*52* 夜明け
『鬼』の支配を、はねのけることができた。
そのことを実感したのか。すぅ……とひとつ呼吸をして、莇がつぶやく。
「生き返った気がする……」
「姉さまのにおい嗅いでニヤけるとか、変態だな」
「なっ、そんなつもりは! 違うんです、鼓御前さま!」
もたれかかるようにして鼓御前へ身をあずけていた莇が、ばっとからだを離した。
葵葉は、あたふたと弁明する莇を見てにやり。確信犯だ。
鼓御前も「わかっていますよ」と、くすくす笑みをもらした。
「緊張感が足りん、小僧ども。まったく……まぁ現状として、たしかに瘴気は薄れている」
「天の周辺にかぎる話ではあるがな」と桐弥に指摘され、鼓御前もあらためて気づいた。
瘴気に満たされた神域において、先ほどより段違いに呼吸がしやすくなっているのだ。
「神気がみなぎる感じがします。これも、あらたな契りをむすんだからなのでしょう」
ひとに信仰されるほど、神は力を増してゆく。
鼓御前が莇を見やると、力強いうなずきが返ってきた。
莇はひと呼吸を置き、口をひらく。
「慰んだ太刀の封印は、神宮寺家がおこなっておりました。しかし、数年前から父の病状が悪化し、封印が弱まってしまった」
「その瘴気に誘われてやってきたのが、『墓荒らしの鬼』というわけですね」
「鼓御前さまのおっしゃるとおりです。そして怨霊と祟り神。どちらの格が上かとなれば、あえて問うまでもございません」
依然として暗い境内。鼓御前たちは気を引きしめ、瘴気の出どころをたどった。
つまり、この場においてもっとも濃い瘴気を発する存在──鼓御前とよく似た容姿の少女が、すべての元凶ということ。
「どうして……? 天鼓丸はわたしです。わたしのほうが、たいせつにされてきたのに……」
「くどいぞ」
悲壮をあらわにする天鼓丸の言葉を、桐弥は一蹴する。
「言ったろう。おまえは封印されていたのだと。たいせつに守られていたんじゃない。その邪気を外部にもらさないよう、閉じ込められていたんだ」
「お黙りなさい!」
空気がゆれる。
「みんな嫌い……わたしを好きにならない者たちは、みんな消してください、お父さま!」
天鼓丸は耳をふさぎ、わめいていた。
……シュウウ。ふたたび、濃密な瘴気が渦巻く。
やがて、黒いもやが人型を成した。
「穢れの核は、壊したはずなんだけど」
「アレはおそらく、瘴気の残滓」
葵葉と莇が、瞬時に鼓御前をかばう。
「怨念の残りかすを掻きあつめて、無理やりつなぎあわせている。……鬼畜の所業だな」
冷静に状況を見定めた桐弥が、吐き捨てる。
天鼓丸の行為は、亡者を無理やり現世へとどめるもの。
生命の理をねじ曲げることと同義だ。
「これじゃあ、成仏するもんも成仏できないな。さてと。ここからはおまえの仕事だ、莇」
「あぁ」
葵葉は多くを言わなかったが、莇はその意図を汲み取っていた。
「『鬼』を滅することは、数百年の時をへて受け継がれる、わが一族の悲願」
莇が一歩、歩みでる。
「この悲しき因果を断ち切るため、力をお貸しください、御刀さま」
「来ないで……来ないでったら!」
天鼓丸が激しく頭をふりながら、後ずさる。
このときすでに、莇は礼をしていた。腰が直角になるほど、深く、深く。
「諸々の禍事、罪穢を祓え給ひ、清め給え。神ながら守り給い、幸え給え」
──ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。
淀んだ空気を払うように、四拍手が鳴りひびく。
「畏み畏みをも白す──鼓御前」
凛とした祝詞に、鼓御前のこころは澄みわたった。
「──是」
からだの芯から、熱が込みあがる。
神気が、わきあがる。
「この鼓御前が、承りましょうや」
高鳴る鼓動のままに、応えたなら。
ぱぁあ──……目もくらむほどのまばゆい光が、鼓御前をつつみ込む。
「姉さま……」
葵葉は言葉も忘れ、その光景に魅入る。
「おまえはやっぱり、僕の最高の刀だ……天」
紫水晶のまなざしに感動をにじませながら、桐弥は感嘆する。
あたりを真っ白に埋めつくした光が終息するころ、長い黒の艶髪がなびく。
色とりどりの十二単をまとった少女が、ふわりと莇のかたわらへ降り立った。
莇の手には、目にも鮮やかな朱漆塗りの鞘におさまった脇差が。
鼓御前は紫水晶の瞳で、天鼓丸の紅水晶の瞳を捉える。
「これは、神と神の闘いです」
「焼けて削られたあなたなんかが、わたしに敵うわけがないでしょう!? わたしのほうが完璧なの、わたしのほうが美しいの!」
まるでこどもの癇癪だ。
「表面的な美しさだけが、刀の価値を決めるのではありません」
天鼓丸が声を荒らげる一方で、鼓御前の声音は静かなものだ。
「たとえ疵モノになり、すり減ったとしても、それはわたしの物語の一部。千年もの歴史を、こうしてつたえられてきたあかしなのです」
そう──ひとびとに愛されたからこそ、鼓御前は付喪神となった。
「愛すべきひとの子を守るため、わたしを愛してくれるみなの想いに応えるため、わたしは邪を祓う刃となります」
鼓御前は胸の前で両手を組み、祈りを捧げる。
「わが力をやどすひとの子よ、常闇を打ち払う一矢となれ」
「──御心のままに」
莇は左手を脇差に添え、まぶたを閉じる。
しばし流れる静寂。
──びり。
朱色の鞘におさまった脇差が、にわかに電流をおびる。
ばちばちと、莇の周囲が白く明滅し。
「させるものですか……死になさい! 消えてなくなれ、なにもかも!」
『グ……ウァアア!』
──ぼうっ!
天鼓丸の叫びとともに、赤黒い炎が燃えあがる。禍々しい嫉妬の炎だ。
炎に巻かれた実態のない『鬼』が、うめき声をあげながら突進してくる。
がむしゃらに刀をふり回す太刀筋は、でたらめだ。
けれども、莇のこころは凪いでいた。
風の吹かない空間で、ふいに浅葱の裾がはためく。
「いざ──参る」
親指で鍔を押しだした直後。
刹那のうちに、莇は刀を抜き払っていた。
火花が散り、閃光がはしる。
──ばりばりばりぃっ!
暗闇に支配された空を、雷鳴が引き裂く。
衝突する炎と雷。
赤黒い炎を、金色の稲妻がからめ取る。
『グゥ……!』
ほとばしる電流に阻まれ、『鬼』のくりだした斬撃は、あと一歩届かない。
目前にせまる太刀のきっさきを、莇はひらりとかわす。
『鬼』の背後で、憎悪に顔を歪ませる少女を捉えて。
「おのれ……呪われた忌み子のくせに!」
「これは呪いじゃない」
どんな逆境にも屈さず、闘い抜いてきたあかし。
「この身に恥じることなど、なにひとつない」
血走る紅水晶の瞳を見据え、莇は告げる。
「──竜の怒りを知れ」
澄んだ漆黒の刃が、天鼓丸の心臓を捉え。
──ギシャアアアッ!
からまりあう稲妻が、金色の竜となる。
猛りたつ竜が、闇をゆるがす咆哮を轟かせる。
「……うそ、でしょう……」
呆然と天鼓丸がつぶやくころ。
漆黒のきっさきが、深々と心臓をつらぬいていた。
──ぱ、きり。
少女の体内にやどる禍々しい穢れの塊が、ひび割れ、粉々に砕け散った。
* * *
うねる金色の竜が、天空の彼方へ消え去る。
「やったな、あざ──」
莇のもとへ駆け寄ろうとした葵葉は、はっとする。
「いいや……まだだ」
正面を見つめる莇のまなざしは、いまだ険しい。
「どうして……? わたしは、刀なのに……わたしだって、刀なのに……どうしてお姉さまばかり!」
莇の目前には、地面にひざをついた天鼓丸のすがたがあった。
ぜぇぜぇと、呼吸が荒い。土を引っ掻く指先が黒く変色し、煙のように薄れてゆく。
穢れの『核』を破壊したのだ。天鼓丸が消滅するのも、時間の問題ではあったが。
「どうしてわたしは愛されないの……ねぇ、答えてください、お父さま……!」
悲痛な声で、天鼓丸が父を呼ぶ。
ぽろぽろと涙を流す紅水晶のまなざしの先で、シュウウ……と黒いもやがゆらめいた。
『……てん、コ、まル……』
「『鬼』のやつ、まだ自我があるのか」
身がまえる葵葉。
だが、その横からすっと制する手がある。
「僕が行く」
「九条センパイ──」
桐弥は、なにか固くこころに決めたような面持ちをしていた。
「……父さま」
鼓御前も固唾を飲み、行く末を見守る。
ざっ、ざっ。
草履で玉砂利をふみしめながら、桐弥は『鬼』のもとへ歩み寄る。
「蘇芳、聞きたいことがある。紫榮が死んだあと、天を連れ去ったのは、あんたか」
『…………』
「正直に、答えてくれ」
咎めるのではなく。
桐弥の問いには、真実を求める切実なひびきがあった。
『…………そウ、だ』
かろうじて人型をとどめている『鬼』が、答えた。
『おまえが、妬まシくて……わたシが、持ち帰っタ』
そうして『鬼』は、ぽつりぽつりと語りはじめる。
──九条蘇芳は、優秀な刀鍛冶だった。
三条宗近の弟子のなかでも、将来を期待されているほどの腕前だった。
紫榮が、現れるまでは。
すこし教わっただけで、紫榮はめきめきと腕を上げていった。
まさに、天才といえるほど。
弟弟子に遅れを取るわけにはいかない。蘇芳は焦りはじめた。
焦るほど、うまく刀が打てなくなっていった。
思うようにいかない苛立ちから、紫榮につらく当たるようにもなった。
理不尽ともいえる蘇芳の言動を、紫榮はただ、黙って受け入れていた。
そんなある日。
蘇芳は、紫榮が暮らす山小屋をおとずれた。
病にかかったと、風のうわさで聞いたためだ。
そこで蘇芳は、すでに事切れた紫榮のすがたを目の当たりにする。
それと同時に、紫榮が後生だいじにかかえている、太刀の存在も。
太刀を鞘から抜いた瞬間、蘇芳は衝撃を受けた。
雷に撃たれたかのようだった。
言葉を失うほど、美しい刀だった。
──やはり九条紫榮は、天才だ。
とたん、蘇芳の胸にさまざまな感情があふれる。
それは嫉妬であり、悔しさであり……感動だった。
そう、蘇芳は感動していたのだ。
すばらしい刀と出会えたことに、喜びをおぼえていた。
──悔しい……悔しい。
兄弟子なのに。
お手本にならなければならないのに。
蘇芳はじぶんが情けなくて、たまらなかった。
なにより、悔しかった。
すばらしいこの刀が……紫榮の才能が、人知れず忘れ去られてしまうことが。
蘇芳は『天鼓丸』と銘を切られた太刀を、ひそかに持ち帰った。
その太刀をかたわらに置き、刀を打ちはじめた。
寝食も忘れ、一心不乱に刀を打ち続ける。
そうして仕上がった最もすばらしい出来の太刀に、銘を切った。
『天鼓丸 写し』──と。
その太刀は、蘇芳がこれまで打った刀のなかで、いっとう美しいものだった。
だが、それから間もなく。
流行り病の蔓延により、京のまちは治安が悪化。
屋敷に賊が押し入り、蘇芳は殺されてしまった。
なんと口惜しいことか。
死の間際、賊がふた振りの刀を持ち去る光景を目の当たりにした蘇芳は、怒りと憎しみに見まわれた。
──その刀は、私の……私たちの、たいせつな刀なのに。
そうして蘇芳の魂は怨念をやどし、怨霊となったのだ。
『あぁ……そう、ダ。天鼓丸は、わたシが打った刀じゃ、ない……』
遠い記憶をさぐり当てるように、『鬼』がつぶやく。
『……守らねばと、思っていタ、はずなのに……憎しみに囚われて、おのれヲ、見失って、しまった……』
──人間どもに、復讐を。
怨念に支配された蘇芳の魂は、壊れてしまった。
ひとであったころの記憶が剥がれ落ち、罪のないひとびとを襲う、『鬼』となり果ててしまったのだ。
それこそが、千年にもおよぶ悲しき因果の真相。
「……待って、ください」
か細い少女の声が、ひびく。
「それならわたしは……天鼓丸を真似て作られた刀……贋作ということではないですか!」
手のひらで顔を覆い、わっと泣きだす天鼓丸。
「酷い……わたしはいったい、なんのために生まれてきたの……」
『鬼』は答えない。悲痛な泣き声が、薄暗闇にこだまするばかりで。
「おまえは僕の刀じゃない」
淡々とした桐弥の言葉が、うなだれる天鼓丸の頭上にふりそそぐ。
「だが、九条蘇芳という刀鍛冶が打った刀だ。正真正銘、蘇芳の意思によって打たれた娘だ」
「…………え?」
はたと、天鼓丸が顔をあげる。
「同じ師を持つのだから、作風が似ることもあるだろう。そのなかでも、僕の天鼓丸に思うところがあって蘇芳が刀を打ったというのなら、それは盗作でもなんでもない」
桐弥は紫水晶の瞳で、揺れる紅水晶の瞳を見つめる。
「おまえの刀身は、僕の刀にはない華やかな丁字乱れの刃文がある。……炎のように」
桐弥の声音は、抑揚に乏しいけれど。
その語尾は、わずかにふるえていた。
「名刀そっくりに刀を打つこともまた、刀鍛冶の技量。蘇芳は天鼓丸を真似て、じぶんなりに昇華してみせた。写しは贋作じゃない。おまえは……九条蘇芳が打った最高の刀だ」
そこまでいって、桐弥は視線をもどす。
「……僕は口下手だから、誤解させてしまっていたと思う。だから、いまここでつたえさせてくれ」
そして今度こそ、『鬼』と──いや、蘇芳と向き合うのだ。
「僕には、あんたほど華やかな刀は打てない。あんたはまぎれもなく、名匠だよ。天鼓丸を守ろうとしてくれて、ありがとう……兄さん」
『……あぁッ……!』
桐弥の言葉を受けて、蘇芳を取り巻く黒いもやが霧散する。
やがて、ひとりの刀匠へとすがたを変えた。
『すまなかった、紫榮……すまない』
桐弥は答えない。
紫水晶の瞳をゆらめかせ、ぐっとくちびるを噛みしめることしかできなくて。
だから謝罪をくり返す蘇芳へ、ふるふると、かぶりをふった。もう、いいのだと。
そのとき、桐弥を見上げる蘇芳が、かすかに笑んだ気がした。
『ほんとうに、すまなかった……紅』
はっと、天鼓丸が身じろぐ。
それはきっと、蘇芳にとってかわいい娘の名。
「……わたしのほうこそ、申し訳ありませんでした」
蘇芳はうなずく。
そしてかたわらに落ちた太刀をひろいあげ、地面に座ったまま背すじを正す。
「父に愛されていたのなら……わたしはもう、それだけでいい」
ぽつりとつぶやいた少女は、蘇芳の背に近寄ると、細腕をまわしてぴたりと密着した。
「……兄さん」
「まさか……」
桐弥と鼓御前が、そろって瞳を見ひらく。
彼らがなにをしようとしているのか、悟ったためだ。
「ここは、わたくしが」
いち早く行動したのは、莇だった。
静かな足取りで蘇芳らのもとへ歩み寄り、その背後に立つ。
すらりと、脇差をたずさえたまま。
『もう……思い残すことはない』
最期に言葉をのこし、蘇芳は太刀のきっさきを、おのれの腹に突き立てた。
「意地悪をして、ごめんなさい。さようなら……お姉さま」
少女はまぶたを閉じ、父を抱きしめる。
ずぷり、と蘇芳が太刀を深く突き入れた直後。
莇が脇差をふるい、蘇芳の首を落とした。
蘇芳の首が地面に打ちつけられることはない。
砂がくずれるように、さらさらと舞いあがる。
「……どうか、安らかに」
莇はじっと祈りを捧げたのち、まぶたをひらく。
父娘のすがたは、跡形もなく消え去っていた。
「……終わったな」
葵葉がつぶやく。
闇につつまれた空間が、ほろほろと消えゆく。
次にまばたきをするころには、ひとすじの光が薄暗い境内に射し込んだ。
朝陽がのぼる。夜明けだ。
「みなさん、ありがとうござ──」
「天!」
鼓御前がよろめき、とっさに桐弥が抱きとめる。
「ごめんなさい……ちょっと、疲れちゃいました」
「大丈夫です、鼓御前さま。おれもです」
「自信満々に言うな」
たしかに、莇の足もともおぼつかなかった。
葵葉はため息をつきつつ、莇に肩を貸す。
「はやく……帰りたいです」
鼓御前は気丈にふるまおうとしていたが、声がふるえていた。
みなのことが恋しいのだろう。
桐弥はすすり泣く鼓御前を抱きあげ、頭をなでる。
葵葉も莇と顔を見合わせ、うなずいた。
「そうだな。帰るか。みんなのところに」




