マリーゴールドの膨らんでるところ
金木犀の上品な香りが漂ってくると、刹那的な秋の到来を感じる。ミヤコワスレの庭は日々拡大している。こんなに広い駐車場があっても、多くの客が地元民で、徒歩より詣でけるからだ。夏の間にはコンクリートを掘り返して、金木犀の並木が生垣迷路のように植えられた。金持ってるなぁ……。
しかし颯理は木を見て森を見ない。入口近くに置かれている、ヒビ一つない新品の鉢に植えられたマリーゴールドを愛でていた。
「好きなの?」
「小学校でも咲いてたなぁって。特別好きってわけじゃないですけど、まあなんか膨らんでるところ、いいですよね」
「それはわからない。マニアならではの観点だよ」
「そうですか?」
「うん、私は颯理が子供の名前をマリーゴールドにしないか心配だよ」
「馬鹿な事言ってないで、早く行きますよ」
颯理に一蹴されるのが気持ちいいかは読者への宿題とするとして、今日ミヤコワスレに来たのは、他ならぬ時雨のバイト姿を見物するためだ。
颯理の追跡により、ただバイトの面接を受けに行っただけということがわかった。そっとしておこうとしたら、なぜだか颯理のほうが乗り気だったので、気まずい空気に飛び込まなくてはならなくなった。これは、巡査に昇格させてあげようと準備していたのに、昇進の話は無しだ。
「注文が決まりましたら、お呼びください」
「おすすめくださいっ」
「6段重ね豚玉です。マヨネーズとソースを上から垂らしてお召し上がりください」
「ここだと本当にありそうなメニューだな……」
「ありますよ?」
「あるんかい。高校に近いって立地を生かし始めたのかぁ?」
「うそうそ、冗談ですよ。普通にアイスティーと季節のフルーツタルト、お願いします」
颯理の笑顔は小川の宝物なので見なかったことにするとして、このまま普通に飲み食いするのは、単純に余計な心理的な負荷を向こうに与えるだけなので、なんか発破をかけておくことにした。
「バイトだなんて殊勝なな心掛けだけど、何というか、やる動機に欠けるように思えるんだけど……」
「それがさぁー、気付いてしまったわけですよ。私が今まで甘やかされてきたのは、二人分の愛を注がれてきたからってことに。なーんか寝覚めが悪いじゃない」
「三年寝太郎は実在したんだな……」
「それよりっ、どうすか、この給仕服は。結構かわいいでしょう?マスターの手作り、よほど暇なんだろうね」
時雨は、パラシュート代わりになりそうなふかふかなスカートを見せびらかしたり、回転して少しだけ浮かせてみたりした。低俗にしか笑えない小娘にはもったいない、給仕服としてあるまじき絢爛さがあった。
「なんか、肩のひらひらがあると、一気に本物のメイドさんっぽくなりますね!」
「わかるよー。仕事中何度も触ってしまう。だからここだけ消毒してる」
私も何か感想を述べる必要があるらしい。こっちに視線がやってきた。
「うーん、なんか、服に着せられてる感じがしなくもない……」
「確かに、胸元とか腰のリボンが目立ちますし、これはこれで、私は惜しみなく称賛を送れるんですけど、イメージと合致しないのはそうですね」
「2着あって、片方がこの派手なやつ、もう一個が結構シックなやつだったんだけど、そっちはもう一人のバイトの人に譲ったの」
「派手なのでも問題ないって、自分の容姿に自信があるんですねっ」
「感じ悪いな……。まあ私的には気に入ってるよ」
「ところで、なんか隠してないの?ナイフとか」
「戦うメイドなんて二次元だけの存在ですよ」
「武器は隠してないけど、雑巾なら隠してるよ」
時雨はスカートを上げて、太ももにベルトで巻き付けられた雑巾を見せた。
「何してるんですか……」
「ただの先輩の真似だよ。なんかいいよねぇ、色気があって」
「全く見えないし、よりにもよって雑巾かよ」
「現人神が何かをこぼした時に、すぐに拭けてべんりー。あっもちろん未使用だよ?汚いとか思わないでーっ」
「だからって、首相も大統領閣下も、わざとこぼしたりしないでよ?もちろん時雨ちゃんも、そのことはお客さんに明かしたらダメだからね」
マスターがやってきて時雨の肩に手を置いた。いつの間にか私が大統領にまで登り詰めていたのは聞き逃していない。まあ喫茶店に通うだけで、それなりの地位が手に入るなんて、お得すぎるな。何はともあれ、時雨が真剣に働いている様子を見て、安らかな感情に陥った私を殴りたい。