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*7* 鳴神将軍

 逢魔(おうま)(とき)

 黄昏とともにやってきた人影へ対し、座布団に胡座をかいた葵葉(あおば)がちいさく舌打ちをもらす。

 他方で、竜頭の面をつけた青年はとくに不快に思うでもなく、真白い足袋で颯爽と畳のふちをまたいだ。


「今日というこの日にお会いできましたことを、こころよりお喜び申し上げます、御刀(おかたな)さま。ごあいさつが遅れましたね、私は──」


「いまさら白々しい口上はよせよ」


 流れる所作でひざを折った青年ではあるが、葵葉に語尾をさえぎられ、一瞬の沈黙。

 そう、名乗られるまでもない。名を聞かずとも青年がいったい誰なのか、葵葉と同様に鼓御前(つづみごぜん)も悟っていた。

 そして桐弥(きりや)もまた、とたんに(むすめ)の視線を奪った青年の存在を、紫水晶の瞳で細く切り取る。


「……お顔を、拝見しても?」


 確信を胸に問うた鼓御前の目前で、ひざをついた青年が、素顔をかくすものへ手をかける。

 後頭でむすばれていた紐がするりとほどかれ、白橡(しろつるばみ)の髪に、透きとおる青玉の瞳があらわとなる。

 物々しい竜頭の面を音もなく畳へ置いた青年は、柔和な顔立ちの美丈夫であった。


「わたしがかつてお仕えしていたあるじさまも、草花を愛し、花のごとくほほ笑まれるお方でした。ですが同時に、戦乱の世を駆けるつわもの。いくさへ赴かれる際、(こう)はいつも恐ろしい竜の面で、お美しい素顔をおかくしになっておいででした」


 敵に侮られてはならぬと。


 一騎当千の猛者が、憤怒の表情で睨みつける竜の面をつけ、戦場で猛威をふるうとどうなるか。


 ──鳴神将軍。

 かの人在るところ、竜の怒り在り。


 敵も味方も、彼を知るすべての武者が、畏れ、称えた。


「そうでございましょう……蘭雪(らんせつ)公?」


 何百年もの月日が流れ、かつてとはすがたかたちが変わってしまっているかもしれない。けれど輪廻転生をへたとしても、その魂を、見まごうはずがない。

 ため息のような鼓御前の問いを受けた美青年が、まなじりを下げ、かたちのいいくちびるをほころばせた。


「ばれてしまいましたか」


「当然ですわ。敬愛申し上げるあなたさまを、見間違うはずがありませんもの……!」


 鼓御前は右手をさまよわせながら、感極まって両の目から熱をあふれさせる。


「蘭雪さま……あるじさま、あるじさま……っ!」


「おっと」


 泣きくずれる華奢な少女のからだを、青年のしなやかな腕が抱きとめた。


「あなたさまの鼓御前でございます、あるじさま……!」


 はらはら。とめどない涙でほほを濡らしながら、鼓御前は夢中でくり返す。

 そっと抱き返してくれる青年が、たちまちに、世界の中心となった。



  *  *  *


 

 人間と付喪神。

 その力関係は、いうまでもなく一目瞭然である。

 うやうやしく花房(はなぶさ)を垂らす藤の苔玉が飾られた床の間側に、鼓御前の座布団は用意された。


「どうぞ、お召し上がりくださいませ」


「ありがとうございます、ひなさん」


「美味しそうなお茶菓子ですね。ありがとう」


 盆をかかえたひなが、にこりと愛嬌のある笑みを見せ、湯呑みと桜の練切りを二組並べ置く。

 同様に、鼓御前と向かい合うふたりの少年たちへも茶を運び終えると、会釈を残し、しずしずと退室した。


 客間は静けさにつつまれ、どうにも落ち着かない鼓御前は、そっと正面へ視線を向けた。

 向かって左手側から、無表情で押し黙る鳶色の髪の少年。そのとなりに、そっぽを向いた黒髪の少年という並びだ。

 諸々あってこのように落ち着いたのだが、もっと違う配置はなかったのだろうか。


「あのう……このお茶とお菓子は、どうすればいいのでしょうか?」


 いたたまれず、おずおずと挙手をする。

 険悪な少年らへ話題の提供もかねていたが、膠着状態は相も変わらず。鼓御前の左隣に腰をおろした青年が、見かねて応じる。


「目にするのは、はじめて?」


「はい……口に入れるもの、というのはわかるのですが」


 単なる鋼の塊でしかなかったころ。人間たちが『食事』をする光景をながめていたことを、鼓御前は記憶の奥底から掘り起こす。

 いのちをつなぐために必要なこと。息をするように当たり前におこなうこと。

 しかしながら、刀の付喪神である(さが)がまだ色濃い鼓御前にとって、『それ』は当たり前ではなかった。


「大丈夫、緊張することはありませんよ。熱いお茶は、すこし冷ましましょうか」


 ふー、と息を吹きかけて湯気を飛ばした湯呑みをさしだされ、鼓御前は両手でつつみ込むようにして口をつける。


「お茶菓子も食べやすいように切り分けましたから、はい、どうそ」


 菓子楊枝でさらに半分にされた桜の花びらの練切りが、口もとへそえられる。

 茶同様、言われるがままにぱく、と口に含んだ鼓御前は、何度か奥歯ですり潰したのち、咽頭の奥へ落とし込んだ。


「どうですか?」


「お茶は、ほわほわして……お菓子は、ふわふわします」


「美味しかったんですね。よかった」


「おいしい……これが『美味しい』ですか」


 言われてみれば、すうすうしていた腹のすきまに、嚥下したものがすとんと落ち込むような感覚がする。これが『腹が満たされる感覚』なのだろうか。


「もっと食べてもいいんですよ?」


「いただきます」


 手ずから食べさせる甲斐甲斐しい世話は、練切りがなくなるまで続いた。


「ふふ、餌付けされている雛鳥みたいで、可愛いですねぇ」


 お茶菓子を食べさせるという役目を終えた右手は、菓子楊枝を置くなり、鼓御前の脳天へふれる。


「上手に食べられましたね。よくできました」


「あるじさまにほめていただけて、()()はうれしゅうございます」


『つづ』というのは、蘭雪がたびたび口にしていた、鼓御前の愛称だ。

 蘭雪は眠るときでさえ、枕もとに鼓御前をそば置き、片時も離そうとはしなかった。

 そんなあるじが、鼓御前もだいすきだった。


「つづ──いいえ、鼓御前。私は今世の名を、立花(たちばな)千菊(ちあき)と、そのようにいいます」


「立花、千菊さま……」


 そっと言霊にすれば、ぽう……と胸に熱が灯る。

 つい一瞬前とは段違いに、彼の存在を感じることができる。

 より強固に、えにしがつむがれたのだ。


「『立花千菊』はきみのあるじではありませんが、また、仲良くしてくれますか?」


「もちろんにございます……っ!」


「千両役者のお涙頂戴芝居に拍手喝采だな。んで、『仕事』に来たんだろ。さっさと用件を言ったらどうだ」


 放っておけばいつまででも感動の抱擁を交わしているだろうと容易に想像できたので、そうはさせるかと声をあげる葵葉。

 人の身の利点は、嫉妬を直接ぶつけられることだ。

 皮肉まじりの矛先を向けられた青年──蘭雪あらため千菊は、「おやおや」と肩をすくめてみせる。その面持ちこそ、にこやかなままだが。


「まわりくどい前置きはいい。端的におきかせねがおうか、立花神使(しんし)。〝(ヤスミ)〟よりも稀有で化け物な特級の(かんなぎ)であるあんたが、わざわざ出てきた理由。お上の意向とやらをな」


 淡々と言い放つ桐弥のひと言が、追い討ちだった。


「では簡単に説明しますと、『典薬寮(てんやくりょう)』はいま、大混乱に陥っています。だいじにだいじにお祀りしてきた御刀さまが、()()()と契りを交わしてしまいましたからね」


「それなら、俺を消すか?」


「まさか。私たちは正義の味方であって悪の組織ではありませんから、そんな手荒なことはしません」


「へぇ、で?」


「要はきみが、()()()()()()()()()()()というわけです。なので、はい」


 千菊がほほ笑みを浮かべたまま、腰を浮かせた直後。


 トンッ──……


「なっ……」


 見ひらかれる常磐(ときわ)色の双眸。

 葵葉は何が起こったのかも理解できないうちに、その場にくずれ落ちた。


「葵葉!」


「心配はいりません。気絶させただけです。相変わらず、わんぱくな子ですからね」


 的確に延髄へ手刀を落とした千菊は、そういって反対の腕で、意識のない葵葉を受け止めてみせる。

 どれほど反感をあらわにされようと、葵葉を見つめる千菊のまなざしは、親愛に満ちあふれていた。

青葉時雨(あおばしぐれ)』もまた、蘭雪の刀に違いはないのだ。


「ちゃんとお話をしたいので、この子は『典薬寮』へ連れ帰ります」


「御刀さまはいいのか」


「そうですねぇ。まだお目覚めになったばかりで人の身にも不慣れでしょうが、凄腕の手入れ師さんがそばにいらっしゃるようですから、大丈夫でしょう。そうですよね、九条(くじょう)一級神使?」


「……いいだろう」


 千菊の言葉を受け、桐弥はおのれの役目を心得たらしかった。


「それでは、夜道もこわいですし、そろそろおいとまします」


「あのっ、あるじさま……千菊さま!」


 鼓御前はとっさに声を張り、軽々と葵葉をかかえ上げた千菊を呼び止める。が、返ってきたのは、やさしくなだめるようなまなざしだ。


「私だって、きみと離れるのはつらいです、さびしいです。でも、また明日会えます」


「……ほんとうに?」


「もちろん。明日も、明後日も。だから、すこしだけがまんできますね?」


「……はい、がまん、できます」


 離れがたかったけれども、これ以上袖を引くことは、千菊の望むところではないと理解できた。


「いい子。じゃあ、またね」


 ことさらおだやかにほほ笑まれたなら、にぎりしめた純白の袖を、手放すほかない。


 日が落ち、夜が深まる。

 白き衣をひるがえし、闇へ身を溶けこませる青年の後ろ姿を、鼓御前はいつまでもいつまでも、見つめていた。

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