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御刀さまと花婿たち  作者: はーこ
第四章
38/41

*32* 不満

「──はっ!」


 夜明け前。まだ薄暗い景色のなか、(あざみ)は刃をふるっていた。


「キィイイ!」


 ぎょろりと一つ目を剥いた異形が両断されるや、煙のごとく立ち消える。


「……これで(しま)いか」


 しばし感覚を研ぎ澄ませた莇は、ほかに瘴気反応はなしと判断。黒い煙のまとわりついた短刀を一閃したのち、音もなく鞘へおさめた。


 ここは兎鞠島(とまりじま)の北部に位置する墓地。

(ヤスミ)〟が出現したとのしらせを受け、莇はその討伐に奔走していた。


「若さま、周辺の〝(ヤスミ)〟の掃討、完了いたしました」


 莇のもとに齢四十ほどの男が駆け寄り、報告をおこなう。差袴(さしこ)の色は紫。藤の白紋はなし。二級の(かんなぎ)だ。腰には打刀(うちがたな)を提げている。

 男の名は山吹(やまぶき)。古くから鬼塚(おにづか)家に仕える家の者だ。


「承知しました。ご苦労さまです」


「若さま……目下の者に、若さまが畏まられる必要はございません」


 莇が律儀に頭を下げれば、山吹が困ったように眉を下げる。

 だが莇は、静かに首を横にふるばかり。


「いえ、おれのほうが若輩者ですから。敬意を示すのは当然のことです」


 莇の意思は堅いものであった。それゆえ山吹も、それ以上言い募ることはしない。


 神宮寺(じんぐうじ)家の者は莇を遠ざけたがるが、鬼塚家の者は真逆の態度を示す。

 呪いを受けた忌み子だからと、莇を(そし)ることは一切ない。莇の知るかぎり、義理堅く、武人と呼ぶにふさわしい勇猛果敢な者ばかりだ。

 それは鬼塚家が、立花(たちばな)家に次ぐ〝(ヤスミ)〟の討伐実績を誇ることにも表れている。


「それにしても、先人たちの眠る場でなんと不敬な……あやかしどもめ、よもや墓荒らしをはたらこうとしていたのではあるまいな」


「……墓荒らし」


 山吹のひとりごとを、そっくりそのままくり返しただけ。

 しかしそのときだ。ツキンとこめかみのあたりが軋み、莇は顔をしかめる。


(なんだ、妙に胸がざわつく……)


 無意識のうちに、莇は自身の首へふれていた。すぐさまかぶりをふる。気のせいだ、と。


「おれでも容易に祓える程度の〝(ヤスミ)〟ではありますが、ここ数日で出現数が確実に増加しています。よりいっそう警戒を強めていきましょう」


「若さま、ひとつよろしいですか」


「……はい?」


 どこか硬い声音でつぶやく莇を、呼びとめる声がある。

「僭越ながら」と断りを入れた山吹は、莇をまっすぐに見据えたのち、口をひらく。


「あまり無理はなさいますな。あなたさまはまだお若い。年若い身に見合わぬ重責をになわれることを、鬼灯(ほおずき)さまも望んではおられないでしょう」


「…………」


 そうですね、そのとおりです──と。

 迷いなく返せたなら、どれほどよかっただろう。

 けれども莇は、それができなかった。じぶんを案じてくれる彼へ、曖昧に薄笑いを返すことしかできずに。


「……出過ぎた真似を」


 しばしの沈黙を受け、山吹は莇へ深々と一礼する。


「以後の処理はわたくしめにおまかせを。若さまはおもどりくださいませ」


 彼がなにを言わんとしているのか、莇も理解する。


(そうだ、ぼうっとしているひまはない。『支度』をしなければ)


 おのれには、やるべきことがある。


「あとはお願いいたします」


 莇は礼を返すと、足早に駆けだす。


「……大丈夫……」


 そして静まり返った薄闇の景色を駆け抜けながら、莇は独りごちるのだった。


「大丈夫です……おれはやり遂げてみせます、義父上(ちちうえ)



  *  *  *



 強い日射しが照りつける夏の日。兎鞠神社にて。


「──納得いきません、鼓御前(つづみごぜん)さまっ!」


 蝉を黙らせるほどの声量で、ひなが吠えていた。

 場所は玄関へ向かう廊下。状況としては、空色のワンピースをまとった鼓御前を、ひなが呼びとめているところ。

 鼓御前は困っていた。ひなが抱えて離さない鞄、あれを渡してもらわないことには、玄関を出ることもできないのだ。


「ひなさん、私はこの島の神刀として、『奉納祭』のお手伝いをしなければなりません。そのために九条(くじょう)家へお邪魔することになっておりまして」


「重々承知しております。でも、でも……鼓御前さまの世話役は私なのですよ。なのに……どうして私がそのへんの使用人にこのお役目を明け渡さなければならないのですか、納得いきませんっ!」


「お、落ち着いてください……!」


 夏休みがはじまって三日ほど。

 御三家の主体となって『奉納祭』を執り行う九条家より、御刀(おかたな)さまを迎え入れる準備がととのったとのしらせがあった。

 そのため、鼓御前も支度をととのえたわけなのだが……ひなは同行を許されず。それゆえ、鼓御前の『お泊まりセット』を奪ったまま、こうして吠えているのである。


「えっと、わたしも身のまわりのことはひととおりできるようになりました。ひなさんのおかげです!」


「鼓御前さま……」


「ですから心配はなさらないでください、ねっ!」


「でも、二週間も鼓御前さまにごはんを作ってさしあげられないなんて、私、耐えられません……おのれ九条家! 鼓御前さまのお好きなお味噌汁のお味噌の配合も知らないくせにっ!」


「あわわ……ひなさーん!」


 なんとかなだめようとする鼓御前だが、だめだった。落ち着くどころか、ひなの不満はヒートアップしてゆく。


「はぁ、はぁ……あら、お迎えの時間ですか」


 そうこうしているうちに、呼吸をととのえたひなが、スン……と真顔になる。

 ひなに代わって九条家で鼓御前の世話をする『お世話役』が、そろそろやってくる頃合いだ。


「いいでしょう……九条家のえらんだ世話役がどれほどのものか、私が見定めてさしあげます」


「ひ、ひなさん……」


 ぎらり。ひなの眼光が鋭くまたたく。さながら獲物を待ち受ける猛獣である。


「──ごめんくださいませ」


 うわさをすればなんとやら。待ち人が来たようだ。


「あっはい、ただいま!」


 鼓御前は慌ててワンピースの裾をひるがえし、玄関へ駆けてゆく。


「わざわざお越しいただき、ありがとうございます──」


 ひなの刺すような視線を背中に感じながら、玄関の引き戸を開ける。

 そこには、ひとりの青年がたたずんでいた。


「九条家よりまいりました。御刀さまのお世話をつとめさせていただきます、(じん)と申します。お見知りおきを」


「これはご丁寧に。鼓御前でございます…………あら?」


 深々とお辞儀をした鼓御前は、顔を上げ、固まった。

 陣と名乗った彼は、薄墨色(うすずみいろ)の無地の着物をまとっていた。鼓御前が見上げるほど、上背のある青年だ。

 たしかなことはわからないが、見た目はおおよそ二十代なかば。すらりとした長身で、美青年と呼ばれる部類の顔つきだろう。

 しかし、鼓御前が思わず絶句してしまった理由は、ほかにある。

 なぜなら癖のある紫紺の髪に、唐茶色の瞳と、その青年の容姿に見覚えがありすぎたため。


「えーっと……(はな)ちゃんおねぇさま……?」


「はいっ? と、虎尾(とらお)さま……!?」


 ひなは信じられないといった様子だ。だが、この違和感は気のせいではないだろう。

 その証拠に、『彼』の特徴でもあった右目の下の泣きぼくろが、同じ位置にあるのだから。


「花ちゃんおねぇさま……ですよね?」


 再度たずねてみる。

 そんな鼓御前へ向かって、『陣』がほほ笑む。


「あはっ」


 ──そのとき、鼓御前とひなは確信した。

 これは、間違いないと。


「よくわかったわねぇ。お化粧してないと、だいぶ印象がちがうと思うんだけど」


「雰囲気といいますか、霊力の気配も同じでしたし」


「さすがつづちゃんだわぁ」


 目の前にいるのは、立派な成人男性。しかし口もとに袖を当て、「うふふ」と上品に笑う仕草は、間違いなく虎尾のものであった。


「あのう、虎尾さま。これはいったい……?」


 まさかまさかの展開だ。

 混乱まっただ中のひなが、おずおずと挙手をする。


「見てのとおり、九条家の使いで来たの。アタシなら、御刀さまのお世話係として及第点かしら、ひなちゃん?」


「えっ……あっ」


 ひなが呆けているうちに、虎尾は流れるような所作でひなが抱えていた鞄を引き取る。


「でもまぁ、いまは『陣』ね。九条家にいるあいだは、そう呼んでもらえると助かるわ。そのほうがアタシも動きやすいから。つづちゃん、おねがいできる?」


「は、はい……わかりました」


「ありがとう。それじゃあ暑い中立ち話もなんだし、早速行きましょうか」


 なにがなんだかわからずじまいだが、とりあえず虎尾と陣は同一人物で間違いないらしい。

 鼓御前は首をかしげつつも、さしだされた虎尾──いや、陣の手を取る。


「それでは御刀さま。九条本家まで、わたしがご案内いたします」


 恭しく頭を垂れる青年は、虎尾であって、虎尾ではなかった。

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