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*53* 強さと弱さ

 あてがわれた九条家の一室で、千菊はひざをそろえ、じっと沈黙していた。

 日暮れ前に少年たちを見送ってから、床にもつかず、一晩中祈っていた。

 未明のこと。ぱたぱたと近づく足音があり、千菊は伏せたまぶたを持ち上げる。


「失礼いたします、立花さま!」


 萌黄色の袖をふり乱し、ひなが部屋に駆け込んでくる。

 そして息も荒く、千菊にこう告げた。


「みなさまが、お帰りになりました……!」



 ──千菊は部屋を飛びだした。

 夢中で駆け、母屋の入り口へやってくる。

 そこには、すでに人影が。


「千菊センセ!」


 葵葉がいた。

 まだ朝早く、薄暗いけれども、その声を聞けばすぐにわかった。

 目をこらした千菊は、さらに人影を認める。


「遅かったじゃない! きーちゃーん!」

「帰ってきたんだからいいだろ」


 ひとの身にもどった虎尾に、がばりと抱きつかれている桐弥。


「よく、無事で……!」

「ご心配をおかけしました、姉上」


 葵葉の肩を借り、ひなに笑い返す莇。

 ほっと安堵する千菊だけれども……ひとり、足りない。


「……つづは、どこに?」


 緊張した声音で、千菊が問う。

 すると桐弥が、無言で刀をさしだしてきた。

 白鞘におさめられた、脇差だ。

 どくり。千菊の胸が跳ねる。

 恐る恐る、千菊が手を伸ばすと。


「──あるじさま!」


 千菊の指先がふれたとたん、まばゆい光とともに鼓御前がすがたを現した。

 鼓御前は両腕をめいっぱいのばし、千菊に抱きつく。


「目を覚まされたのですね! よかった……ほんとうによかったです! あるじさまぁ……ふぇえ!」

「つづ……」


 鼓御前は、よれよれの寝間着すがただった。

 もちろん彼女だけではない。葵葉も莇も桐弥も、ぼろぼろで疲労困憊していた。

 だけれど、笑っていた。

 彼らの笑顔を目にしただけで、千菊の胸に熱が込みあげる。


「……おかえりなさい。よく、がんばりましたね」


 千菊はぎゅううと、鼓御前を抱きしめた。


「あるじさまにほめていただけて、つづはうれしゅうございます」


「えへへ」とほこらしげな声が聞こえたら、もうだめだった。

 千菊の青玉の瞳から、はらりと涙がこぼれ落ちる。

 ふたりが寄り添うさまを、だれもが見守った。


「葵葉、莇さん」


 ひとしきり鼓御前と抱擁をかわした千菊が、少年たちを呼ぶ。

 ふたりがふみだすより先に、千菊が歩み寄り。


「やり遂げてくれると、信じていました。よくできました」


 のばされた右手が、葵葉、莇の頭を順番になでる。


「うん」

「はい!」


 葵葉は、くすぐったそうに。

 莇は、ほこらしそうに。

 ふたりそろって、満面の笑みを咲かせた。


「うーん、クタクタですねぇ……お風呂に入って、ふかふかのお布団で寝たいです……」


 ふわぁ……とあくびをもらしながら、鼓御前が歩きだす。

 そこで、事件が起きた。


 つんっ。


 母屋へと向かう石畳に、つまずいたのである。


「あら?」

「危ない!」


 よろめいた先にちょうど莇がいて、腕をのばしたのだが。


 がくんっ。


 思うように足の力が入らず、莇はひざから体勢をくずす。


「くっ……鼓御前さま!」


 莇はとっさに鼓御前の腕を引き、ぐっと抱き込む。

 そうして、ふたりはもつれ込んだのだが。


「あらあら」

「まぁ……!」


 虎尾が目を丸くし、ひなが口もとを手で覆った。

 お怪我はありませんか、と問おうとした莇は、はたと異変に気づく。

 仰向けに倒れ込んだじぶんの上に、鼓御前がいる。息がかかるほど、間近にいる。

 じぶんから彼女をかばって下敷きになったので、それはいい。

 問題は、なにやらふにふにとしたものが、くちびるにふれているということで。


 ……鼓御前のくちびるが、くちびるにふれている。

 それを認識した莇は、ぴしりと石像のように固まった。


「えぇ……そんな少女マンガみたいな展開ある?」


 あちゃー、と頭をかかえる葵葉。


「あっ……ご、ごめんなさい莇さん! おじゃまですよね!」


 我に返った鼓御前が、慌てて身を起こす。

 が、依然として莇は固まっており。


「……莇さん?」


 鼓御前がそうっと声をかけたところ、ようやく莇が起きあがった。


「──責任を、取らせてくださいッ!」


 それからものすごい勢いで、渾身の五体投地、いわゆる土下座をくりだす。


「えっ……えっ?」


 困惑する鼓御前。


「なんでだよ」


 素でツッコむ葵葉。


「ふざけるなよ小僧、娘はやらん!」


 耐えかねた桐弥が、叱責を飛ばす。


「申し訳ございません、おれごときがたいへん申し訳ございません、うわあああ!」


 莇が真っ赤になって身悶える。


「ぷっ…………はは!」


 そのときだった。

 千菊が、吹きだした。


「ふふっ、あははは!」


 あの千菊が、はじけんばかりの笑顔で声をひびかせている。


「このひとの笑いのツボ、どうなってんの……」

「アタシはわかる気がするわ、うふふ」


 葵葉が困惑する一方で、虎尾はにこやかに見守っている。保護者目線というやつだ。


「御刀さまー! おかえりなさいませー!」


 この状況下で、屋敷の奥から駆けてきた勇者がいた。

 九条家当主、竜胆である。


「きーちゃんもおかえり~! もぉパパ心配したよぉ~!」

「おいやめろ、なでるな!」


 厳格な当主のおもむきは、どこへやら。

 竜胆は一直線に桐弥へ駆け寄ると、息子の頭をなでくり回しはじめた。

 もちろん、だばだばと感動の涙を垂れ流しながら。


「みんながんばったねぇ、すごいねぇ! 今日はお赤飯にしてもらうよう頼んできたからね! ……ってあら?」


 そこで竜胆、ようやく気づく。

 土下座を決め込んだ莇と、それを泣きそうな顔で見つめている鼓御前に。

 極めつけには、千菊がこらえきれないように肩をふるわせているという。


「えっと……これ、どういう状況?」


 竜胆が目を点にしたことは、言うまでもない。



  *  *  *



 兎鞠島を揺るがす〝(ヤスミ)〟は、消滅した。

 覡によって速やかに事後処理が行われ、島民は数日中にふだんどおりの生活にもどる。

 これにて一件落着。

 長いようで短かった夏が、終わってゆく。


「ここをこうして、と……」


 九条家での生活も、あとわずかというころ。

 鼓御前は文机に向かって、筆を動かしていた。


「なんかちょっと違くない?」

「いえ、これで合っています」 

「姉さまがいいならいいけど」


 葵葉は鼓御前の頭にあごを乗せ、くぁ……とあくびをもらす。

 天気のいい昼下がり。最高の昼寝日和だ。


「というより、葵葉、すこし離れてください。動きづらいです!」

「えぇ、どうしようかなぁ」


 葵葉はにやりと笑いながら、これみよがしに鼓御前を後ろから抱き込む。

 きまぐれに屋敷へやってきたかと思えば、ずっとこの調子だ。

 抱きついて離れない弟に、鼓御前はそっとため息をもらす。


「姉さまさぁ、なんで机とにらめっこなんかしてんの?」

「あのですね。わたしは遊んでいるわけではなく、とても重要なことをしているのです」

「重要なこと? ファンシーな動物のお絵描きが?」

「むむむ……」


 文机の上には、短冊状の和紙が四枚ほど。

 そのうちの一枚に、鼓御前が絵の具で絵を描いていた。


「かわいい猫だねー」

「虎さんですぅ!」

「ぷはっ!」


 涙目になって抗議する姉に、葵葉は吹きだした。

 鼓御前は虎だと言い張るが、和紙に描かれたのは子猫のようなかわいらしい動物。

 縞もようがあるため、かろうじて虎と認識できる程度だ。


「ひどい……」

「ごめんごめん。意地悪してるわけじゃないんだよ? せっかく来たんだからさ、姉さまにかまってほしくて」


 口では謝りながらも、葵葉は笑みを浮かべて鼓御前にすり寄る。


「ほんとうにおまえは、甘えんぼうですね」

「そりゃあ、刀だったころにくらべたらな」


 前世(まえ)と違って、おのれの意思で行動できる。

 手をのばせば、ふれられるのだ。


「いまの俺なら、姉さまを抱きしめられる。なら、我慢する必要はないだろ?」

「もう……」


 どうにも困ったもので。

 鼓御前は刀だ。

 刀は、ひとのふところにあるもの。

 要するに鼓御前自身は、だれかに抱きしめられることを好ましく思う(たち)なのだ。

 今日も甘えたがりの弟に根負けをして、鼓御前は筆を置き、その身をあずける。


「仲良きこと、美しきかな──ってやつかしら?」


 しばらく葵葉の好きにさせていると、ひょっこり虎尾がのぞき込んできた。


「母さま? どうされました?」

「おくつろぎ中、ごめんなさいねぇ。つづちゃんにお客さまがいらしたから、呼びにきたの」


「そういうわけで」と葵葉を見やった虎尾が、にっこり。


「アタシはお茶の準備をするから、つづちゃんをお客さまのところまでおねがいね、あおちゃん」



  *  *  *



 はらり。そよ風に吹かれた木の葉が、きらめく湖面に落ち、波紋をひろげる。


「本日はお時間をいただき、まことに恐れ入ります」


『映月亭』で鼓御前をむかえたのは、神宮寺家当主、苧環であった。

 かたわらには、ひなが付き添っている。


「此度の騒動は、ひとえにわたくしの不徳のいたすところであります。……多大なるご迷惑をおかけしましたこと、こころよりお詫び申しあげます」

「おからだに障ります。お顔をお上げください、苧環さま」


 深々と頭を垂れる苧環へ、鼓御前は静かに声をかける。


「しかし……」

「お父さま」


 ひなに促され、苧環はゆっくりと上体を起こす。が、その面持ちは暗い。

 鼓御前は居住まいをただし、苧環へ問う。


「苧環さま。『真実』を知って、『鬼』のもとへ向かおうとした莇さんを、お止めになったとお聞きしました」

「…………」

「わたしは、莇さんを守ろうとしての行動であったと考えています。それなのになぜ莇さんにはつらく当たっていらしたのか、おたずねしてもよろしいですか?」


 苧環はぐっと口を閉ざしたまま、すぐには答えない。

 きっと、懸命に言葉を考えているのだろう。

 鼓御前はじっと待つ。やがて、苧環は重い口をひらいた。


「私が、強い人間ではないからです。兄ほど霊力も高くはなく、武術の才もない。それが、神宮寺苧環という人間です」


 ぽつりぽつり。

 ひた隠していた胸の内を、苧環はすこしずつ明らかにする。


「兄は強いひとでした。前だけを見ていた。おのれの使命を正しく理解し、まっとうした。その末に、若くして散った……」


 苧環の兄、鬼塚鬼灯。

 八年前に神楽を舞い、命を落とした。

 享年三十三。そんな兄の年をとうに越えて、苧環はさまざまな葛藤に見まわれていた。


「私は父より封印の役目を受け継ぎましたが、まっとうできる自信はなかった。代々守られてきた封印は、私の代で途切れるかもしれない。そう思い……息子に、冷たく接するようになりました。私自身は、逃げだすことを許されませんでしたから」

「では、もしかして……」


 苧環の言わんとすることを、ようやく鼓御前も察した。


「えぇ……理不尽な思いをすれば、嫌気がさして、逃げだすだろうと思ったのです。逃げてほしかったのに……私の思いをよそに、莇は覡となる道をえらびました」

「苧環さま……」

「おのれの子すら満足に守れず、私は……出来損ないの愚か者です」


 兎鞠島が危機に瀕したとき、苧環はひなへ、すぐさま島を出ていくよう告げたという。

 苧環はずっとむかしから、こどもたちを逃がそうとしていたのだ。

 過酷な運命が待ち受けていることを、知っていたから。

 自身が嫌われ者を演じることでしか、それを叶えることができなかった。


「封印の存在をけっして口外してはならない。お役目を放りだすこともできない。苧環さまのご心労は、並々ならぬものであったことでしょう」


 子に対する苧環の想いを聞き、鼓御前が思うことは。


「けれど、強いことがすべて正しいと、言えるのでしょうか?」

「……どういうことでしょうか」

「これは、たとえ話なのですが」


 鼓御前はひとつ断って、苧環を見つめる。


「流れ橋というものがあります。あえて橋桁(はしげた)がゆるくつくられていて、河川が増水したときに、はずれて流れていきます」


 いつだったか、本で読んだことがある。

 流れに逆らわず、せき止めないことで、河川の氾濫を防ぐ役割があると。


「どんなに強い橋でも、増水に耐えきれず、壊れてしまうことがあるでしょう。そうなれば、あふれた水に家を流されるひとも出てくる。そうならないための『ものづくりの知恵』が、流れ橋を生みだしたのですね」


 ここまで言って、鼓御前はふわりと笑みを浮かべてみせる。


「強いことが、すべて正しいとはかぎりません。あえて弱くあることが、時にはひとびとを救うこともあるのです」

「それが、逃げだすことであっても……?」

「はい。現に、お役目を放棄してでもご家族を守りたいという苧環さまの想いを知ったからこそ、莇さんはがんばれたとおっしゃっていましたよ」

「……!」


 ぴくりと、苧環が身じろぐ。予想外の言葉に、驚きを隠せないらしい。

 そこへ鼓御前は、追い討ちをかけることにした。


「苧環の花言葉には、『勝利』という意味があるのだそうですよ。ご家族を想う苧環さまのこころが、勝利を呼びよせた。わたしはそう思っています」


 このおだやかな時間は、葛藤があってこそ手に入れることができたもの。

 鼓御前は苧環へ、そうつたえる。


「……ありがたきお言葉」


 ふたたび、深々と頭を垂れる苧環。

 だが次に顔を上げたときには、憑き物がとれたような表情をしていた。

 晴れやかな、笑顔だった。



「本日はまことにありがとうございました。わたくしどもは、これにて失礼させていただきます」

「ひと足先に、父と神社にもどりますね。鼓御前さまのお帰りをお待ちすべく、はりきってお掃除いたします。近々だいじな『ご予定』がひかえていることですし!」


 苧環を支えながら、ひながはつらつと告げたときだ。

 鼓御前は「そうでした!」と思いだすことがあり。


「そのことについてなのですが、苧環さまにおつたえしたいことがあったのでした!」

「私に、ですか?」

「はい。神宮寺家のご当主さまには、いちばん関係があることですので!」


 鼓御前は苧環のもとへ歩み寄ると、ふところから札のようなものを取りだす。

 つい先ほどまで一生懸命に描いていた、猫……もとい虎の短冊絵だ。


「じつはいま、こうしたものをつくっていまして。ぜんぶで四枚あります。というのも──」


 鼓御前はうきうきとした様子で、『それ』について話しはじめる──



  *  *  *



 苧環とひなを見送るころには、小腹が空く八つ時になっていた。


「つづは人気者ですね」

「あるじさま?」


 鼓御前がひとりになった頃合いを見はからって、千菊がやってくる。


「いっしょにどうですか?」


 千菊は替えの茶と、黒蜜のかかったくずきりを手にしていた。

 おそらく虎尾に持たされたものだろう。


「はい、もちろんです!」


 鼓御前はふたつ返事でうなずく。

 きらきらと陽光を反射する湖面をながめながら、千菊とふたり。

 ひんやりとのどごしのいいくずきりをひとくち食べ、そっととなりを見る鼓御前。

 千菊は静かに茶を口にしているところだった。

 そこでふと疑問に思う。念のため九条家で療養をしていた千菊だが、そのあいだ、竜頭の面をつけたすがたを一切見ていない。


「今日も、お面はおつけになられていないのですね」

「そうですね。あれはもう、私には必要ないのかもしれません」

「必要ない……?」

「竜の角は、折れてしまいましたから」


 千菊がふり返る。

 柔和な笑みを浮かべているが、鼓御前にはどこか、それがさびしげに見えた。


「きみを守るのは、私の使命だと思っていました。私だけがなせることだと。それが、今回の私の敗因ですね」

「あるじさま……」


 千菊はたった独りで『鬼』に挑み、そして敗北した。それはまぎれもない事実であった。


「葵葉に、『あんたはひとを頼るのが下手すぎ』と言われました。ふふっ、なにも言い返せなくて、いっそ清々しいくらいです。……つづ」

「はい」

「愛しいきみのためなら、私は修羅にだってなれる。そう思っていたんです。けれど……しょせん私は、竜のふりをした人の子にすぎなかった」


 鼓御前を映す青玉の瞳が、揺れている。


「今日は、おねがいがあってきました。つづ……いいえ、鼓御前。私を、きみのお付きの覡候補からはずしてくれますか」

「……理由を、うかがっても?」

「葵葉も、莇さんも、立派になりました。きっと、私を超える強い覡になるでしょう。それなのに、きみのそばにいたいと言い張るのは、私の傲慢になります」

「…………」

「きみを守る者は……より強い覡でなければいけません」


 そういって、千菊は黙り込む。

 この手で鼓御前を守れなかったことを、千菊は酷く悔いている。


「あるじさまのお話は、わかりました」


 鼓御前はひとつうなずく。

 この数日、千菊がどれだけ悩んで、決断を下したのか。想像に難くない。

 千菊の心情を理解した上で、こう告げる。


「ですが、あるじさまのおねがいは却下、です!」


 鼓御前は両腕を交差させてバツをつくり、「ぶっぶー!」と拒否を示した。


「……はい?」


 これには千菊も、あっけにとられてしまう。


「苧環さまもそうでしたけれど……逃げるのは悪いだとか、強くないといけないだとか。男性ってなんでそうなのかしら!」


 鼓御前はぷりぷりと怒りながら、「よろしいですか、あるじさま!」と千菊へ詰め寄る。


「まさかいくさで負けなしだったから、わたしが蘭雪さまをお慕いしていたとお思いですか? ちがいます。あなたさまが見ず知らずの刀をたいせつにしてくださる、おやさしい方だったからです」


 ひとびとに愛されたからこそ、鼓御前は付喪神となった。何度でも言おう。


「あるじさまが愛してくださったから、その想いに応えたくて、わたしはここにいます。わたしはあるじさまといっしょにいたい。それ以外に理由は必要ありません」

「つづ……」

「あるじさまもそうですよね? わたし、知ってるんですから!」

「っ……そう、ですね」


 ととのった千菊の顔が、ゆがむ。


「私だって……きみと離れたく、ない……」


 どれだけそれらしい言葉を並べようと、結局は無意味。

 簡単にあきらめられるはずがないのだ。積年の想いというものは。


「こんな私でも……きみのそばにいて、いいですか?」


 千菊の声がふるえている。


「そばにいてほしいです」


 鼓御前は答える。

 飾らない言葉が、まっすぐに千菊へ届いた。


「困りました。……もう二度と、きみを離せそうにない」


 千菊は泣きそうに笑って、鼓御前を抱きしめる。ぎゅうっと、苦しいくらいだ。


「離さないで、くださいね」


 鼓御前も腕をまわし、つつみ込むぬくもりに酔いしれる。

 胸からあふれて仕方ないものが、『愛しい』という感情なのだろう。

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