*33* 九条家
満月型の兎鞠島は東西南北に分けられ、古くから御三家と鬼塚家がそれぞれの地を守ってきた。
このうち島の南部に屋敷をかまえているのが、刀の製造と保存をになう九条家である。
「陰陽道において、南は火をつかさどる朱雀が守護をしているとされるの。灼熱の炎と向き合って刀を打ってきた九条家には、うってつけの場所だったってことね」
左手で鼓御前の鞄をもち、右手で白いレースの日傘をさした虎尾が、道中に語る。
日射しをさえぎる影のなかで、鼓御前はそわそわと問いかける。
「そうなのですね。それで、あの……どうして花ちゃんおねぇさまは、陣さまとお名乗りに?」
いつもは化粧をして女性のようにふるまっている彼が、突然別人のようになって現れたのだ。鼓御前が混乱するのも無理はない。
「あぁ、それはね」
ふだんほどの化粧っけはないものの、見目麗しい顔立ちはそのままに、虎尾は口をひらく。
「陣はね、アタシの双子の弟のことよ」
「花ちゃんおねぇさまには、弟さんがいらしたのですか?」
「そうよー、アタシに似ず、コミュニケーション能力が壊滅的でねぇ」
虎尾によると、弟の陣は小心者で、山小屋に引きこもって鞘ばかり作っている。そのため、公の場にめったにすがたを現そうとしないらしい。
「アタシが九条家に出入りするときは、陣のふりをさせてもらってるの」
「弟さんのふり……」
それはまた、どうして。
疑問を投げかけようとした鼓御前は、はたと気づく。
虎尾の行動には、いつも一貫した『理由』がある。
「もしかして……父さまのため、ですか?」
「ふふ、正解」
さらりと返答あり。鼓御前の見解は、正しかったようだ。
「あの子は、虎尾にお世話されたくないみたいだからね」
「花ちゃんおねぇさま……」
「でもこうすればアタシは九条ちゃんのお世話ができて、陣は苦手な人付き合いをしなくていい。おたがい万々歳じゃない?」
なんでもないように笑みを浮かべる虎尾だが、その横顔が鼓御前にはさびしそうに見え──
「はい、とうちゃーく」
鼓御前が話しかけるより先に、日傘をたたんだ虎尾がふり返る。
「では、御刀さま。さきほどわたしがおねがいしたこと、かさねてよろしくおねがいしますね」
にこり。見慣れた笑みであるはずなのに、鼓御前にはまるで別物のように感じられた。
美しいけれど、そこに艶やかさはない。素朴な笑みだった。
「わかりました」
鼓御前の目の前には、厳かな薬医門がそびえる。そのむかし、医家の門として使われていたという。
門扉の横に簡単な木戸があり、門を閉めても人の往来を妨げない造りになっている。そうして夜間も患者を受け入れていたのである。
創造と保存の九条家。刀が生まれ、穢れが祓われるこの場所は、まさに刀剣の医療機関といっても過言ではないだろう。
この門の先に一歩足を踏み入れたなら、立ち止まることは許されない。
「まいりましょう」
ひとつ深呼吸をした鼓御前は、陣の背に続き、門をくぐった。
* * *
広大な敷地内に、九条本家は屋敷をかまえていた。
トンテンカン、と、どこからか風に乗って音がとどく。
あれは鉄を金槌で叩く音。刀を打つ音だ。鉄のにおいがする。なんだかなつかしくて、鼓御前は紫水晶の瞳を細める。
刀の鍛錬所をかかえているなら、屋敷がこれほど立派なことも納得できる。
「広いですね……迷子にならないようにしないと」
「わたしがおそばにひかえておりますので、ご心配にはおよびません」
ぽつりと鼓御前がこぼすと、すらすらと返答がある。陣のこれが演技だとわかっていても、まだ慣れない。
鼓御前は様子をうかがいながら、ちょこちょこと陣の背を追いかける。
すると、なぜか陣は母屋を素通りするではないか。どうしたというのだろう。
「みなさまがお待ちです。『映月亭』へご案内いたします」
鼓御前の疑問を見透かしたように、陣がふり返ってほほ笑んだ。
九条本家は、母屋の向こうに別棟がある。
数寄屋づくりの離れ。質素ながら洗練されたその建物全体が、客人をもてなす茶室となっている。
『映月亭』──おどろくべきことに、そこは湖にかこまれた場所だった。
「御刀さまのおなりです」
陣に連れられやってきた鼓御前は、思わず息をのんだ。
──湖が、目の前にある。
そこは三方の障子が取り払われた、八畳の一室。
なんという開放感だろう。床と湖がほぼ同じ高さだ。手を伸ばせば、湖面にふれられるはずだ。
この場には、すでにみっつの人影があった。
上座に用意された座布団へ、鼓御前はそうっと腰を落ち着ける。
すると、向かって左手側に座った人物が深々とこうべを垂れた。
「お初にお目にかかります。九条家当主、竜胆と申します。御刀さまにおかれましては、此度のご足労、まことに痛み入ります」
「鼓御前でございます。おまねきいただき、ありがとうございます」
鼓御前も礼を返したのち、竜胆と名乗った人物をあらためて見やる。
白髪まじりの初老の男。精悍な顔つきをしている。
今紫の差袴。藤の白紋がほどこされているため、一級の覡とひと目でわかる。
ただ、その人物がただの覡ではないことは、鼓御前も理解できた。
金糸で桐の紋が刻まれた、黒の羽織をまとっていたためだ。
「あらためて、ごあいさつさせていただきます。こちらが倅でございますれば」
竜胆のとなりには、鳶色の髪の少年がいた。
「九条桐弥だ」
鼓御前へ一礼したのち、桐弥は簡潔に述べる。
はい、存じあげております──そう鼓御前が笑みを返そうとしたところ。
「ふんっ!」
ぶぉんっ!
竜胆の平手が、突如として桐弥を襲う。
しかし桐弥は涼しい顔で首をそらし、ひょいと避けた。
「えっ……?」
なにが起きたのか、鼓御前はすぐにはわからなかった。
「軽々しく名乗るばかりか、御刀さまに対してなんたる態度っ!」
「僕が何者かなんて方々に知れたことだ。いまさらだろう」
「おまえは、次期当主としての自覚をもっているのか!?」
「充分もっている」
叱咤する竜胆。うんざりと眉根を寄せる桐弥。
「ふふ。相変わらず親子仲がよろしいようですね、竜胆さま」
そしてふたりの向かい。鼓御前の向かって右手側で、竜頭の面をつけた青年──千菊が、くすくすと笑みをもらす。
「あんたも目がおかしいな。いますぐ医者にかかったほうがいい」
「これ! 立花家ご当主殿になんという口の聞き方を!」
「……話が進まんな」
桐弥がため息まじりに口をとじる。
らちが明かないと判断したらしい。
「竜胆さまは、父さま……桐弥さまのお父さま、そして九条家ご当主さまでいらっしゃるのですね。それでえっと、立花家のご当主さまが」
「おつたえしそびれていましたね。私、立花千菊が立花家当主でございますよ、御刀さま」
鼓御前がひとつひとつ確認をすると、面越しに千菊がにこりと笑う。たしかに竜胆同様、千菊は家紋の入った黒羽織をまとっていた。
立花家は銀杏の花に似た杏葉紋だ。
『奉納祭』は御三家の代表が執り行う。千菊が立花家当主であるなら、この場にいるのは当然といえる。
「あら? でもそうすると、おひとりいらっしゃいませんね」
鼓御前を案内したあと、陣は退出している。
この場には、鼓御前、竜胆、桐弥、千菊のほかに人影はない。
「神宮寺家の方は……」
「──失礼いたします」
ふいに聞こえた声があり、鼓御前は口をつぐむ。凛とした、聞きおぼえのある声だ。
ほどなく、鼓御前の思い描いた少年がすがたを現す。
「神宮寺家ならびに鬼塚家当主の名代としてまいりました、莇と申します。お待たせいたしまして、まことに申し訳ございません」
莇は入室するなり、ひざを折ると、腰帯から短刀をはずして自身の右手側へ置く。そして畳に両手をつき、深々とこうべを垂れる。
竜胆がすっと目を細め、謝罪を口にする莇を見やった。
「これは莇殿。貴殿が最後にいらっしゃるとはめずらしい。なにか不測の事態でも?」
「昨夜遅く、北の墓地に〝慰〟が出現いたしました。北部はわが鬼塚家の管轄でございます。そのため、対応にあたっておりました」
「なるほど。あやかしどもが、明け方まで好き放題をしていたと見える」
多くをきかずとも、竜胆はいきさつを察したらしかった。
(そうですよね。莇さんなら、こうした場にはいち早くいらっしゃるはずですものね)
莇がうっかり遅刻をするような性分ではないことを、鼓御前も知っている。
となれば、昨晩現れた〝慰〟の対応に手こずっていたのだろう。
「近ごろは、〝慰〟の目撃情報が急増しています」
ふいに、千菊が口をひらく。
「北東部を中心に、〝慰〟は島全体で増加傾向にあるようです」
「北東部となると、鬼門の方角ですな。そこからあやかしどもが流れ込んできていると。そして万が一彼奴らを食い止められなければ、島の西部、御刀さまのおわす兎鞠神社への侵入をゆるすことになる」
「──させませぬ」
竜胆の語尾をさえぎるように、莇が低くうなる。
「御刀さまがおびやかさられるなど、あってはなりません。たとえ手足をもがれようとも、この命を懸けて、〝慰〟はわたくしが斬り伏せます」
莇の言葉には迷いがない。だからこそ、鼓御前は一抹の不安をおぼえる。
(莇さん……無理はなさっていないかしら?)
責任感の強い莇の性格を思えば、寝ずに〝慰〟を斬ってまわるなど、平気でやってのけるだろう。
「莇さん。わたしもおてつだいしますから、遠慮なくおっしゃってくださいね?」
頼ってほしい。鼓御前はそうつたえたつもりだった。
だが、莇は静かにかぶりをふる。
「いえ。鼓御前さまはたいせつな神事をひかえておられます。お手をわずらわせることはいたしません」
「莇さん……」
莇の意思は揺るがなかった。かたくなになっているともいえる。
そんななか、おもむろに口をひらいた千菊の提案がながれを変える。
「北は鬼塚家、東は立花家の管轄地です。〝慰〟が顕著に増加している北東部は、その境目にあたります。であれば、両家が協力して警備をおこなうべきかと」
よって、立花家も警戒にあたる覡を増員する。その旨が、千菊の口から告げられた。
「急いては事を仕損じます。こんなときだからこそ、焦らず冷静に対処していきましょう」
「……力およばず、申し訳ございません」
「言ったでしょう? 気負う必要はまったくありませんと。みなさんと協力していけばいいんですから。ね、莇さん」
「はい……立花先生」
おだやかに呼びかけられ、莇も幾分か緊張がやわらいだようだ。
(さすがあるじさまです。それにくらべ、わたしは……)
莇の負担を取りのぞくことも、軽くすることもできなかった。
(わたしだって、みなさんのお力になりたいのに)
守られるだけの御刀さまでは、いたくない。
それをつたえたくても、どうもうまくいかない。
胸にふっ……と影がさすのを、鼓御前は感じた。
その様子を、桐弥が紫水晶のまなざしで見つめていた。
「話はまとまったようだな。本題に入らせてもらう」
桐弥はあまり多弁ではない。一方で、ひとたび口をひらけば不思議と引き寄せられるひびきがある。
だれもが、桐弥に注目した。
「みなわかっていると思うが、『奉納祭』を間近にひかえている」
桐弥の言葉に、鼓御前ははっと背すじを正した。
そうだ。ここは『奉納祭』に先立ち、御刀さまと御三家の代表があつまる場。これはみなの顔合わせなのだ。
「本年はわが九条家が主宰でございます。そして、倅も十八の年をむかえました」
千菊、莇を見やった竜胆が、最後に鼓御前へ向き直る。
「本日みなさまにおあつまりいただいたのは、ほかでもございません。『奉納祭』にておこなわれる神楽の成功──これをもちまして、九条桐弥が九条家当主と相成りますことを、ここに宣言いたします」
──桐弥が、九条家の当主に。
それほど此度の『奉納祭』は九条家にとって大きな転機であるのだと、鼓御前は思い知る。
「『奉納祭』の神楽は、神刀を使うのがならわしだときいています。わたしはどのようなことをすればよろしいのでしょう?」
鼓御前は素朴な疑問を口にしたつもりだった。だが──
「特別なことはなにも。こちらがぬかりなくやる。僕に万事まかせておけ」
返ってきた桐弥の言葉は、やはり簡潔で、淡々としたものであった。




