*46* 誓い
「歯がゆくてしょうがないって感じだな」
さんさんと照りつける太陽のもと。
木もれ陽がそよぐ林道で、葵葉は目前を歩く千菊の背に言葉を投げかける。
返答はない。土をふみしめる音が聞こえるだけ。
葵葉はため息をつき、言葉を続ける。
「莇の先祖があんたの家来だったって話。正直おどろいたけど、考えてみたらしっくり来るんだよな」
虎尾が語ったひとりの青年について。葵葉も、すこしだが知っていることがあった。
「矢一って、たしかあんたがひろったひとだよな」
さくり。草をふむ音がして、千菊が足を止める。
それからたっぷりの沈黙をはさんで、口をひらいた。
「そうです。家族を殺され、天涯孤独となっていたところを、私がむかえ入れました」
蘭雪が『鳴神将軍』として名をはせ始めたころ。
敗走していた敵軍の兵が、民家を襲う強盗事件を起こしていた。
武士にあるまじき卑劣な行為である。
怒り心頭の蘭雪は、みずから残党の討伐におもむき、そこで矢一と出会ったのだ。
「罪なきひとびとの命が、脅かされてはなりません」
蘭雪は慈悲深い性分だった。家族を失った矢一を不憫に思い、家臣として召し上げた。
矢一も蘭雪に恩を返すため、よく仕えた。
弟というには年がはなれ、子というには年が近い矢一は、蘭雪にとってしだいになくてはならない存在になってゆく。
「俺も……なんとなくだけど、そのひとのこと、おぼえてる」
なぜなら蘭雪のたのみを受け、彼の死後に鼓御前と青葉時雨をともに墓に埋めた人物こそが、矢一なのである。
その手にふれ、そのこころにふれたからこそわかる。矢一が蘭雪を尊敬していたことは、葵葉にやどった魂の記憶にもきざまれている。
御刀さまに忠誠をつくす莇の性格は、矢一のそれを引き継いでいるのだろう。
「私がいなくなったあとに、なにが起きたのですか……矢一」
矢一がいつ、どのような経緯で鬼塚を名乗るようになったのか。
そのことも含め、鬼塚に関するすべての情報は、厳重に規制がなされている。
血縁者でもないかぎり、情報を閲覧することは叶わないだろう。
この件に関して、千菊にはなすすべがない。
だからといって、このまま指をくわえて見ていろとでも?
──冗談じゃない。
「必ずや、報いてみせます。逃がしはしません」
鬼の首を、獲ってみせる。
そのために、おのれのすべきことをするのみ。
こころに固く誓って、千菊は歩みだす。
「無理はすんなよ……莇」
葵葉は来た道をふり返り、木もれ陽の向こう側へ思いをはせた。
* * *
兎鞠島の北部にある山奥で、ひっそりとたたずむ鬼塚家。
その敷地内のどこかには、祖先を祀る『祠』があるという。
──バチィンッ!
全身に電撃が走り、視界が白くはじける。
次の瞬間には、莇はその場にくずれ落ちていた。
「くっ……はぁっ、はぁっ!」
『祠』は、しめ縄が張りめぐらされ、外部から一切の光をとり込まない閉鎖空間だった。
赤い鬼火が煌々と周囲を照らすなかで、莇は地面に座り込み、荒い呼吸をくり返す。
莇のそばには、首を覆っていた薄青色のストールと、一冊の古びた書物が落ちていた。
その書物を手にしたとたん、莇は異変に襲われたのだ。
「……ま、さか……」
息苦しさと激しい頭痛に耐えながら、莇は声をもらす。
「それなら、鬼塚家は……おれたちは……っ!」
首の痣が、疼く。
おのれをさいなんできたものの正体を、莇は知ってしまった。
鬼塚家が『鬼』の名を冠し、忌み嫌われてきたその理由を──
「行かな、ければ……!」
よろめきながら立ち上がった莇は、追い立てられるように駆けだす。
浅葱の裾をはためかせながら、駆けて駆けて駆けて。
やがてまばゆい陽光に満たされた『祠』の外へ出たとき、つと立ち止まる。
「御刀さまのところへ行くつもりだな」
梶の紋。
神宮寺家の家紋がほどこされた黒羽織をまとった痩身の男が、立ちはだかったためだ。
「……当主殿」
神宮寺苧環。血縁上は莇の父である男だ。
だが、疎遠だった年月が長すぎた。
苧環を父と呼ぶことに、莇はいまだすくなくない抵抗を感じていた。
苧環は太刀を佩いている。理由は、考えるまでもない。
「『真実』を知ったところで、おまえにできることはない」
「……やはり、『すべて』をごぞんじだったのですね」
苧環の物言いから、莇は察した。
長年胸につっかえていたもの。苧環の行動の真意を理解し、静かにまぶたを閉じる。
祈りにも似た沈黙ののち、莇はいま一度、その視線で苧環を見据える。
「お通しねがいます」
「断る。おまえを御刀さまのもとへ行かせるわけにはゆかぬ」
「通してください」
ザッ──……
莇が一歩をふみだしたとき、苧環はぞわりと悪寒にみまわれる。
「おれは、鼓御前さまのところへ行くんだ」
それはまさに、鬼気迫る表情。
首をさらけだした莇を中心に、濃密な霊力が渦を巻く。
「…………愚かなものよ」
苧環はぽつりと独りごちる。
そして、太刀の柄に手をかけたのだった。
「ならば……私の屍を越えてゆくがいい」
* * *
衣ずれの音がして、鼓御前は目をさます。
つつみ込む腕のぬくもりが、なくなっていた。
「……かかさま……?」
気だるいまぶたをこすると、薄暗いなか、布団から身を起こした虎尾のすがたが見えた。
唐茶色のまなざしは、鼓御前ではないどこかを、じっと見つめている。
「まだ夜明け前よ。こんな時間にやってくるなんて」
虎尾は障子に向けて、静かな言葉を放つ。
(どなたか……いらしたんだわ)
そのことに気づいた鼓御前は、布団から起きあがる。
「非礼をおわびいたします」
「……このお声は」
返答した声は、聞き慣れた少年のものだ。
障子の向こうにいる人影が、だれなのか。虎尾はすでにわかっていたのだろう。
静かな声音のまま、言葉をつむぐ。
「求めていた答えは、得られたようね」
「はい。本日は、鼓御前さまとお話をさせていただきたく」
「ふたりきりで、ね。アタシがこの子をひとりにするとでも?」
「お時間は取りません」
「……このまま帰るつもりはないみたいね」
虎尾はひとつ息をつくと、鼓御前へ向き直る。
「たぶん大丈夫だと思うけど、なにかあれば呼んで」
ふわりとほほ笑んだ虎尾が、やさしい手つきで頭をなでる。
あっさり引き下がったのは、相手が鼓御前にとって安全な存在だと判断したからだ。
虎尾は立ちあがって障子をひらくと、
「つづちゃんを泣かすことだけは、しないでね」
ひと言だけ言い残し、部屋を出ていった。
障子のすきまから、そよ風が舞い込む。
鼓御前は、じっと目をこらす。
「莇さん……」
やはり。思ったとおりの少年が、そこにいた。
「御前を失礼いたします」
莇は一礼すると草履を脱ぎ、縁側からあがり込む。
部屋に入ると障子を閉め、真白い足袋で畳のふちをまたぐ。
一直線に鼓御前へ歩み寄る足取りに、ためらいはなかった。
「おやすみのところ、申し訳ありません。本日は、折り入ったお話がございまして」
鼓御前の目前でひざを折った莇は、まず謝罪を口にする。
ここで鼓御前は、『違和感』に気づいた。
「莇さん、首が……」
莇が人目にふれることをよしとしなかった首を、さらけだしていたのだ。
鼓御前は息をのむ。
まるで刎ね飛ばした首を、つなぎ合わせた痕のよう。
それが、莇の首にきざまれた痣の全容だった。
間近にして、その痛々しさをようやく思い知る。
「鬼塚について、過去の記録を調べました。そしておれは、『真実』を知りました」
「『真実』……」
「鬼塚と『墓荒らしの鬼』の関係。おれが……何者なのか」
莇はひとたび口をつぐむ。
彼はいま、なにを思っているのだろう。
はやる気持ちをぐっと堪え、鼓御前が耳をかたむけたとき。
「鼓御前さまに、すべてお話しします。この痣にからみついた、因果の真相を」
莇は首の痣にふれ、語りはじめる──
* * *
「……そんな……では、鬼塚家の方々は……」
『真実』を聞いた鼓御前は、絶句した。
すべてを語り終えた莇の表情は、じつに凪いだものだった。
「これを知ったところで、おれにできることはそう多くありません。ですが、なにもせずに後悔だけはしたくないのです」
つまり、莇は『なにか』を成し遂げようとしている。
今後を左右する、大きな決断に迫られながら。
「鼓御前さま……お手を、拝借しても?」
ふと、莇が声をひそめる。
「はい、どうぞ」
鼓御前が右手をさしだすと、どこか緊張した面持ちの莇が、表情をやわらげる。
「では、失礼して」
莇は左手でそっと鼓御前の手を取る。
そして右手の人さし指で、ゆっくりと、鼓御前の手のひらをなぞった。
「これは……」
なにか、文字を書いている。なにかをつたえようとしている。
「口にするのは、はばかられますので」
「莇さん、これは、もしかして……」
「おれのこころが、あなたさまとともにあるというあかしです。……鼓御前さまに、知っていてほしくて」
莇はそういうと、ふいに鼓御前の耳もとへくちびるを寄せ。
「────」
たったひと言だけ、ささやくように告げた。
「…………ごめんなさい。こんなことを言うの、はじめてで」
からだを離した莇はうつむきがちで、耳はすこし赤らんでいた。
なにを言われたのか。
それを遅れて理解した鼓御前は、じんと目頭が熱くなるのを感じた。
「そんな、わたし、どうしたら……莇さんにお返しできるものが、思いつきません……」
「お礼は大丈夫です。これはおれの自己満足ですので」
「でもそれじゃあ、わたしの気がすみません……!」
鼓御前は、意地でも引き下がらなかった。
ここで終わりにしてはいけない。
直感が、そう告げていたのだ。
「わたしにできることは、なんでもします。莇さんのねがいを教えてください」
「鼓御前さまが、そうおっしゃるなら……」
すこし考えるそぶりがあって、莇はちらりと鼓御前を見る。
「おれ……あんまり、ほめられたことがなくて。そういうのを求めるのは甘えだって、おれも思ってたんですけど……でも、おれたちはじぶんで思ってる以上にこどもだって、葵葉に言われましたし……」
「だからですね、その……」と、何度か言いよどみつつ、莇は意を決したように告げる。
「おれ、がんばります。なのでちゃんとできたら……頭を、なでてもらえますか……?」
「莇さん……」
気恥ずかしいのだろう。莇の顔は、暗がりでもわかるほどに真っ赤だった。
なんと純粋で、なんと無垢なこころなのだろう。
鼓御前はいまにでも手をのばしたい気持ちを、押しとどめる。
「もちろんです」
かわりに力強い答えを返しながら、莇の手をにぎった。
鼓御前のものよりひとまわり大きくて、ゴツゴツとした感触だった。
マメがつぶれて、硬く厚くなった手。
どんなときも刀をにぎり続けてきた、努力のあかしだ。
「おれが鼓御前さまを傷つけることはありません。──ぜったいに」
莇も誓うように、鼓御前の手をぎゅっとにぎり返したのだった。




