*35* ふいの逢瀬
客間へもどる最中のことだ。
静けさにつつまれた屋敷内で、叱責が飛ぶ。
突如ひびきわたった声の主を、鼓御前はもう知っている。
九条家当主、竜胆である。
一歩先をゆく陣が、ふと足を止めた。
その背から、鼓御前は恐る恐る顔をのぞかせ、様子をうかがう。
縁側の突き当たりに、竜胆ともうひとり、桐弥のすがたがある。
「よくもそんなばかげたことを。冗談ではすまされないぞ!」
「なら何度でも言ってやる。夕餉の席には参加しない。慣れあうつもりはないからな。もちろん冗談じゃない」
「やめんか! 御三家が力を合わせなければならないこのときに、神事を執り行うわが九条家が和を乱すなど……断じてあってはならぬ!」
「関係ないね。僕はこれまでも、独りでやってきた。他人の助けなんか必要ない」
竜胆は桐弥の言動をいさめているようだった。
しかし、桐弥はまったく耳を貸そうとしない。
「大丈夫でしょうか……?」
不安になった鼓御前は、陣を見上げる。
ふり返った陣の返答は、意外なものだった。
「はい、大丈夫だと思います」
「えっ……?」
呆ける鼓御前の前で、しぃ、と陣が人さし指を口もとに当ててみせる。『静かに見ているように』ということなのだろう。
(おふたりとも、あんなに険悪な空気なのに……?)
半信半疑ながら、鼓御前はあらためて視線をもどす。
「役目は果たす。放っておいてくれ」
桐弥は相も変わらず。そっけなく言い放って、背を向けるが。
「あぁそうか、わかった……息子よ」
ぷるぷると肩をふるわせていた竜胆が──次の瞬間、爆発する。
「だからぁ、なんでそんな冷たいこと言うのォ!? パパギャン泣きしちゃうからね!?」
「…………えっ?」
なにが起きたのか、鼓御前はちょっとよくわからなかった。
「見間違い……?」
落ち着いて目をこらしてみる。
「うっ、うっ……きーちゃんが今日も冷たいよぉ、うぅ、うぉおおん!!」
が、鼓御前の見間違いなどではなかった。
桐弥にすがりつき、おいおいとむせび泣く竜胆のすがたは、まぎれもなく本物。
「すぐ泣くなよ。あんた一応当主だろ」
「そんなこと言ったってぇ! きーちゃんがおともだちと仲良くしてくれないからぁ、パパ心配で心配でぇ!」
「余計なお世話だ。ていうかきーちゃんっていうな!」
「待ってきーちゃん! パパ置いてかないでぇえ!」
「やかましい!」
夢でも見ているのかと、鼓御前はしばらく状況が理解できなかった。
竜胆といえば、厳粛な人物だ。
ひと目見て、鼓御前はそう信じて疑わなかったというのに。
「えぇっと……陣さま」
「ごらんのとおりです。旦那さまは、少々涙もろい子煩悩なお方でございまして」
「少々……?」
少々どころのお話ではないように思われるが。
どうしたものかと鼓御前が困っていると、陣が咳ばらいをする。
「若さま、旦那さま。失礼ながら、鼓御前さまが反応にお困りでいらっしゃいます」
すがりついて号泣する父と、それを躍起になって引き剥がそうとする息子。
そこでようやく、彼らも鼓御前たちの存在に気づいたのだろう。
「なっ……!」
「はえっ……?」
桐弥、竜胆が相次いで鼓御前をふり返り、ぴしりと石のように固まった。
「えーっと…………おふたりとも、仲がよろしいんですね! ほっこりしました!」
それが、鼓御前にできる最大限の気遣いだった。
だがその純粋な笑みによって、親子が羞恥に打ちのめされたことは、言うまでもない。
* * *
「お恥ずかしいところを、お見せしまして……ッ!」
衝撃的な現場を目撃してしまった直後。
客間にて、鼓御前は竜胆から土下座の謝罪を受けていた。
「そんなっ、お顔をあげてくださいませ、竜胆さま!」
「おぉ鼓御前さま……なんとお優しい」
鼓御前の必死な説得により、竜胆が顔をあげる。
その横からすっとティッシュ箱をさしだす陣。
箱ごと受け取り、ずず、と鼻をかんだ竜胆は、しばらくして重い口をひらいた。
「ごらんになられましたとおり、私は不器用な父親でございます」
「どうして、そう思われるのですか?」
「息子の気持ちを、ろくに慮ってやることもできないのです」
消沈した声音で、竜胆はぽつりぽつりと語りはじめる。
「私の妻……桐弥の母である九条みやこは、息子がみっつの年に、病でこの世を去っております。それだのに、肝心の私がこの体たらく……」
「竜胆さま……」
「恐ろしいのです。家族を喪うことが。桐弥も生まれつきからだが弱く……申し訳ございません、これ以上は」
竜胆はそういって、ぐっと口をつぐむ。
──妻とおなじように、桐弥もいつか突然、じぶんの前からいなくなってしまうかもしれない。
竜胆の苦悩が、痛いほどにつたわってきた。
けれど竜胆は、頑としてそれを口にはしなかった。
けっして、言霊にしてはならぬと。
「思えば桐弥は、幼きころより聡明なこどもでありました。いたいけな身に、かくも数奇な運命を背負っていたのかと思うと、不憫でなりません……私ごときが、おこがましいやもしれませぬが」
「竜胆さまは、人一倍家族想いの方なのですね」
竜胆は、桐弥が九条紫榮の魂をやどしていることを知っている。
その上で、父としてあろうと奮闘しているのだ。
「血を分けたわが子にちがいはないのです。当然でしょうとも」
鼓御前の言葉を受け、そう返した竜胆の声音は、すこし気恥ずかしそうであったか。
「私も長年刀匠として従事してまいりました。いずれ息子と刀を打つことを夢見ておりましたが、それは私の傲慢なのでしょうな……」
「…………」
竜胆のさびしげなひとりごとに、鼓御前は言葉を返せなかった。
『──僕はもう、刀を打つつもりはない』
桐弥の確固たる意志を、とうに知り得ているから。
「やりたいようにやらせたい。そうは思えども、私はどうも、近ごろのあの子が、生き急いでいるように思えてならんのです」
「生き、急いでいる……」
人付き合いは不得手だと、桐弥自身ももらしていたが。
──慣れあうつもりはない。
──放っておいてくれ。
たしかに先ほどの桐弥の物言いは、竜胆に対するものだとしても度をこえている。
(父さまだって、ほんとうは竜胆さまのお気持ちをわかっていらっしゃるはずだわ)
葵葉たちには容赦なく鉄拳を食らわせていた桐弥が、竜胆を引き剥がすさい、実力行使には出なかった。本心から竜胆を拒絶しているわけではないはずなのだ。
(それなら……父さまは、なにかわけがあって、みなさんを遠ざけていらっしゃる?)
鼓御前がそう思いいたったときだ。
静かに耳をかたむけていた陣が、口をひらく。
「旦那さま。あぁなってしまった若さまは、意地でもお部屋から出てまいりません。本日の会食は、難しいかと」
「うぅ、そうだよねぇ……せっかくみなさん来てくれたんだけどなぁ……きーちゃんは体調不良だから出席できないって、私から説明しておきます……」
しょぼん、と肩を落とす竜胆。
鼓御前も、それが最善策のように思えた。
「では、若さまと鼓御前さまのお食事は、こちらにお運びいたしますね」
「そうですね、よろしくおねがいしま──」
うっかりうなずきかけた鼓御前は、「うんっ?」と首をかしげる。
陣のいう『こちらに』とは、『鼓御前の部屋に』という意味だ。
「……はっ、まさか……!」
鼓御前がいまいち理解できない一方で、竜胆は陣の意図を察したらしかった。
「鼓御前さまと若さまは、本日から『共同生活』をなさるのです。これは、御刀さまと覡が信頼関係を築くために必要なこと」
すらすらと淀みなく告げる陣が、やがて笑みを浮かべる。
「聡明なわれらが若さまが、鼓御前さまとのお食事をすっぽかすだなんて粗相をなさることは、ないでしょうから……ね?」
──にっこり。
それは、有無を言わせぬ気迫をまとった笑みだった。
「あわわ……陣ちゃん、こわいね……きーちゃんよりこわいかも……」
人知れず竜胆がおびえていたことは、秘密である。
* * *
これは好機なのだと、鼓御前は思った。
人を遠ざけたがる桐弥も、愛娘にならその胸の内を明かしてくれるのではないか。
そう考えた陣が、用意してくれた舞台なのだ。
(よし、父さまとお話をしてみましょう!)
そうして鼓御前も、はりきって桐弥を待つことにした。
「…………うぅ、なんでぇ……」
──そして結論からいうと、すばらしく玉砕した。
あれから陣が食事を用意して、桐弥も鼓御前の部屋をたずねてきた。そこまではよかったのだ。
「わぁ、ほかほかなごはん! おいしいですねぇ、父さま!」
「そうだな」
「今日は陣さまに、お屋敷を案内していただいたんです。鍛錬所のほうにも行きました」
「このくそ暑いなか、物好きだな」
「……えっと、父さま。お加減のほうは」
「風邪なんぞとっくに治ってる」
……撃沈。
懸命に話題をふってみた鼓御前だが、ものの見事に会話を強制終了させられた。
だが、このままではいられない。
「あのっ、父さま! お話したいことがございます!」
お風呂に入っているあいだ、これまた懸命に考えた作戦を鼓御前は実行する。
その名も、『ふところに突撃作戦』──
まぁいわゆる、まわりくどいことはなしの正面突破戦法である。
「もう遅いぞ。明日でもかまわんだろう。いいから寝ろ」
「ふぇっ……ふぇええ~!」
しかし、あれよあれよと桐弥に丸め込まれ、布団に押し込まれてしまった。
「……むぅ、父さまのばかぁ」
それからしばらく。鼓御前は布団のなかで、ぶすっとふくれていた。
客間に敷かれた布団は二組。となりに桐弥のすがたはない。そのうち床につくつもりなのだろうが、ふらっと部屋を出ていってからかなりたつ。
「これ、わたしは悪くないですよね?」
こうも適当にあしらわれては、鼓御前もカチンとくる。
むくり。布団から起き上がった鼓御前は暗闇に目をこらし、手さぐりで障子をあける。
「父さまったら、どこへ行ったのかしら……!」
見つけて問いただすくらいは許されるだろう。
鼓御前はぷんぷんと怒りながら、寝間着のまま、あてもなく歩きだす。
「──おや」
そして、縁側を三歩も行かないところで、はたと足を止めた。
まったく予想外の人物が、目の前にすがたを現したためだ。
「こんばんは、つづ」
──千菊だった。
紺の浴衣すがたで、竜頭の面はつけていない。
湯上がりなのだろうか。白橡の髪はまだしっとりとしており、浴衣からのぞく胸もとが、桜色にほんのり染まっている。
千菊を前にして、鼓御前はかぁあっと熱がこみ上げるのを感じる。
「あ、あるじさまは、どうしてこちらに!?」
「夕食をいただいていたら、お話に花が咲いてしまって。日も暮れてしまいましたし、竜胆さまのご厚意で、一晩お世話になることにしました」
そういえば、夕食後に膳を下げにきた陣が、そんなことを言っていた気がする。
桐弥とのたたかいに奮闘していて、それどころではなかったが。
「そういうきみは?」
「ちょっと夜風に当たりたかっただけですわ。お気になさらず。それでは、おやすみなさいませ!」
鼓御前ははつらつと声をあげ、足早に駆けだす。
「──待って」
けれども。そんな鼓御前の腕を、千菊が引きとめた。




