*54* 永遠の契り
長月のはじめ。
予定よりすこしばかり遅れて、御刀さまは兎鞠神社へもどった。
これよりひと月後。今後にかかわる重要な神事が執り行われる。
それに先立ち、兎鞠神社をおとずれる者があった。
「本日はおあつまりいただき、ありがとうございます」
大広間にて。鼓御前は覡と向きあう。
招集に応じたのは、葵葉、千菊、桐弥の三名だ。
鼓御前はかしこまった様子で、口をひらく。
「では、早速本題にうつりましょう。──翌月にひかえている、選定の儀について」
* * *
朱の鳥居の前で、莇はじっと神社の奥を見つめていた。
「……未練がましいな」
ははっと、乾いた笑いがもれる。
御刀さまのお付きの覡を選ぶ選定の儀が、ついに執り行われるらしい。
こうした神事は神宮寺家がになうため、近ごろは苧環が忙しそうにしている。
今日は三名の候補者がそろって呼びだされたと聞いて、気づいたら、莇は神社をおとずれていた。
「おれは、葵葉の付き添いでやってきただけ」
だれにでもなく、言い訳をする。
お付きの覡として、最有力候補は千菊だ。
だが、桐弥は『奉納祭』での神楽の功績があり、近々九条家当主へ就任する。
葵葉も覡としては経験が浅いが、『鬼』を滅するために一役買った。
だれが選ばれたとしても、おかしくはない。
(もし葵葉が選ばれたら……おれは、ちゃんと祝福をしてやれるだろうか)
莇は、腰帯に差した短刀──此葉にふれる。
葵葉に『返した』つもりだったが、あの一件後、ふたたび莇のもとへもどってきた。
「おまえが持ってろ。だいじにしろよな」と、葵葉に手渡されて。
葵葉はじぶんを信頼してくれている。
莇だって、葵葉のことを信頼している。
親友だと、思っている。
だからこそ、こころから友を祝福できないじぶんが、嫌になって仕方ない。
「たとえ、お付きの覡になれなくても……」
莇はぐっと頬肉を噛み、言葉を飲み込む。
こみ上げる想いには、ふたをしてしまおう。
大丈夫だ。辛抱することは、得意なのだから。
「……莇!」
鳥居に背を向け、歩きだしたときだった。
呼び声があり、莇はふり返る。
見れば、ひなが息を切らして駆け寄ってくるところだった。
「姉上? どうされたのですか」
「こんなところにいたのね。さがしましたよ!」
「はい?」
「もう、聞いてないの?」
ひなは焦れた様子で、莇の袖を引く。
「さぁ早く。鼓御前さまがあなたをお呼びよ!」
「…………えっ」
* * *
いったいどういうことだ。
わけがわからない。
ひなに腕を引かれるまま、莇は神社の大広間へ通される。
そこで、信じられない光景を目にした。
「そっちはだめです、あーっ! 莇さんいいところに! つかまえてくださーいっ!」
「え……」
障子を開けるやいなや、鼓御前の悲鳴がひびきわたった。
それから、なにやらガサガサと俊敏な動きをするものが、こちらへ突進してくることに気づき。
「こう、ですか!?」
莇はとっさにかがみ込み、『それ』を両手でつかむ。
「さすが莇さんです! うわーん、よかったですー!」
「えぇっと……」
安堵から号泣している鼓御前。
よくわからない莇は、両手で捕獲した『それ』に視線を落とす。
「…………亀?」
甲羅の色は黒。手のひらよりすこし大きいサイズだ。
一見して亀に見えるが、それはただの亀ではなかった。なぜなら、にょろにょろと動く蛇のしっぽを持っていたのである。
「玄武の玄丸ちゃんです!」
「玄武……といいますと、四神の?」
「はい。厳密には四神を模して、わたしの神気から生みだした眷属なのですが、お札から逃げだしてしまって……」
涙目の鼓御前が、うしろをふり返る。
「おい、いいこにしろよ……いって!」
「シャー!」
あるところでは、縞もようの白猫に、葵葉が手の甲を引っ掻かれており。
「コケーッ! コケーッ!」
「やかましい! この鳥畜生!」
あるところでは、にわとりのようにけたたましく鳴く赤い孔雀が、桐弥に叱りつけられており。
「にぎやかですねぇ」
あるところでは、ほほ笑みを浮かべた千菊のまわりを、青い竜のようなもの(さほど大きくはない)がふよふよと飛んでおり。
「これぞまさしく、カオスってやつね」
「と、虎尾先生! いらしたのですか!?」
しまいにはどこからか現れた虎尾に、莇は度肝を抜かれる。
「当然よ。つづちゃんに結界の張り方を教えたのは、アタシだもの」
「結界……ですか?」
「まぁとにかく、お座りなさいな。あ、亀ちゃんは逃げないように、そこにひっくり返しておいて」
どうしよう、なにひとつ理解できないのだが。
莇は人知れず、泣きたくなった。
* * *
畳にひっくり返った黒い亀が、ぐらぐらと揺れている。
その横で、莇は座布団に腰を落ち着けていた。
内心は、落ち着くはずもなかったが。
東の青龍。
南の朱雀。
西の白虎。
北の玄武。
四方を守護する神。これらを総じて、四神という。
「わたしはこの島の神刀です。みなさんを守るためになにができるか、考えていました」
「それで、結界を……?」
「はい。島全域に結界を張るのは大変だと母さまがおっしゃっていたので、わたしがかわりにやろうかと思いまして!」
「広範囲の結界を維持するのは、ひと苦労なのよ。妖力ゴッソリ持ってかれちゃうわけ。さすがのアタシもひと月はもたないわ」
「はぁ……」
つまり、東西南北を守護するとされる四神を参考に、鼓御前が生みだした眷属。それがこの黒い亀ということなのだろう。
ちなみに青い竜は青丸ちゃん。赤い孔雀は朱丸ちゃん。縞もようの白猫は白丸ちゃんというらしい。わかりやすい。
「これでもし〝慰〟が出現しても、ビビビッと感じとった四丸ちゃんたちが、どこにいるかすぐに教えてくれます!」
意気揚々と説明をする鼓御前だが、そこで急にしょんぼりと肩を落とす。
「ただ、ごらんのとおりやんちゃさんでして……みなさまに、お世話をおねがいしたいのです」
鼓御前は申し訳なさそうに、みなに短冊状の札を配ってまわる。真っ白な札だ。
鼓御前がためしにその札をかざすと、淡い光とともに、ひっくり返った玄丸が消える。そしてまっさらだった札に、黒い亀の水彩画が現れた。
「あるじさまに青丸ちゃん、父さまに朱丸ちゃん、葵葉に白丸ちゃん、そして莇さんに玄丸ちゃんをおねがいしたいと思っています。引き受けてくださいますか?」
「そういうことでしたら。かしこまりました」
「よかった! ありがとうございます!」
莇がうなずくと、鼓御前がほっと胸をなでおろした。
とここで、莇はふと疑問に思う。
「ところで、これだけの結界を張っても、鼓御前さまはなんともないのですか?」
「ご心配にはおよびませんわ。この結界の維持は、わたしの神気だけでなく、みなさまの霊力もお借りしていますから」
「そうなのですね。…………うん?」
うっかり納得しかけて、莇は思考停止する。
そんな莇をよそに、鼓御前はにこにこと続ける。
「ここにいるみなさまとは契りをかわしていますので、神気と霊力がなじみやすいのです。より絆を深めていけば、四丸ちゃんたちも立派に成長していくと思います」
「あの、鼓御前さま……」
「そういうわけで、これからもいっしょに、わたしとこの島を守りましょうね!」
「その……おれも、いっしょに……?」
恐る恐る、莇は挙手をする。
鼓御前はきょとんとして、
「あら? 苧環さまにおつたえしていたのですが、お聞きになっていませんか?」
と首をかしげた。
ふるふる、と首を横にふる莇。
「ならばお教えしましょう」と、鼓御前はにっこり。
「わたしのお付きの覡さまは、葵葉、千菊さま、桐弥さま、莇さん。みなさまにおねがいします」
──なにを言われたのか、すぐにわからず。
呆然としたのち、莇はふるえる手で、自身の口を覆う。
「おれが……鼓御前さまの、覡に……?」
「あっ、もちろん莇さんがお嫌でしたら、断っていただいてもけっこうですからね?」
「そんなことっ……!」
ない。あるはずがない。
たったひとり。彼女だけを求めて生きてきたのだから。けれど。
「……おれで、いいんですか」
「莇さん?」
「ほかのお三方のように、おれ自身は鼓御前さまとは縁もゆかりもございません。おれには、過ぎたお役目なのでは……」
「縁もゆかりもない? どの口が言ってんだか」
ため息まじりの葵葉の言葉が、莇の頭上にふり注ぐ。
「莇さん、お顔を上げてください」
うつむく莇の肩に、そっと華奢な手がふれる。
莇はしばしためらったのち、こわごわと視線を上げる。
そして、はっとした。
鼓御前が、やさしいまなざしでこちらを見つめていたのだ。
いや、鼓御前だけではない。葵葉も、千菊も、桐弥も、虎尾も、みな莇を見つめていた。
「ここにいるみなさんが、同じ時代に生きていること。これは運命なんです。だれかひとりでも欠けてはいけなかった」
みながこころを通わせ、力を合わせたからこそ、奇跡を起こすことができたのだ。
「ともに闘い、確信しました。葵葉、あるじさま、父さま、莇さん。わたしにはみなさんの力が必要です。刀として、みなさんの手でふるわれたいのです」
「ですから」と言葉を区切った鼓御前は、ふいにはにかむ。
「わたしはみなさん全員を選びます。よくばりかもしれませんが、ごめんなさいね。神というものは、もともとよくばりなのです」
そうだ。神のなすことは、すべてが是。
「……鼓御前、さま」
「莇さん。よろしければ、わたしの手を取っていただけますか?」
「……っ!」
どうして拒否などできようか。
莇はさしだされた手を取る。
ちいさな手だ。そのやわらかな感触は、夢ではない。
「夢じゃ、ないんだ……」
噛みしめるようにつぶやいたなら、莇はもう、我慢できなくなった。
まなじりからあふれる熱を、こらえられない。
「胸を張って、あなたのとなりにいられる……おれの意思で、あなたにふれてもいいんですね……鼓御前さまっ!」
こみ上げる感情のまま、莇は鼓御前を抱きすくめる。
「ふふ。お好きなだけふれてくださいな。わたし、ぎゅってされるの大好きなんです」
細い腕が、背中にまわる。
「──暁矢さんは、もっと甘えてもいいと思いますよ」
内緒話をするようにささやかれたら、もう。
しあわせすぎてどうにかなってしまうと、莇は思った。
* * *
木々が色づく季節。
黄昏へと向かいゆく兎鞠神社の石段に、橙の灯明がともる。
風の強い曇天のもと。
ごろごろと空がうなりはじめる。
風が吹きすさぶ境内に、苧環は立っていた。
「これより選定の儀、神前式を執り行います」
苧環の宣言とともに、笙の音が舞いあがる。
風のわななくような雅楽の音が、竜の咆哮のごとき雷鳴にかさなる。
やがて祝詞の奏上が終わり、鼓御前はゆっくりとまぶたを押し上げた。
静かな心境で、目前にある真白な綿帽子をかぞえる。ひぃ、ふぅ、みぃ、よ……と。
「それでは御刀さま──鼓御前さま」
苧環に促され、鼓御前は朱の盃をあおる。
ひとと神。
本来交わることのない彼らが、この日、えにしをむすぶ。
けっして離れることなく、ともにあることを、永遠に誓って。
その花婿は、白無垢の胸もとに葵の花の刺繍。
その花婿は、白無垢の胸もとに菊の花の刺繍。
その花婿は、白無垢の胸もとに桐の花の刺繍。
その花婿は、白無垢の胸もとに莇の花の刺繍。
ひとと刀は片時も離れず、寄り添うもの。まるで夫婦のように。
「ふつつかな刀ではありますが、これからもよろしくお願いいたしますね」
花婿たちへ向かって、鼓御前はほほ笑む。
荒れ狂う風はいつしか凪ぎ、ねずみ色の雲間から茜の光が射し込む。
恥じらうように染まった紅葉が、ひらひらと、宙を舞った。




