*43* 命のともしび
夏の空が、黒に染まる。
「外に出てはいけないよ、ふゆ」
甘味処『はなや』の店先にて。
戸口に手をかけ、夜空を見上げていたふゆの肩に、青年の手がふれる。
「わかっていますよ、紫陽さま」
うなずくふゆ。しかしいまだ気遣わしげに、夜空の向こうを見上げる。
「御刀さま方は、大丈夫かしら……」
先日、〝慰〟が逃げだしたらしい。
覡たちが昼夜問わず巡回しているため、いまのところ島民は問題なく日常生活を送ることができている。
ただ、このところふゆは、胸さわぎがしてならなかった。
そして高い霊力をもつふゆの胸さわぎが、単なる勘にとどまらないことを、紫陽は知っていた。
(なにか、よくないことが起ころうとしている)
それを理解したとて、桜の精でしかない紫陽にできることはかぎられているのだが。
「ねぇ、紫陽さま」
「うん?」
淡色の袖を引かれる感覚で、紫陽は思案の底から意識をもどす。
ふゆが、切実な面持ちでこちらを見上げていた。
「私たちに、なにかできることはないかしら?」
「そうだね……」
──みなさんが無事でいてくだされば、わたしはそれでいいのです。
こころやさしい御刀さまは、そうおっしゃるだろうけれど。
「きっとあるはずだよ」
命を救ってもらったのだ。
恩返しがしたい。その気持ちは、紫陽だっておなじだった。
「きっと、なにかできることがあるはず。だからふゆ、ぼくたちも」
あきらめなければ、道はひらけるはず。
そう信じて、紫陽はふゆのちいさなちいさな手を、ぎゅっとつつみ込んだのだった。
* * *
青々と木の葉がそよぐ葉月の夜。
ゴーン……と、鐘の音がひとたび鳴りひびく。
月が隠れる新月の夜は、すべてが闇におおわれる。
兎鞠島の中心部。
島の全域を見下ろすことのできる高台に、神楽殿がある。
暗がりのなか、ぱちぱちと火の燃えさかる音がひびく。
四方を篝火にかこまれた場所こそ、神楽の奉納を行う舞台。
そこに、神楽鈴を手にした少年、桐弥がたたずんでいた。
『奉納祭』の神楽は、例年どおりに執り行う。
その言葉をたがえることなく、この日をむかえた。
篝火が焚かれた舞台の外側を、大勢の覡たちが取りかこむ。
竜胆や千菊といった御三家の者はもちろんのこと、葵葉や莇など、年若い少年らのすがたもあった。みな舞台上を注視し、事の行く末を見守る。
舞い手である桐弥は、金糸で朱雀の刺繍がほどこされた真紅の狩衣をまとい、頭には烏帽子を身につけていた。
しんと静まり返った闇夜に、龍笛が鳴りひびく。
そして動くもののない静寂を、太鼓の音が打ち破った。
──しゃらん。
雅楽にあわせ、鈴の音が奏でられる。
神楽鈴を手にした桐弥は、真白い足袋で滑るように舞台の端から端へ移動する。
四方を祓い清めることで、『神降し』の準備がととのう。
舞台の中央には、刀掛けにおさまったひと振りの刀があった。
夜空のように澄んだ漆黒の刃をした、脇差だ。
しゃらん、しゃらん。
鈴の音がひびくさなか、ぽう……と淡い光が灯る。
桐弥の周囲に現れたそれは、あたたかな橙色のかがやきを放っており。
すぅ──
橙の光が、漆黒の刃に溶け消える。
刹那、まばゆい光があたりを照らした。
やがて刀があった場所に、少女がすがたを現した。
艷やかな黒髪を結い、緋袴に千早をまとった少女。
彼女こそが、この島で祀る御刀さま、鼓御前だ。
舞台の中央に座した鼓御前は、まぶたを閉じたまま、身じろがない。
龍笛と太鼓、そして神楽鈴の音がからみあうさまへ、ただ耳をすませていた。
ふいに、篝火がゆらぐ。
「……来たか」
だれかが、うなるようにこぼした。
葵葉は常磐色の瞳を細め、不規則にゆれる篝火の方角を見やる。
「……キキッ」
「ケケケッ!」
闇の向こうから、黒いもやをまとったねずみのようなものが、二匹。
篝火のまわりには、目玉のようなもようの羽をひろげた蛾が集っている。
篝火のあかりと雅楽の音色につられ、島中の〝慰〟があつまりはじめたのだ。
「手出しは無用ですよ、葵葉」
「わかってるって」
釘を刺すように、千菊が葵葉へ呼びかける。
そのかたわらで、竜胆がじっと舞台を見つめていた。
「……桐弥、頼んだぞ」
祈るように、竜胆はつぶやく。
「シャアアアアッ!」
〝慰〟たちは周囲の覡には目もくれず、いっせいに桐弥へと襲いかかる。
……しゃらん。
たえず奏でられていた鈴の音が、ひとたび鳴り止む。
「諸々の禍事、罪穢を祓え給ひ、清め給え。神ながら守り給い、幸え給え」
それまで沈黙をつらぬいていた桐弥が、口をひらく。
そうして舌先でそっと転がすように、祝詞をつむぐ。
「畏み畏みをも白す──鼓御前」
鼓御前は、そっとまぶたをひらく。呼び声へ、応えるために。
「──是」
宙を舞う橙の光が、少女をつつみ込み──
ぱしり、と。
天に向かってかかげられた桐弥の左手に、ひと振りの刀がおさまった。
鮮やかな朱漆塗りの鞘におさめられた、脇差が。
「準備はいいか、天」
『もちろんでございます、父さま!』
鼓御前の力強い応答を受け、桐弥はいま一度刀をにぎり直す。
呼吸をととのえたなら、紫水晶の瞳で正面をとらえ。
「来い、あやかしども。一匹のこらず葬り去ってやる」
──ザンッ!
抜刀の軌道で、襲いくるねずみの影を、薙ぎ払った。
* * *
むかしを思いだした。
いまとなってはおぼろげな、遠いむかしの記憶だ。
『……うぅ……とうさま、かあさま……なんで……』
両親に捨てられた幼少期。
さみしくて、心細くて、幾夜も泣き明かした末に、涙を枯らしてしまったこと。
『はぁ……おまえみたいに無愛想なやつの面倒を見ろって? 勘弁してくれ』
あてもなくやってきた京のみやこで、早々に兄弟子から見放されたこと。
『刀を、打ちたいんだろう?』
それでも、師には見捨てられなかったこと。
すべてが、過ぎ去った記憶だけれど。
ひとつだけ、鮮明に思いだすことのできる出来事がある。
『わたしに、お手伝いをさせていただけないでしょうか』
名も知らぬ男と、夜どおし刀を打ち続けた記憶。
あの夢のようなひとときは、魂にきざまれた記憶だ。
『天鼓丸、おまえは僕が打った最高の刀だ。おまえがいれば、きっと──』
無名の刀鍛冶がいだいたねがいは、叶うことはなかったけれども……それでも。
(僕はいま、ここにいる。いまこのときを、生きている)
人知れず息絶えた男の魂が、永い時をへて生まれ変わったのなら。
それはきっと、成すべきことを成すために生まれてきたのだ。
叶えられなかったねがいを、今度こそ実現するために。
どれほどのあいだ、舞い続けていたろうか。
夜が深まるにつれ、おびただしいほどの〝慰〟が荒波のように押し寄せる。
「……はっ、はっ……」
桐弥の呼吸にも、乱れが生じていた。
息をつく間もなく、何時間も〝慰〟を斬り伏せている状態だ。
鼓御前の神気によって肉体強化をしていても、穢れの浄化は霊力が必要となる。
休むことなく刀をふるい、同時に指先から霊力を注ぎ込んで御刀さまの浄化をおこなっている桐弥の消耗は、尋常ではなかった。
斬っても斬っても、終わりが見えない。
けれど桐弥は、舞い続けなければならなかった。
笛と太鼓の音が続くかぎり。
この深い夜が、明けないかぎり。
「……あきらめる、ものか」
上空には、一つ目の鴉が。背後には、草影から這いよる大蛇が。
「ぜったいに、あきらめない……」
極限状態のなか、もはや気力だけで意識を保っていた。
それでも倒れないのは、なんとしても果たしたいねがいがあるから。
「僕は生きる……こいつといっしょに!」
桐弥はぐっと、柄をにぎりしめる。
持てる力のすべてを注ぎ込むようにして。
「だれも傷つかない未来を、生きて見届ける!」
闇を切り裂く一閃。両断された鴉と大蛇が、煙のように立ち消える。
かけがえのないひとたちとともに、生きたい。
その想いだけを胸に、桐弥は舞っていた。
くるくると舞い踊るたび、周囲に灯った橙の光が、勢いを増してゆく。
それはまさに、燃えさかる炎のごとく。
「──僕は、生きるんだ!」
真紅の袖がひらめき、闇夜に刀の残像がおどる。
その直後だった。ぼうっとふくれあがった無数の炎が、一点へ集束し──
燃える翼をもった、火の鳥へとすがたを変えた。
「朱雀……いや、あれは……」
だれもが息をのむなか、竜胆はその光景を目に焼きつける。
「桐は、鳳凰の止まり木。……よくぞここまで……桐弥っ!」
こみ上げる熱によって、竜胆がそれ以上の言葉をつむぐことは、叶わなかった。
「僕が、この夜を終わらせてやる」
くるりと真紅の袖をひらめかせた桐弥が、漆黒のきっさきを天へ突き上げる。
と同時に、鳳凰が飛び立つ。
燃えさかる翼が炎のうずを巻き起こし、押し寄せる〝慰〟を、またたく間に飲み込んだ。
──一匹のこらず。
* * *
ぱちぱちと、篝火がゆれる。
いつしか、雅楽の音色は鳴り止んでいた。
じっと闇に目をこらす桐弥。
次の瞬間には、ひざからくずれ落ちていた。
「……はぁっ! はっ、はぁっ!」
「大丈夫ですか、父さま!」
すぐさま刀から少女へすがたを変えた鼓御前が、桐弥を抱きとめる。
すごい汗だ。なかなか呼吸もととのわない。かなりの霊力を消費したのだろう。
「どうか無理はなさらず」
「……あぁ……」
ぜぇはぁと、桐弥は肩で呼吸をくり返す。
しだいに落ち着きを取りもどす桐弥を前にして、鼓御前は目頭が熱くなった。
「父さまはすごいです……夜が明ける前に、〝慰〟をぜんぶ祓うなんて!」
歴代の舞い手が一晩かけて成し遂げたことを、夜明けを待たずしてやってのける。
これを偉業と言わずして、なんとするのか。
「僕ひとりじゃ、できなかった。……おまえがともに闘ってくれたから、僕も闘い抜くことができた……天」
桐弥は紫水晶の瞳を細め、鼓御前の肩にもたれかかる。その面持ちは、誇らしげだった。
「桐弥……」
息子へ声をかけようとした竜胆が、はっと身じろぐ。
桐弥と鼓御前が寄り添う舞台に、ひゅう……と、どこからか風が舞い込んだ。
「──!」
何者かの気配を感じ、はじかれたように桐弥が顔をあげる。そして、鼓御前も。
「こんばんは」
目前に、突如としてすがたを現した人影がひとつ。
癖のある紫紺の髪に、唐茶色の瞳。
紅に色づいたくちびるでゆるりと笑む、青年だ。
「花ちゃんおねぇさま……」
桐弥をささえる鼓御前の腕が、わずかに強ばる。
「あのひとっ、どの面下げてここに……っ!」
「待ちなさい、葵葉」
思わず踏みだそうとした葵葉を、千菊が制する。
「まだ終わってはいません。動かないで」
「立花先生、それはどういうことですか?」
つとめて平静を保ちながら、莇が問う。しかし千菊は答えない。
「この、裏切り者が……!」
覡のひとりが、刀の柄に手をかけた状態で踏みだす。
それでも青年、虎尾は、微動だにしなかった。
唐茶色の瞳で、桐弥と鼓御前を見つめるのみで。
「やっと……ようやくね。この日を何百年待ち続けていたことか」
「貴様、なにを言っている……?」
うわごとのようにつぶやいた虎尾は、鋭く細めたまなざしで覡をふり返る。
「死にたくなければ、下がっていなさい」
「な……ぐわぁっ!?」
びゅおう! 突風が吹き抜け、覡を吹き飛ばす。
「よくもっ……!」
この場に集結した覡たちが、各々の得物に手をかけたそのときだ。
「っ! みな下がれ! 来るんじゃない!」
怒号のような桐弥の一声がひびきわたる。
「父さま……」
そしていまだ状況を理解できずにいる鼓御前に、桐弥が覆いかぶさろうとしていて。
「──ッ!?」
かすかに蠢く瘴気。
その存在を鼓御前が察知するころ。
一陣の風が、舞台を吹き抜けた。
「やっとおでましね──このストーカー野郎!」
そして鼓御前は、信じられない光景を目の当たりにした。
虎尾が、じぶんと桐弥を背にかばうように、立ちふさがる光景だ。
──ガキィンッ!
重い衝突音がひびく。
そこでようやく、鼓御前は背後に忍び寄る影の存在を認識した。
顔に血の気のない男。病衣をまとい、その手には黒いもやのような刀をにぎっている。
虚ろな表情の男がくり出した斬撃は、届くことはなかった。
虎尾が両手をかざし、張りめぐらせた結界に阻まれて。
「花ちゃんおねぇさま、これはいったい……!?」
「アレは『鬼』よ。めちゃくちゃ危険なやつ。いいこだから、そこでじっとしてて」
口早に告げた虎尾が、おもむろに両腕をひろげる。
「いいでしょう、こちらも出し惜しみはしません」
すこしばかり低い声音と口調は、『陣』のもので。
ひゅおうううっ!
つむじ風が吹きすさぶ。
あまりの勢いに目をつむった鼓御前は、恐る恐るまぶたをひらき、息をのむ。
そして、桐弥も。
まばたきのうちに、虎尾のすがたが豹変していたのだ。
さらりと風になびく、長い紫紺の髪。桐弥と対になるような、純白の狩衣。
そして驚くべきは、人ならざる獣の耳と九本の尾をもっていたこと。
彼からにじみ出る気配は、ひとのそれではない。あやかしのものだ。
それも、何百、何千年もの時を生きた大妖の。
「これぞ、わが真のすがた。わたしの命にかえても、この御方たちは傷つけさせません」
九尾の狐。それは、伝説に登場する架空の存在だった。
このとき、こうして目にするまでは。
「おまえは、やっぱり──」
すべてを理解した桐弥の胸に、熱が、想いがあふれる。
「怨霊よ、その悲しき魂とともに、冥府へお帰りなさい!」
ざあざあと、木々がざわめく。
虎尾の声に呼応して、風が起こるのだ。
男は刀を地面に突き立て、吹きつける暴風にあらがう。
「グ……ウォオオオッ!」
だが目を血走らせた男が獣のような咆哮をひびかせながら刀を抜き去り、力まかせに投げ放つ。
「だめ……っ!」
鼓御前の悲鳴のような制止は、意味を成さない。
──ガキィインッ!
ふたたび、衝突音がひびきわたる。
激しく散る火花。黒いもやをまとった刀は減速することなく、結界に衝突する。
ピシリと、ひびの入る音が聞こえた。
「……わたしが、守る」
それでも虎尾は、頑としてその場から動こうとはしなかった。
──パリィンッ!
ついに、結界が崩壊する。
虎尾は、桐弥と鼓御前を背にかばったままで。
ぴしゃあっと、赤い飛沫が宙を舞う。
鋭いきっさきが深々と腹に突き刺さっても、虎尾は正面から目を離さない。
「──消えろッ!」
ゴウッ!
かざされた虎尾の手のひらから、炎が放たれる。
風に煽られたそれは見る間に燃え上がり、男を飲み込んだ。
「ギャアアアッ!!」
断末魔が夜を引き裂く。
苦しみ悶えていた男は、炎にまかれたまま、背を向けて走りだす。
「追えっ! 逃がすな!」
竜胆の一声により、覡たちが駆けだした。
禍々しい気配が消え去ると、鼓御前ははっと我に返る。
「花ちゃんおねぇさま、ご無事ですか!?」
よろめく虎尾のもとへ駆け寄る。
とっさにからだを支えるものの、状況は深刻で。
「ごめん、ね……もうちょっと、上手くやるはず、だったんだけど……」
シュウウ……と、腹に刺さった刀が消え失せる。
楔を失った傷口からどぷりと血液があふれ、白い衣に赤黒いしみをにじませた。
「でもまぁ……あなたたちが無事なら、よかっ、た……」
薄い笑みを浮かべた直後、虎尾がくずれ落ちる。
「花ちゃんおねぇさまっ!」
抱きとめようとした鼓御前の腕をすり抜け、虎尾はとさりと地面へ転がった。
やがて、すぅ……と青年のすがたが薄れ、かわりに一匹の狐が現れる。
「──風汰っ!」
血を流してぐったりと横たわる狐へ、桐弥は夢中で駆け寄るのだった。




