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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第5話:文化祭事変
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秋と冬

 来てしまった、文化祭に、自分の高校のそれはいつなのかも知らないのに。


 それにしても、この規模の人だかりは少々足がすくむ。同年代が多いことがせめてものの救いかもしれない。それでも7歳も下の子に、ここまで縋る15歳はそういないだろう。


「雪環お姉ちゃん、前見て歩きなよ。誰かにぶつかったら面倒だよ、謝らないといけないよ」

「それは……、いっ一応、嘉琳ちゃんから頼まれてるんだからっ。嘉楓ちゃんをよろしくって。絶対、絶対離れちゃダメだよっ。迷子になったら、一生帰ってこれなくなるんだからね!」

「そうなったら、嘉琳お姉ちゃんが探してくれるよ。目を充血させて、毛を逆立たたせて」


 この小学生のほうが保護者と化しているが、この子が隣にいなかったら、私はこの場でしゃがみこんで涙を流してしまうことだろう。手まで繋いでいた。嘉楓は、そんな年齢じゃないのに、という顔をしている。


 色々回ったけど、私の目的はだいたい1つしかない。時雨のライブを見に来た。盟友の晴れ舞台は、自分の足で赴き、自分の目で確かめたかったのだ。文化祭自体の閉幕の時間が近付き、残るお客さんはほぼ体育館に集まっている。


「すごい人混み、肩車を頼みたいけど、そういう年齢じゃないから困ったなぁ」


 一昔前なら卒倒していそうな量の人がいた。どうやら文化祭のシメらしく、他の出し物が全部終わった後にやるらしい。つまり、この体育館には少なくとも全校生徒ほぼ全員がいるということになる。特段大きいわけでもない体育館にこれだけ人が詰め込まれると、さながら本当に大物アーティストのコンサートみたいだった。


「どうしよう……」

「さすがに、雪環お姉ちゃんもこの中割って入るのは辛いよね。うーん、どうにか有閑階級らしく観覧する方法……考えろ天才小学生、IQは危うくMensaに入れるぐらいあるし、視野は240°くらいあるし、2桁同士の四則演算なら暗算できるし、尊敬する戦国武将は佐野昌綱だし……」


 嘉楓には小学生らしからぬ風格がある。突如として考えるポーズが崩れて、体育館の裏側にこそこそと侵入していく。テープが張ってあって、明らかに一般客の立ち入りは禁止されているのだけど……。


「大丈夫なの?」

「うん、嘉楓は頭が良すぎて、同級生にハドリアヌスの長城を敷かれてるぐらいだから、安心してついてきて」


 嘉楓の指の間では、得体の知れない独自通貨スタンフォードのお札がなびいていた。つまり、本来は照明さんとか以外入れない、体育館のギャラリーに金の力で入れてもらおうという魂胆らしい。しかも上手くいってしまった。特等席から時雨のことを御覧に入れられることになってしまった。


「時雨ちゃんも大きくなったな……」

「まだ始まってもないのに、泣かないでよ」

「そうだよね、私が元々小さいだけか」

「今嘉楓があやすこともできるけど、小学生にあやされたことで、傷ついてもっと落ち込まれたら困るからノーコメント。はぁ、どうして嘉楓は小学生なんだろう」

「ごっごめん、そんなつもりじゃ……」

「はい、背筋をのばーすっ」


 ぶっきらぼうな小学生らしい小さな拳が、私の腰を射止めた。この子の言う通り、今日はこの人混みを乗り切れたんだから、私も着実に前進している。そんなことより幕がゆったりまっすぐ上がっていく。


 こんなに殺意にも似たやる気に満ちた時雨を見るのは、いつぶりだろう。普段のすこーしだらしない態度からは想像できるように、いざという時は、完璧な仕事をしてくれるという安心感と全能感が、今の時雨の表情には宿っている。でも何より、私含め観客なんて気にも留めず、自分の奏でる重低音だけに浸ろうとする、そのやや下向きの視線が似合っててかっこいい。


 どこへ行っても通用する時雨の惚れ惚れする風体に気を取られていると、横でギターを持った子が倒れたことに気付くのが、ほんの少し遅れた。それは時雨も同じだったようで、いつになっても誰も演奏し始めないから、顔を上げてみたら、舞台袖から人が出てきて、ギターの子が倒れていることに気付き、大慌てで駆け寄ろうとしたら、何も無いところで転びそうになっていた。


「はい、ストラヴィンスキーを披露するところですよ!」

「できないよ!というか、そんなことしてる場合じゃないし!」


「何だろう、スナイパーかな」

「それは無いんじゃないかな……?」

「それとも、本番前に飲んだ水の中に毒が混ざってたとか……!?事件の予感!」

「いや……それだったら、時雨ちゃんが事件に巻き込まれてるかもしれないっ。どうしよう、どうしようううう」


 嘉楓は、私が軽く地面を蹴ったり、頭を抱えたりするぐらい不安を煽ってきたが、彼女の視線はステージを向いたままで、冷静に状況報告をしてきた。また小学生に弄ばれた……。


「あー、生きてるみたいだよ。なんかささやかに抵抗してる」

「それは、だって毒を盛られたからって、即死するわけじゃないかもしれないかもーっ」

「神経毒はその名の通り神経伝達を阻害するわけで、自分の意志で筋肉を動かして、抵抗できるなら大丈夫だよ、多分」

「だったらいいけど……。なんか混乱してるね」

「客席側も急病人かな」


 ステージ上だけでなく、客席でも一波乱あったらしい。誰かがなりふり構わず、群衆をかき分けて突き進んでいる。ギャラリーから見ると、まるでカプチーノの上に載せたミルクで、スプーンを使って絵を描くようだった。この特等席から見下ろす分には爽快だけど、あれに巻き込まれたら、きっと嘉楓とはぐれて、私が人にもまれ踏まれながら、わなわなと泣いていただろう。


「みんなーっ、代打の嘉琳だよーっ!めっちゃ上手いから、騙されたと思って聞いてって!」

「おい嘉琳、なーに出しゃばってるの」

「前に言ったでしょ、美味しいところは貰っていくって。まっ、棚ぼたっていうか、そんな喜ばしいもんじゃないけどさ。それじゃあ1曲目!宵闇マクロファージ!」


 まるで用意していたかのように、ノリノリで腕を大ぶりに上げてから、ドラムとともに荒々しく力強い音が、体育館に響き始めた。


「嘉琳お姉ちゃんだ。えー、いつもの、身内にしか受け入れてもらえない雰囲気のほうが、断然いいー」

「全然わからないけど、時雨ちゃんかっこいい。きっと上手なんだよ、そうだそうに違いない」

「あっ今、間違えたな、嘉琳お姉ちゃん。顔に出てるよ」

「ロボットみたいに、かくかくリズムを刻む時雨ちゃん、かっこいいー」


 ライブの空気感というよりは、お互い発表会に来た保護者みたいなことを呟いていた。あーいやっ、保護者だなんて、おこがましいし身の程を弁えてなさ過ぎる。撤回させてくださいっ。


「首ひねった、首ひねったよ!完全に自分の世界に入ってる。凄いなぁ」

「雪環お姉ちゃん、時雨お姉ちゃんしか見てない、しかもそれ、なんかダサい」

「えっ、でもそれを言ったら、嘉楓ちゃんだって、ねぇ」

「代打ってことは、もう二度と見られないだろうし、しっかり脳裏に焼き付けておかないと」

「うん、私も元気貰った」

「おばあちゃんかよ、わこーどのバイタリティーを吸い尽くさないで」


 自分は何も踏み出せてないのに、時雨の活躍で気が大きくなっていた。平凡な感想だけど、歌には人を酔わせる効果がある。私の行末にも、こんな絢爛豪華な日常が待っているように思えてきた。それが錯覚であれ、一面的なものであれ、そんなことはどうでもいい。


 スポットライトからバックライトまで、ありとあらゆる照明が消えた。客席のあらゆる場所で、スマホのライトが点灯し始める。そうだ、こういう不測の事態に見舞われた時こそ、嘉楓を守らないといけないんだ。私は彼女の手を忘れずしっかり握った。


「雪環お姉ちゃん、怖くない?」

「大丈夫だよ、暗いところ、狭いところ、そこがお姉ちゃんの居場所だから」

「雪って、日光に当たれば、日焼けするぐらい輝くのに、どんどん融けてしまうんだよね。なんて儚い二律背反。あっ、いいこと言った、電気も付いた」


 しばらくすると、非常用電源に切り替えて、ライブはそのまま継続された。いったい何があったんだろう。でも、思わぬトラブルにも動じない時雨が、ますます輝いて見える。そうだ、この勇姿を璃宙にシェアしよう。私はスマホを取り出し、20秒程度の何気ない瞬間を収めた動画を撮影して、彼女に送った。

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