*50* 真と影
「きーちゃあん……」
桐弥が九条家にもどると、一匹の狐がぺたりと倒れ込んでいる場面に遭遇した。
「妖力すっからかんよぉ……アタシもう、クッタクタぁ……」
力を使いはたして、ひとのすがたを取ることができなくなっているのだろう。
桐弥は「ふ……」と口もとをゆるませ、畳に転がった虎尾を抱きあげる。
「上出来だ」
「あら……なんできーちゃんがドヤ顔してるの?」
「べつに。それだけおしゃべりできるなら問題ないな」
「んもぉ、すぐそういうこと言う~」
言葉のわりには、ふさふさの毛並みをなでる桐弥の手つきはやさしい。
虎尾もきもちよさそうに目を細めて、すり寄った。
「ふぅ……なんとか、なりました」
「やればできるものだなぁ」
畳に座り込んだふゆと紫陽が、疲労をにじませながらも、笑みを浮かべて見上げてくる。
達成感に満ちた表情のふたりに見守られ、葵葉は部屋の奥へ歩みを進める。
「……立花センセ」
千菊は、相変わらず布団に横たわっていたけれど。
伏せられたまつげがふるえ、ゆっくりとまぶたが持ち上がる。
「……あおば……」
青玉の瞳がぼんやりとさまよった末、葵葉を映した。
「……よかった……あるじっ!」
熱いものが、葵葉の胸にあふれる。
名を呼ばれることは、こんなにも喜ばしいのだと。
* * *
千菊のからだを蝕む瘴気は、虎尾によって祓われた。
ふゆと紫陽の治療の甲斐もあり、致命傷もほぼふさがっている。
この様子ならば、傷痕も残らないだろう。驚異的な回復である。
ただし、依然として霊力は不足しており、安静が必要な状態だ。
「……そうですか。つづと、莇さんが」
布団から起き上がった千菊は、自身の手もとへ視線を落とす。
千菊の両手には、葵葉から手渡された短刀がおさまっている。
「刀をにぎれない者は不要だって、あんたは言ってたよな」
「えぇ」
「それが、腑抜けた俺を無駄死にさせないための言葉だったって、いまならわかる。その言葉がいま、あんた自身の首を締めてることも」
あのとき千菊に厳しく突き放されなければ、葵葉は生半可な覚悟で『鬼』と闘って、いまごろ死んでいただろう。
そして葵葉を救った言葉は、千菊にとっては枷のように重くのしかかる。
「俺さ、あんたのこと尊敬してるよ。いくさは負けなし。歴史に名前が残るほどのことを成し遂げた、すごいひとだって思う」
「でもさ」と言葉を区切った葵葉は、千菊を見つめる。澄んだ常磐色の瞳で、まっすぐに。
「あんたは俺たちに無理はするなって言うけど、あんた自身は無理するじゃん。だれより強くて、頭もよくて、なんでもできたから、あんたを助けられるひとがいなかったんだろうな」
じっと沈黙する千菊。彼はいま、きっと苦しんでいる。過去と現在。その狭間で。
だから葵葉は、どうしてもつたえたいことがある。
「ここは戦乱の世じゃない。だれかを疑る必要も、あんただけが身を削る必要なんてない。いまのあんたは兵をひきいる将じゃなくて、学校の先生なんだから。そうだろ? ──千菊センセ」
「……!」
瞳に丸みをおびさせた千菊が、顔を上げる。
あぁ、ようやく向き合えた気がする。
「たとえ刀をにぎれなくても、その想いさえあれば、俺たちのこころはつながる。だから信じて、待っててほしい」
短刀にふれた千菊の手へ、葵葉は自身の手をかさねる。
「安心しなよ。千菊センセにビシバシ鍛えられた俺たちは、そう簡単にやられやしないから」
「強くなりましたね……葵葉」
莇が葵葉に託した短刀──此葉。
青葉時雨のかけらをあつめて打ち直した刀。
この刀にふたたび付喪神がやどらなかったのは、必然だった。
葵葉の魂は、ここに在ったのだから。
「話はそのあたりでいいか」
頃合いを見はからったように、狐をかかえた桐弥が部屋に入ってくる。
「たったいま、『典薬寮』から至急の連絡があった。兎鞠神社を中心に、広範囲の瘴気反応が確認されたとのことだ」
「広範囲の? それだけ力を増してる〝慰〟といえば、十中八九『鬼』だな」
「戦闘可能な覡は、全員出動要請が出た。僕はこれから神社に向かう」
「了解。俺もいつでも行けるぜ」
「アタシたちはお留守番よ、立花センセ」
虎尾は桐弥の腕を飛び下りると、ふさふさのしっぽをゆらしながら、とてとてと布団のそばまでやってくる。
つぶらな唐茶色の瞳に見上げられ、千菊はふと葵葉へ視線を移した。
「葵葉。つづと、莇さんといっしょに……かならず、みんなで帰ってきて」
さしだされる短刀。
祈るような言葉を前にして、葵葉は短刀ごと、千菊の手をぎゅっとにぎり返す。
「まかせろ」
* * *
瘴気がうごめく薄暗い空間は、昼か夜かもわからない。
「そんなにしかめっ面をしていては、人形のように可愛い顔が台なしだな」
「お人形にも、魂はやどりますもの」
「まだ達者な口を聞けるほどの余裕はあるようだ」
鼓御前は、ちいさくくちびるを噛む。
莇のすがたをした『鬼』に指摘されたとおり。
鼓御前には、口を聞けるほどの余裕しか残されていなかった。
禍々しい気に支配された神社の自室で、鼓御前は寝間着から純白の振り袖に着替えさせられていた。
鏡越しに『鬼』と視線が合うのも不快で、姿見から目をそらし、壁を睨みつける。
そんな鼓御前の黒い艶髪を、『鬼』はつげ櫛でさらさらと梳いていた。
「すこし物足りないな……ふむ」
考えるような間があり、『鬼』の手のひらにシュルシュルと瘴気が渦巻く。
やがて出現した真紅の椿を、『鬼』は鼓御前の髪に挿した。
「あぁ、やはりおまえは美しい……」
「……っ」
そっぽを向く鼓御前の前へ、『鬼』が回り込む。
莇の容姿でうっとりとした笑みを向けられ、鼓御前はうろたえた。
なにを思ってのことか。『鬼』は鼓御前に甲斐甲斐しく世話を焼きたがった。
されるがままでいたのは、そうするほかなかったためだ。
(だめ……手足が、思うように動かなくなっている)
『鬼』が発する濃密な瘴気は、鼓御前のからだをじわじわと蝕んだ。
だが『鬼』は、鼓御前の自由を奪いつつも、精神までも支配するつもりはないようだった。
まるで、会話を楽しむかのように。
「あなたの望みは……なんですか」
「そう怖い顔をするな。簡単なことだ。おまえが『真実』を知ること」
「『真実』……?」
「そうだ。おまえのほんとうの父が、私であるということだ」
「……意味がわかりません。わたしの父は、九条紫榮さまのほかにおりません」
「強情な娘だな……」
「っあ……!」
ぶわり。
瘴気がふくれ上がり、鼓御前は息ができなくなる。
「あぁ私としたことが。少々取り乱した。怖がらせてすまないな……わが愛しの娘よ」
『鬼』はくたりと脱力する鼓御前を抱きとめ、だいじそうにかかえ込む。
「あなたが、わたしの父だなんて……どういう、ことですか」
「言葉のとおりだ。天鼓丸、おまえを生みだしたのはこの私、九条蘇芳だ」
「くじょう、すおう……」
たしか紫榮には、兄弟子がいたはずだ。つまり蘇芳は紫榮と同じく三条宗近を師と仰ぐ、刀匠だということ。
(……わからない……)
紫榮は「兄弟子に嫌われている」と話していたけれど。
蘇芳について、鼓御前自身はなにも思いだすことができなかった。
記憶をたどろうとすれば、ツキンとこめかみが痛むのだ。
「紫榮が……あの男が、私からおまえを奪ったんだ。あぁ憎い……憎い憎い憎い!」
「うっ……あぁっ……!」
『鬼』──蘇芳が憤慨。瘴気が鼓御前にからみつく。
どす黒い荒波に、意識までも飲み込まれそうになった刹那。
「まぁ。お姉さまばかりにかまって、さびしいですわ、お父さま」
くすくす、くすくす。
可笑しげな声とともに、少女の声がひびいた。
「……あなた、は……」
かすむ視界で、鼓御前がどうにか捉えたものは。
「はじめまして。わたしは天鼓丸といいます」
──おのれと瓜ふたつの顔でほほ笑む、少女のすがただった。
「ふふ、混乱なさるのも無理はないですわ。けれど、わたしたちがおなじ銘を持つことも、なんら不自然ではないこと」
鼓御前とおなじ顔立ち。おなじ黒の艶髪。
ただひとつだけ異なる紅水晶の瞳を細めて、少女は笑うのだ。
「なぜなら、真なる天鼓丸はわたし。あなたは影なんですもの」
* * *
刀鍛冶が打つ刀は、ひと振りではない。
何振りもの刀を打ち、とくにすばらしい出来のものを納めるのだ。
これを真打ち、それ以外の刀を影打ちという。
「おなじく九条蘇芳さまが打たれたという点では、わたしたちは姉妹にちがいありませんわ」
少女──天鼓丸がほほ笑む。
「まぁ……あなたはわたしの影。言うなれば出来損ないなのですけどね。可哀想なお姉さま」
天鼓丸は吐息を吹き込むように、耳もとでささやく。
「……出来、損ない……」
鼓御前は、頭が真っ白になった。
「それでも、お父さまは慈悲深いお方ですからね。不届き者にかどわかされてしまったお姉さまを、ずっとさがしておられたのですよ」
「そうだ……それだのに、人間風情が私の邪魔を。だから呪ってやったのだ。忌々しい痣をしるしにな!」
ぎりり、と奥歯をきしませる蘇芳。
一方で、くすくすと笑みをもらす天鼓丸。
彼らを、鼓御前はぼんやりと見つめていた。
「紫榮は私からおまえを奪い、じぶんの手柄にした。私は私の刀を取りもどそうとしただけだ。奪ったのは紫榮だ、愚かな人間どもだ!」
蘇芳が叫ぶ。
その憎悪に呼応して、闇が揺れた。
「ひとときでも、人間にもてはやされてしまったから、いい気分になってしまったのですね。ほんとうに可哀想なお姉さま……でも、思いだしてくださいな」
天鼓丸は鼓御前の肩に手を置くと、美しい笑みで告げる。
「あなたはほこりっぽい蔵に閉じ込められて、わたしは神社の奥で、結界に守られながら数百年もの時をすごしたのです。どちらが優れているのかなんて、もうおわかりですよね?」
つまり、取るに足りない存在なのだと、鼓御前に知らしめたいのだ。
(わたしは、天鼓丸の出来損ない……)
……頭が痛い。
(そう……わたしは無知で、いろんな方に迷惑をかけて……)
知らないうちに、みなにどれだけの苦労をかけさせてしまっただろう。
悩み、後悔したこともある。
ひとの醜さに、恐怖したことだって。
(……だけど)
──姉さま。
──つづ。
──天。
──つづちゃん。
これだけは。
──鼓御前さま。
これだけは、忘れることはできない。
──おれが鼓御前さまを傷つけることはありません。ぜったいに。
名を呼ぶ声が、見つめるまなざしが、純粋なものだったこと。
彼らとともにすごした日々が、かけがえのない想い出であること。
「……いで…………さい……」
「なんですって?」
「……これ以上、侮辱しないでください」
だからこそ鼓御前は、声をあげる。
「みなさんとこころを通わせた日々は、無駄ではなかった」
おのれが出来損ないだとするなら。
『天鼓丸』の呪縛から、いまこそ解き放たれるとき。
「わが名は鼓御前! 天に誓う。このこころが折れることは、けっしてないと!」
覚悟をやどした声が、ひびきわたる。
そのとき。
──ばりばりばりぃっ!
ひとすじの稲妻が、闇を引き裂いた。
「っ……これは……!」
天鼓丸が飛びのく。
鼓御前の周囲には、ばりばりと、電流がほとばしっており。
「姉さまっ!」
「無事か、天!」
裂けた空間から、ふたつの人影が飛び込んだ。
「よかった……信じて、いましたよ」
葵葉と桐弥。
ふたりが駆け寄るさまを目にして、鼓御前はふっと、安心感から脱力した。
「天!」
すぐさま桐弥が抱きとめる。
「神気の消費が激しい。原因は……」
さっと鼓御前の容態を確認する桐弥。
すぐに、鼓御前の黒髪をいろどる真紅の椿に気づいた。
「ふざけたことを」
桐弥は怒りのまま、椿をにぎりつぶす。
ぐしゃ、と音を立てた真紅の花弁が、煙のように消え去った。
と同時に、鼓御前が身につけていた純白の振り袖もほろほろと消え、あとには寝間着が残されるだけ。
鼓御前を蝕む瘴気は取り除いた。
だが神気が不足した状態では、鼓御前は意識を保つことができない。
「とと、さま……」
「ちょっといいこにしていろ、天」
桐弥は口早に言い放つなり、おのれのくちびるで、鼓御前のくちびるをふさいだ。
ふっ……
呼気とともに、霊力を注ぎ込む。
「んぅっ……」
鼓御前が身をよじるが、桐弥はきつく抱いて離さない。
まだ足りない。角度を変えて、もう一度。
夢中だった。幾度となくくちづけをくり返すうちに、すっと、桐弥のくちびるを制する指先がある。
「……もうおなかがいっぱいですわ、父さま」
困ったように笑う鼓御前。
血色のもどった娘の笑みを目にして、桐弥は感極まる。
「天っ……無事で、よかった……っ!」
「ふぎゅっ……くるしいです、ととさま……」
がばりと抱きすくめる桐弥によって、鼓御前が窒息しそうになったことは、言うまでもない。
「また邪魔者が現れましたよ、お父さま!」
「紫榮……おのれ……紫榮めぇッ!」
「おっと」
──ガキィンッ!
吠える蘇芳がくり出した一撃は、あえなくはじかれる。
短刀を抜き払った葵葉が、黒い太刀の軌道を逸らしたのだ。
「早速、わけわかんない状況になってんじゃねぇの」
莇のすがたをした『鬼』。
鼓御前と瓜ふたつ少女の存在。
衝撃的な光景であるはずだが、葵葉も桐弥も、彼らを目にして取り乱す様子はない。
「莇の親父が言ってたとおりだったな」
「どういう、ことですか……?」
「神宮寺家当主が、洗いざらい吐いた。そこにいる天もどきの存在をな」
「──!」
鼓御前ははっとして、天鼓丸をふり返る。
「先日神社が襲撃されたさい、結界はやぶられていなかった。それも当然のことだったんだ。おまえたちは、神社のど真ん中からふってわいて、そして消えたのだからな」
九条家で倒れた苧環であったが、その後、一時的に意識を取りもどした。
鬼塚家からもどった葵葉、そしてひなたちに思うところがあったのだろう。
病床で、こう語ったという。
──神宮寺家が管理してきた御刀さまは、ひと振りではない、と。
ひとつは、鼓御前と呼ばれる脇差。
そしてもうひとつは、鼓御前とよく似た刃文を持つ、太刀だ。
「歴代の神宮寺家当主は、太刀の封印を維持する使命があったらしい。そしてその存在を、けっして外部にもらしてはならないとも」
「っ……」
「なぜならその太刀が、いわくつきのものであるから」
桐弥は淡々と続ける。
紫水晶のまなざしを向けられ、天鼓丸がわずかにたじろいだ。
「いまここにいる『鼓御前』は、正真正銘、僕が打った刀だ。そして九条紫榮が打った刀は、生涯でただひと振り」
鼓御前を腕に抱いたまま、桐弥は天鼓丸を睨みつける。
「真打ち、影打ちだなどと、そもそも存在しない。──僕の天鼓丸の銘を名乗るおまえは、何者だ?」




