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*3* 湯浴み

 脱衣所の鏡に、艷やかな黒髪の少女が映り込む。

 ぱっちりと大きな胡桃(くるみ)型の瞳は、紫水晶のよう。

 あらためて目にする、鼓御前(つづみごぜん)自身のすがただ。


「濡れるのがこわいなら、着たままでいいよ」


 葵葉(あおば)は器用に鼓御前の着物を脱がせる。そうして肌襦袢(はだじゅばん)のみを残すと、自身も帯をゆるめた。


 かくして湯気の立ちこめる浴室に、葵葉とふたりきり。


「熱くないか?」


「へいきです」


 葵葉が手にした桶で湯船から湯をさらい、そっと鼓御前のからだにかける。

 肌襦袢ごしにじんわりと熱がひろがる感覚を、鼓御前もしだいに受け入れるようになっていた。


 髪を濡らすときが、一番こわかった。けれど湯が顔にかからないよう葵葉が手のひらで覆ってくれたので、乗りきることができた。


「ふふっ」


「どうしたんだよ、いきなり」


「葵葉にふれられると、うれしくなってしまいます」


 それもこれも、長らく離ればなれだったからなのかもしれないが。


「もっと、ふれてくださいな」


 むかしのように、いっしょにいたい。

 陽だまりにつつまれたような心地の鼓御前の背後で、息を飲む気配がある。


「そうだな……じゃあこっち向いて」


 葵葉は鼓御前の脇へ手をさし入れ、持ち上げた華奢(きゃしゃ)なからだをひざの上に乗せる。

 うっとりと蕩けた顔を、鼓御前へ寄せながら。


(あね)さま、じっとして……」


「……んっ」


 かすれ声でささやいたくちびるが、桃色に染まる鼓御前のそれにかさなる。


「ふぁ、んっ……」


「あねさま……」


 葵葉は気のすむまで姉のくちびるを吸うと、最後にちゅうっと音を立て、顔を離した。


「あの……?」


「口吸い。接吻。いまだとキスっていうな。人間の愛情表現だよ。()()()()()()とするんだ」


「だいすきな、かぞく……家族は葵葉ひとりだけですから、葵葉とするものなんですね」


「そのとおりだ。俺以外のやつとしちゃだめだからな? 約束だぞ、姉さま」


「やくそく……はい、わたしはちゃんと約束を守ります。姉ですもの」


 ぼうっと熱に浮かされた鼓御前の言葉を受け、葵葉はわらう。


「かわいい、かわいいなぁ……俺の姉さま。俺だけの姉さま。大好きだ」


 うわ言のようにこぼされる声音は、姉に対するものではない熱と欲を孕んでいる。

 そのことを、まっさらな少女こそが、知らなかった。



  *  *  *



 用意されていた浴衣を葵葉に着せてもらい、鼓御前は廊下へ出る。

 そこで迎えたのは年若い少女ではなく、壮年の男たちだった。


「まぁ、そうなるよな。姉さま、下がってろ」


 湯上がりとは思えない冷めた能面を張りつけた葵葉が、一歩前に出る。

 剣呑な空気のなか、四人の男が身がまえた。


「一度ならず、二度までも……許可なく御刀(おかたな)さまを連れだすことがどれほどの重罪か、知らぬのか!」


「だれの『許可』だ? おまえらか? 笑わせんなよ。姉さまはおまえらのものじゃない。管理される『物』じゃない」


「貴様っ!」


「おやめなさい!」


 だれかがいたずらに傷つけられることは、鼓御前の本意ではない。気づいたときには葵葉の前で、両腕をひろげていた。


「みなさま、この子は葵葉。かつての号を青葉時雨(あおばしぐれ)と申します」


「青葉時雨……戦国時代の武将、『鳴神(なるかみ)将軍』と謳われる蘭雪(らんせつ)公が愛用していたひと振りという、あの!?」


「お待ちください、蘭雪公は……!」


「えぇ、わが鼓御前も、あるじとあおぐお方でございます。ゆえにこの子とわたしは、姉弟なのです。刀としての彼は折れてしまいましたが、人として、わたしを迎えにきてくれたのです」


「御刀さまが、人に転生するなんて……」


「ほんとうのことです。ですから──」


 どうか、信じてくださいと。

 鼓御前の訴えは、無情にもかき消される。

 ゴーン、ゴーン、ゴーン……とどこからともなく鳴りひびいた、重苦しい音によって。


(鐘の音かしら?)


 首をひねる鼓御前。一方で、男たちがざわめきだす。


「おい、まだ『暮れの鐘』には早いぞ。あの鐘は……!」


「たいへんですっ! ヤスミが、町に〝(ヤスミ)〟が出現しました!」


「なんだって!」


 縁側を駆け、やってきたひなが叫ぶ。

 たちまち、男たちの顔色が消え失せた。


「〝ヤスミ〟……」


「この島には日本中の(けが)れが、本土から潮風に乗ってくるんだそうだ。俺も港で島民が話しているのを、きいたことがある」


 人が心を病むことを、『(やす)む』という。


(わたしも神社に奉納されていた神刀なのだから、それはわかるわ)


 では、葵葉の言葉をそのまま受け取るなら。


「〝(ヤスミ)〟が()()()、あつまる島──ここ兎鞠島(とまりじま)は、古くからそういう場所なのですよ」


「〝(ヤスミ)〟は、あやかしや怨霊(おんりょう)のたぐいです。生半可な霊力の持ち主では、祓うことはできません……」


 嗚呼、そうか。そうなのか。


 男たちの悲痛な表情を目にした瞬間、おのれのなすべきことを、鼓御前は理解した。


「わたしが、斬ります」


 言うやいなや、鼓御前は浴衣の裾をひるがえす。


「御刀さま!」


 制止の声をふりきり縁側を駆け、庭へ。

 そして足底に意識を集中させ、()ぶ。

 少女のからだは、みる間に屋根より高く舞い上がった。


(ついさっきまで走るのもままならなかったのに、不思議だわ)


 全身が異様に軽い。力がみなぎっているかのようだ。


「こら、俺を置いていくなよ」


 はたと、鼓御前は我に返る。

 見れば屋根から屋根へ跳躍する鼓御前に、涼しい顔をした葵葉が肩を並べるところだった。

 付喪神ならまだしも、いまは人間であるはずの葵葉が、だ。


「霊力を使えば、身体能力なんていくらでも強化できる」


「葵葉もきてくれるの?」


「ばかだな。俺が姉さまをひとりで行かせるわけがないだろ」


「危ないところへ向かうのですよ」


「上等。ひさしぶりのいくさだ、血が(たぎ)るなぁ、姉さま」


 にやりと黒い微笑を浮かべた少年は、たしかに人の子。なれどもその本質は、あまたの戦場で狂い咲いた刀の(さが)そのもの。

 そして、それは鼓御前も。


「そうですね。たよりにしていますよ、葵葉」


 花のごとく笑みをほころばせた少女は、一変。ふれれば切れる鋭利な紫水晶のまなざしで、空の彼方を見据えるのだった。



「とその前に。姉さま、ほら草履」


「あっ、ありがとうございます! くぅ……弟に手ずから履かせられるなんて、未熟な姉です」


「大げさだな、あはは」

 

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