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*41* 暗躍

 星が雲に覆い隠された闇夜のこと。北の墓地に、青白い光がまたたいていた。


『……ダ…………どコ……ダ……』


 シュウウ……不気味な光は、黒いもやへかたちを変える。


『どこ、ニ……いル……』


 ゆらめく黒いもやが、墓石を覆う。

 やがてもやは、ひとのかたちを成す。その手には──


『今度、こソ……わガモノ、に……』


 人ならざるソレは、直後、煙のように立ち消えた。



  *  *  *



 呼吸が聞こえる。規則正しい寝息だ。


「ん……」


 鼓御前が目を覚ますと、ぼんやりとした視界に、少年の寝顔が映る。


「父さま……」


 鼓御前は桐弥の腕に抱かれていた。

 床をともにするようになり、もう何日がたつか。

 桐弥の胸に顔をうずめ、すりすりと甘える。

 こうした朝のひとときが、鼓御前にとってのささやかなしあわせだった。


「……くすぐったい、天」


 そうこうしていると、桐弥が身じろぐ。


「あ、起こしてしまいましたか? おはようございます」

「……おはよう」


 桐弥はしかめっ面で、ぶっきらぼうに返す。

 だが、鼓御前に腹を立てているわけでは断じてない。朝に弱いのだ。


「最近……寝起きが悪くなった気がする」

「そうなのですか?」

「仕事のときは難なく起きていた。だがおまえと寝ると……どうもな」

「それは寝起きが悪くなったというよりも、寝つきが良くなったのではないでしょうか? 父さま」

「……そういうことにしておく」


 桐弥はそういって、布団から身を起こす。

 鼓御前も起き上がり、「んー!」と思いきりのびをした。


「寝癖がついてる」

「あらやだ、お恥ずかしいですわ」


 ふいに桐弥が髪にふれてくる。

 ひとしきり指先でさらさらと黒の艶髪を梳いていたが、やがて名残惜しげに離れてゆく。


「おまえの世話役の仕事を奪ってしまうな」

「父さま?」

「僕は部屋にもどる。身支度をしてから朝食にこい」


 相変わらず、桐弥の言葉は簡潔なものだ。

 だがすこしだけ、やわらかなひびきをおびたように思う。

 それはきっと、かたくなに閉ざされた桐弥のこころが、解きほぐされたあかしなのだ。

 ぽんと頭に手を置く桐弥へ、鼓御前はまばゆい笑みを返す。


「はい、父さま!」


 屈託のない笑顔を前に、桐弥もすこし、はにかんでくれた気がした。

 この日も、九条家ですごす朝がはじまる。



  *  *  *



(ヤスミ)〟による兎鞠神社の襲撃から、早七日が経過した。

 この間、立花家や鬼塚家をはじめとした覡が島の警戒にあたっているが、進展はない。

 変わったことを挙げるとすれば、鼓御前の世話役が、陣からひなへもどったことだ。

 神社襲撃事件を受け、ひなも九条家へ身を寄せることになったのである。


「近ごろは陣さまのおすがたを見ませんね……結界の維持作業がたいへんなのかしら」

「それもあると思いますが……もしかすれば、私を気遣ってくださったのかもしれません」


 桐弥が起きたのを見はからい、ひなが鼓御前の部屋へやってくる。身支度を手伝うためだ。もはや習慣と化した日常のさなかに、鼓御前は首をかしげる。


(陣さまはひなさんの気がまぎれるように、お世話のお役目を譲ってくださったのね。なるほど)


 すこし考えて、鼓御前も納得した。

 ひなの右手首に巻かれた包帯は、いまだに取れない。浅くはない傷だったのだろう。

 それでも鼓御前の寝癖を直したり身支度を手伝うひなは、いくらか表情に活気がもどっているようであった。


「鼓御前さま、朝食後、本日のご予定はどうなされますか?」

「はい、父さまの神楽のお稽古のおてつだいをします! ……といっても、見学くらいしかできることがないのですけれど」


『奉納祭』の神楽は、予定どおり執り行う。


 襲撃事件の翌日、桐弥により、その旨が周知された。

 これは、鼓御前もじゅうぶんに理解を示してのことだ。


 桐弥は生まれつきからだが弱い。神楽を一晩中舞い続ける体力はない。

 霊力で肉体強化をすることで、どうにか保っていたところが現状だ。

 だが、覡にとって霊力は生命力と同義。使いすぎれば命を落としてしまう。


「でしたら、代わりにわたしの神気をおわたしすればよいのでは?」

「…………は?」


 そんなとき、鼓御前によるまさかの発案があったのだ。


「神気は多すぎると人の身に毒ですが、適度に注げば霊力の代わりになるかと!」


 というのが、鼓御前の言い分だ。とんでもない見解だ。

 御刀さまと覡のあいだで、そうした事例があったという裏付けもない。

 しかし、ここでひとびとは思いだした。

 ()()()()()()()()()()()()、前例がなかったことを。


「──え? 神気を注がれるのは、どんな気分ですかって?」


 そんなわけで、重要参考人として『あのふたり』が呼ばれたのだ。

 言わずもがな。世紀の大恋愛の末に見事むすばれた、ふゆと紫陽(しよう)である。


「そうですねぇ、からだがぽかぽか温まります。それに、元気がみなぎってきますわ。紫陽さまに抱きしめられているときみたいにねぇ」

「もう、ふゆったらかわいいこと言うんだからっ!」


 公衆の面前でいちゃつくのはともかく。

 ふゆの証言は、鼓御前たちに有益な情報をもたらした。


「ほら、思ったとおりでしたね! 父さま!」

「…………うそだろ」


 これには『沈黙の九条』も、おどろきを禁じえなかったという。

 そんなこんなで、『神気の供給』という名目のため、鼓御前と桐弥は毎晩欠かさず共寝ともねをすることになったわけである。

 抱きあって眠るだけで、鼓御前の神気は桐弥によくなじんだ。

 はじめは怪訝な反応をしていた桐弥も、数時間舞って息切れひとつしないからだの変化を実感したのだろう。共寝に異をとなえることはなくなった。

 変化はそれだけではない。すこしだが、桐弥の食事量が増えた。


「えっここにきて成長期? いいよきーちゃん、たくさん食べてぐんぐん大きくおなり!」

「僕がちびだと馬鹿にしてるのか?」


 竜胆、桐弥父子によるやり取りは、もはや九条家の名物である。


「健康ってすばらしいですねぇ、父さま」

「しみじみ言わないでくれ……」


 素朴な鼓御前の発言に、桐弥も頭をかかえるしかない。

 いまだ油断はできないものの、鼓御前たちは順調な日々を送っていた。




「……御刀さまに、お目通りをおねがいしたく」

「はい……?」


 そんなとある昼下がりのことだ。

 ひなとともに庭を散策していた鼓御前のもとへ、見慣れぬ男女がやってきた。

 竜胆よりも年は上だろうか。聞けば夫婦だという。


「わたくしどもは、九条家に代々お仕えする鞘師の家柄」

「と言いますと、はな……虎尾さま、陣さまのご家族でいらっしゃいますか?」


 鼓御前の問いに、夫婦は「えぇ……まぁ」と曖昧に返す。なんとも煮えきらない反応だ。


「御刀さまに、おつたえしたいことがございます。どうか、人払いを」


 桐弥は神楽の稽古に区切りをつけ、湯浴みをしているところだ。

 そのうえお付きのひなを下げるとなれば、ひとりになってしまうが……

 ここは九条家の屋敷内だ。めったなことは起こらないだろうと鼓御前は判断する。


「鼓御前さま……」

「大丈夫ですよ、ひなさん。すこしお話をしてきますね」


 いぶかしげなひなに笑いかけたのち、鼓御前は夫婦の後について庭の奥へ向かった。


「それで、わたしにお話というのは?」


 夏の陽射しをさえぎるしげみの奥。

 草葉の影に覆われたその場所で、鼓御前は問う。

 夫婦はふり返ると、まず夫が口をひらいた。


「御刀さま、どうかお聞き届けください。御身に危険が迫っております……!」

「えっ……?」

「おかしいとは思われませんか? なぜ、陣がかたくなにすがたを現さないのか……!」

「それは、人付き合いが不得手でいらっしゃるからでは……?」

「ちがいます!」


 妻が叫ぶ。悲鳴にも似た声で。


「陣は……私たちの息子は、すでにこの世にありません。存在しないのです……双子の兄と名乗る虎尾という男も、はじめから!」

「どういう、ことですか?」

「狐です……妖狐が、不吉を呼び寄せるのです!」

「ですから、先ほどからいったいなにを……」


 困惑する鼓御前。

 口々に叫ぶ夫婦は、もはや半狂乱に陥っていた。


「わたくしどもの手には負えません、あぁ、もう手遅れです!」

「あの、どうか落ち着いて──!」


 鼓御前は戸惑いつつも、夫婦をなだめようと呼びかける。


「──あら」


 ふいに、だれかの声がひびいた。


「おしゃべりのしすぎは、だ・め・よ?」


 その声は、風に乗って届く。


「あ……あぁあ……!」


 たちまち、夫婦の顔が恐怖に染まる。

 鼓御前は夫婦が凝視する先──おのれの背後を、ふり返る。


「こんにちは、つづちゃん」

「……花ちゃんおねぇさま……?」


 にっこりとほほ笑む彼は、間違いなく虎尾だ。

 見慣れた笑みであるはずなのに、背すじに寒気を感じてしまう。


「世の中にはね、知らないほうがいいこともあるのよ。あなたが『それ』を知るのは、まだ早いわ」

「はな……」


 虎尾の手のひらが、鼓御前の視界を覆う。


「ごめんね」


 世界が、真っ黒になる。声をあげる間もなく、鼓御前の意識は、ぷつりと途切れた。


「さて。余計な真似はしないでって、言ったわよね?」


 くずれ落ちる鼓御前を抱きとめた虎尾は、夫婦を一瞥する。

 そのまなざしは、氷柱のごとく冷えきっている。


「アタシだって酷いことはしたくないのよ。ねぇ、ご理解くださるでしょ? オトーサマ、オカーサマ?」

「ひッ……!」

「いやぁっ!」


 ガクガクとふるえをおさえきれない夫婦は、とうとう脱兎のごとく逃げだしてしまう。

 夫婦が逃げまどうさまを、虎尾は冷めた目つきでながめていた。


「そう……ほんとは、こんなことはしたくないの」


 虎尾はぽつりとつぶやき、腕に抱いた鼓御前へ視線を落とす。


「だってあなたは、アタシの────なんだから」


 唐茶色の瞳の奥に、もはや絶対零度の影はない。


「だからね、つづちゃん。……大好きよ。アタシのお姫さま」


 一度、二度と鼓御前のほほをなでた虎尾は、最後にひたいへ口づけを落とす。

 ぎゅうと、きつく抱きしめながら。


「ねぇ、出ていらっしゃいな」


 おもむろに虎尾は告げる。

 しばしの静寂をはさんで、虎尾の背後から歩み寄る者があった。


「さすが、鋭いわね。ウチの九条ちゃんは」


 桐弥だった。

 気を失った鼓御前と、それを抱く虎尾。

 ふつうではない状況であるはずだが、桐弥はそれを咎めることはしない。


「なにをしていたか、聞かないの?」

「……いや、その必要はない」


 静かにかぶりをふる桐弥の表情は、『勘づいている者』のそれだった。


「そう。ほんと……やさしいひとね」


 虎尾も、言い逃れはしなかった。そんなことをしても無駄だと、わかっていたから。


「あなたのだいじなつづちゃんは、お返しするわ」

「…………」


 虎尾は腕に抱いた鼓御前を、あっさりと桐弥へ受け渡す。


「納得いかないって顔ね。でもこればっかりは文句を言わないでちょうだい」


 虎尾は苦笑する。


「アタシにも、譲れないものがあるんだから」


 ふとした折に、愛おしげなまなざしを鼓御前へ向けながら。


「大丈夫、上手くやってみせるわ。それじゃあね」


 虎尾は桐弥の言葉を待たない。


 ……ひゅうう。


 そよ風が吹き抜ける。

 まばたきのあいだに、虎尾はすがたを消していた。


「虎尾──いや」


 だれもいない虚空へ向かって呼びかけようとして、桐弥は口をつぐむ。

 代わりに、鼓御前を抱く腕へ力をこめた。


「天……たのむ」


 か細く消え入りそうな声で、それでも桐弥は祈った。


「僕に……力を貸してくれ」

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