*49* 記憶のかけら
兎鞠島北部。
険しい山道を抜けた先に、ひっそりとたたずむ一軒家が見えてくる。
「ここが鬼塚家か。なんか……もっと仰々しいところかと思った」
門前から外観を見上げながら、葵葉は肩すかしを食らう。
九条家の屋敷とくらべると、規模のちがいは明らかなもの。
御三家の分家とはいえ、これではふつうの民家と変わらない。
「鬼塚家は島の隅に追いやられた一族だからな」
「九条センパイ、言い方」
「いえ、桐弥さまのおっしゃることは事実ですもの。結婚をせず、所帯をもたない者がほとんどです。それにともない、敷地内も女人禁制となっております」
「ちょっとストップ」
さらりと補足したひなへ、葵葉は待ったをかける。
「女人禁制って……それじゃああんた、ここに来たことないわけ?」
「はい。生まれてこの方十八年、ただの一度もこちらにおうかがいしたことはございません。どこになにがあるのか、さっぱりです!」
「いっそ清々しいな」
「まぎれもなく莇の姉さんだな、あんた」
大真面目ゆえの、馬鹿正直というやつだろう。激しい既視感をおぼえ、葵葉は頭をかかえた。
「ていうか、女人禁制ならあんたは入れないじゃん。最初から詰んでね?」
「甘いですね」
「は?」
「偶然にも、みなさま出払っております。夕刻まではもどらないだろうと、山吹さまがひとりごとをおっしゃっておりました」
「……なんか急に、あんたのこと怖くなってきた」
「失礼ですね! 涙ぐましい情報収集の賜物と言ってください!」
「おまえたち、さっさと終わらせないと日が暮れるぞ」
勝手知ったるわが家とばかりに、桐弥が涼しい顔で門をくぐる。
ちなみにだが、桐弥も鬼塚家をおとずれたことは一切ない。
「わんっ!」
とここで、遠くから駆け寄る影があった。
「わぉん!」
「きゃんっ! きゃんっ!」
「……なんだ、この毛玉どもは」
桐弥が一歩ふみ入れたとたん、駆け寄ってきたもの──それは、二匹の子犬だった。
つぶらな瞳に、特徴的なまろ眉。柴犬のように見えなくもない。
二匹とも、鈴のついた前かけをしている。ただし片方は赤い前かけの白柴で、もう片方は青い前かけの黒柴だ。
二匹は短い手足で、ぽてぽてと桐弥の周囲をぐるぐる回る。
「……ウゥ……」
そして、二匹そろってうなった。
桐弥のつま先めがけ、てしてしと猫パンチならぬ犬パンチをくり出している。
「……やけに不満そうな顔じゃないか」
「無愛想だから警戒されてんだよ。あんた、いかにも動物から嫌われるタイプだもんな」
「うるさい。狐には好かれてる」
桐弥にしてはめずらしく、むきになって反論してくる。葵葉は「はいはい」と生返事であしらった。
「まぁ、かわいらしいわんちゃん!」
瞳をかがやかせたひながひざをつき、「おいで~」と両手をのばす。
ぴょこん、と三角耳を立てた白柴と黒柴が、たたたっと軽快にひなへ駆け寄った。
桐弥にしたように、ひなの周囲をぐるぐるした二匹は、最後に「くんくん……」とひなのにおいを嗅ぎ。
「わふん!」
と満足そうに鳴いた。
「それはどういう心境だ」
「合格ってことじゃね?」
「解せない……」
納得していなさそうな桐弥は、とりあえず置いておいて。
「はじめまして。ここでお世話になっていた莇の姉の、ひなといいます。私たちは鬼塚家のご先祖さまを祀った『祠』をさがしているのだけれど、どこにあるか知っていますか?」
「おい、犬に人間の言葉がわかるわけが……」
「わふんっ!」
「なんか返事したぞ」
「……もうなんでもいい」
目の前でくり広げられる珍妙な光景に、桐弥は思考を放棄した。
「わんわんっ!」
「きゃんきゃんっ!」
突然駆けだす白柴と黒柴。二匹は家のほうではなく、門を飛びだしてどこかへ駆けてゆく。
「あっ、待って!」
二匹を追ってひなが走りだしたため、葵葉と桐弥もそれに続いた。
ちりんちりんっ。
鈴の音をたよりに、二匹を追いかける。
深く生い茂った雑木林に入り、けもの道を進んでゆく。
そのうちに、がさっと草をかき分けて、拓けた場所へやってくる。
「行きどまり……なにもありませんが」
ひながきょろきょろとあたりを見わたすも、やはり周囲を木々が取りかこむだけで、特別目立ったものはない。
──ひゅうう。
そんなときだった。ふいに風がそよいだのは。
ぴり、と肌を痺れさせるような『気配』を察し、桐弥ははっとする。
「この『気配』は、あやかし……いや」
視線をめぐらせた先に、崖の前で立ち止まった白柴と黒柴。
二匹がこちらをふり返ると、淡い光につつまれ──
『お待ちしておりました、こどもたちよ』
『われらは、鬼塚家を守護するもの』
桐弥、葵葉、そしてひなは、言葉を失った。
先ほどまで子犬だった二匹が、獅子のようにすがたを変えて、目の前に現れたのだ。
「二匹で対となる守り神……狛犬か」
桐弥はおどろきつつも、納得する。
狛犬はあやかしではなく、神の一種だ。そのうえ人語を発するとなれば、数百年は生きているはずだ。
『そなたらがさがしているものは、この先に』
アォン──……
狼の遠吠えのような鳴き声を、二匹がひびきわたらせる。
すると、なんということだろう。
二匹の背後の景色がぐにゃりと歪み、崖だと思っていた場所に、しめ縄で仕切られた入り口が出現する。
「幻術ってやつか? なるほど、これじゃあ闇雲にさがしても見つからないだろうな」
「あれが、『祠』ですか……」
『祠』の入り口に座り込んだ二匹は、さらに続ける。
『おゆきなさい。ただし、ここを通ることができるのは、選ばれし者のみ』
『鬼塚の血を引くこどもたち。もしくは、【このは】を持つ者』
「【このは】……なんだそれは」
問いかけようとした葵葉は、はたと気づく。
ふところが、熱い。
見下ろせば、そこにはひと振りの短刀。
「莇の短刀が、なんで……?」
「どうやら、僕はお呼びではないらしいな」
一連の流れから、桐弥は状況を理解したようだ。手近な木の幹にもたれ、腕を組むさなかに、葵葉とひなへ目配せをする。
「おまえたちで行ってこい」
葵葉とひなは顔を見合わせると、桐弥へうなずき返した。
* * *
『祠』の正体は、地下深くへ続く洞窟だった。
「真っ暗だな」
「少々お待ちを」
おもむろに、ひながふところから霊符のようなものを取りだす。
──ぼう!
炎のようなものによって、洞窟内が照らされた。
鬼火という式神だ。莇が使っていたので、葵葉も見おぼえがあった。
「やるじゃん」
「女の身なれど、多少は霊力がございますので」
どこまでも続く下り坂を、葵葉とひなはひたすらに進む。
やがて、しめ縄が何重にも張りめぐらされた場所へたどり着く。
奥には祭壇があり、石碑が立っている。
「なんか、いかにもって感じ」
「ここが、先人の眠る場所……」
ひなは注意深くあたりを見まわす。
当然ながら、この場所にはじぶんと葵葉しかいない。
──……ヲ…………セ……
「──っ!?」
だというのに、声が聞こえたのだ。
「どうした?」
「だれかの、声がしました……」
──チヲ、シメセ。
「『ちを、しめせ』…………血?」
……カッ!
「きゃっ……!」
突如として、祭壇が光を放つ。
まばゆい閃光。目がくらんだ一瞬のうちに、古びた一冊の書物がひなの前に現れる。
「これは…………いたっ!」
思わず手をのばすひなだが、ふれる直前でバチィッ! と指先をはじかれてしまう。
「大丈夫か?」
「えぇ……おそらく、封印の術がかかっていますね」
「流れ的にソレに『真実』とやらが書いてそうなんだけど、どうしたもんか」
「血を示す必要があるのかと。……葵葉さま、短刀をお貸しいただけませんか」
「いいけど、まさか……」
「そのまさかです」
するすると、右手の包帯をほどくひな。
そして葵葉から受け取った短刀の鯉口を切ると、まだふさがっていない傷口へ押し当て……
「……っ!」
ひと思いに、刃をすべらせた。
ぽたぽたと、地面に血がしたたり落ちる。
「私は神宮寺家の娘、ひなと申します。鬼塚をめぐる『真実』を明らかにすべくやってまいりました。どうかお力添えください!」
ひなの声が、洞窟内を反響する。
けれど、宙に浮いた書物は、微動だにしない。
「どうして……? やっぱり私じゃだめなの? 鼓御前さまを、莇を助けるためには、どうしてもこの先に進まないといけないのに……!」
「落ち着け。焦ったってしょうがないだろ」
「でも……!」
「あんたに『祠』のことを話したのは、姉さまなんだろ。ほかになにか言ってなかったか? 思いだしてみろ」
「鼓御前さまが、おっしゃっていたのは……」
──『祠』に行けば、『真実』をつまびらかにすることができる。
「ちがう……ほかに、おっしゃっていたことは……」
──鬼塚家について、わたしたちは認識をあらためる必要があります。
「……認識を、あらためる?」
鬼塚家といえば、呪われた存在として忌み嫌われてきた一族だ。
無闇に話題にしたり、ふれてはいけないもの。
それが、この島の暗黙の了解だった。
けれども、それこそが間違いなのだとしたら?
「思いだして……」
まだだ。ほかにも『鍵』があるはずだ。
鼓御前だけではない。ほかにも、だれかが謎を解く『鍵』を……
「……そうだわ」
はたと、ひなは思いだす。
鼓御前がさらわれた日。早朝に莇がたずねてきたのだと、あとから虎尾に聞いた。
そのとき、気になることを話していた。
「莇ちゃん、首を隠していなかったのよね」と。
「鼓御前さまに『祠』の存在を教えたのは、莇……あの子は、『すべて』を知った」
そのうえで首をさらけだしていたとするなら。
その行動には、大きな意味がある。
「……あぁ……そうだったのね。莇、あなたは……っ!」
ばさりと萌黄の袖を払い、ひなが身を乗りだす。
「っ、おい!」
バチィイイッ!
葵葉が制止する間もなく、再度のばされたひなの手がはじかれる。それでも。
「私がいったい何百、何千もの本を読みあさってきたと思うんですか……この私に、読みとけない物語はありませんっ!」
ひなは、手をのばすことをやめない。
「血の盟約をもって命ず。わが真名のもとに、真実を示せ」
ぱたた。右手首から血をしたたらせながら、ひなは声を張りあげる。
「わが名は──鬼塚美弦!」
──リィン。
ひなの声に共鳴するかのごとく、固く閉ざされていた書物がひらく。
ぱらぱらぱら──……
ひなの手のひらに舞いおり、ひとりでにめくれる頁。
書物を手にしたひなは、驚愕の表情のままで。
「おい、大丈夫か……!」
ひなの肩にふれた刹那、葵葉を異変が襲う。
「うぁっ!?」
バチバチッと、白くはじける視界。
葵葉に記憶が流れ込む。
それは──忘れられていた記憶。
* * *
産声が聞こえる。
「ほら見てください、蘭雪さま。おれの子です」
赤ん坊を抱いた青年が、腕に抱いたわが子へ笑いかけている。
「おれの字をひとつとって、矢彦と名づけました。女の子が生まれたら、弦子にしますね。おれの子孫ともども、蘭雪さまの弓矢となれるように」
朗らかに話していた青年が、ふと言葉をとめ。
「だから……もう一度馬に乗って出かけましょうよ、蘭雪さま」
しぼりだすように、つぶやいた。
青年の目の前で、床に伏せた男は答えない。
──立花蘭雪、享年四十。
戦乱の世を駆け抜けた猛将として、大往生だった。
敬愛する主を亡くした青年は、ある日、ふた振りの刀を手にした。
そして主の遺言どおり、その刀たちを遺骨とともに墓に埋めた。
けれども、安らかに眠ってほしいというねがいは、長くは続かず。
……赤ん坊が泣いている。
ざあざあと雨がふりしきるなか、泥濘に座り込んだ青年の腕のなかで、泣いている。
「ごめんなさい、蘭雪さま……約束を、守れなかった……」
ふり止まない雨。赤ん坊を掻き抱く青年。
青年の足もとには、まっぷたつに折れた刀が。
「ごめん、矢彦……」
泣き叫ぶ赤ん坊の首には、痣がきざまれていた。
「……もう、くり返さない」
青年はくちびるを噛みしめ、立ちあがる。
「『鬼』が復讐にやってくる。だが次は逃がさない。今度こそ、その首を獲ってみせる。何十年、何百年かかっても……おれたちが、かならず」
赤ん坊を左腕で抱いた青年は、右手に折れた刀をにぎっていた。
「だから、おまえも力を貸してくれ。蘭雪さまとの約束を果たすために……ともに鼓御前を守るんだ」
青年は、ぐっと柄をにぎりしめる。
「おれたちとともに、『鬼』を倒してくれ──青葉時雨」
激しくふりそそぐ雨のなか、青年の声は、不思議と鮮明に聞こえて。
(……そう、だった……)
『真実』を知った葵葉は、思いだす。
失っていた記憶のかけらを、取りもどすのだ。
(そうだ……俺は!)
『鬼』によって暴かれた蘭雪の墓。
青年は刀をとり、勇敢にも『鬼』に立ち向かう。
そうして激闘の末、刀は──青葉時雨は、折れてしまった。
命からがら逃げだした『鬼』は、青年の血を引く赤ん坊を呪った。
だが、青年は屈しなかった。
いずれ復讐にやってくる『鬼』へ、みずからのこどもたちが必ずや報いることを、信じていた。
その誓いのあかしこそが──【このは】。
青葉時雨のかけらをあつめ、ふたたび打った刀。
青年、矢一の血を引く者につたられるもの。
これこそが、『鬼』の首塚を獲る者──
鬼塚家の男児に代々受け継がれる、短刀である。
「葵葉、頼む」
友の声が、よみがえる。
「おれが、『鬼』を弱らせる。必ず、『鬼』をおさえ込んでみせる」
いったいなにを迷っていたのだろう。
答えなんて、すぐそこにあったのに。
「だから葵葉、きみが『鬼』を斬ってくれ。大丈夫だ、きみならきっとできる」
進むべき道は、たったいま、示された。




