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*40* 父と娘

 母屋へもどってきた鼓御前が通されたのは、桐弥の私室だった。

 文机や箪笥、姿見。壁際には手入れ道具の入った鞄。

 必要最低限のものしかない、殺風景な六畳間だ。

 良家の子息の部屋にしては、こぢんまりしているともいえる。

 そこで座布団に腰を落ち着けた鼓御前は、桐弥と向かい合っていた。


「…………」

「…………」


 陣は冷茶を用意したあと、退室している。

 この部屋で、正真正銘、桐弥とふたりきり。

 たがいに茶へ口をつけることがないまま、どれほどの時が流れたか。


「……天」


 沈黙に耐えかねたのは、意外にも桐弥であった。


「はい、父さま」


 鼓御前は桐弥をまっすぐに見つめ返す。

 桐弥は紫水晶の瞳を見ひらく。おどろいているようだ。

 それからすぐに、ばつが悪そうに視線を伏せた。


「今朝のことで……話がしたいと思っていた」


 緊張しているのだろうか。桐弥の声がわずかに強ばっている気がする。


「ほんとうは……すぐにでも、おまえを追いかけるべきだった。だがおまえの泣き顔を思いだしたら、頭が真っ白になった……引きとめたところでなんと言えばいいのか、わからなくなった」


 気のせいではない。桐弥のひざの上でにぎられたこぶしが、ふるえていたのだ。

 今朝の発言を桐弥は悔いている。そうとつたわり、鼓御前も胸がきゅっと苦しくなった。


「馬鹿だよな。娘に悲しい思いをさせて……口下手だからなんて、言い訳にもならない」


 桐弥が頭をかかえた拍子に、鳶色の髪がくしゃりと乱れる。


「それでも、いいです。わたしも言いすぎました……ごめんなさい」

「え……?」

「今度はちゃんと聞きます。上手な言葉じゃなくてもいいので、父さまのお気持ちを聞かせていただけませんか?」


 きつくにぎられたこぶしへ、鼓御前はそっと指先をふれあわせる。

 はじかれたように顔をあげる桐弥。その紫水晶の瞳は、ゆらめいていた。


「……僕はあまり、じぶんが好きじゃない」


 しばしの沈黙をへて、桐弥がぽつりとつぶやく。

 鼓御前は急かすようなことはしない。静かに、続きの言葉を待つ。


「九条紫榮は……孤児(みなしご)だった。貧しさのあまり、親に捨てられた」


 ぽつりぽつりと、桐弥は語りはじめる。

 おのれの前世、だれも知らぬ九条紫榮の生きざまを。


 あてもなく京のみやこへやってきた紫榮は、奉公先で三条宗近という人物と出会う。

 宗近は公卿(くぎょう)でありながら、刀鍛冶でもあった。

 手先が器用だった紫榮は宗近に気に入られ、そば仕えとして重用されるようになる。

 そしてそこで、刀というものの存在を知るのだ。


「運命だと、思った」


 宗近に教えを乞い、紫榮は刀の打ち方をまなんだ。

 灼熱の炎が燃えあがるなか、黙々と刀を打つあいだだけは、現実のしがらみを忘れることができた。


「だが……そのうちに、僕はなんのために刀を打っているのか、わからなくなった」


 家族もなく、友人もつくらず、ただひたすらに腕を磨いて。

 そうして刀を打ったとて、その先はどうする?

 貴族でもない無名の刀鍛冶の刀など、だれが見たいと思う?


「当然ながら、僕は刀を打てなくなった」


 紫榮は生き甲斐を見いだせず、無為に日々をすごした。

 気が狂いそうなほどの、虚無にさいなまれた。


「それからしばらくして……僕は、一匹の狐と出会った」

「狐……」

「妖狐だのなんだのと言われて、まちのやつらに追われていた」


 病や災害などは、すべてあやかしや怨霊のしわざと信じられていた時代。

 それが平安の世だ。

 ちょうどそのころ、京では不作が続いていたらしい。


「馬鹿馬鹿しいと、心底思ったよ。だが、そうした考えの僕は、まちのやつらにとっては『変人』だったらしい」


 紫榮はいっそう孤立した。

 だから紫榮も、開き直って好き勝手をすることにした。

 だれの目も気にする必要がないのなら、狐を一匹ひろってもかまわないだろう、と。


 まちの人間に酷い仕打ちを受けた狐だが、手当てをした紫榮にはよくなついたらしい。

 連日紫榮の住む山小屋へやってきては、その仕事ぶりをながめていたのだとか。


「そこで僕は、いつの間にか刀を打てるようになっていることに、気づいたんだ」


 紫榮の日常に劇的ななにかが起きたとすれば、狐との出会いだ。

 鎚をにぎることすら苦痛だったのに、何故。


「僕はじぶんが好きじゃなかった……みずぼらしい生まれだから。ろくに人付き合いもできない卑屈なやつだから……でも、もし僕が捨て子でなかったら?」


 貧しくなければ、親に捨てられなかったかもしれない。

 親の愛を受けて、すこしは素直に育ったかもしれない。

 そう考えたら、じぶんを捨てた親のことを、恨むに恨めなくなった。

 紫榮の親も、ほんとうは人並みに愛情をもっていたのだろう。

 そうでなければ、おのれの腹を痛めて命懸けで生むなんてことができるわけがないのだ。

 さまざまな考えをめぐらせるうちに、やがて紫榮は気づいた。


「ひとってのはか弱い。だから、鬼になるんだ」

「鬼……」

「病も災害も貧しさも、すべて受け入れがたいと思う。受け入れられないから、怨霊だとかなにかのせいにする。その末にこころを病んで、わが子を躊躇なく見捨てるような鬼になり下がるんだ」


 紫榮が目の当たりにしたのは、ひとの脆さ。

 ひとのこころの弱さが悲劇を引き起こすのだと、紫榮は気づいたのだ。


「だから僕は、刀を打ちたいと思った。ひとびとを鬼にさせない、守り刀を」


 悪しきモノから守ってくれる刀。それが支えとなってくれれば、ひとびともこころを病むことはなくなるのではないか。そう考えて。


「平和のためだなんて聞こえはいいが……僕のようにさみしい思いをするこどもが、いなくなってほしいと思った」

「父さま……」


 紫榮の過去が語られるほどに、鼓御前の胸が熱くなる。

 不器用だけれど、ほんとうはだれよりもこころやさしいひとだったのだ。

 九条紫榮という青年は。


「刀を打ち続けていたら……ある日、僕のもとを男がたずねてきた。見知らぬ男だった」

「その男性というのは、もしや……」

「あぁ……そいつは僕にひと言、『刀を打つ手伝いをさせてほしい』とだけ言った。僕も、そいつを見ていると不思議と嫌な感じがしなくて」


 それからは、鼓御前も想像したとおりだった。

 名も知らぬ男の相槌を受け、紫榮は夢中で刀を打ち続けた。


「そして目が覚めたら、寝床の近くに、ひと振りの太刀があったんだ。まるで、すべてが夢であったかのように」


 いまとなっては、刀を打っていたときのことをおぼろげとしか思いだせない。

 だが、紫榮の手もとにある太刀の感触は、たしかなものだった。


「刀が完成して、男はすがたを消していた。しつこく僕のところに押しかけてきた狐も」


 遠い昔へ思いをはせるように、桐弥は紫水晶の瞳を細める。


「僕は、狐が刀鍛冶に化けて手伝いにきてくれたのだと思った。それなら、あれはただの狐じゃない。不思議な力をもった天狐(てんこ)なのだとも」

「てんこ……それじゃあ」

「そうだ。おまえの名は、あの狐になぞらえてつけたものだ──天鼓丸」


 孤独な青年が、狐とともに打った刀。まるでおとぎ話のようだ。


「だがどこから聞きつけたのか。どこぞの貴族がおまえを買いたいと話を持ちかけてきてな。当然、断った」


 紫榮は金もうけのために天鼓丸を打ったわけではない。

 窮屈な塀のなかで単なる美術品として消費されるくらいなら、神社へ奉納したい。

 そんなねがいもむなしく。

 紫榮はほどなくして流行り病にかかり……命を落としてしまった。


「それが、九条紫榮の人生すべてだ」


 おのれの出生の秘密を知り、鼓御前は息をのむ。


「だが……平和のためにおまえを打ったというのは、僕の独りよがりにすぎない」

「……それで?」

「おまえは、ひとの身を得た。おのれの意思がある。毎日くるくると表情を変えながら楽しそうにしているおまえを見ていたら、いまさら僕の傲慢を押しつけるのは筋ちがいではないか。そう思い直した。だいじな娘には……のびのび生きてほしいと思うようになったんだ」

「そう、だったのですね……」


 だから桐弥は、鼓御前を打った理由を「じぶんの傲慢」によるものなどと、こぼしていたのか。

 これが、桐弥のこころの内。秘めていた想い。

 すべてを知った鼓御前が、思うことは。


「ならば、わたしからも、父さまにわたしの気持ちをつたえさせてください」


 しゃんと背をただし、桐弥と向き合う。


「早くに紫榮さまが亡くなり……わたしは、とても悲しくて、さみしかった」


 声がふるえてしまう。それでも、鼓御前は懸命にのどの奥から言葉をつむぐ。

 大丈夫だ、いまなら、きっとつたえられる。


「父さまがわたしを愛してくださるように、わたしも、父さまを愛しているのです。わたしは父さまのことが大好きです。父さまがいなくなったら悲しいのです」

「天……」

「いいえ、わたしだけじゃありません。竜胆さまも、陣さまも……父さまがいなくなったら悲しむ方はたくさんいます。だから、じぶんはちっぽけだとか悲しいことはおっしゃらないで!」

「──っ!」


 桐弥の瞳が、極限まで見ひらかれる。


「父さまはもう、独りぼっちではないのですよ」


 続く鼓御前の言葉に、桐弥はうつむき、くちびるを噛む。

 前世はだれにも看取られず、短い生涯を終えた。だが。


「父さまがお望みになった平和な世を、わたしも見てみたいです。だから、いっしょに生きましょう、父さま」


 叶えられなかったねがいを、今度こそはかならず。

 たしかな意志を胸にいだき、鼓御前は桐弥の手をにぎる。


「……あぁ」


 感嘆とともに、桐弥の肩がふるえ。


「そんなことを言われたら……死にたく、なくなった」


 ぽろぽろと、紫水晶の瞳から熱があふれる。

 とめどなくあふれる涙を、桐弥も堪えることはしなかった。


「独りにして……さみしい思いをさせて、ごめん」


 桐弥は夢中で両腕をのばし、鼓御前を引き寄せる。


「おまえが好いてくれる僕を……僕も、好きになれるかな」


 余計な言葉は、もはや必要なかった。


「なれます、きっと」


 飾りけのないひと言が、桐弥の胸にかかったもやを吹き飛ばす。


「…………ありがとう」


 最後にそうつぶやき、桐弥は鼓御前の肩にもたれる。

 静かに嗚咽をもらす桐弥の背を、鼓御前はいつまでもなで続けていた。



  *  *  *



 障子越しの泣き声を耳にした陣は、気配を消したまま、そっとその場を去る。


「これは奇遇ですね」


 ちょうど縁側を曲がったところで、竜頭面の男が立ちはだかることになるのだが。


「なにかご用でしょうか、立花さま」


 陣の問いへ、すぐに返答はない。

 竜頭面からのぞいた千菊のくちびるは、ゆるりと弧を描いている。

 だが面越しに陣へそそがれるまなざしは、どうだろうか。


「じつは長年、疑問に思っていたことがありまして。それはもう、知りたくて知りたくて、たまらなかったことが」


 千菊の口調は丁寧なものだが、有無を言わせぬ気迫がにじむ。

 常人ならば、身がすくんで動けなくなるところだろう。


「私はこう見えて、お会いした方のお顔をすべて記憶できる『特技』があるんです」


 ──戦乱の世において、わずかな油断が命取りとなる。

 ゆえに蘭雪は、ささいな出会いであっても、相手をまず疑うようになった。

『特技』は、その末に身についたものだ。


「ですがおひとり……どうしても、お顔をよく思いだせない方がいらっしゃるのです。思い返せば、その方との出会いも不思議なものでした」


 顔がわからずとも、魂にきざまれた記憶がある。


「あれはそう、遠い夏の出来事──澄みわたった空に、突如として雷鳴が轟いた日。とある男性が、私のもつ『天鼓丸』を見せてほしいとたのみ込んできたことがありましてね」


 ぴくりと、かすかに陣が身じろぐ。

 それを千菊は見逃さなかった。


「彼のすがたをまったく思いだせないのです。さながら、妖狐に惑わされたかのようだ」


 千菊は陣を見据えたまま、決定的なひと言を放つ。


「ほんとうに不思議ですよね。そう思われませんか? 陣さま──いいえ、虎尾先生」


 ……ひゅうう。


 どこからか風が吹き、庭の木々をざわめかせる。


「ふふっ、あははっ! やっぱり立花センセはごまかせないわねぇ!」


 沈黙を突き破るように、陣、いや虎尾が高らかに笑う。


「でも、だから? 『真実』を知って、あなたになにができるの?」


 追及されているというのに、虎尾はこてりと首をかしげるのみ。


「何事も、ふみ込みすぎてはいけない領域があるというものよ」


 薄墨色の袖で口もとを覆いながら、くすくすと笑みをもらす虎尾。


「──アタシの邪魔はしないで。これは警告よ」


 刹那、千菊の肌がぞわりと粟立つ。

 千菊を捉えた唐茶色の双眸は、妖しげにきらめいており。


「あとすこし……もうすこしですべてが上手くいくの。よいこは黙って見ていることね」


 ──びゅおう!


 突風に視界を奪われる。

 その一瞬のうちに、虎尾のすがたは消え失せていた。


「……虎尾先生、やはり、あなたは……」


 静まり返った縁側に、ひとり。

 千菊に応える者は、だれもいない。

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