*42* 信じるこころ
森林にかこまれた島の西部。
そこに、御刀さまを祀る兎鞠神社がある。
清純な霊力に満たされた『霊域』は、夏場であっても涼しさを損なわない。
明け方には、身の冴えるようなひんやりとした空気を感じるほどだ。
「こっちは異常なし、と。そっちはどうだ?」
「問題ない」
まだ朝陽がのぼって間もないころ。
〝慰〟の襲撃を受けた日と同様の時間帯に、葵葉と莇は神社をおとずれていた。
いまだ行方をくらませている〝慰〟の手がかりをさがすためだ。
だが細心の注意をはらって巡回したものの、これといった異常は見つけられなかった。
「……妙だな」
神社の入り口には、朱の鳥居がそびえる。
片ひざをつき、その台石に手をふれあわせていた莇が、眉をひそめる。
「まぁ……こうも異常がないってのが、逆に異常ではあるわな」
葵葉も怪訝そうに腕組みをし、同意をしめす。
「鳥居をいしずえに張りめぐらされた結界に、異常はない。それなら〝慰〟は、どうやって侵入した……?」
あやかし自体が活動的ではない明け方に、〝慰〟は難なく神社へ侵入した。
御刀さまを守るべく幾重にも張りめぐらされた結界を、壊すことなく、だ。
「結界をすり抜けたのか? じゃなきゃ、神社のど真ん中からふってわいたとしか考えられないぞ」
結界術をあつかうようになったいま、葵葉も事の深刻さを理解していた。
刀のようなものをもった、人型の〝慰〟……
人語を発し、武器をあつかうとなれば、すくなからず知能はある。
やけに人間くさいと千菊がこぼしていたが、まったくそのとおりだ。
「そういえば……聞いたことがある」
ふと思いだすことがあり、莇はつぶやく。
「『ひとは鬼になることがある』と、義父上がおっしゃっていた」
「どういうことだ?」
「強い憎悪に支配された人間は、死後に怨霊となってひとびとを襲う。それを鬼と呼ぶと」
「落ち武者の怨霊ってやつか? 人型の〝慰〟は、立花センセも見たことがないって言ってたろ」
「立花先生は、な」
「……なんだって?」
たしかに過去の記録にはない。だが鬼灯はそう語っていた。
尊敬する義父が虚言を吐く人物ではないことは、莇がよく知っていた。
「もしかすれば義父上は、だれも知らない『なにか』をごぞんじだったのではないか」
そうだと仮定するなら、次に取るべき行動は決まった。
「葵葉、おれは一度鬼塚家にもどる。義父上のおっしゃっていた『鬼』の情報を調べれば、あるいは……」
葵葉に呼びかけながら、足早に駆けだそうとしたときだった。
「……うっ!」
──ズキン。
唐突な息苦しさに襲われ、莇はうめき声をあげた。
「どうした?」
「はっ……はっ……!」
薄青色のストール越しに、莇は首もとを押さえる。
ぎりぎりと締めつけるような痛みと苦しさ。
それだけではなく、ズキズキと脳のきしむような頭痛にみまわれ、めまいをもよおす。
(痣が、疼く……っ!)
それは、いまだかつて経験したことのない感覚だった。
「おい、大丈夫か」
「はぁっ! くっ…………ふぅう……」
葵葉に背を支えられる感触がある。
莇はゆっくりと深い呼吸をくり返す。体内で乱れた霊力の波が、やがて凪ぐ。
「は…………すまない、もう大丈夫だ」
「ひさびさだな。家にもどるのは後にして、念のため虎尾センセに診てもらったほうがいいんじゃないか?」
葵葉の言葉に、莇は視線を伏せる。
以前の莇ならば、「平気だ」とあしらっていただろう。
けれど、いまはちがう。
案じてくれる葵葉の気持ちを考えれば、やせ我慢などしている場合ではなかった。
「そう……だな」
「そんじゃ、ひとまず虎尾センセのとこに……ってそういやおまえ、虎尾センセがいまどこでなにしてんのか、知ってたっけ?」
「……?」
なにやら葵葉が、よくわからないことを問いかけてくる。
莇が首をかしげると、「あーはいはい、理解した」と納得したらしく。
なにを言いたいのだろう。
「まぁ、この状況だから仕方ないよな。そういうわけで九条家に行くぞ」
「……わかった」
釈然としないものの、理由ならいずれわかることだ。
莇はおとなしく葵葉の提案を受け入れることにした。
ひらり……
兎鞠神社をあとにした少年たちのもとへ、ふいに折り鶴が飛んでくる。連絡用の式神だ。
「どこからだ?」
「金色の折り鶴……待て、あれは!」
莇が血相を変える。
金色の折り鶴は、『典薬寮』が関係者へいっせいに情報を周知するさいに使われる。
そのほとんどが、緊急事態時におけるもので。
莇が伸ばした指先にふれ、折り鶴は一通の書面へすがたを変える。
そこには、こう記されていた。
各員へ告ぐ。
一級神使、虎尾。
一昨日より所在不明。
速やかに捜索、および捕縛せよ。
背信の疑いあり。
* * *
至急のしらせを受け、九条家に相次いで訪問客があった。
ひなは三名分の茶を用意し、『映月亭』をおとずれる。
大広間には、すでに竜胆と千菊のすがたが。そしてもうひとり。
「なんとも頭の痛いことになりましたな、九条殿」
やせぎすで、お世辞にも体格がよいとは言えない四十すぎの男。
しかし梶の紋がほどこされた黒羽織をまとっていることから、男が一般人ではないことは明らかだ。
この場において、その男の顔をよく知る者は、ひなであった。
それはもう、嫌というほどに。
「はるばるお越しいただき恐れいりまする、神宮寺苧環殿」
神宮寺家当主、覡名を苧環。ひなの実父である男の名だ。
「わざわざ、病床から皮肉をおっしゃりに来られるとは。けっこうなことですな」
「はるばる足を運んだというのに、御刀さまとのお目通りも叶わないのです。皮肉のひとつやふたつ、安いものでしょう」
さらりと言ってのける苧環に、竜胆は眉根を寄せる。
「鼓御前さまは体調をくずされております。どなたさまも、お通しすることはできません」
見かねたひなが、声を発する。
「そうか。では世話役であるはずのおまえは、御刀さまのおそばを離れ、何をしている?」
「……っ」
淡々とした苧環の言葉が、ひなに容赦なく突き刺さる。
「僭越ながら。ご息女は先日の件がありましたなか、御刀さまのため尽力なさっています。そのはたらきにこそ、目を向けるべきではございませんか」
「……努力だけでは、どうにもならないこともある。立花殿、稀代の天才と幼少より称されてきた貴殿には、おわかりになられないでしょうがな」
千菊が静かな声音でたしなめるも、苧環は苦々しげに一蹴するのみだ。
そうだ、ひなもわかっていた。父がこのように融通のきかない人物であることは。
嘆息ののち、苧環が竜胆を見やる。
「では、九条殿よりおつたえいただきたい。御刀さまにおかれましては、急ぎ、お付きの覡をおえらびになられますようにと」
「──神宮寺殿」
「選定の儀は、元より『奉納祭』後にひかえておりました。その予定がすこしばかり早まるだけのこと」
この時期に、なぜ苧環が九条家をおとずれたのか。
その理由は、あえて問うまでもなかった。
「あぁ失敬。九条殿は、ご子息をたいそう可愛がられておりましたな。であれば、いまからでもわが愚息が、神楽を舞うお役目をお引き受けいたしましょうか。あれも人柱くらいにはなるでしょう」
「お父さまッ!」
気づいたときには、ひなは静寂を引き裂くような声を張り上げていた。
すぐに、痛いほどの視線を感じる。けれどもここで引き下がるわけにはいかなかった。
「女の身でなにもできない私のことを役立たずとおっしゃるなら、理解できます。ですが、莇はちがうでしょう。あの子はだれよりも鼓御前さまのことを想って、だれよりも頑張っていました!」
得体の知れぬ痣をその身に受け、忌み子だとさげすまれ。
それでも道を違えることなく、莇は歩みを止めなかった。
そのひたむきで純粋なこころを馬鹿にすることは、けっして許せなかった。
たとえ父であろうとも。
「なぜあの子を突き放すのですか? かたくなに向き合おうとなさらないのですか!?」
すぐに、苧環は答えない。
聞き分けのいい娘がこうも反抗したことは、いままでになかったためだ。
「……兄に、似ているからだ」
「なんですって……」
「まっすぐで、曇りのないまなざし。憎らしいほど兄に似ている。……あれはいずれ、その愚直さゆえに身を滅ぼすだろう。伯父のようにな」
そうと語ったのち、苧環は黙り込む。
息苦しいほどの沈黙が、しばらくの時を支配した。
「お話はわかりました。これ以上はおからだに障りますので、本日はお引き取りください」
やがて口をひらいたのは、竜胆。
「神宮寺殿、私は部外者にすぎませぬが」
竜胆は苧環を見据え、凛とした口調で告げる。
「家族を喪った身としては、貴殿の言い分はいささか身勝手なものに聞こえます。神宮寺家当主である以前に、ひとりの父親としての役目を果たされるべきではございませぬか」
いまある家族を、たいせつにしてほしいと。
言外に訴えかける竜胆へ、苧環が言葉を返すことは、なかった。
* * *
「……天」
障子越しの呼びかけに、返答はない。
「入るぞ」
ひとつ断りを入れ、桐弥は障子を開け放つ。
鼓御前は、客間の隅で、布団にくるまっていた。
「今朝は食事も摂っていないだろう」
「……食欲がありません」
「天……たのむから、顔を見せてくれ」
桐弥は布団に手をかけるものの、無理やり剥ぐことはしない。
たっぷりと沈黙をへて、もぞもぞと布団の塊が盛り上がった。
「ねぇ父さま……うそですよね? 花ちゃんおねぇさまが、いなくなっただなんて!」
ようやく顔を見せた鼓御前の目もとは、赤く腫れていた。
『あの日』からずっと、夜な夜な泣き腫らしているのだ。
「うそじゃない。結界に細工をして兎鞠神社に〝慰〟をまねき入れた可能性があるとして、行方を追われている」
「そんなっ……うそです!」
「信じがたいだろうが、告発もあった」
九条家につらなる鞘師の夫婦が、証言した。
息子の陣は、生後間もなくこの世を去っていること。
そして悲しみに暮れる間もなく、とある男から脅されていたことを。
九条家に長年仕えていた『虎尾』は、実在しない人物だったのだ。
「花ちゃんおねぇさまは、おやさしい方です。だれかを傷つけるような方ではありません。裏切っただなんて、わたしは信じません……!」
うわごとのように鼓御前はくり返す。意地になっているようにも見える。
「そうだな。おまえがそうしたいなら、信じなくていい。僕は信じるから」
「父さま……っ!」
言い募ろうとした鼓御前のくちびるに、そっと指先が押し当てられる。
「僕は、あいつを信じてる」
「──!」
鼓御前は、紫水晶の瞳を見ひらく。
こちらを見つめる桐弥のまなざしには、迷いがなかった。
「ほんとうは、知っていたよ。あいつが陣であることも、僕にも黙って、なにかをしようとしていたことも」
この状況を引き起こしたのは、なにも追及しなかった桐弥の責任といえるだろう。
「それでも……おまえを愛おしげに見つめるあいつのまなざしは、本物だった」
「花ちゃんおねぇさまが……?」
「もしかしたら……あいつはおまえのために、なにかを成し遂げようとしているのかもしれない」
「そうでしょうか? 花ちゃんおねぇさまは……いつも父さまのためを思っていらした気がします」
鼓御前がぽつりとつぶやくと、桐弥はふっと笑い、
「なら、僕たちが信じてやらないとな」
と、鼓御前の頭をなでた。
「天、あいつの好物がなにか、知ってるか」
「いえ、聞いたことがないです」
「油揚げだ。祭りの祝いにそのへんにぶら下げてたら、おびき寄せられるかもな」
「ふふっ……父さまも、ご冗談をおっしゃるのですね」
他愛もない会話に、不安で押しつぶされそうだったこころがほぐれる。
脈絡のない桐弥の言葉は、なにを意味しているのだろう。
思いをはせるあいまに、鼓御前のひたいへ、こつりとひたいがくっつけられた。
「僕たちは、僕たちにできることをしよう、天」
そしてまっすぐに信じるこころが、迷いそうな鼓御前に進むべき道をしめすのだ。
「はい、父さま。わたしも、花ちゃんおねぇさまを信じます」
立ち止まっているひまはない。
さぁ、前に進もう。




