*37* 口論
──その夜。鼓御前は夢を見ていた。
たよりなくゆれる燭台の火。
薄暗い山小屋で、男がひとり、床に伏せていた。
『けほっ、けほっ……!』
男はやせ細り、肌は病的な青白さ。激しい咳をくり返し、懸命に呼吸をするあいまにも、のどがひゅうひゅうと嫌な音を立てる。
『てん、こ……』
男は力をふりしぼり、かたわらに横たわっていたものへ手を伸ばす。
それは、ひと振りの太刀だった。
『天鼓丸……』
男は床のなかで、太刀をかき抱く。
『……ここには、僕と、おまえだけ』
男の声はか細かった。げほごほっと咳が止まらない。
太刀を抱いた腕も、小刻みにふるえている。
限界が、近づいているのだ。
『大丈夫だ……ともに、土に還ろう』
だれにも、邪魔をされずに。
そのつぶやきを最後に、沈黙する男。
そうして男は、だれも知らぬ場所で独り、事切れる。
動くもののない山小屋で、ゆらめく燭台の火が、ふっ……とかき消えた。
* * *
目じりからつたうものを感じ、鼓御前は目を覚ます。
あたたかいものがほほをしたたり落ちる。それを、だれかがぬぐった。
「……なぜ、泣いている」
鼓御前はぼんやりとあたりを見まわす。
布団に横たわったじぶんを、少年がのぞき込んでいた。
「とと、さま……父さまっ!」
桐弥を目にしたとたん、鼓御前は布団から飛び起きる。
わっと泣きつく娘を、桐弥は抱きとめた。
「どうした、怖い夢でも見たのか」
「そうです……怖くて、悲しい夢を見ました……父さまを、喪った日の夢です」
「……なんだって?」
「わたし……すこしだけ思いだしたんです。むかしのこと……!」
鼓御前はえぐえぐと泣きじゃくりながら、訴える。
「父が亡くなった日のことを夢に見て、怖く思わない娘がおりましょうか……!」
胸にすがりつく鼓御前を目にし、桐弥はふと紫水晶の視線を伏せる。
「そうか。……あんなちっぽけな男のことを、思いだしたんだな」
「ちっぽけだなんて、そんな……っ!」
「病魔に負けて、さっさと死んだんだ。ちっぽけな生涯だろう」
迷いのない口ぶりだ。桐弥は前世のことを鮮明におぼえているのだろう。
桐弥の前世──平安時代の刀匠である九条紫榮は、流行り病にかかり、若くしてこの世を去った。齢十九。あまりに早すぎる死だった。
「病にさえかからなければ、父さまはもっとすばらしい刀を、たくさん世に送りだすことができたでしょうに……」
「終わったことだ。もしもの話をしても意味がない」
「でも……!」
「天、僕は地位だとか名誉のために、刀を打っていたわけじゃない」
言い聞かせるように、桐弥は背をさすってくる。
これではまるで、癇癪を起こして親になだめられる幼子のようだ。
そうとわかっていても、鼓御前は引き下がれない。
「どうしてわたしを打ったのですか? わたしは、なんのために生まれてきたのですか?」
いつもは聞き分けのいい娘が、頑として譲らなかったからか。
鼓御前の勢いに圧されたかのように、桐弥はぐっと口ごもり。
「…………僕の、傲慢のためだ」
たっぷりの沈黙をへて、そうこぼした。
「僕の手前勝手な独りよがりを、おまえに押しつけてしまった」
「……意味がわかりません」
「理解してくれとは言わない」
「どうしてですか! どうしてわたしが生まれた理由が『じぶんの傲慢』だなんて、悲しいことをおっしゃるのですか!?」
人は子が生まれたことを、よろこばしく思うものだろう。ちがうのか? この身が人ではないから?
「その言い方……まるでわたしを打ったことを、後悔しているみたいっ……!」
「ちがう! おまえは望んで打った刀だ! まぎれもなく、僕とあいつが──」
声を荒らげた桐弥が、はっと口をつぐむ。
「『あいつ』とは、どなたのことですか?」
間髪をいれず、鼓御前は問う。
桐弥はすこしためらって、口をひらく。
「……僕に、相槌を打った男のことだ。おまえにとっては、もうひとりの刀匠ともいえるだろう」
ときに言いよどみながら、桐弥は続ける。
「その男のことを、実をいうと僕もよく知らない」
「知らない……?」
紫榮には兄弟子がいたはずだ。
だが面識がないとなると、相槌を打った男は紫榮の兄弟子ではないということになる。
「名もわからなければ、顔もおぼろげとしか思いだせない……だが、たしかなことがある。だれかもわからないのに、その男には不思議とこころが許せたということだ」
寡黙な桐弥が、とつとつと語る過去。それは気が遠くなるほど、遠いむかしの記憶。
「その男は、僕のことをよく理解してくれていた。言葉をかわさずとも、僕の思いをすべて汲み取ってくれた。だから僕も、思うがままに鎚をふるうことができた。あのときだけは……僕も僕らしくいることができたんだ」
だから、と桐弥は言葉をつなぐ。
「そうやって打ったおまえは、間違いなく、僕が誇る最高の刀なんだ」
桐弥の言葉は、ひとつひとつが切実なひびきをおびている。
「これだけは信じてくれ。おまえは僕のだいじな刀だ。僕は、愛する娘を守りたいだけなんだ」
桐弥の告白に、嘘偽りはない。
だからこそ、鼓御前は泣きだしてしまいたくなる。
「わたしを愛してくださっているのなら……どうしてこんなことをなさるのですか?」
「こんな、こと……?」
「じぶんをかえりみず、無理ばかりなさって……心配するわたしの言葉は、なにひとつ聞いてくださらないではありませんか」
『命を懸けて守る』と、桐弥はしきりに言っていた。
その言葉が、鼓御前の感情を激しくかき乱す。
「陣さまからお聞きしました。『奉納祭』の神楽は、霊力を大量に消費する。ゆえに舞い手の寿命を削るおそれがあるのだと」
御三家の者が舞い手をつとめるのは、道理にかなったことだった。
豊富な霊力をもつ覡でなければならない。
その上で、舞い手は毎年変えなければならない。
神楽を舞うということは、それほどまでに負担が強いられるのだ。
下手をすれば、命を落とすこともあるという。
それはまさに、命を燃やす行為。
「遺されるわたしのことは、おかまいなしですか!?」
前世もそうだった。
紫榮の消えゆく命のともしびを、ただただながめることしかできなかった。
生まれて間もない鼓御前──天鼓丸は、ただの鋼でしかなかったから。
だが、今世はちがう。
あのような悲劇は、二度とくり返さない。
「神楽のお稽古中に、倒れられましたね。このままいけば、父さまが神楽を舞われることを、わたしは許可できません」
「っ! 天!」
「だってこれ以上無理をしたら、父さまが死んでしまいます!」
「死など怖くはない。僕がやらねば、ほかにだれが──!」
「もういいです!」
たまらなくなって、鼓御前は力まかせに桐弥を押しのける。
……とさり。
視界がひっくり返り、桐弥は天井を仰いでいた。
布団へ押し倒されたかと思えば、鼓御前が馬乗りになって。
「…………んぅっ!」
まばたきのあいまに、桐弥は呼吸をうばわれた。
くちびるに、くちびるが押しつけられたのである。
「……こら、なにをしてっ……ぅ、んっ!」
もがく桐弥。しかしいつぞやのように、鼓御前を引き剥がすことはできなかった。
ふっ──……
呼気とともに『なにか』が吹き込まれ、からだをめぐる。
じんと熱をともすその感覚は、快楽にも似ている。
「……て、ん……」
はぁ……と、桐弥の口から吐息がもれる。紫水晶の瞳は熱に浮かされ、潤んでいた。
くたりと脱力する桐弥。
そのからだには、鼓御前が流し込んだ神気がめぐっていることだろう。
「……お忘れですか。わたしはあなたさまの前世の名も、今世の名も、知っています」
からだを離した鼓御前は、悲しげなまなざしで桐弥を見下ろす。
「わたしはもう、悲しくてさみしい思いは、したくないのです……父さまが命を投げ打つというのなら、その命、わが鼓御前がもらい受けます」
それはつまり、神気を注ぎ込んで、桐弥のからだを人ならざるものへつくりかえるということ。
神の眷属へ墜とし、その身を未来永劫縛りつけるということにほかならない。
「時として手段はえらばない。神とは、そういうものです」
「……やめて、くれ……たのむ、天鼓丸……」
か細い嘆願を耳にして、鼓御前はくちびるを噛む。
「……父さまは、自分勝手です」
鼓御前だってわかっていた。この行為が、桐弥のためにはならないことを。
「どうして、死を受け入れるのですか……生きようと足掻かないのですか……? わたしはもっと、父さまと生きていたいのに」
「……て、ん?」
「もう父さまなんて知りません! ばかっ!」
最後にそうとだけ言い放ち、鼓御前は部屋を飛びだした。
* * *
がむしゃらに手足をふり乱し、駆けて駆けて、駆けめぐる。
ふり返ることはしなかった。それが鼓御前のちっぽけな意地だった。
「うっ……ふぅ、うぅ……!」
とうとうあふれた涙で視界が見えなくなり、鼓御前はその場にしゃがみ込む。
「父さまなんて……」
ちがう。ほんとうにつたえたかったことは。
「……どこにも、行かないで……独りは嫌です、父さまぁ……!」
どうしたらつたわるのだろうか。
どうすれば正解だったのだろうか。
答えはわからないまま、鼓御前はひざに顔をうずめ、声を押し殺してすすり泣く。
がさり。鼓御前ははっと顔をあげる。
物音のしたほうをふり返ると、庭の草むらに、なにかの影があった。
「……あなたは」
袖で目もとをぬぐい、目をこらすと、明け方のまだ薄暗い庭に一匹の狐がいた。
(どこからか迷い込んだのかしら?)
そう考えて、鼓御前はすぐに首を横にふる。
(なんでしょう……不思議な、感じがします)
一見してふつうの狐だ。
だが、あれはただの狐ではない。まとう『気配』が妙なのだ。
あやかしの『気配』に似ている。けれども、それだけではないような。
(狐……)
ここ最近、やたらと耳にする。
──九条ちゃん、こっそりお世話してる子がいるみたいでね。
──狐と聞いて、なにか思うことはないか。
そうだ。桐弥にも鼓御前にも、『狐』には浅からぬ縁がある。
「あの、あなたはいったい──」
鼓御前が問いかけようとした、そのとき。
茶色の瞳でじっと鼓御前を見つめていた狐が、突然背を向ける。
「えっ……待って!」
たっと駆けだす狐。鼓御前はあわててその背を追いかける。
「待って! 待ってください!」
庭を突っ切り、草むらに飛び込む。
狐がふり返ることはなかった。だが、鼓御前が狐を見失うこともなかった。
軽やかな足取りで、狐は土を蹴る。
まるで、鼓御前をどこかへいざなうかのように。
がさがさと草を掻き分けると、拓けた場所に出る。
その突き当たりで、狐が急に角を曲がった。
「待って…………きゃっ!」
夢中で追いかけていた鼓御前だったが。
狐を追って曲がった瞬間、だれかとぶつかりそうになった。
「……おっと!」
大きくよろめけば、ぱしりと手首をつかまれる。
「これは失礼しました。前方不注意で…………うん?」
すぐに、律儀な謝罪がある。聞き慣れた少年の声音だ。
そしてくだんの少年も、ばったりと鉢合わせた相手が鼓御前だと気づいたらしく。
「つっ……鼓御前さま!? 申し訳ありません、ぶしつけにふれてしまい……ではなくて、お怪我はございませんか!?」
莇だった。
鼓御前の手首をバッと離すなり、あたふたと何度も頭を下げる。
この異様なまでの腰の低さ。まぎれもなく莇である。
なんだか無性にほっとして、鼓御前は胸をなで下ろした。
「わたしは大丈夫ですよ。こちらこそ、前をよく見ていなくてごめんなさい」
「いえ、とんでもない! お急ぎのようでしたが、なにか……?」
「そうだわ! 狐さんを追いかけていまして、こちらのほうに来たと思うのですが」
「狐、ですか? おれは見ていませんが」
「えっ……」
そんなはずはない。
つい先ほど、狐がこの突き当たりを曲がったところをたしかに見たのだ。
それなのに、莇は見ていないという。
(やっぱり……ただの狐さんじゃないんだわ)
こうも忽然とすがたを消したのだ。確信するほかない。
「九条家で飼っている狐でしょうか? おれもおさがししましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。突然追いかけてびっくりさせてしまったかもしれないので、今日はもうやめておきます」
それらしい理由をつければ、莇も「承知いたしました」とうなずく。
「ところで……鼓御前さま」
わずかにひそめた声で呼ばれる。
見れば莇が、様子をうかがうようにこちらを見つめていた。
「おれの思い違いであればたいへん恐縮なのですが、なにかございましたか?」
「えっと、どうしてでしょう?」
「目もとが腫れています」
「あっ……」
そこでようやく、鼓御前はおのれの現状を思いだした。
桐弥と口論をして、あれだけ盛大に泣きわめいたのだ。
「なんでもない」は通用しないだろう。
「……怖い夢を見てしまって」
泣きはらした顔で、鼓御前は苦笑する。嘘は言っていないはずだ。
「それは心細かったことでしょう」
「っ……」
嘘はついていない。けれど多くも語らない鼓御前に莇がかけた言葉は、飾らないもので。
そうだ。怖くて心細かったのだ。そんな鼓御前に、莇は寄り添おうとしてくれる。
彼の心根は、どこまでもまっすぐで、やさしい。
「おれでよろしければ、お話し相手になります。あまり気の利いたことは言えませんが……すこしは不安もまぎれるかと」
「……ありがとうございます」
目頭が熱くなるのを感じたが、不快ではない。
鼓御前は莇にはにかんでみせた。
「えぇと……莇さんはどうしてこちらに? まだ朝早いですけれど」
「はい、日課をこなそうかと思いまして」
「日課、といいますと」
「朝の鍛錬です。覡たるもの、研鑽をかさねなければなりませんから」
向上心の高い莇らしい返答だ。
しかしながら、莇はこれから剣術の鍛錬に向かうわけではないようだ。
なぜならその背に、ひと張りの弓を背負っているから。
「弓……ですか?」
意外そうな鼓御前の視線を受けて、莇は「これはですね」と説明を続ける。
「九条家にはすばらしい射場がありますので、使わせていただけないかお願いしたんです」
覡の武器といえば、刀が一般的だ。
しかし覡の霊力をまとわせさえすれば、どんな武器でも〝慰〟を祓うことは可能だ。
莇は立花家に次ぐ退魔師の名門、鬼塚家で日々実力を磨いている。
戦闘に特化した覡であるならば、さまざまな武器のあつかいに長けていてもなんら不思議はない。
「それでしたら、莇さんが弓の鍛錬をなさっているところを、見学させていただいてもよろしいですか?」
「お見せするほどの腕前ではありませんが……」
「おじゃまはいたしませんわ。ですから、ね?」
気恥ずかしそうにしていた莇も、鼓御前の上目遣いを受け、ぐっと口をつぐむ。
そして腹を決めたように、うなずいたのだった。
「かしこまりました。それでは、まいりましょう」




