上に出しているし、気が付いたら一問ぐらい進んでいるが、大体は私のノートを興味深く覗いているだけだった。


「こんな難しい問題集をやるなんて、Outworld Devourerは違いますなぁ」

「今日はここまでやらないと、叱られるから……」

「稲田姫に?」

「親にっ」


「それは大変だね……。あれ、親御さんは医者なんだっけ」

「うん。だから、義務教育程度でわからないことがあるほうが、わからないって感じなんだと思う」

「埋まらないよね、その溝は。うちは勉強面に口出ししてこないだけマシなのかなぁ」

「そうなのかな。ほーずきの方こそ習い事だの、許嫁だの、家の事情に絡み取られている気がするけど」

「らみーは優しいね」

「優しい……?」

「でも金持ちじゃん、で全て片付けられちゃうからさ」

「わかる。私の親も医者だから、教育には惜しみなくお金を投じてくれる。幸せなことだって思わなきゃいけないらしいけど……」

「子供を投資商品として見ているようで、悪いけどぞっとする」

「すごい腹落ちした。そうだよね」


 私は保月の言葉に何度も頷かされた。普段はご飯を食べるか、勉強について素晴らしいアドバイスを貰うだけの、愛着なんてないこの場所が、こんなにも居心地の良い空間に変われるなんて、想像もしていなかった。保月と共有して、共感して、共鳴することが、こんなにも私の心を満たすなんて。もっと早く出会えなかったことだけが、どうしても惜しかった。


「夢って、なんかある?」

「えー、わかんないなぁ。私には医者になる未来しか見られない」

「自由になりたいとか、うーん太平洋になりたーいとか、茫漠したものもないの?」

「もし夢ができちゃったら、こんな風に勉強してられないよ。空虚な自分を埋めるためだったらさ、どんなテストでも頑張ろうってなる」


「お、もう煎餅なくなってる。さてはらみーも食べたなぁーっ」

「えっ、ダメだった……!?」

「いや、いいんだよ。何ならちゃんと、ご家族で食べてください用煎餅持ってきてるから。まだ終わりじゃないぜ」


 結局全然進まなかったけど、それを初めて肯定できた。それは、張りぼての充足感では足らなくなったとも言い換えられる。廊下の白いLEDに照らされる保月の背中に、これまで以上の空虚を感じていた。


「この後、いつもよりも張り切らないといけないのか……」

「まあまあ、こうなることは目に見えてたでしょ。それより、明日はどうする?」

「明日?土曜日だけど」

「ほっ、ほら、図書館で勉強なんて、柄でもないことしてみたいなー、とか?」


 もう早く帰ってほしい。満面の笑みで悪魔の囁きをするな。


「わかった。わかったから」

「どこにあるか知ってるの?」

「知らないけど、地図見ればわかるって」

「やっぱり、現代社会にスマホって必需品だと思うの。そうだなぁ、この間、らみーが私にクズって言った場所に、1時でどうだろうか?」


 ここで保月のドヤ顔に釣られたら、それは向こうの思う壺だ。地団駄を踏みたい気持ちを抑えて、平常心でさっさと家から追い出さなければ。


「ん~、むかつくっ、知らないもん。気が乗らなかったら行かないからっ」

「えっ、待ってよそれが一番困るし、誰も得しないよ!悪かった、からかいすぎたね、ごめんって」

「お姉ちゃん、それも嘘?」


 今まで物音一つ立てなかった澪都が、こんなタイミングで私たちの部屋から顔を出してきた。こんな子供っぽい顔、妹には見られたくなかったから、渋々ターンした。


「実際、そこから近いからさ……。いいっすか?」

「あいこぴー……」

「よしっ、遅れを取り戻そー!」


 とりあえず整えるためにシャワーを浴びた。ライブで恥ずかしげもなく、好きなアーティストに大声で掛け声を送ってしまう人の心理が、ほんの少し理解できたかもしれない。人間は舞い上がってしまうことがあるらしい。

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