*47* 襲撃
ざわざわと、庭の木々が枝葉をゆらしている。
「……妙な風が吹くわね」
茜に暮れる空をあおいでいた虎尾は、縁側から部屋へもどる。
するとやはり。
座布団に腰を落ち着けた鼓御前が、虎尾がしていたように、じっと外を見つめていた。
「鼓御前さま……いかがなされましたか?」
活動的でひとと話すことを好む鼓御前が、黙り込んで一日中考え事をしている。
そうなれば、心配したひなが問いかけるのも無理はなかった。
朝からずっとこの調子だ。鼓御前の異変のわけに心当たりがある虎尾は、あえてふみ込むことはせず、見守る。
「ひなさんは、鬼塚家について、どういったことを知っていますか?」
「鬼塚家、でございますか?」
そんなときに、この唐突な質問だ。
ひなは困惑しつつ、こわごわと口をひらく。
「申し訳ございません。鬼塚家については、あまり詮索をしないよう言いつけられておりまして」
神宮寺家の血を継ぐ者のなかで、痣を持って生まれた男児のみが、鬼塚家へ養子に出される。体質的に過剰な霊力に悩まされることが多く、その制御法をまなぶためだ。
それは、この島に住むだれもが知ることだが。
「ただ……ひとつだけ、耳にしたことがあります」
「なにを、ですか?」
ひなはすぐに答えない。口にするのははばかられる内容なのだろう。
しばらく迷ったのち、ひなは悲しげにつぶやいた。
「莇もそうでしたが……『痣持ち』が神宮寺家を出るさい、短刀を持たされます。万が一のことが起きた場合に、自害するためだと言われております……」
「胸くそが悪くなる話ね。頭のかったいじじいどもは、だれがこの島を守ってきたと思ってるのかしら」
立花家と鬼塚家。このふたつの家系が、圧倒的な〝慰〟の討伐数を誇る。
だというのに、立花家が賞賛される一方で、鬼塚家が日の目を見ることはない。
まるで、光と影のように。
「鬼塚家について、わたしたちは認識をあらためる必要があります」
「鼓御前さま……?」
「鬼塚家には、どこかにご先祖の方々を祀る『祠』があるのだそうです。そこに行けば、『真実』をつまびらかにすることができる」
うわごとのように、鼓御前は言葉をつむぐ。
「失礼ですが、そのお話は、いったいどこで……」
ひなは問いかけようとして、はっとする。
紫水晶のまなざしが、じっとこちらを見つめていたのだ。
鼓御前の言葉は、おのれに向けられたもの。そうひなが気づいたとき。
「神宮寺ひな殿はおられるか」
部屋の前に、竜胆がやってきた。その面持ちは険しい。
まさかじぶんが呼ばれるとは思わず、ひなは身を固くする。
「はい、九条さま。いかがなさいました……?」
「こちらへ。火急の報が」
「ですが……」
ひなは一度、鼓御前をふり返る。
御刀さまのそば仕えが席を外すのは、ためらわれたのだろう。
だが、鼓御前は黙って目配せをするのみ。
「わかりました」とうなずいて、ひなは竜胆のもとへ向かった。
「…………なんですって! それはまことでございますか!」
やがて、おどろきと戸惑いに満ちたひなの声がひびく。
虎尾はひそかに様子をうかがい、竜胆のくちびるの動きを読む。
そしてととのった眉をひそめた。
「お父上が行方不明になられた」──そう読めてしまったために。
「──待て!」
時をおなじくして、九条家の屋敷内にあわただしい足音がひびきわたる。
桐弥の声だ。ここまで声を張りあげるのはめずらしい。虎尾は思わず腰を浮かせる。
「おい小僧、待てと言っているだろう、怪我してるんだろうが!」
「そんなことどうでもいい! 姉さまに会わせてくれ!」
桐弥の制止をふりきるようにして、葵葉がすがたを現す。
そうして鼓御前を映した常磐色の瞳は、大きくゆれ動いていた。
「葵葉──」
「……姉さまっ!」
脇目もふらず駆け寄ってきた葵葉が、鼓御前に飛びつく。
「姉さま、どうしよう、俺……ごめんっ!」
明らかに、葵葉は取り乱していた。
「落ち着いて。大丈夫だから、なにがあったのか話してごらんなさい」
鼓御前はつとめて冷静に声をかける。
背を何度かさすられるうちに落ち着いてきたのか、葵葉が暗い面持ちで顔をあげる。
「これ……」
葵葉がひと振りの短刀をさしだす。その刀は、鼓御前も見おぼえがあった。
「莇さんの短刀ですね。……どうしてこれを?」
「いきなりわたされて……そしたら今度はぶん殴ってきて、気絶させられた。もうわけわかんないよ……!」
突然のことながら、葵葉もとっさに応戦したのだろう。
顔には数か所打撲痕があり、覡の装束もところどころが土で薄汚れている。
「あいつ、また変なこと考えてるんじゃないか……どうしよう姉さま、俺、莇のこと止められなかった……!」
「莇が……? どういうことですか、いまなんとおっしゃいましたか、葵葉さま!」
ただならぬ状況を察したひなが、駆け寄ってくるも……
──ゴーン、ゴーン、ゴーン!
けたたましい鐘の音が鳴りひびく。
「三度鳴る鐘──『逢魔の鐘』だと。こんなときに」
桐弥は舌打ちをすると、虎尾を見やる。
「場所は」
「ちょっと待ってね」
まぶたを閉じた虎尾が、ひとつ息を吐く。
リィン──……
おもむろに虎尾が持ちあげた右手の指先に、ほのかに光る五芒星の陣が出現した。
「確認できる瘴気反応は、一体」
くるくると時計回りに回転する陣が、あるときぴたりと止まり、赤色に発光する。
その瞬間、虎尾が血相を変えて桐弥をふり返った。
「まずいわ、結界を壊される。『鬼』がやってくるわ!」
「総員戦闘準備! 非戦闘員は一か所に集め、屋敷の奥に避難させろ!」
桐弥の号令がひびきわたる。
だれもが衝撃を受けるなか、鼓御前が立ちあがる。
「行かなければ」
「待てっ、姉さま!」
葵葉の制止もむなしく。
長い黒髪をなびかせて、鼓御前はあっという間に茜の景色の向こうへ消えてしまった。
「ぼさっとするな小僧!」
「つづちゃんを追うわよ、あおちゃん!」
すぐさま、桐弥と虎尾が身をひるがえす。
「姉さままで、なんで……」
葵葉は悲痛な表情を浮かべ、遅れて駆けだしたのだった。
* * *
風がさわいでいる。
ざあざあと、木々が不安げにゆれている。
母屋を飛びだした鼓御前は、本能のままに駆け抜ける。
たどり着いたのは、『映月亭』。茶室の入り口は戸締まりがされているため、庭のほうからまわり込む。
──パリィンッ!
なにかが割れるような音。禍々しい気配が色濃くなる。
「……瘴気」
じわりとこめかみに汗がにじみ、心臓がばくばくと嫌な音を立てた。
鼓御前は息をのみ、慎重に歩を進める。
やがて、一気に拓ける視界。
まばゆいほどに夕焼けを反射する湖面が、一面にひろがる。
「……あれは!」
鼓御前は反射的に空を見上げる。
燃えるような赤い空に、ひび割れた箇所がひとつ。九条家を守る結界が破られたのだ。
陽炎のようにゆらぐその割れ目から、現れる影がある。
ふわり。音もなく少年が湖面に降り立ち、水面に波紋をひろげる。
浅葱の差袴に、白衣をまとった少年。
彼の様子は、今朝方言葉をかわしたときとは一変していた。
「……莇さん」
鼓御前の呼びかけに、少年──莇はゆらりと顔を向ける。
黒曜石のような瞳は、一切の光をやどさない。
さらには黒いもやのようなものが全身にまとわりつき、その右手は刀のようなものがにぎられている。
太刀にも見えるが、黒く煙る実態のない刀だ。おそらく瘴気の集合体だろう。
「莇さんに取り憑いたのですね……『墓荒らしの鬼』」
「いかにも。この者は、わが『器』ゆえ」
鼓御前を見つめ返した莇、いや『鬼』は、くちびるでゆるりと弧を描く。
「この者も、それを望んでいたようだが?」
「どういうことだ……おまえ、なにを言ってる!?」
桐弥、虎尾、そして葵葉が駆けつける。
とくに、瘴気につつまれた莇を目の当たりにした葵葉の動揺が激しい。
「言葉のとおり。この者はわが依代となるべく生まれてきた。これはそのあかし」
見せつけるように、『鬼』が首の痣をさし示す。
「そんな……じゃあ鬼塚が呪われてるってのは」
「失礼ですが」
呆然と言葉を失う葵葉をよそに、鼓御前は一歩ふみだす。
「そのお顔、そのお声で、話しかけるのはやめていただけますか? ──虫唾が走ります」
「姉、さま……?」
この場において、鼓御前は戦意を喪失してはいなかった。
むしろ葵葉も見たことがないほど激高して、『鬼』を睨みつけていた。
「つづちゃんに嫌われてるってまだ自覚できないの? 救いようのないストーカー野郎ね」
「のこのことやってきて、ただで済むと思うなよ」
虎尾、桐弥が『鬼』の前に立ちはだかる。
「ふん……威勢だけはいいことだ」
それを、『鬼』は鼻で笑い飛ばすだけ。
「ならば望みどおり、斬り捨ててやろう」
ゆらり……『鬼』が手にした黒い太刀が、不気味にゆらぐ。
「させないわ──防御結界・『七宝鏡華』!」
すでに虎尾は行動していた。
しなやかな両手がかざされた刹那、またたく間に結界が張りめぐらされる。
「アタシ自慢の結界は、カッチカチなんだからね。通さないわよ」
まばゆい光の壁。七色にめまぐるしく色を変えるさまは、万華鏡のごとく。
「『流』」
さらに桐弥が人さし指を口もとに添え、ひとたび言霊を発すれば、湖面が波打つ。
ざばぁっ!
瞬時に巻き上がった渦が、『鬼』を飲み込んだ。
「父さま、母さま!」
「わかってる! まずは、アレを莇ちゃんから引き剥がさなきゃ。きーちゃんもはりきってがんばるのよ!」
「だれに言ってる。僕は最初から本気だ」
相手は高い知能を持ち、刀をあつかう怨霊だ。
虎尾が結界で妨害し、桐弥が術で遠距離攻撃をおこなう。
被害を最小限に食い止めるためには、それが最善策と思われた。
(けれど、莇さんの体内にある穢れの『核』を壊さないかぎり、『鬼』とは引き離せないわ)
つまり、いずれは敵のふところに飛び込み、穢れを祓う必要があるということ。
「葵葉、父さまたちが『鬼』の動きを封じてくださいます。だから、わたしたちが…………葵葉?」
戦況を注視していた鼓御前は、そこでふと葵葉の異変に気づく。
「『鬼の器』になることを望んでたって、どういうことだよ……」
「葵葉、聞こえていますか」
「こんなもの押しつけてきて……俺もう、おまえの考えがわかんないよ、莇!」
「葵葉!」
短刀を葵葉に託したということは、莇はあえて丸腰で『鬼』と対峙したということだ。
『鬼』の存在を莇が受け入れたのだと、葵葉は解釈したのだ。
「ちがいます! 聞いて葵葉、莇さんは……!」
鼓御前の言葉が続くことは、なかった。
衝撃的な光景を目にしてしまったために。
「……うぁっ!?」
突如として視界が回る。大きく後方へ体勢をくずした葵葉は、地面に叩きつけられた。
背後から近づいた何者かが、葵葉の襟首をつかみ、投げ飛ばしたのだ。
葵葉は背中を強打した痛みに顔をしかめつつ、視線を上げる。
その先で、竜頭面をつけた男の横顔を見た。
「……立花、センセ……」
「刀をにぎれぬ者は不要です。さがりなさい」
「俺、は……」
「聞こえなかったのですか? ──邪魔です」
静かなひびきながら、千菊の声音は怒りに満ちていた。
その気迫に圧倒され、葵葉はうろたえることしかできない。
「あるじさま、わたしもいっしょに……!」
「いいえ、きみが出るまでもない」
「ですが……」
「つづ、わかっているでしょう。あの者のねらいはきみです。わざわざ危険をおかす必要はありません」
千菊は断固としてゆずらない。
鼓御前を守るため、たったひとりで立ち向かおうとしていた。
「虎尾先生、お通しいただけますか」
「いいの? 相手は手強いわよ」
「重々承知の上。手出しは無用にねがいます」
「……わかったわ」
虎尾と簡潔に言葉をかわした千菊が、ゆっくりと歩みだす。
そのまま目前に張りめぐらされていた七色の結界を、すぅ……と透過してゆく。
そこで、はっとしたように葵葉が自身の手もとを見下ろす。
短刀が、ない。いつの間にか千菊の手にわたっていたのである。
「あるじさま……どうかご無事で」
鼓御前は祈るように、胸の前で手を組む。
虎尾、そして桐弥も、固唾を飲んで戦況を見守る。
──ばしゃあああっ!
天へ突き上げるように、まっぷたつに両断される渦。
細かな水しぶきが雨のごとく打ちつけるなか、千菊は正面を見据える。
莇のすがたをした『鬼』が、ふたたびすがたを現す。
「人の子がいくら足掻こうとも、我には敵わぬ」
「御託はけっこうです。私は、無駄なおしゃべりをするつもりはありません」
チキリ。千菊が短刀の鯉口を切った刹那。
──すぱぁんっ!
十文字の衝撃波が、『鬼』を襲う。
瞬時に抜刀。目にもとまらぬ疾さで、二連撃をくりだしたのだ。
すかさず後方へ飛びのいた『鬼』ではあるが、霊力をおびた衝撃波を完全にかわすことは難しく。湖面へ着地するころ、右ほほから赤いひとすじがたらりとしたたり落ちた。
「ふん、小癪な」
『鬼』の嘲笑とともに、右ほほの傷が閉じてゆく。
斬っても一瞬で治癒するあやかし。
むろんそんなものは、いまだかつて存在したためしがない。
「ならば、治癒が追いつかないほどに斬り込めばよいだけのこと」
千菊は手のひらを返し、短刀をにぎり直す。
「忌々しい『鬼』よ──塵芥となれ」
ひらり。純白の袖が風になびく。
短刀をたずさえた青年は、残像となった。
* * *
……どうしてこうなった?
(なんでだよ……)
キンッ、キンッ、ガキィンッ!
激しい打ち合いの音。
刃と刃が衝突し、火花が散る音。
(なんで立花センセは、平気な顔して刀をふるえるんだよ)
葵葉はいまだ、理解ができなかった。
(相手は、莇なのに……!)
厳密には、莇のすがたをした『鬼』だ。
そんなことはわかっている。
けれど、肉体は莇のものなのだ。
この状況下で、莇の体内にある穢れの『核』だけを壊さなくてはならない。
(もし、上手く穢れを祓えなかったら……?)
答えは簡単だ。刀に斬られた人間は死ぬ。あっけなく。
(莇を殺すかもしれないのに……なんで!)
躊躇なく『鬼』へ斬り込み続ける千菊の心情が、葵葉にはとうてい理解ができなかった。
要するに、葵葉は怖気づいていたのだ。
「もう、嫌だ……やめてくれ……」
頭をかかえて、現実から目をそらすことしか、できなかった。
怒涛の剣戟は続く。
『鬼』が攻撃を放つ前に、千菊はすばやく斬り込む。
上半身を重点的にねらった強襲により、ほほ、肩、腕と、『鬼』のいたるところに斬撃の痕がきざまれる。
『鬼』は短刀を受けとめ、その軌道をいなすのみ。防戦一方のようだ。
ひろい湖を逃げまわる『鬼』。
千菊は全身に霊力をまとい、足底に力を込める。
「逃がすものか」
ぐんっと瞬時に距離を詰め、『鬼』の目前へ接近。
鋭いきっさきで、『鬼』の胸もとを捉えたとき。
血に濡れたような夕照を、きらりと反射するものがあった。
「……斬るんですか」
はらり。少年のほほを、きらめく涙がつたう。
「おれを斬るんですか……蘭雪さま」
「──ッ!」
千菊を見つめ、少年が悲しそうにつぶやいた。
「矢一……」
時が止まったかのようだった。
千菊がためらった一瞬のうちに、勝敗は決する。
──ぷしゃああっ。
黄昏の空に、血しぶきが舞う。
千菊の左肩から右の腰にかけて、黒い太刀がふり下ろされたのだ。
「愚か者め」
どん。鈍い音とともに、千菊のからだが蹴り飛ばされる。
無情にも岸辺に叩きつけられた衝撃で、竜頭面がはじき飛ばされる。
竜の角は折れ、面紐は断ち切られていた。
「あるじ、さま……そんな、あるじさまッ!」
うつ伏せに倒れ込む千菊。純白の衣が、鮮血に染まりゆく。
千菊を呼ぶ鼓御前の声は、もはや悲鳴だった。
「……うそ、だろ……立花センセが、負ける、なんて……」
葵葉は放心状態。だれもが、戦慄した。
「……っく……ぅ……」
「まだ息があるな」
岸辺へ降り立った『鬼』が、千菊のもとへ向かう。
「やめてください!」
懇願するような鼓御前の一声に、ぴたりと『鬼』が足を止めた。
「あなたの目的はわたしなのですよね。あなたに従います。だから、これ以上あるじさまを傷つけないでください」
「ほう……」
「なにを考えてる、天!」
「そうよ、危ないわ!」
「止めないでください!」
むろん、桐弥も虎尾も黙っているはずはなかったけれど。
「行かせてください……父さま、母さま」
切実な紫水晶のまなざしを前にすれば、選択肢はないに等しかった。
「いいだろう。どうせ、じきに死ぬだろうからな」
『鬼』はもう、千菊への関心を失ったようだった。
悠然とした態度で、『鬼』が手をのばしてくる。
深淵のような黒い瞳で、鼓御前を見据えたまま。
「……ごめんなさい、みなさん」
鼓御前はうつむき──
「……信じていますから」
そうつぶやいて、足早に結界をすり抜ける。
「あぁ……ようやくだ。ようやく、手に入る」
鼓御前が歩み寄るほどに、『鬼』のまなざしは熱をおびてゆく。
「美しき刀よ……今度こそ、我がものに」
破顔した『鬼』は、その両腕で鼓御前をかこい込む。
「──だれにも、わたさない」
そして、獣のような執着をかいま見せた直後。
どす黒い瘴気が、鼓御前を飲み込む。
「──姉さまぁッ!」
やがて黒い煙が立ち消えたとき、血に濡れた夕暮れの空と湖の景色だけが、取り残されていた。




