Gamer's Dream
風の音を聞かれれば、ひゅーって答える人が多いだろうが、実際にはごーっというのが正しいはずだ。まあそれはどうでも良くて、気持ち良く寝ていたらひゅーっのほうの風の音が襲来して、目を覚まさざるを得なかった。
「お姉たーん、朝ですよー」
「んあー……うるさい……」
風がより激しくなった。反骨精神も眠りについているので、自然と上体を起こしていた。
「最近すんなり起きちゃうからつまんないよ~。そんなに、妹の顔を確認したい?」
「はぁ……?というか、それは何」
部屋の外には、階段の窓から差し込む朝日に照らされた、懐かしい面影のくせに生意気な口を利く少女がいた。それはともかく、少女の横には大きな新井式廻轉抽籤器みたいなものがあった。朝から運試しでもさせられるのか?
「お姉たんまた聞いたぁー。これで34日連続、寝ぼけ過ぎぃー。これはウィンドマシーン、オーケストラでたまに風の音が必要になることがあるんだってさ」
34日連続なのに律儀に教えてくれた。どうやら、大きな木製の円柱を回転させると、被せてある布との摩擦でひゅーっという音が鳴るようだ。
さて、昨日遅くまでゲームをしていた自分を呪いたいが、呪いを信じていない人が呪えるわけがないので、日光でも浴びて目を覚まそう。私は部屋のカーテンを開けた。
うーん?世界がいつもモニターで見ているような、チープで仮想な光景に変わっている。レイトレーシング切ってるのかな。まあ有効にしてても、GPUへの負荷が尋常じゃないので、それは大変結構なのだが、ついにシミュレーション仮説が実証されてしまった。さすがにシミュレートされている私が、反逆を起こすことはできないだろうが、この世界では称賛と畏怖をもって盤石な地盤を築けるだろう。
というのは冗談にしても、どうやら私は夢の中にいるらしい。それがどうしてなのかはわからない。例えばジャムを塗ったトーストを床に落とすと、ジャムの付いていない面が地面に落ちるし、父親は新聞もワイシャツも逆さ事に勤しんでいるし、莞日夏の姉みたいな奴が平然と家族の輪に打ち解けているが、それ以上に自分の中にこれは夢だという実感が湧いて出てくるのだ。
自分の置かれた状況、そして相反する記憶が混在する脳内、二度寝を所望する全身、それが許される気がしたので、とりあえずこの自分の鏡写しの頬をつねった。おっ、結構柔らかい、これはクセになりそう。
「お姉たん、まだ着替えてすらいないけど、遅刻するよ」
「んー、もう少しだけつんつんさせて」
「お姉たん、急がないとー。またママたちに殴られるよ。痛いの嫌でしょ?」
この子は双子の片割れ、ずっと享楽は共にして、辛苦を押し付けてきた。私は彼女に頭まで依存している、らしい。寝起きだからという言い訳で思考を止めていると、どうやら夢の中では親が中立NPCになっている記憶が蘇ってきたので、慌ただしく自室に戻った。なんか妹も付いてきた。
「はい、上脱ぐよー。両手あげてー」
「わかりましたぁ……。って、おい!それくらい自分でできるが!?私、高校生だよな!?」
自分の身体がうっかり縮んでいないか確認してしまった。しかし、この妹は私の狼狽に耳を貸さず、そのまま脱がそうとした。
「お姉たん、反抗期なのー?でもダメ、私がやってあげるから、お姉たんはリラックスしてて」
「いや、余計に時間かかるでしょ」
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行くの」
「何の話?」
「お姉たんが口癖のように言うから覚えちゃったっ。はい、ボタンとめますよー」
私はこの夢の中でどうあるのが正しいのだろうか、脳にインプットされてはいるが、現実の記憶も混ざり合っているので、それを完全な形でアウトプットすることはできない。なんだ、もし妹がいたら、こんなに堕落してしまうという警鐘か?今さら下の子ができたところで、年の差がありすぎて、こうならないと思うけどなぁ……。
馴れ馴れしい見知らぬ妹と電車に揺られるという、世にも奇妙な体験をしている。前に立っている人にも、私たちが姉妹とか双子とかに見られていると思うと、新しい扉が開く気配がない。いや、そもそもこれはあくまでも夢。普通、夢の中の自分は制御できないし、自我があるとは到底言えない。ましてや、そこに出演している赤の他人に魂が宿っているはずがない。ならば、 “腕組んじゃってる微笑ましい双子がいたの” と、お昼時の職場でおばさんたちのホットトピックになることも無いか。
そんな風に妹に悩みをぶちまけるという、この世界における私の責務を放棄して、一人感傷にふけっていると、ひどく居心地の悪そうな妹が、周りの空気を読みすぎて、学校の最寄り駅の手前で腕を引っ張った。差別に対抗するガンジーを見習うという選択肢もあったが、電車の中で騒ぎを起こすのは、夢の中とは言え憚られるので、一旦下車して妹に意図を尋ねた。
「ここ最寄りじゃなくない。なんか用事でもあるの?」
「えっ、なんか今日のお姉たん変。どうしちゃったの?」
「いや、白高は次の駅でしょ」
「白高?お姉たんがそんなところ行けるわけないじゃん」
自分と妹の制服を、疑いを持って見返してみると、全然違った。確かに朝、電車の中でよく見かけるし、雪環がこの間まとっていたが……。夢だけあって、自分の記憶を基に構成されているのは得点高い。
「行けるよ!失敬な。そんな過保護な妹のくせに、私の模試の結果も見たことないの?」
「お姉たん!その一人称……」
この偽りの記憶にあるような人間が、姉など自称するべきではないだろうという、極めて聡明な判断により、一人称は現実のものを採用することにした。水の入ったコップに、追加で入れた水をもう一度分離できるのだとすれば、夢と現実を交錯させる遊びを定期的にやっても良い。
「いつまでも一人称が “お姉たん” のままというわけにはいかないでしょ。いつか逆転するんだから」
「しないよ!双子だから、この順列は産まれたその瞬間に依存するの。一方が光速に近い速度で移動しようと、お姉たんはお姉たんのままだよっ。これも64回説明した……」
「説明ご苦労……。生ボイス感謝」
「だいたい、お姉たんがあんなに泣くから、私は志望校のランクを2個ぐらい落としたのに……」
俯く妹風情に対して、気が付くと私は、その場しのぎの謝罪と感謝の言葉を口にしていた。向こうの表情を勘案するに、いつもの調子に戻って一安心といった感じなので、取り消すわけにもいかない。凄まじい架空の姉妹愛により、私は見知らぬ高校で授業を受けるところまで行ってしまった。