いつの間にか二人
私は約束通り、保月の横に付いて、露払いのお勤めを果たすこととなった。着実に、保月にずっと付きまとう変な人がいる、という噂が広まっている。それに、保月は話す相手を限定するようになった気がする。
「お願いっ。代わりに試合出てくれないっ!?」
「そうだなぁ。今日はピアノがあるんだよ。発表会が近いから、行かないわけにはいかなくてね……」
「ふーん。なんか最近、ノリ悪いね。変な噂立ってるし」
「そんなものに一喜一憂するなんて、馬鹿らしいよ」
勇ましいことを言うのは勝手だけど、ちらちら私のほうを見ないでほしい。その噂の相手は私なのだから。
「もうじきテストだぁー!やばいーっ!」
「9科目とかむりむりぃーっ」
「窓に頭打ち付けるほど追い込まれてるんだ……」
「教えてあげたら?らみー」
「自力で勉強しなきゃ、教わっても伸びないよー。せいぜい、拝んでおけばいいんじゃない」
「ねぇランチパ、こいつら見返してやろうよ。本気出しちゃお!」
「はっはー、任せとけ。私はやればできる子って、親から刷り込まれてるんだから」
「じゃあうちらの点数の合計で勝負。泣き言はダメだからね~」
「はいはい、せいぜい満点超えられるように頑張ってね」
二人はそれでもまともに勝負する気があるようで、さっさと教室を出て行った。しかし彼女たちに突き付けられた勝負を、馬鹿らしいと無視することもできない。こんな不平等なルールでも勝利を掴めるぐらい、高得点を叩き出さないと、後でどうなることやら。
「どうした?」
「いや何でも」
「日頃からやっておけば、今になって焦ることはないのにねぇ。あ、今日うちの家来ない?」
「習い事は?」
「テスト前は免除してもらってるの。じゃなかったら誘わないって。製鉄所に逃避行した時、多方面から散々怒られて、もうこりごりなんだよ……」
「うーん、でも私は勉強しないといけないから。ごめん、また今度」
最近、放課後に保月と遊ぶことが増えたので、少し滞り気味なのもそうだし、そんなに遊んでいると親からの心象も良くない。そりゃあ、保月の家とか、一回ぐらい行ってみたいけど……。
「じゃあ逆、私がらみーの家行くよー!」
「えぇ……。それはその、広くないし、アパート暮らしだし」
「大丈夫、勉強しに行くんだからぁー」
保月はまるで最初から期待していたようだった……期待と言うより、決定していた。私も少しは間をおいて抵抗したが、向こうは意志を変える気がないようなので、仕方なく重い腰を上げて承諾した。
「ふん、旨い、私が持ってきた手土産なだけある」
「△AIH≡△CIFよりIH=IF、△AIE≡△CIGよりIE=IG。よって四角形EFGHは平行四辺形である……」
「あらあら、勉強熱心なこと」
アパートの部屋の大きさなんてたかが知れているので、保月が煎餅を食べる良い音が響く。一応、彼女も勉強道具は机の上に出しているし、気が付いたら一問ぐらい進んでいるが、大体は私のノートを興味深く覗いているだけだった。
「こんな難しい問題集をやるなんて、Outworld Devourerは違いますなぁ」
「今日はここまでやらないと、叱られるから……」
「稲田姫に?」
「親にっ」
「それは大変だね……。あれ、親御さんは医者なんだっけ」
「うん。だから、義務教育程度でわからないことがあるほうが、わからないって感じなんだと思う」
「埋まらないよね、その溝は。うちは勉強面に口出ししてこないだけマシなのかなぁ」
「そうなのかな。ほーずきの方こそ習い事だの、許嫁だの、家の事情に絡み取られている気がするけど」
「らみーは優しいね」
「優しい……?」
「でも金持ちじゃん、で全て片付けられちゃうからさ」
「わかる。私の親も医者だから、教育には惜しみなくお金を投じてくれる。幸せなことだって思わなきゃいけないらしいけど……」
「子供を投資商品として見ているようで、悪いけどぞっとする」
「すごい腹落ちした。そうだよね」
私は保月の言葉に何度も頷かされた。普段はご飯を食べるか、勉強について素晴らしいアドバイスを貰うだけの、愛着なんてないこの場所が、こんなにも居心地の良い空間に変われるなんて、想像もしていなかった。保月と共有して、共感して、共鳴することが、こんなにも私の心を満たすなんて。もっと早く出会えなかったことだけが、どうしても惜しかった。
「夢って、なんかある?」
「えー、わかんないなぁ。私には医者になる未来しか見られない」
「自由になりたいとか、うーん太平洋になりたーいとか、茫漠したものもないの?」
「もし夢ができちゃったら、こんな風に勉強してられないよ。空虚な自分を埋めるためだったらさ、どんなテストでも頑張ろうってなる」
「お、もう煎餅なくなってる。さてはらみーも食べたなぁーっ」
「えっ、ダメだった……!?」
「いや、いいんだよ。何ならちゃんと、ご家族で食べてください用煎餅持ってきてるから。まだ終わりじゃないぜ」
結局全然進まなかったけど、それを初めて肯定できた。それは、張りぼての充足感では足らなくなったとも言い換えられる。廊下の白いLEDに照らされる保月の背中に、これまで以上の空虚を感じていた。
「この後、いつもよりも張り切らないといけないのか……」
「まあまあ、こうなることは目に見えてたでしょ。それより、明日はどうする?」
「明日?土曜日だけど」
「ほっ、ほら、図書館で勉強なんて、柄でもないことしてみたいなー、とか?」
もう早く帰ってほしい。満面の笑みで悪魔の囁きをするな。
「わかった。わかったから」
「どこにあるか知ってるの?」
「知らないけど、地図見ればわかるって」
「やっぱり、現代社会にスマホって必需品だと思うの。そうだなぁ、この間、らみーが私にクズって言った場所に、1時でどうだろうか?」
ここで保月のドヤ顔に釣られたら、それは向こうの思う壺だ。地団駄を踏みたい気持ちを抑えて、平常心でさっさと家から追い出さなければ。
「ん~、むかつくっ、知らないもん。気が乗らなかったら行かないからっ」
「えっ、待ってよそれが一番困るし、誰も得しないよ!悪かった、からかいすぎたね、ごめんって」
「お姉ちゃん、それも嘘?」
今まで物音一つ立てなかった澪都が、こんなタイミングで私たちの部屋から顔を出してきた。こんな子供っぽい顔、妹には見られたくなかったから、渋々ターンした。
「実際、そこから近いからさ……。いいっすか?」
「あいこぴー……」
「よしっ、遅れを取り戻そー!」
とりあえず整えるためにシャワーを浴びた。ライブで恥ずかしげもなく、好きなアーティストに大声で掛け声を送ってしまう人の心理が、ほんの少し理解できたかもしれない。人間は舞い上がってしまうことがあるらしい。




