バー・アステルサバティエリ
夢の中の妹は、果たして本当の妹か。そもそも夢の中の私以外の存在は本物なのか。碌に文化祭の撤収を手伝わず、そんなことを考えていたら一日が終わった。
なにせ最初から大きくなって、私を支えるという未来は無かったわけで、そうなると妹には性格が設定されていたのかという疑問が浮かぶ。いやそもそも、設定されていたとて、誰がどうやって、世界のソースコードを覗くことができるのか。あれは誰かの妄想、物語の登場人物に過ぎないのかなぁ。
もう少し長くいたら、呑み込まれていたりしたのかな。どうだろう、莞日夏だったら、あの夢に一生浸りたいと思って、嘉琳でも誰でも容赦はしなかったかもしれない。莞日夏似でかわいかったけど、あれは紛れもなく妹でしかない。
「時雨ちゃーん。生1丁でーす」
「んあっ!?頼んでないですけど!?」
ミヤコワスレのふかふかな椅子に包まれながら、嘉琳の用事が済むのを待っていたら、なんか生ビールがジョッキで出てきた。ここで警察に通報したら、マスター捕まるんじゃないか?
「だいじょぶだって~。だって私が飲むからっ」
机にタッチアンドゴーしたら、私の横でぐびぐび音を立てながら、マスターが全部飲み干した。なぜ喫茶店という店舗形態を選んだのだろうか。
「それにしてもお客さん、紅茶を頼むなんて、わかってますねぇ~」
「いい茶葉を使っているという雰囲気だけで美味しいですから」
しかし、真朱帆から毎日のように美味しい紅茶を飲まされているせいで、そこら辺で市販されている紅茶を名乗る飲料は、もはや紅茶だと思わなくなってきた。それって依存なのでは?
「あの、お口穢しのコーヒーください。産地とか何でもいいんで」
「じゃあジャコウネコか象かハナグマ、好きなものを選んでね」
「変なのしか置いてないのかよ」
「じゃあ、鴛鴦茶はどう?紅茶とコーヒーのブレンドよ」
「なんだ、そのあいつに飲ませてやりたい飲み物」
もし強引に飲ませたら、茶葉がチャガタイ湖を作ってるーっ、と言いながら真朱帆は倶多楽湖を作ることになるだろう。コーヒーと紅茶が混ざっているところに、練乳の甘さが加わって一度に3つの味わいが楽しめると言えば、聞こえがいい。美味しいっちゃ美味しい。
鴛鴦茶に味覚が翻弄されていると、ドアのベルが鳴った。嘉琳が来店したのだが、これまで私一人しか客がいなかったのである。わざわざ酔狂な高価なコーヒー豆も仕入れているし、採算が取れているとは到底考えられない。まあ面白いお店なので、非合法的な事業に手を伸ばしてもいいから、何とか存続してほしいところではある。
「はい生ね」
「えっ」
「そのボケさっき見ましたー」
ということは、マスターがまた一杯やるということである。酔って正常な判断ができないのか、お通しと称してモンブランが運ばれてきた。時代の潮流に逆らった、黄金のモンブランである。
「嘉琳ー、好きだ」
「はっ、えっ!?」
「おせちの中で栗金団が一番?」
「はい」
「なんでわかるんだよ」
鴛鴦茶を飲ませられた仲なので、さすがに連携が取れていた。
「いやー、酔っちゃったみたい~」
「嘘だろ、ただの甘露煮だけど」
「そうだね、ただの甘露煮だね」
「だろうね、甘露煮美味しいね」
「せめて酔っていろよ」
なんてことを言うんだ、私の親友、少しはアルコールを分解させられる肝臓の気持ちを考えてよ。肝臓だけが恋人なのに……それは嘘だな。そうこうしていると、別の何も知らないお客さんが入ってきて、マスターが社会適応モードで応対しに行った。
「あっ、真面目な話なんだけど、妹の件を母親に言おうかなーって、今悩んでるんだけど」
「それはそれは、どうしたの?」
「真偽の程がわからないというのもそうなんだけど、その、要は隠し事をされてるわけじゃん。というか、嘉琳だったらどうするよ。気にならない?むず痒くならない?」
「私だったら聞かないね。子供みたいなことを言うけど、大人は何も答えないから。まっ、私の親がそういう性質なだけかもしれないけど」
「私の親は、そういう感じではないから……」
「時機が来たら、言うつもりだったとか」
「まさしく今ですよ、それって」
「二十歳じゃない?」
確かに、「お前にも言っておかなければならない」と、酒を飲み交わしながら30年前の事件を解決する手掛かりを話してもらう光景が、どこで目にしたわけでもないのに、はっきりと浮かんでくる。
「それにさ、もしストレートに聞いたとして、傷つかないかなぁって。夢の中で語られた話が本当なら、あんまり思い出したくないかも……」
「いつになく弱気だね……。そんなに謙虚だと、少なくとも私は思わず真実を零しちゃうよ。頑張って」
「うん……」
私は伏し目を使いながら、鴛鴦茶を口に含んだ。