革命の旋風
「任務完了、RTBであります!」
「もう帰ってきてるけどね……。まあ天稲ちゃん、それに阿智原さんもお疲れ様。どうぞ、こちら、好きなほうをお飲みください」
蒔希が二人を労って、透明なプラスチックのカップに入った、二本のシェイクを机に置いた。しかし片方は水銀でも混ざってるんじゃないかっていう朱色、もう片方はマリモをミキサーにかけたようなモスグリーン。さて、最後まで地に足をつけていられるのはどっちだ!?
二人は共に朱色のほうに手を伸ばす。お互い睨み合い、自分が先取を主張する。しかし、どう考えても激辛なほうを取るとは。得体の知れない物を体内に取り込むほうが、彼女たちにとっては忌避したいことだということなのか。
「どうして阿智原さんは、癒しと福音のマリモシェイクを選ばないんですか!」
「理由なんて、わかりきってるでしょ。わざわざ私に言わせる気?」
「言わなければわかりません!包み隠さず、あなたの本心を教えてください!」
「辛いやつを飲んで悶えたら、絶対一躍スターになれると思った。それでは信濃リバーは?」
「全く同じです!」
「わかった。それなら譲ってあげる。私はマリモ汁で悶えてやるから」
ネタとして美味しいところは天稲が持っていけたらしい。桜歌はモスグリーンのシェイクを手に取り、すでに顔を歪める準備をしている。
「うーん、ただの苔ね。そこら辺の神社の味がする、食べたことないけど」
「阿智原さん、それ海苔だよ……」
「海の苔だから、あながち間違ってもない。というか、そんなものどこで手に入れたんですか?」
「私のクラスでやってるの。シェイク界隈に革命の旋風をってスローガンで」
一方、蒔希の視線は天稲の飲んでいる、鮮やかな朱色のシェイクに向いている。だが天稲はすました顔を崩さないし、革命の旋風とまで謳っているのだから、世界で何番目に辛い唐辛子を使用なんてありきたりではなく、「コチニール色素たっぷり、え?コチニール色素って何かって?エンジムシっていう虫をすり潰したやつだよー」と言いながら、その虫の写真がどっからともなく出てくるのだろう。
桜歌はあっさり海苔シェイクを完飲した。どうやら、見た目と材料のインパクトだけで売っているのではなく、味も調製されているらしい。それはそうと、天稲も同じように、空になった朱いシェイクの容器を机に置いた。
「えーっと、天稲ちゃん……?」
「辛味と酸味が突出しています!しかしラクトースが感じられるので、シェイクの公理は満たしているとも言えます!」
「から……くなかった?」
ケロッとしている天稲に、蒔希は混乱するばかりであった。残念ながら安直に、大量の唐辛子と、むせさせるために酢酸が添加されているシェイクで、辛い物狂信者も泣かせられる算段だったが、あっさり天稲に折られた。
試しにスプーンで残滓を集めて舐めてみると、口と鼻の中の感覚器官が全て破壊され、咳も汗も涙も止まらなくなった。焦熱地獄とは、こんな感覚が何千兆年続く場所なのか……耐えられない、ちょっとは善行を積む気になった。宗教ってすごい。
「天稲ちゃん、正しいリアクションはこれだよ」
「これだよ……じゃないですよ……。死ぬかと思った……」
「承りました!実践してみます!」
「馬鹿にしてんのか!?」
天稲も辛そうに腹を抱えてふらつきながら、ゾンビのように上半身を前後左右に振っていると、陽菜たちが戻ってきた。
「おっつでーす」
「おっ、どうだった……げほっげほっ」
酢酸が後を引く。自分の胸骨を叩いて、何とか落ち着いてくれることを祈った。
「和南城先輩、あいつらにも飲ませてやってくださいよ!」
「嘉琳ちゃん、食べ物は粗末にしたらダメだよ」
「食品冒涜上等みたいな出店やっておいて!?」
「私の見立てでは、天稲ちゃんならどんなに辛くても、すまし顔で飲んでくれると思って、1本しか買ってないの」
そう言いながら蒔希は、成人100人に聞いた、嫌いな野菜トップ5を何も考えずに混ぜたシェイクと、食品添加物のみで作ったシェイクと、軟水硬水ミックスの3本を、机の上に並べた。ただ色んな味を紹介したかっただけかい。
「はい、ぼく、軟水硬水ミックス~」
「ちょっと、それただの水じゃん、私も飲みたいーっ」
ただの水の価値がここまで上昇しているのも珍しい。これに比肩するのは、砂漠で富山ブラックのスープと並んで出された時ぐらいじゃないか?
「嫌いな野菜って、何が入ってるの?」
「セロリとケールとゴーヤと春菊とピーマン、見事な緑色でしょ」
それを聞いた上で陽菜は、青々とした緑色の液体、もはや青汁を選択した。生徒会室前のベンチに腰掛け、絶妙な顔でそれをすすっている。
「フェス、お味はどう?」
「うーん、もっとちゃんと味付けしたほうがいいとは思うよ。出汁とかさぁ」
「出汁……?」
「確かに、野菜が嫌いな人は悶絶するだろうなぁ。私はおばあちゃん子で、小さい頃から渋いものばっか食べてるから、全然大丈夫だけど」
「もしかして、貧乏くじを引いたのは私……?」
芽生が心底嫌そうに、添加物だけで構成されたシェイクを手に取った。
「あの、副会長?これって健康に問題ないですよね、ないですよね!?」
「死にはしないでしょうね。もう何本か売り捌いちゃったし、くたばられたら困るから耐えて」
芽生は一息ついてから、心して添加物オンリーシェイクを口にした。
「えっと、普通にバナナシェイクの味がするー。んー、えー?」
「化学の味は感じない?」
「わかんない……、何も言われなければ、こんな複雑な気持ちにならないんじゃないかな」
「えっ、気になるな、ぼくにも一口ちょーだいー」
成も恐る恐る口にしたが、同じ感想が返ってきた。
「って、そんなことはどうでもいいんだよ!」
陽菜が生徒会室の外で一人騒いでいる、数字やアルファベットが散りばめられた謎の紙を見せつけながら。
地学室から運ばれてきた爆弾は、解除ボタンがダイヤル付きの鍵で守られていた。3桁とはいえ、なぜかアルファベットで作られているので、263通りも選択肢があり、ブルートフォースアタックは早々に諦めた。
ただ、ヒントと思しき紙が裏側に貼ってあり、わからないなら貼りだしてみろとのことだったので、爆弾魔の言う通り、校内でも目立つ場所に貼り出しておいたのだった。そうしたら、そのうちの一つに誰かが、 “6EQUJ5” という文字列を赤く囲み、その隣に “Wow!” とふざけた文言を書いてくれた。
「この赤丸の部分がパスワードなのかなぁ」
「アルファベット部分4文字あるけど……」
「wowに合わせてみたら?」
芽生の提案通り、ダイヤルを “wow” に合わせたら、当然のように開いた。
「みんなに見えるようにヒントを出さないで、寝ている間に自分だけに教えてくれないかな。この女神は使い物にならないわね」
「敬虔な信仰とは程遠い阿智原さんが何を言う」
「ラマヌジャンで思い出したけど、阿智原さんってサンスクリット読める?」
蒔希は別の爆弾を持ってきた。こっちはサンスクリットでヒントが書いてあって、私たちには手も足も出ない。
「なるほど、カーリダーサの言葉ですか」
「日本語にすると?」
「昨日はしょせん夢、明日はしょせん幻。 だが素晴らしき今日はあらゆる、昨日を幸せな夢に変え、あらゆる明日を希望の幻にする、といった感じかな。これがヒントなの?」
「すごいわね、この人……」
芽生たちが素朴に驚いている。よく考えたら、サンスクリットぐらい当然読めるだろうと信じている私たちが異常なのだ。それで読めてしまう桜歌はいったい何者なんだ……。
「かーりだーさ……?嘉琳ちゃん?」
「どうした、脳筋フェレット」
「嘉琳ちゃんの新しいあだ名!」
「これ以上ややこしくするな!」
「でも、天の声で解決してしまう物語は倦厭するでしょう?何か動機付けが欲しくなるよね?その一点のみから、あなたはカーリダーサを名乗るべきだと言える」
「いや、畏れ多いな……」
危うく偉人としてWikipediaにページが作られるところだったが、それはともかく、芽生と成が爆弾の近くに寄って観察していた。
「ところで、そもそもどうやってパスワードを打ち込むの?」
「ここにカードリーダーみたいなのがあるけど……」
「ここにSuicaでも入れたら、残高引かれるんじゃね、フェスやってみてよ」
「いやいやいや、持ってないし、持ってる人がやればいいじゃん!」
「そもそもサイズが違うんじゃ……」
「何だろうな、パンチカードとか?」
「パンチカード?そう言えば、生徒会の物置にあったよ。博物館に寄贈しても良かったんだけど、いつか世界の危機を救うことになるかもしれないから、大事に取ってあるの。って、先代も先々代もその前も、同じ事考えてたらしいけどね~」
そう言って蒔希はパンチカードを持ってきた。新品同然だが、枯れた技術という言葉がこれ程似合う物もない。さっきのサンスクリットの名言を英語に直して、大きめのカードリーダーに入れると、無事に爆弾が解除できた。
「みんなの力を結集してるって感じで、すごい、いいよ!」
「でも陽菜だけ外にいるから、何もしてないみたいだよ。何もしてないんだけど」
「えぇーっ、青汁飲んだじゃん!」
「あれは関係ない」
そう言いながら、成と芽生も外のベンチに座りに行った。いつの間にか、生徒会室の前の廊下には、椅子が何個か置かれている。それ、陽菜しか使わないだろ……。