夢を見て地固まる?
果たして意味があるのかはわからないが、別にすることもないので、律儀に写経に取り組んでいる。ここまで、他校の制服をまとっているせいで奇怪な目で見られること以外は、何不自由なく生活できているので、戻れるなら戻るぐらいの心持ちに、もう変わりつつある。
先生が退席したので、空気が軽くなった。背筋が喜んでいる。しかし私以上にたるんでいる隣の真朱帆が話しかけてきた。
「時雨ちゃん、どう?この世界は」
「何その口ぶり。もしかしなくても、立花さんが黒幕なの、ディープステートなの」
「そんなわけ無いでしょ。私も朝から混乱しっぱなしだもん」
「根拠になってない。まあ、 “並みの高校生” が他人の夢を操作するなんて不可能だしぃっ、別に問い詰めても何も出ないだろうけどなあー。出てほしい、元凶である証拠が出てほしい」
真朱帆は苦笑いを一つまみ加えた。
「犯人捜しも大事だけど、それより私はとても混乱してるんだよ。逆にどうしてそんなに冷静でいられるの?」
「うーん?所詮夢だし、たまにはこういう刺激もありかなーって」
「時雨ちゃんはさ、脳内に二人の記憶が混在してないの?」
「二人の記憶?」
わかってない雰囲気を醸してみたが、ずっと夢の醍醐味として面白がっている。この夢の世界で生き抜くために、都合よく世界観の情報を盗み取っていた。
「私の中ではね、現実の記憶と、たぶん今まで夢の世界で生きてきた自分の記憶が併存してるの。二つの記憶はだいたい一緒だけど、例えば昨日、時雨ちゃんのライブ中に爆発事故が起こるっていうハプニングがあったり、細かいところが違くて、目が回りそうなんだよね……」
「うん、そんなの比じゃないぐらい、とんでもない記憶が植え付けられたんだけど、慰めてくれない?」
「あぁ……妹ができたんだっけ……」
私は得意げになった。何しろ、知能が大幅に退化し、妹に骨抜きにされていたのだ。よく考えたら、妹を妹として、家族として受け入れているというのも、夢の記憶に現実の自分が取り込まれ始めている証拠と言える。とは言っても、これを勲章のように語るのは、嘉琳とか雪環とか、その辺の面々だけにしておこう。
「慰めるって、何をすれば……。放課後ミヤコワスレでも行く?奢るよ」
「冗談だよー。だいたい、夢から醒めることができるという前提条件があるならば、奢られても旨味があんまりない」
「醒めるのかな、この夢」
「案外、寝て起きたら次は現実かもよ」
「どうだろう、夢の中で寝るって変な感じだけど」
「何か、気掛かりなことでも?」
「えっ!?……どうしてわかったの」
「そんな深い意味はなかったのに。よほど臆病者なのか、それとも私よりも酷い記憶を持ってる?」
「どちらかと言えば後者かな……。私は臆病なんて名乗れる質じゃないよ」
「うーん、私に言って楽になるものなら聞くけど。そっちは同じ境遇の知り合いが少なくて、孤独を感じてるだろうから」
「実は茶華道部でも夢を自覚してる人がいるんだよ。でもうん、ありがとう、気持ちだけは受け取っておく。いつか話したくなる時が来るかもしれないから、覚悟だけはしておいてよ」
「中々酷なことを求めるわね……」
ここで先生が戻ってきたので、背筋に力を入れて、無心で写経を再開した。