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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第5話:文化祭事変
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裏側の壁

 私は金城鉄壁、絶対不可侵のシャングリラをついに、この後期中等教育機関の内部で発見してしまった。そんな大げさなものでもなく、ただの保健室である。人の寝込みを襲撃してきたら、正式に糾弾する権利を得られるだろう。


 私は祭りの喧騒からも逃れ、あらゆる方向から反射する桜色のまばゆい光に包まれながら、静かに本を読んでいた。まるで理想の老後だ……。まあ何十年も酷使され、老朽化の進んだ脳でする読書が、面白いとは想像できない。今読みたい本は今読むべきだと思う。


 カーテンがさっと短い音を立てて開いた。寝っ転がらずに、ベッドの上で座って読書していたことを後悔した。私は本を投げ飛ばし、まるで子供みたいに跳ねるようにして布団に入団し、思いっ切り目を瞑った。


 いつになっても飛び掛かってこない。黎夢にも最低限未満ではあるが、良識があるだろうし、それは大変結構なのだが、一言も発さないなんて不自然だ。私は目を開けてしまった。


「誰だっけ信濃リバーだっけ」

「信濃リバー改め信濃 天稲であります!」

「何の用かしら。私は、どこかのクズベーシストと違って、連絡はこまめに確認するから、直接呼びに来なくていいのに」

「お見舞いは直に目と目、拳と拳を突き合わせて、初めて思いが伝わるんです!」

「要は信濃リバーがドラムボーカルしてくれるってこと?」

「それだと、阿智原さんの仕事が無くなってしまいます!働いてください!」


 6、7年後ぐらいに痛いほど浴びせられそうなフレーズを食らい、輝かしい天稲から目を逸らした。


「お見舞いって、私は病人じゃないんだけど。ここは安全地帯なの。誰にも……信濃リバー以外には邪魔されず、ゆっくり本を読めるから」

「心堅石穿という言葉があります!つまり移動式要塞が最強なんです!病気でないのなら、今すぐ広い世界に旅立ちましょう!」

「はぁ……、動きたくない、本読みたい」


 私が天井を見上げていると、天稲は落とした本を拾って、ぱらぱらめくった。


「未解読のインダス文字を眺めて、何が楽しいんですか!」

「それ、インダス文字じゃないよ?別に面白くはないけど」


 知ったかぶりを指摘されても、天稲は表情一つ変えずに、話題を変えた。知ったかぶりを指摘されて癇癪を起さない人間は、おちょくっても面白みがないので、話にならない。


「のんびりしてますけど、この学校には爆弾が仕掛けられてるんです!そして、爆弾の中には高級料亭の食事券が入っているらしいですよ!探しましょう、探しに行きましょう!」

「信濃リバーまでそっち側に回るのなら、さすがにしゃもじ連合抜けるよ」

「待ってください!宇野木 黎夢の動向は完全に把握しています!私は彼女から支配の象徴GPSを賜り、設定してからお返ししたので、今は……495ゼミ室にいます!」

「だから何」

「私が!必ず阿智原さんをお守りしますので!仕事の時間です!」


 まあ最初から文化祭などつまらないと決めつけるのも良くないし、何より天稲を保健室で勢いに身を任せて騒がせていると、私も同罪にされそうなので、起き上がって靴を探した。


「おーい、ちぃーーばにゃぁーーん!」

「見たらダメです!見たら死にます!何回も!」

「なっ何回も!?」


 黎夢の動きを完全に把握している割に、天稲の後を渋々追っていると、495ゼミ室の前を通りやがった。黎夢はここで占いをやっていて、通りかかった時も見覚えと言いがかりのある客が一人いたのだが、そっちのけで立ち上がって手を振ってきた。だが天稲がすぐに察知して、その手で私の目を覆い隠す。今回は追ってこないか、やはり最低未満の良識は備わっている……、糾弾しにくい。


「これ、どこに向かってるの?どんどん人気がなくなってるんだけど」

「ずばり、立入禁止エリアです!」

「どうして文化祭で肝試しじみたことをする必要があるのか、私が知らない言語で書いてくれたら、納得を検討するかもね」

「納得は無用の長物です!これを見てください!」


 天稲は照明も落ちて薄気味悪い、昼下がりの校舎の端でようやく足を止めた。そこには立入禁止のテープがあり、そのすぐ奥に数字が無数に書かれた、集合体恐怖症を排除するためのガラスが置かれている。そしてガラス越しには爆弾があった。


「もしかして、この立入禁止を真に受けてるの?あなたも杓子定規ね。それでどうやって人の魂を揺さぶる音楽を作るのかしら」

「阿智原さんは爆弾解除したことないんですか!立入禁止の場所に足を踏み入れた途端、あの爆弾は爆発します!」


 いちいち勢いに身を委ねた話し方をするので、パニック映画のど真ん中に投与したら面白いだろうな、と妄想を膨らませた。今は鬱陶しいだけだけど。


「ここから進めないっていうなら、私にもできることは無い。死にたくないから帰ろうかな」

「違います!ここから手を伸ばして、このガラスを割るんです!割るんです!」


 天稲がシャドーボクシングを始めた。


「素手でガラスを割ったら怪我するじゃない」

「割れないので大丈夫です!」


 天稲は立入禁止のテープの先へ腕だけ伸ばし、ガラスを思いっ切り殴った。痛々しい、重いガラスの総力を感じさせる音がする。


「割るのが目標じゃなかったの?」

「はい!阿智原さん、握力いくつですか!」

「20 kgも無いけど」

「私は38 kgです!」

「……じゃあなぜ私を呼んだ」

「卵もリンゴも全部の指でくるんで、等方向から力を加えたら割れないですが、指をめり込ませるようにすれば簡単に割れますよね!それと同じです!阿智原さんの割り方が、私たちに革命をもたらすと信じています!」

「もっともらしいことを言ってるけど、ガラスに拳をぶつけたら痛いでしょ」

「はい!耐え難きを耐え忍び難きを忍び、将に私たちは栄冠を手にせんとす!」

「玉音放送と真反対だけど大丈夫?」


 黎夢のようにベタベタ触ってこないとは言え、とにかく率直に簡潔に言うならうるさいので、保健室に戻ろうとしたその時、後ろで顎に手を当てて、私たちのやり取りを聞いていた人間の存在に気が付いた。


「天稲ちゃんは良いこと言うね。その通りだよ、マジノ線は迂回され、コンスタンティノープルは戦艦を陸から運ばれ、それぞれあっけなく陥落した。あっ、数学徒ならアペリーとか出したほうが良かったか。まあ何でもいいや、コツさえ掴めば、よっゆうっ」


 その少女は臆することなく、絶対の自信をもって、コンパスの針をガラスに差し向けた。そして、彼女が突いた部分は、派手でも静粛にでもなく、ただありのまま割れた。


「一つだけ合成数だったから。ここを割ってくれってことでしょ」

「私はあなたのことを待ってました!」

「えぇ……?たまたま通りかかっただけなんだけど」

「この子は勢いに呑まれることしかできない憐れな人間なのよ」

「君も……しゃもじ連合の人だよね。いつもうちの颯理がお世話になってます」


 用も済んだし、いやまあ済んでないことは知っているが、とぼけてこのまま保健室に戻ろうとしたら、今度はこの女に足止めされた。颯理の知り合いなど、どうせ3日後には綺麗さっぱり忘れている。忘れられて傷つくのはそっちなのに、あぁ、こう、ほくそ笑めば良いのか。


 私に魅了の呪いがあるなら、掛ける人を見誤るなと、呪術師を叱りたいなーとか考えていたら、シロップ漬けドーナツみたいな声が聞こえてきた、麻の悲痛の叫びと共に。


「ぃいんよぉーっ」

「なっそれは……」


 黎夢がクロスボウを構えていた。ひとりでに本が一冊棚から落ちるというポルターガイスト現象みたいな、さほど人の警戒心を煽らない射出音と同時に、クロスボウの棒のほうが発射された。無論、当たって大けがなんて結末なはずなかろう。天稲が私を突き飛ばしてくれたおかげで、矢ではなくトライアングルを叩く棒は、小川の割った穴をすり抜け、爆弾の自己主張そのものに激突した。


「やったぁーちばにゃん!黎夢、ばくだんかいじょしちゃったー!ふふーん、せかい、すくっちゃったぁーっ!」


 黎夢にも最低限未満の論理性はあるはずなので、このクロスボウによる射撃と、今の喜色を露わにしている様子に、何の因果もないことはないだろうが、私は中々状況を掴めずにいた。それでもお構いなしに、黎夢はクロスボウを胸の中にしまうと、猪突猛進してきた。しかし今の私の隣には天稲がいる。彼女は自分の言ったことを、呪縛のように守り通した。


「精霊の代議士ルイーザ・フォン・エーレンフェストの名において、クォーク、フォトン、ニュートリノに命ずる。神々が彫琢した晦渋の理論に倣い、脈々と記憶される絶対の順列を開始せよ。全ては鉄に収束する!スーパーノヴァ!」

「ぐわぁー、やられたのー……」


 黎夢はわざとらしく吹き飛ばされ、遊んでほしい猫のような声で助けを呼んだ。まあ、猫にそんな声を出されたこと、一度もないけど。


「天稲ちゃんもスーパーノヴァの使い手だったのか。憧れるなー」


 この小川とかいう人間、いつも優等生ぶってそうなのに、スーパーノヴァを本気で信仰しているとは……。驚きを隠せない。この世界は未知で溢れているのだと痛感させられた。たとえ身の回り、ただ腕を伸ばして届く範囲だとしても。それとも、この私でも天稲からレクチャーしてもらえば、スーパーノヴァが撃てるようになるのだろうか。

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