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*44* 真実

 波乱の『奉納祭』から、一夜明けた日。

 家の一室で、ひとりの青年が布団に横たえられていた。


「そんな……どうして……」


 虎尾へ覆いかぶさるようにして、鼓御前がはらはらと涙を流す。


「目をさましてください、花ちゃんおねぇさまぁ……!」


 かたわらでは、黙りこくった桐弥が、その光景を見つめていた。

 昨晩からずっとこの様子だ。

 一睡もせずに泣き明かす鼓御前のすがたは、見ていて痛ましい。


「……僕の責任だ。あのとき、僕が反撃できていれば」

「父さまは悪くありません!」


 桐弥は神楽を舞い終えた直後で、酷く消耗した状態だった。

 意識を保っていたこと自体が奇跡だったのだ。

 では、いったいどうすべきだったのか。

 いまさら後悔したところで、手遅れなのだけれど。


「天──」


 なんと声をかけたものか。

 迷いながら口をひらこうとした桐弥は、はたと息を止める。

 力なく投げだされていた虎尾の指先が、ぴくりとわずかに動いた気がして。


「うぅ……花ちゃんおねぇさま……」

「待て、天」


 いや、気のせいではない。

 確信した桐弥は、いまだ嗚咽をもらす鼓御前の腕を引く。

 それと時をおなじくして、伏せられた虎尾のまつげが、ふる、と震えた。


「……んっ……んん~っ! ふわぁ、よく寝たわぁ」

「えっ……」


 鼓御前は呆然とした。なにが起きたのか、よくわからなくて。

 けれども、布団からもぞりと起き上がり、あくびをもらしている虎尾のすがたは、本物で。


「まぁ、ふたりともおそろいで。ってあら、アタシすっぴんじゃない? やぁだ~、恥ずかしい~」


 かと思えば、虎尾はなにやらのんきなことを言いながら笑っている。

 そこへ、ゴゴゴ……と不穏な空気を背負った桐弥が詰め寄り。


「寝ぼけたこと言ってる場合か、この馬鹿たれがぁっ!」


 ばちぃんっ! と容赦ない平手打ちが、虎尾の頭を直撃する。


「いったぁ~い! なになに!? 暴力はんたぁ~いっ!」


 すかさず虎尾が涙目で抗議したのは、言わずもがなである。



  *  *  *



「そういえばアタシ、死にかけてたわね」


 寝起きに一撃をおみまいされ、目がさめたのだろう。

 布団から上体を起こした虎尾が、他人事のようにつぶやいた。


「まぁでも、あんまり気にしなくていいわよ。首を飛ばされるか、心臓をひと突きされないかぎりは、アタシ死なないから」


「それはおまえが、千年あまりを生きるあやかしだからか」

「そういうこと」


 桐弥の問いにはためらいがない。

 虎尾も、そんな桐弥にごまかしはきかないと理解していたのだろう。かしこまったように居住まいをただし、深々とこうべを垂れる。


「わたしは、平安の世から生きる九尾の狐。そしてお察しのとおり、紫榮さまに命を救っていただいた狐でございます」

「まぁ……」


 薄々ながら、鼓御前も違和感をおぼえてはいた。

 以前、桐弥との特訓で負傷した葵葉と莇を一瞬で治療したことからもわかる。

 虎尾は、驚異的な治癒能力をもつあやかしなのだろう。


「『狐の生き肝は万病にきく』だなんて、追いまわされていたこともありまして。まぁ否定はしませんし、肝も再生はするんですけれど……生きたまま内臓の一部をえぐりだされるのって、めちゃくちゃ痛いのでやめてほしいんです」


 鼓御前、そして桐弥は絶句する。

 さらりと言ってのける虎尾の言葉が、あまりに衝撃的すぎて。


「そんなこんなで、人間不信に陥っていたわたしではありますが……紫榮さまにひろっていただきました。それだけでなく、手当てまでしていただいて。命を救われ恩を感じるのは、当然でございます」

「僕のところに突然やってきた刀鍛冶の男も、おまえだな」

「はい、そうです。すこしでも紫榮さまにお力になれたらと思い、人に化けました」


 虎尾の口から語られるごとに、点と点が線となってつながってゆく。


「しかしながら、紫榮さまが病床に伏せられたあとは、なすすべがなく……それから輪廻の果てにふたたびお会いできる日を信じ、千年ものあいだ、紫榮さまの魂をおさがししておりました」

「そうだったのですね……」


 なんと一途なことだろう。

 虎尾の想いに胸が熱くなる一方で、鼓御前はふと疑問をおぼえた。


「それでは、どうしてわざわざ陣さまとお名乗りに? 鞘師のご夫婦を怖がらせる必要は、なかったのでは?」


 紫榮の魂をやどした桐弥を見つけ、九条家とかかわりの深かった鞘師の家系に目をつけた理由はわかる。

 ただ、虎尾に対する夫婦の怯えようは尋常ではなかった。


「情を感じてもらっては、困るからですよ」

「……と言いますと?」

「わたしはあやかしで、彼らはひと。こちらは利用するだけ利用していつかは消えるつもりなのに、記憶に残されては困るんです」


 だから生後間もない息子を亡くして失意の底にいる夫婦を脅し、その息子である陣になりすましてやったのだという。

 嫌な思いをさせれば、夫婦もじぶんのことを忘れたがるだろうと思ったから。


「はなから存在しない虎尾の名を(かた)った理由は。僕に近づくためであれば、陣だけで充分だったろう」

「それに関しては、わたしのわがままと言いますか」

「……わがままだって?」

「お仕えする以上、桐弥さまに無理強いはしたくありません。ですが桐弥さまはごじぶんをたいせつになさらないので、ある程度物を申す存在も必要と判断しました」


 つまり、桐弥に付き従うのが陣。もしものときはぶん殴ってでも寝かしつけるのが、虎尾の役割だったということだ。


「陣と虎尾。どちらがわたしなのかと問われますと、どちらもわたしでございます」


 虎尾はにっこりと笑う。

 一見して正反対のふたりだが、桐弥を気遣う気持ちはおなじ。どちらも彼の一部なのだ。


「……僕らは、見事に化かされてたってわけだな」


 ひとつ息を吐いた桐弥は、紫水晶の瞳で虎尾を映す。

 虎尾も、唐茶色の瞳で桐弥を見つめ返した。


「わたしはずっと、あなたさまに恩返しがしたいと考えておりました」

「そんなことしなくていい」

「それではわたしの気がすみません」

「恩なら充分に返してもらった。だからこれ以上の貸し借りはなしだ、風汰」


 それは、なんの変哲もない狐に桐弥がつけた名。

 狐にとっては、唯一あたえられた存在意義だった。


「これからは、好きにすればいい」


 たったひと言。

 そっけない言葉のようにも聞こえるが、鼓御前はくすりと笑みがおさえられない。


「ふふ、『ありのままで大丈夫』ということですね」

「……む」

「父さまのおっしゃること、わたしもだんだんわかるようになってきました」


 桐弥は気まずそうに顔をそらす。

 鼓御前はまた笑って、虎尾をふり返った。


「花ちゃんおねぇさま、わたしも考えていたことがあるのです」

「……なんでしょう?」

「わたしを打ったのは紫榮さまですが、相槌を打った狐さんも、わたしの生みの親にちがいはありません」


 そう、刀は独りでは打てないのだ。だから。


「紫榮さまが父さまなら、花ちゃんおねぇさまは、(かか)さまですね」

「なっおい、天!」


 なぜか桐弥が真っ赤な顔でふり返るが、鼓御前は気づかず。


「母さまにお会いできて、つづはうれしゅうございます!」


 はじけんばかりの笑みで抱きつく鼓御前を、虎尾も無意識のうちに抱きとめる。


「あぁ……」


 感嘆をもらした虎尾は、ぎゅっと鼓御前を抱きすくめ。


「わたしの……わたしたちの、かわいい子」


 ほろり。そっと閉じた虎尾の瞳から、ひとしずくがこぼれ落ちた。


「──お取り込み中のところ、失礼いたします」


 どれほど抱きあっていただろうか。

 静かな部屋に、男のおだやかな声がひびく。

 鼓御前が入り口のほうを見やると、竜頭面の男がそこに。


「あるじさま……?」


 千菊に間違いはない。

 だが鼓御前は、なぜか身ぶるいをしてしまった。

 というのも、千菊の周辺が、ひやりと冷えきっているような気がしたから。


「回復されたようで安心いたしました、虎尾先生。それとも──陣さまとお呼びしたほうがよろしいですか」

「どっちでもいいけれど」

「では虎尾先生、単刀直入に申しあげます」


 鼓御前を抱いた虎尾を面越しに一瞥した千菊は、ひと言。


「ごぞんじのことを、洗いざらい白状してもらいましょうか」


 その瞬間、さすがの虎尾もほほが引きつった。


「立花センセ……もしかしなくても、激おこじゃない?」



  *  *  *



『奉納祭』で重傷を負った虎尾が、意識を取りもどした。夜どおし付き添っていた鼓御前のことも気にかかるため、葵葉は莇とともに九条家をおとずれたのだが。


「……なんだ、このカオスな状況」


 通された一室で、葵葉は遠い目をした。

 腹を貫かれたはずだが、虎尾は涼しい顔をしている。それはいい。

 不可解なのは、布団から起き上がった虎尾に鼓御前が引っつき、その正面に、冷ややかな笑みを浮かべた千菊が座っているという状況。

 鼓御前はおびえてしまっていて、虎尾が「大丈夫だからね、つづちゃん」としきりに頭をなでていた。

 ちなみに桐弥は、腕組みをして千菊を視線で牽制している。

 今風に言えば「ガンを飛ばしている」だ。


「見なかったことにしたい」

「おや葵葉、莇さん、事後処理ご苦労さまです。こちらへいらっしゃい」

「逃げられんかった」

「はい、失礼いたします!」

「そしてこの状況にかまわず突っ込んでいけるおまえはすげぇよ、莇」


 葵葉は観念し、莇に続いて千菊のとなりへ腰をおろした。


「あなたが何者なのか。九条神使にあらかたの事情はうかがいました。その上で、はっきりさせていただきます」


 どこか張りつめた空気のなか、千菊は虎尾を見据える。


「今度こそ正直にお答えください。私とあなた、以前にお会いしたことがありますね?」


 けっして逃がさない。確固たる意志をもった声音だった。


「えぇ、あります」


 虎尾もはぐらかすことはしない。

 そうして、決定的なひと言を放つ。


「蘭雪さま。『天鼓丸』をお持ちだったあなたの前に現れた刀鍛冶は、わたしです」


 それが意味することは、つまり。


「わたしが、『天鼓丸』を磨上(すりあ)げました」


 はっと息をのむ鼓御前。

 またひとつ、『真実』が語られようとしている。


「雷に撃たれ、焼けてしまって……傷ついたこの子を、放っておけなかった」


 焼けた刃を研がれ、『天鼓丸』は太刀から脇差へ生まれ変わったのだ。


「ですがあなたは、磨上げのさいに削った銘を、ふたたび切ろうとはなさいませんでした」


 無銘の脇差。

 だからこそ蘭雪は『鼓御前』とあらたに名づけ、それが後世へ語りつがれることになったのだ。


「敬愛する九条紫榮さまが心血をそそいで打った刀であるならば、なぜ『天鼓丸』の存在を伝えようとなさらなかったのですか」


 千菊の問いに、虎尾が静かにまぶたを閉じる。

 つかの間の沈黙が流れ。


「『墓荒らしの鬼』が、やってくるから」


 息を吐きだすように、虎尾はつぶやく。

 これに、千菊がぴくりと身じろいだ。


「……かつてこころの底から愛し、ともに墓に入れたはずの刀が、何者かに暴かれた。今世に生まれ直し、それを知った私は、ほんとうにはらわたが煮えくり返る思いでした」


 千菊の声音は、ふだんより一段と低い。なにより、怒りにふるえていた。


「私は、『真実』が知りたかった。教えてください。『墓荒らしの鬼』とは、何者ですか?」

「ひと振りの刀に執着した、哀れな者の末路。悲しき怨霊」


 すらすらと受け答える虎尾の視線が、ふいに逸らされ。


「アレの正体を突き止める鍵があるとすれば──あなたよ、莇ちゃん」


 唐茶色の瞳が、おどろきに目を見ひらく莇を捉えていた。

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