*48* 共鳴
かごめ かごめ……
(……唄声が、聞こえる)
気がつくと、鼓御前は真っ暗な空間のなかにいた。
ぼんやりとあたりを見渡せども、なにも見えない。
かごの なかの とりは
いついつ でやる
(これは……わらべ唄?)
どこからか、唄声だけがひびく。
よあけの ばんに
つると かめが すべった
その唄声は、だんだんと鮮明になってゆく。
足音を、近づけるかのように。
「うしろのしょうめん、だぁれ?」
「……っ!?」
耳もとに吐息がかかり、鼓御前は飛びのく。
いつの間にだろう。背後に人影があった。
だれかがいることはわかるのに、暗闇に阻まれ、すがたをうかがうことができない。
「……だれですか?」
警戒する鼓御前の問いに、答えはない。
くすくす……と、笑い声がひびくばかりで。
「鼓御前」
くすくす、くすくす。
先の見えない闇のなか、鼓御前を呼んだ声は──
「可哀想な子」
わらべではなく、少女のものだった。
* * *
「鼓御前さま!」
名を呼ばれる声で、鼓御前は覚醒する。
はっと目をさました直後、視界へ射し込んだ茜色の光に目がくらむ。
「はっ……はっ……」
呼吸が乱れる。背中に嫌な汗がにじむ。
べっとりと張りつく寝間着の感触が、気持ち悪くてしょうがない。
「ここは……」
見慣れた天井。兎鞠神社にあるじぶんの部屋で、鼓御前は布団に横たわっていた。
「大丈夫ですか? 鼓御前さま」
気遣わしげに鼓御前を呼ぶ声。けれどそれは、そば仕えの少女のものではない。
「……莇、さん?」
浅葱の差袴に、白衣をまとった少年。
鼓御前がこわごわと名を呼べば、ばつが悪そうに眉を下げる。
「うなされているようでしたので、勝手ながらお部屋に失礼させていただきました」
莇は「お起きになられますか?」と、鼓御前の肩と背に手を添える。
そしてごく自然に抱き起こした。
「……ひなさんは?」
「買い物に出かけております。それより、鼓御前さま。汗がすごいですね……お召しかえのおてつだいをいたします」
鼓御前はぐっと口を閉ざし、莇を見つめる。
なんでもそつなくこなす莇らしく、一連の言動は手慣れたものだった。
だからこそ、激しい違和感にみまわれる。
「下手なお芝居はやめてください」
「鼓御前さま? 急にいかがなされたのです?」
「莇さんは、こうして無遠慮にわたしにふれたりしません」
──ぶしつけにふれてしまい、申し訳ございません!
意図せずふれてしまったときは、過剰なほどにひた謝る。
──お手を、拝借しても?
すこしふれるときですら、律儀に断りを入れるほどだ。
本物の莇なら。
「それとも、『鬼の猿芝居』などという、なにかのことわざでしょうか?」
ゆらり……少年の背後で、影がゆらめく。
「……ふっ」
ぐにゃりと、視界がゆがむ。
まばたきのあいまに、鼓御前を取り巻く景色は一変していた。
夜のとばりが下りたかのように、闇につつまれる景色。
まばゆい夕暮れの光は、いずこに。
暗く淀んだ瘴気が、あたり一帯を支配する。
「もっと泣き叫ぶかと思ったが。存外冷静なものだな」
光をやどさない黒曜石の瞳。
莇のすがたをした『鬼』が、不敵な笑みを浮かべて鼓御前を見下ろす。
「それではあなたの思うつぼだと、わかっているからです」
鼓御前は『鬼』から視線を逸らさないまま、じり、と距離を取る。
「おっと、逃げられるとでも?」
だが、ぱしりと腕をつかまれてしまう。
「逃がすわけがない。おまえを手に入れるために、私がどれほど永い年月をさまよったことか……天鼓丸」
「……天鼓丸?」
ここで鼓御前は、ひとつ思いちがいをしていたことに気づく。
蘭雪の墓を暴いたのは、この『墓荒らしの鬼』にちがいない。けれど……
「天鼓丸よ。おまえさえいれば、私の悲願は果たされる……!」
しきりに『天鼓丸』を呼ぶ『鬼』。
(そうだったのね……)
『鬼』が求めていたのは、脇差『鼓御前』ではない。
九条紫榮が打った太刀『天鼓丸』だったのだ。
そのことから、あらたにわかることがある。
「紫榮さまが打った太刀の銘は、ごく一部の者しか知りません」
無名の刀鍛冶が、山奥の小屋でひそかに打った刀だ。
それこそ打った張本人である紫榮や、その周囲の者しか知り得ない情報のはず。
「『天鼓丸』を知るあなたは……だれですか?」
射抜くような紫水晶のまなざしを受け、『鬼』は嗤う。
ひと振りの刀に執着する怨霊──その正体は。
「九条紫榮を知る者。兄弟子、といえばわかるだろう。私はあの男を憎んでいる。何百年、何千年もな」
* * *
未明のこと。九条家に訪問客があった。
母屋にある大広間で、桐弥は客人たちと面会をする。
面布で素顔を隠した黒袴の男たち。
全身黒ずくめのいでたちは、現役を退いた覡のものだ。
「御三家当主のうち、一名が行方不明、一名が危篤でございます」
おとずれた三名の男のうち、ひとりが口をひらく。
「一刻もはやく御刀さまを救出しなければ、わが兎鞠島に明日はないでしょう」
「つきましては、『ご英断』をなにとぞお願い申しあげます──九条紫榮さま」
男たちは口々に桐弥へ進言すると、一礼ののち、大広間をあとにする。
彼らが去ってなお、桐弥はじっとまぶたを閉じたまま、しばし沈黙していた。
「……桐弥さま!」
ようやく桐弥が部屋を出たところで、ひなが駆け寄ってくる。
「『典薬寮』のみなさまは、なんと……?」
「この状況だ。総力戦となる。『鬼』を発見した場合、依代ともども殲滅対象とのことだ」
「そんなっ……! 莇を見殺しにしろということですか!?」
「それが『上』の決定だ」
神宮寺苧環が昨日より行方不明。
そして『鬼』と交戦した立花千菊が、意識不明の重体だ。
夜を徹して千菊への集中治療がおこなわれているが、状況は厳しい。
さらに、『鬼』が憑依したとされる莇の救出活動も打ち切られた。
つまり見つけしだい、『鬼』もろとも斬り捨てろという命令である。
「うそ……どうして、こんなことに……っ」
ひなが両手で顔を覆い、わっと泣きだす。
桐弥は視線を伏せ、黙り込む。
下手な慰めは、ないほうがいい。そうとはわかっているけれど。
「『上』の決定はまっとうな意見だ。だが僕個人としては、納得したわけではない」
「……桐弥、さま……?」
桐弥はひなに目配せをしたのち、歩を進める。
ひなも桐弥に続く。足早に縁側を通り抜け、最奥にある部屋へ向かった。
そこには、布団に横たわった千菊。そして治療を続ける虎尾のすがたがある。
「立花センセ……」
部屋の隅には葵葉が座り込んでいる。表情はうつろで、ぬけがらのようだ。
「容態は」
「相変わらずよ。袈裟斬りだなんて、殺意高すぎったらありゃしないわね」
止血はなされたが、いかんせん出血量が多すぎた。
千菊が目覚める様子は一向になく、その顔色は真っ白だ。
「傷口の治療だけならなんとかなったけど……そう簡単にはいかないってことね」
虎尾の両手から発された光が、千菊の表皮にしみ込み、再生能力にはたらきかける。
だが左肩から右腰骨にかけて斬られた傷口がふさがることはなく、ばちんっとはじけた光が消滅する。
「瘴気に妨害されてるの。穢れを祓わなきゃ、これ以上の治療はできないわ」
「祓えるのか?」
「祓うだけなら。でもアタシの力じゃ、立花センセにがんじがらめになった穢れをほどくので、せいいっぱいよ」
「治療する余力を、残せないということか……」
覡の霊力は、人間相手には治癒効果を発揮しない。
虎尾が人間に対して高い治癒能力を発揮するのは、豊富な妖力を、癒やしの力に変換しているから。
その虎尾でさえ治療できないとなれば、待ち受けるのは『死』だ。
「浄化は僕がやる」
布団のかたわらに桐弥が腰をおろす。
だが、虎尾の制止があった。
「待って。あなたは神楽で使いきった霊力が完全に回復してないでしょ。その状態で穢れを祓うなんて……!」
「そこの鼻タレ小僧は使いものにならん。なら、僕がやるしかないだろうが」
淡々とした桐弥の言葉に、葵葉は力なくうなだれる。
「……仮に救えたとて、そのあとはどうする?」
ふいに、男の声がひびく。
びくりと肩を跳ねさせたひながふり返ると、人影がふたつ。
そのうちのひとり。打刀を提げた男、山吹が、深々と一礼した。
「当主殿をお連れいたしました、姫さま」
「……お父さま!?」
行方知れずだった苧環が、そこにいた。
ただ、苧環も無事とはいえない状況であった。
けほこほ、と時おり咳をもらし、足もとがおぼつかない。山吹に支えられ、やっと歩いている状態だ。
「お父さま、心配いたしました。いままでどちらに……」
苧環は答えない。青白い顔のまま部屋に入り、畳に座り込む。そして桐弥を見やった。
「立花殿を治療したとしても、すぐに刀をにぎることは叶わんだろう。戦力にならぬ者に、時間と手間を割くひまはないはずだ」
「お父さま、なんということを……!」
すっと、桐弥が手でひなを制す。
苧環を見据える紫水晶のまなざしは、一切動じない。
「言いたいことはそれだけか」
「……なんだと」
「この小僧が死ねば、天が悲しむ。そんなこともわからんやつに、御刀さまを守る覡の資格はない」
「……感情論だな。理想をならべ立てるだけでは、未来は変えられない」
「僕はじぶんが卑屈なやつだと思っていたが、あんたも大概だな。──餓鬼は黙ってろ」
このままでは平行線だ。桐弥は容赦ないひと言で、苧環の発言権を断つ。
「……そら見たことか。弱者がわめいたところで、なにもできない」
けれども、苧環は引き下がらない。
「強者は驕り、その身をみずから滅ぼす。そして弱者はなすすべもなく、絶望することしかできない。これがあなたが守ろうとした未来だ、兄上……!」
げほごほっと、激しく咳き込む苧環。
「当主殿」と山吹が背を支えるも、苧環のうわごとは続く。
「わかっていた……御刀さまのもとへ行かせれば、莇は死ぬ……その身を犠牲にして、『鬼』に報いようとすると……」
「……なんだって?」
とめどなくこぼす苧環から、桐弥はふと言葉の一片をひろいあげる。
「『鬼』に報いる……どういうことだ。鬼塚の小僧は、みずから望んで『鬼』に肉体を明け渡したわけではないのか」
はっとしたように、苧環が身じろぐ。
だが、口走ってしまったことは取りもどせない。
たっぷりの沈黙をへて、重い口をひらく。
「……『鬼』に肉体をさしだしたのは、みずからの意思だ。そうしたのは、それが鬼塚の血を引く者に課せられた使命だからだ」
「使命……? お父さま、それはいったい……」
「たいして霊力のない私は、寿命を対価に封印を維持することしかできなかった……だが、もう限界だ。私の寿命も、そう長くは続かない……っぐ! ごほごほッ!」
「お父さま!」
「っ……ひな、いますぐに、島を出てゆけ……!」
苧環はなにかに取り憑かれたように、ひなの肩をつかむ。
「おまえだけでも、生きろ……!」
その切実な訴えが、ひなをはっと身じろがせる。
「取り込み中のところ、失礼する。──客人だ」
そこへ、竜胆がやってくる。
思わぬ人物の登場に、だれもがふり返った。
「さぁ、みなさんもお出迎えして。きっと私たちの力になってくれるはずだよ」
にっこり。竜胆は表情をやわらげると、背後に連れていた人影へ道をゆずる。
「……あんたたちは」
真っ先に反応したのは、葵葉。
部屋に入ってきた大小ふたつの人影に、見おぼえがあったのだ。
「ふゆおばあちゃま……紫陽さま」
ひなもおどろきを隠せない表情で、客人──ふゆと紫陽を見つめる。
「島の木々に聞きました。だいたいの事情は、理解しているつもりです」
「私たちにも、できることがあるはずです。お力添えさせてくださいませ」
紫陽に肩を抱かれたふゆは、意を決したように千菊へ歩み寄る。
やがて布団のかたわらに腰を下ろし、胸の前で手を組む。
「御刀さまや覡さまに救っていただいたこの命。こんどは私たちも、みなさまのお力になりたいのです」
──ぱぁあ……祈るようなふゆの言葉とともに、桜のかんざしが淡い光を放つ。
「覡さまは、穢れを祓うことだけに専念を。傷は、ぼくが癒やします」
千菊に向け、おもむろに紫陽が手をのばした刹那。
光をおびた桜の花びらが、ぱっと一面にはじける。
ふゆの霊力を受け、紫陽が神気を解放したのだ。
「まかせてちょうだい。アタシも全力でいくわよ!」
力強く答える虎尾。
ひゅう、と風が吹き込み、いじらしく色づいた桜の花びらを舞いあげた。
桜吹雪が巻き起こり、まばゆい光があたりを照らす。
まるで千菊にまとわりついた闇を、吹き飛ばすかのように。
「……なんで……」
真っ白に染まる視界で、葵葉はぽつりとこぼす。
「なんであんたたちは……あきらめないんだ」
ひと振りの短刀を、ぎゅっとにぎりしめながら。
* * *
「桐弥さま、すこし、いとまをいただいてもよろしいでしょうか」
ふゆと紫陽、そして虎尾の懸命な治療が続くなか、ひながそう申し出る。
「なにをするつもりだ?」
「鼓御前さまは、鬼塚家にある『祠』に行けば、『真実』をつまびらかにすることができるとおっしゃっていました。あれは、私に向けられたお言葉でした」
「ということは」
「はい、鬼塚家へ向かいます」
あれから苧環は気を失い、山吹や竜胆によって別室へ運ばれた。
『真実』を知っているであろう苧環から、証言を得ることはできない。
だが、ひなは悲観しない。
「私も、鬼塚の血を引く者です。これはきっと、私にしかできないことなのだと思います」
さらわれた御刀さまの捜索は、いまも続いている。
千菊の治療も、ひなにはなすすべがない。
けれども、ほかにできることがあるはずだ。
「一般人の外出は危険だ。許可できない」
「桐弥さま……」
「だから、僕も同行する。それでいいな」
「はいっ、ありがとうございます!」
そうと決まれば、陽が落ちない日中のうちに行動あるのみだ。
「その前に、ひとつだけよろしいでしょうか」
ひなはあらたまった様子で、居住まいをただす。
しゃんと背をのばしたまま、部屋の隅にいる葵葉のもとへすたすたと近寄ると──
ばちぃんっ!
渾身の平手打ちを、葵葉に向けてくりだす。
「んなっ……」
あまりの衝撃に、壁へ激突する葵葉。
なにが起きたのか、すぐには理解できていなかった。
「鼓御前さまが『鬼』にさらわれ、立花さまも危険な状態……あなたの心情もお察しします。ですが!」
キッと、ひなは葵葉を睨みつける。
「だからといって、あきらめてしまったら終わりです!」
葵葉を打った右手は、いまだ包帯が巻かれている。
傷だらけの手をおさえながら、ふるえながら、それでもひなは声を張りあげる。
「しっかりしてください!」
──しっかりしろ!
いつかの記憶がよみがえり、葵葉ははっとする。
「でも、立花センセでも敵わないのに、俺にできることなんてないだろ……!」
「虎尾さまからお聞きしました。立花さまは重傷を負われましたが、急所は外れていたそうです」
これは、不幸中の幸いだった。あとすこしでも刃の軌道がずれていたなら、頸動脈を掻き斬られ、千菊は即死だったろう。
「あなたはこれを偶然と思いますか。それとも、必然と思いますか」
「……え?」
「私はっ……莇がとっさに急所を避けたのだと、そう信じています!」
それが意味することは、つまり。
「『鬼』の呪いに、莇も抗っているんです! 莇はみずから死をえらんだわけではない……思いだしてください。その刀をあなたに託したとき、あの子がなんと言っていたのかを!」
「それ、は……」
葵葉は、無意識ににぎっていた短刀へ視線を落とす。
ずきりと頭が痛む。割れそうだ。思いだすのが怖い……けれど。
──すまない……葵葉。
葵葉に謝りながらも、莇はなぜか、晴れやかな笑みを浮かべていた。
──あとは頼む。
「……あぁ……!」
そうだ、思いだした。莇は言っていたじゃないか。
「『おれたちで、みんなで成し遂げよう』って……あいつは言ってた……!」
──きみなら、きっとできる。信じている、と。
「姉さまだって、そうだ……!」
信じていますと、鼓御前も言葉を残していた。
だれひとり、あきらめてなどいなかったのだ。
「ごめん、姉さま、立花センセ、莇……みんな。俺が間違ってた」
不安でたまらないけれど。
頭をふって、くじけそうなこころをふり払う。
「俺も行く。俺にできることをする。ぜったい、あきらめない!」
おのれをふるい立たせたなら、ほら。
仲間がいれば、立ち上がることができるのだ。
何度でも、何度でも。
「はい……ともに、行きましょう」
あふれる感情をこらえながら、ひなはうなずき返す。
「待っててくれ、姉さま、莇──俺たちが、助けに行くから」
いま一度短刀をにぎりしめた葵葉に、もう迷いはなかった。




