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幕間 伝説のはじまり

 見上げれば、どこまでも青い空。

 かすむ視界すらいろどるその青は、言葉に尽くせぬほど美しい。


(……これは、罰なのかもしれない)


 木の幹に力なくもたれながら、蘭雪はぼんやりと思った。

 脇腹からにじむ生温かいものが、傷口をおさえた手を赤く染める。

 かろうじて意識を保ってはいるが、傷の処置をしなければ、そのうち蘭雪は死ぬだろう。


(これは……私の浅はかさがまねいた結末)


 蘭雪は重い首をめぐらせ、足もとに落ちたひと振りの太刀を見下ろす。


(いずれはきみを、手放さなくてはならなかったのに)


 いまさら後悔したところで、遅いのだろうけれど。



 ──蘭雪がその刀と出会ったのは、数か月前。

 いくさの進軍中、野盗に遭遇した。

 このときの蘭雪は、元服を終えて間もないころ。

 さらに華奢なからだつきで女のように見目麗しい蘭雪のことを、賊は侮り、嘲笑した。

 その油断がわざわいして、蘭雪から容赦なく斬り捨てられることになるのだが。


 賊を撃退した蘭雪は、そのうちのひとりが太刀を持っていたことに気づく。

『天鼓丸』と銘を切られた、しなやかな太刀だった。


 ──なんと美しい刀だろう。


 蘭雪は、一瞬にして魅せられた。

 賊の持ち物にしては、精巧なつくり。

 どこからか盗んできたものだろうと、容易に想像はついた。


(であれば、持ち主に……もといた場所に、帰してあげなければ)


 蘭雪は『天鼓丸』をひろい、たいせつに持ち歩くことにした。

 そしてその日を境に、蘭雪は不思議な出来事を経験するようになる。


『……ととさま……父さま……』


 蘭雪は、少女がすすり泣いている夢を見た。

 少女のすがたは霞がかかったように曖昧で、よくは見えない。


 ──どうして泣いているの。


 蘭雪は少女に問いかけた。

 すると少女は泣きながら、かなしい、さみしいと答えた。

 蘭雪は不憫に思い、少女を慰めようとする。

 しかし伸ばした手が、少女に届くことはなく。

 そこでいつも、蘭雪は目をさますのだ。


 くり返される夢。

 そのうちに、これは『天鼓丸』が見せる夢ではないかと、蘭雪は気づきはじめた。

 あの太刀を枕もとに置くようになってから、夢を見はじめたのだから。

 そこで蘭雪は、次に夢を見たとき、少女にこう語りかけた。


 ──私が、そばにいます。


 ふたりでいれば、さみしくはないでしょうと。

 するとその夜は、少女の肩にふれることができた。


『……ほんとうに? 約束してくれますか?』


 このときはじめて、少女が蘭雪を見た。


『……ありがとうございます』


 いつも泣いていた少女が、はじめてほほ笑んだ。

 儚くも美しい少女のすがたに、蘭雪の胸は高鳴る。

 こころを、奪われた。


 万物には、神がやどるという。

 あの少女は、太刀にやどった『天鼓丸』なのだ。

 蘭雪はそう信じ、肌身離さず持ち歩いた。

 ……そのころには、手放したくないと思うようになっていた。


(けれど……この子は家族を想って泣いていた)


 ほんとうは、刀匠(おや)のもとに帰りたがっていたのだろう。

 それなのに蘭雪が未練がましく手放さずにいたから、こんなことになってしまった。


(私は……もうすぐ死ぬ)


 敵に百の兵を放たれた。

 頭角を現していた蘭雪も、まだいくさの経験が浅い十六の若者。

 押し寄せる兵を相手に、しだいに消耗し、追い込まれていった。


(約束も、守れずに……情けない)


 おのれの命など、どうでもよかった。

 それよりも、おのれが死ぬことで、まただれとも知れぬやからに彼女をぞんざいにあつかわれることが、耐えられなかった。


(あぁ、きみだけはどうか、無事で……!)


 最後の気力をふりしぼり、蘭雪は手を伸ばす。

 その刹那。真っ青な空を、雷鳴が引き裂いた。


『あるじさまに、さわらないで……!』


 蘭雪は信じられない光景を目にした。

 夢で見た少女が目前に現れたかと思うと、白い閃光に目がくらむ。

 竜の咆哮のような雷鳴が轟く。

 次に蘭雪が目をあけたとき、敵のすがたはなく、静まり返っていた。


「……天鼓丸!」


 はっと我に返った蘭雪は、傷の痛みも忘れ、『天鼓丸』に駆け寄った。

 焦げたにおいがする。地面に投げだされた『天鼓丸』の刀身が、焼けてしまっていた。


「まさか……私をかばって」


『天鼓丸』が雷を呼んだ。蘭雪にかわって、その身に稲妻を受けたのだ。

 晴れた夏の空に、突如として轟いた雷鳴。

 竜の怒りだと、だれかが叫んでいた。

 そして敵は恐れをなし、ひとり残らず逃げだしたのだ。


「身をていして、私を守ってくれたのですね……!」


 疑いようもなかった。蘭雪は焼けた太刀を腕にいだき、はらはらと涙を流す。


「ごめんなさい、私が無力なせいで……私には、どうしてあげることもできない……」


 深い(きず)を負ってしまった刀のために、なにもできない。


「どうすれば、きみを助けられますか……?」


 どうすれば、この痛々しい疵を癒やすことができるのだろうか。

 嘆いたところで、武士でしかない蘭雪にできることはないのだけれど。


「──やっと見つけた……天姫さま」


 ふいの声。はじかれたように蘭雪はふり返る。いつの間にだろう。背後に人影があった。


「……あなたは?」


 蘭雪は慎重に問う。男は蘭雪をじっと見つめたのち、静かに口をひらいた。


「わたしは刀鍛冶です。その『天鼓丸』は、わたしのたいせつな方が打った刀」

「──!」


 男は真実を言っている。蘭雪は直感した。

 自身の持つ太刀に『天鼓丸』という銘が切られていたことは、この場において、蘭雪しか知らなかったはずだから。


「わたしが、その子を治します」


 刀鍛冶だという男の申し出を、蘭雪は断るまでもなかった。



  *  *  *



 ちょうど三日後の朝。

 蘭雪が目をさますと、枕もとにひと振りの刀が置かれていた。

 刀を白鞘から抜き、蘭雪は感嘆をもらす。

 刃を研がれ、以前よりちいさくなってしまったけれど、間違いない。

 その刀は、『天鼓丸』だった。


『この子は、あなたに託します』


 あの日、刀鍛冶の男は言っていた。


『ですから、約束をしてください。この子に生涯寄り添い、たいせつに後世へつたえていくと』


 いまとなっては、その男の顔もよく思いだせない。夢のような出来事だった。

 けれども、腕のなかにある刀の存在は、たしかなものだ。


「……おかえり」


 彼女が主と認めてくれたのなら。

 蘭雪も、生涯をかけて彼女をたいせつにしたいと、強く誓った。


「私といっしょに生きましょう──わが愛しの君、鼓御前」


 これが、蘭雪と愛刀『鼓御前』の物語。

 そして戦乱の世に、竜神のごとくその名を轟かせる『鳴神将軍』の、伝説のはじまり。

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