*38* 予兆
青々とした芝生がひろがる先に、白と黒の的がひとつ。
莇は標的を捉えたまま、矢をつがえ、弓を打ち起こす。
さやさやと、枝葉をゆらす木々。
針の落ちる音すら聞こえる静けさのなか、風向きが変わった。
──ひゅっ!
まばたきのうちに、矢が放たれる。
追い風を受け、矢は加速。流星のごとく宙を駆けめぐる。
……とす。
吸い込まれるように、矢は的の心臓部を射抜いていた。
「またど真ん中……すごいです、莇さん!」
「恐縮です」
かたわらで見守っていた鼓御前は、両手を打ち鳴らす。
呼吸とともにかまえを解いた莇は、あくまで謙虚な姿勢だ。
だが三度弓を引いて、三本とも矢が的の中心に命中しているのだ。
「見せるほどの腕前ではない」とは、よく言えたものである。
「莇さんは剣術だけでなく、弓もお得意なんですね」
「そうですね……どちらかといえば、弓のほうが得意かもしれません」
「そうなんですか?」
それは意外な返答だった。
同年代の少年たちのなかでも、莇は剣術の腕が抜きん出ている。
だが、それよりもさらに弓術のほうが得意だという。
「鬼塚家は、祖先が弓の名手であったそうです。そのことを後世へつたえるため、剣術だけでなく弓術も身につけるのです」
そこまで言って、莇はふと、手にした弓へ視線を落とす。
「不思議なことに、むかしから、弓を引いているとこころが落ち着きました。これもわれらの身に流れる鬼塚の血によるものだと、義父上がおっしゃっていました」
「おちちうえ……といいますと」
「鬼塚家当主、覡名を鬼灯さま。神宮寺家当主である父の兄君、おれにとっては伯父にあたる方です。そして先代の『痣持ち』でいらっしゃいます」
つまり鬼灯が莇を養子に迎え入れた養父であり、覡としての知識や技術を教えた師ということだ。
「鬼灯さまは、どんな方なのですか?」
「謹厳実直。義に暑い篤く、厳しくも愛情にあふれた方でした。……おれはもっと、義父上から多くのことを学びたかった」
「……莇さん?」
莇の表情が、にわかに翳る。
ただごとではないことを、鼓御前は肌で感じ取った。
どう声をかけたものか。決めあぐねる鼓御前を察してか、莇が口をひらく。
「鼓御前さま、『奉納祭』の神楽がどのようなものか、ごぞんじですか?」
「いえ……過酷なものだとはお聞きしましたが、具体的なことは」
鼓御前も、神楽について知ろうとした。
だが桐弥は、詳しいことはなにひとつ教えてくれなかったのだ。
「神楽がおこなわれるのは、空が闇におおわれる新月の夜。この日、篝火をともし、島中の〝慰〟をおびき寄せます」
「神楽は、覡さまによる剣舞……待ってください、ということは……」
ひやりと、嫌な汗がこめかみをつたう。
鼓御前は唐突に理解した。無病息災を祈る神楽──その壮絶な実態を。
「そうです。神楽によっておびき寄せた〝慰〟を、舞い手が斬り伏せるのです。押し寄せるあやかしをすべて滅するまで、一晩中、舞い続ける」
──それはまさに、想像を絶するものだった。
絶句する鼓御前をよそに、莇はひどく静かな声で続ける。
「鬼塚家から、神楽の舞い手がえらばれたことがありました。義父上です」
その先を聞くのが怖い。
だけれども、鼓御前のためだけに、時は止まってはくれない。
「義父上は立派に神楽を舞われました。そして最後の〝慰〟を斬り伏せたのち、深刻な霊力枯渇が原因で、命を落としてしまわれました。……八年前のことです」
嗚呼、なんということか。
こんなにだいじなことを、いまさら思い知るだなんて。
──おれも、気を引きしめて臨まなければ。
『奉納祭』のこととなると、莇の言動はどこか強ばっていた。
その理由を、ようやく理解できた。
「莇さん、ごめんなさい、わたし……っ」
なにも知らなかった。ほんとうに無知だった。
このまま悠長にすごして『奉納祭』を迎えていたらと考えると、鼓御前はふるえが止まらなくなった。
「だれかがやらねばならないことです。鼓御前さまがお気に病まれることはありません」
「そんなこと……っ!」
できない。できるはずもない。
(だってわたしは、もうただの刀ではないのに……!)
ひとびとと言葉を交わし、こころを通わせることができるのに。
彼らが儚い命を散らすさまを、黙って見ていることしかできないというのか。
「だめです、莇さん……こんなのは、だめ……」
「……鼓御前さま?」
「こんなこと、間違っています……!」
とうとう、鼓御前はその場にくずれ落ちてしまった。
「鼓御前さま、お気をたしかに」
「無理です、こんなこと……うっ、ふぅう……!」
すぐに莇が駆け寄り、背を支えてくれるが、それも逆効果だ。
「なんで……なんでみなさん、無茶をするんですかぁ~!」
「つ、鼓御前さま!」
しまいには、わっと泣きだす鼓御前。
反射的に抱きとめた莇なのだが、これには動揺を隠せない。
「あーあ、姉さま泣かせたー」
「…………葵葉!?」
とほうに暮れた莇の前に、柱の影からひょいと葵葉が顔を見せる。
「なんでここに……」
「立花センセの付き添いで来たって言ったろ。そりゃいるだろ」
そうだった、と莇は頭をかかえたくなる。
顔合わせに葵葉は出席していないが、その後の夕食の席で見かけたのだった。
九条家で一晩をすごすことになり、夕食後、莇はすぐに部屋へもどった。そのため、ひと言ふた言しか会話していないが。
「優等生クンも、ここまで来ると重症だな。虎尾センセじゃないけどさ、ちょっとはグレたほうがいいかもな」
「どういう意味だ?」
「いや見たらわかるだろ。鈍感か?」
葵葉は呆れたように肩をすくめ、莇にしがみついた鼓御前を指さす。
「あざみさ…………ふぇえ」
依然として、ぐすぐすと鼓御前が泣きじゃくっていた。
嗚咽のせいで、しゃべることもままならないようだ。
「姉さまのために言っておくぜ。おまえ、最近付き合い悪い」
「は……?」
「気づいてないだろ。姉さまが心配してるのに、そっけなくあしらってるの」
「……そんなことは」
「ある」
有無を言わさぬ声音だった。
「俺がこうもナイスタイミングで居合わせた理由、教えてやろうか」
口ごもる莇へ、葵葉はさらに畳みかける。
「姉さまにたのまれたんだよ、おまえのこと、気にかけてやってくれってな」
「……鼓御前さまが?」
おどろいた莇は、思わず鼓御前へ視線をもどす。こくりと、ちいさなうなずきがあった。
「……わたしが相手だと、莇さんは、気を遣ってしまうようなので」
顔合わせ後。
緊張した様子の莇の力になれなかったことを、鼓御前はずっと悔やんでいた。
だから屋敷内で偶然葵葉と遭遇したとき、ひそかにたのんでいたのだ。
どうか、莇の力になってくれないかと。
「昨日もさっさといなくなったから、ここぞとばかりに言わせてもらうけど。──おまえさ、じぶんさえがんばればどうにかできるとでも思ってんの?」
葵葉の言葉は厳しいものだ。それもそうだろう。
「俺たちは人間だ。それも生まれてまだ十六年そこらのガキ。できないことのほうが多い。それでもやってこれたのは、立花センセとかまわりの人たちがいたからだろ。ちがうか?」
葵葉は孤独にさいなまれ、必要とされることのたいせつさを痛感した。
だからこそ、無自覚に救いの手をふり払う莇の言動が許せないのだ。
「死ぬほどきつい特訓も、いっしょにやってきたろ。なんで急に独りで突っ走ろうとするんだよ」
「おれは……」
「取り残される側の気持ちは、おまえがよくわかってんじゃないのかよ!」
「……っ!」
なにひとつ、莇は反論できなかった。
「あぁ……おれは、たいせつなひとたちにまで、同じ思いをさせるところだったのか……」
うなだれる莇。口からこぼれた声は、弱々しくふるえていた。
「申し訳ありません、鼓御前さま……すまなかった、葵葉……」
莇は床に両手をつき、深々と頭を垂れる。
つられてこみ上げるものがあったが、鼓御前は目頭ににじむ熱いものをぐっとこらえる。そして、莇の肩へそっとふれた。
「わたしも莇さんのお力になりたい。頼ってほしい。それをつたえたかっただけなんです。独りで背負い込まず、つらいことは教えてほしいです」
「……はい、鼓御前さま」
たったひと言。けれどその言葉を聞くことができただけで、鼓御前の胸は熱をもつ。
(わたしの気持ち、ちゃんとつたえられたわ……よかった)
胸の奥にひろがっていたわだかまりが、ほぐれた気がした。
* * *
「……鼓御前さま。おれからもひとつ、おつたえしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
しばしの沈黙をはさみ、莇が切りだす。
「なんでしょう?」
鼓御前が返すと、莇は背をただした。
「尊敬する義父を亡くし、喪失感と使命感にさいなまれながら生きてきたことは事実です。ですがおれの人生は、失うばかりのものではありませんでした。鼓御前さまがいらっしゃいましたから」
「わたし、ですか?」
「はい。以前、おれは鼓御前さまとお会いしたことがあるのです。義父上が神楽を舞われる前日、鼓御前さまの御神体を特別に拝見させていただきました」
鬼灯が神楽の舞い手をつとめたのは、八年前。莇は当時八歳の幼子だったろう。
「あの日のことは、鮮明に覚えています。夜空のような漆黒の刃に、きらめく稲妻……おれは一瞬で目を奪われました」
自身の胸に手を当てた莇は、ありし日に思いをはせる。
そのほほは、ほのかに赤らんでいて。
「このお美しい御刀さまの覡になりたい。義父上のような立派な覡になって、御刀さまとともにみなを守りたい。そう強く思うようになりました」
ですから、と、莇はまっすぐなまなざしで、鼓御前を映しだす。
「鼓御前さまがいてくださったからこそ、おれは、ここまで歩んでこられたのです。その道すじは無駄ではなかった。たとえお付きの覡になれなくても、悲観はしません」
「莇さん……」
「この先なにがあろうと、くじけることはない。おれはおれのなすべきことをまっとうすると、鼓御前さまに誓います」
莇の言葉が、まっすぐな想いが、鼓御前の胸をふるわせる。
「はい。この鼓御前が、しかと聞き届けました。いっしょにがんばりましょうね。葵葉も力を貸してくれるはずです」
「俺も『奉納祭』までに〝慰〟の掃除に駆りだされることになったしな。ヨロシク」
にやり。いたずらっぽい笑みを浮かべてみせる葵葉。
莇はふ……と瞳を細め、
「それはたのもしいことだ」
と返したのだった。
* * *
「じつは今朝……父さまと喧嘩をしてしまいまして」
射場からの帰り道。
部屋へともどる道中に、鼓御前は事のいきさつを葵葉と莇へ話した。
「もしかして、泣いておられたのは、それが原因で……?」
「えぇ……体調がすぐれないのに神楽のお稽古をなさろうとするので、止めたのです。でも父さまは聞いてくださらなくて」
「聞く耳も持たず無茶するところは、どこかのだれかさんみたいだな」
「うっ……!」
葵葉の皮肉が、容赦なく莇に突き刺さる。
縮こまる思いではあるものの、莇は「こほん」と咳ばらいをひとつ。
「鼓御前さまは、九条先輩と仲直りをなさりたいのですよね?」
「はい。でもなんといえば気持ちがつたわるのか、わからないんです……」
「なるほど。でしたらおれが九条先輩に直談判を」
「待て待て待て。なんでそうなる」
間髪をいれず歩みだそうとする莇の肩を、葵葉がつかんで引きとめる。
しかしふり返った莇の面持ちは、至極真面目なものであった。
「鼓御前さまが悲しんでおられる。まず九条先輩に、そのことをご理解いただかないといけない」
「だからって、おまえが殴り込みに行ったところで返り討ちにあうだけだろ」
「鼓御前さまのためだ、かまうものか」
「かまえよ、この脳筋!」
莇は本気だ。良くも悪くも一本気な性分ゆえに、時おり突拍子もない行動に出てしまう。そのため葵葉も手を焼いていた。
「あぁあもうっ! けどまぁ、九条センパイの態度がどうなんだってのは俺も同感! あのひと、言葉がすくなすぎるんだよな」
「言葉が、すくなすぎる……」
「会話が下手くそってこと。ほんとはもっといろいろ考えてるのに、それを姉さまにうまくつたえられてないんじゃねぇの?」
葵葉の見解を聞いて、鼓御前ははっとする。
(そういえばわたし、じぶんの気持ちをぶつけたり、責め立てるようなことを言うばかりで、父さまのお気持ちに寄り添っていなかったわ……)
桐弥がなにを考え、なにを成そうとしているのか。
いま一度冷静になって向き合えば、なにかが変わるだろうか。
(いいえ、変えなければ)
秘められた真意を解きほぐすために、桐弥と向き合わなければ。
「葵葉、莇さん。わたし、父さまともう一度お話をしてみます。今度こそ父さまのおこころに耳をかたむけたいのです」
つい先ほどまで口論をしていた少年たちは、顔を見合わせ。
「ふぅん、いいんじゃない?」
「はい、行ってらっしゃいませ」
思い思いの笑みを、鼓御前へ返す。
「ありがとうございます! 行ってきます!」
葵葉、そして莇の後押しを受け、鼓御前は足取りも軽くきびすを返す。
「──御刀さま、鼓御前さまはいらっしゃいますか!」
そのときだ。あてがわれた部屋の目前で、あわただしい足音を耳にしたのは。
鼓御前は呼び声のほうへ視線を向ける。すると縁側の向こうから、黒の紋付袴をまとった人物が駆け寄るところであった。
「こちらにおいででしたか、鼓御前さま」
「竜胆さま……? どうなされました?」
明らかに、竜胆の様子が尋常ではない。なにかただならぬことが起こったのだ。
「莇殿もご一緒でしたか。どうか落ち着いてお聞きくだされ」
緊張した面持ちの竜胆は、鼓御前のとなりにたたずむ莇を一瞥。
そして衝撃的な言葉を放つ。
「先刻、急ぎのしらせが。〝慰〟が出現したとのこと。場所は兎鞠神社」
その瞬間、その場にいただれもが戦慄した。
兎鞠神社。そこには──ひながいる。




