*30* 炎天下のざわめき
もともと莇は、虎尾に呼ばれていたらしい。神社へやってきたのはそのためだと。
では、なぜ虎尾が莇を呼んだのかというと──
「申し訳ございません、虎尾先生のお言葉には了承しかねます」
「はいはい。いいからさっさと脱いじゃってね」
「僭越ながら! お見苦しいものをお見せしますので!」
「往生際が悪い! つべこべ言わずにとっとと脱ぐ!」
あれからしばらく。居間では覡の装束を脱がしにかかる虎尾と、断固拒否を示す莇とで、攻防戦がくり広げられた。
まぁほどなくして、虎尾の勝利に終わったのだが。
「ねぇ莇ちゃん、このやり取り何回目よ? アタシがあなたの痣の様子を定期的に診るようになってるのは、わかってるわよね?」
「それは、そうなのですが……」
白衣をはだけさせられた莇は、見るからにしゅんと気落ちしている。
その理由に、鼓御前は思いあたることがあった。
(首の痣のこと、まだ負い目のように思ってらっしゃるのかしら)
莇は、自身の首にある痣を他者に見せたがらない。和装時は首もとを隠すインナーを着込んでいる。
夏服に衣替えしたいまの季節も、首に何重もさらしを巻いて登校しているほどだ。
「莇さん。痣があるからといって、莇さんが不自由な思いをする必要はないと思いますよ」
「……ありがとうございます、鼓御前さま。これを恥ずべきものだとは、もう思っていません」
鼓御前の言葉に、莇はほほ笑みを返す。
以前ほど劣等感はおぼえなくなったようだが、やはり彼にとって、痣の存在はそう簡単に払拭できるものではなかった。
「この痣を見て、不快な思いをする方はいらっしゃいます。ですからおれにできることは、そうした方々に配慮することなのです。むやみにだれかを傷つけたくはないですから」
「莇……」
なにかを言いかけたひなが、悔しげに言葉を飲み込む。
莇のいう「だれか」の多くが、生家である神宮寺家の者であることを知っているために。
「莇ちゃん、ちょっといいかしら」
「はい……?」
「えいっ」
「あたぁっ!」
ばちんっ!
なかなか痛そうな音がひびいた。
ふり返った莇に、虎尾がいわゆるデコピンを炸裂させたのである。
「いいこね……よいこすぎるわよ。莇ちゃんはもうちょっとグレるべきだわ」
「ぐ、グレる……」
「忘れてるかもしれないけど、あなたはまだ十六歳の男の子なのよ? あおちゃんくらいの非行に走っても、若気の至りですまされるくらいよ」
「俺はべつに非行に走ったりしてない」
「とにかく! 頭のかったいおじいさまたちの言いなりになる必要なんかないの。もっと自由に生きなさい!」
「と言われましても……ぐぇっ」
じんじんと痛みを訴えるひたいを押さえていた莇だが、今度は唐突な息苦しさに見まわれる。
思わず首もとに手をやる。するとなんだろう。首に、布のようなものが巻きつけられていた。
さきほど強引にほどかれたさらしではない。手ざわりのいい、薄青色のストールだ。
「はい、痣のほうは問題ないわね」
「これは……?」
「授業も特訓もがんばってるし、アタシからのごほうびよ」
莇は信じられない気持ちで、ストールに手をやる。ひんやりとした素材で、きもちいい。
そして多くを言われずとも、虎尾が霊力をこめてつくった代物であることが理解できた。
莇の霊力が暴走しないよう、痣を保護する効力があるのだろう。
「虎尾先生は、このためにおれを呼んでくださったのですね」
「どうせ首もとを覆うなら、オシャレしたほうが気分がいいじゃない?」
ぱちん。虎尾はお得意のウインクとともに、笑みを浮かべる。
「そんなこと、考えたこともありませんでした……」
じぶんさえ辛抱すればいい。
そう考えていた莇に、虎尾の行動は思ってもないものだった。
「あなたのそれは、『欠点』じゃなくて『個性』なんだからね」
「……ありがたく、頂戴いたします」
「んもう、律儀な子ねぇ」
莇が深々と頭を垂れるので、虎尾は苦笑する。
(花ちゃんおねぇさまは、つねにまわりのひとたちのことを気遣っていらして……ほんとうに、すごい方だわ)
ふたりをかたわらで見守りながら、鼓御前も、じんわりとあたたかな気持ちになった。
「みなさま、本日は夕食をご用意しますので、お召し上がりになっていってください」
「姉上、よろしいのですか?」
「当然よ。あなたたちも、おなかが空いているでしょう」
「みんなでお食事、いいですね! わたしもお手伝いします!」
ひなに続き、鼓御前も足取り軽く台所へ向かう。
「うふふ。ひなさん、うれしそうですね」
鼓御前が笑いかけてくる。蛇口をひねり、流水に手をひたしていたひなは、
「そうでしょうか? ……そうかも、しれませんね」
と、どこか気恥ずかしそうに返したのだった。
まだ青い空。太陽も、水平線の向こうに隠れることをためらっているかのようだ。
「夏は短夜。……今年も、この季節がやってきたのね」
縁側へ出た虎尾は、人知れず言葉をもらす。
ふいに強く吹いた風にさらわれ、ちりんと、風鈴がその音をひびかせた。
* * *
文月も終わりにさしかかるころ。
神薙高等専門学校は、一学期の終業式をむかえた。
「はぁ、終わったぁ……つかれたぁ」
この日すべての日程を終えるや否や、葵葉が机に突っ伏す。
鼓御前は窓際の席に歩み寄ると、盛大にため息をつく弟をなだめる。
「もう。明日から長期のお休みなんでしょう? もっとうれしそうにしたらどうですか?」
「姉さまはわかってないな。夏休みってことは、授業がないってことだ。つまり」
「つまり?」
「朝から晩まで、地獄のスパルタ三昧ってことなんだよ……だれのとは言わないけど!」
「おや、呼びましたか?」
「うげっ……!」
がばり。机から身を起こした葵葉の顔が引きつる。
それも仕方ない。物々しい竜頭の面をつけた青年が、突然目の前に現れたのだから。
無意識のうちに、鼓御前もぴくりと身がこわばる。
「だからあんたはっ、急に来んなって! 気配なかったぞ!」
「そうはいっても、先生が学校にいるのは当たり前のことですしねぇ」
千菊の声はおっとりとしたものだ。だからこそ、葵葉は寒気がしてしょうがない。
「はりきっているようで感心です。明日からも、先生と特訓をがんばりましょうね」
「もうやだ……このひとホントにやだ……」
「陰口なんか言ってるから、こんなことになるんだぞ」
いつの間にか莇もやってきて、呆れたように肩をすくめる。
「他人事みたいに言いやがって! おまえも道連れにしてやる!」
「残念だが、それは無理だな」
「はぁ? ひとりだけ抜け駆けする気か!?」
「ちがう。とにかく落ち着け」
食ってかかる葵葉だが、莇の対応は落ち着いたものだった。
「特訓を続けたいのは山々なんだが、この夏休み期間中、おれは本家にもどらなくちゃいけない」
「は? 本家? どういうことだ」
「『奉納祭』をひかえているからですよ。その件で、私もさっきまで莇さんとお話をしていたんです。つづ、きみにも関係のあることですよ」
「わ、わたしにも、ですか?」
まさか話をふられるとは思わず、鼓御前の声が上ずる。
その様子をじっと見つめた千菊は、おだやかな口調で続ける。
「兎鞠島では、年に一度、夏の時期に『奉納祭』が執り行われます。ひとびとの無病息災をねがい、八百万の神々に神楽を奉納するんです」
「へぇ。それが、姉さまとなんの関係が?」
「奉納する神楽は、覡による剣舞です。舞い手は御三家の者。そして祭事中にかぎり、舞い手は御刀さまにふれることを特別に許可されてきました」
「それって……」
「えぇ。つづも毎年やってきたことですよ。きみには、記憶がないでしょうけれどね」
鼓御前が人の身を得たのは、ほんの三ヶ月ほど前の話。それまでは鞘のなかで、深い眠りについていた。
けれど千菊の話から、『それ』が毎年たしかに受け継がれてきたことをうかがい知る。
「毎年この時期は、御三家の代表があつまり、『奉納祭』の準備をします」
「それじゃあ、おまえが本家にどうのこうのってのも?」
「あぁ。おれはいま鬼塚家に身を寄せているが、神宮寺家の当主である父が病床に伏せっている。そのため父の名代として参加することになる」
「今年の神楽の舞い手は、九条家の担当です。私たちはその補佐をするような感じですね」
「昨年は立花家。来年は神宮寺家が担当することになるだろう。……おれも気を引きしめて臨まなければ」
首に巻いた薄青色のストールをきゅ、とにぎりしめ、莇がつぶやく。
「気負いすぎる必要はないですよ。みんなで協力すればいいんですから。ね、つづ?」
「そ、そうですね! りらっくす、です!」
「お気遣いありがとうございます。ところで、鼓御前さま。お顔が赤いようですが……?」
「今日も暑いからですねぇ!」
「はっ、まさか暑気あたりですか!?」
「どう見てもちがうだろ。はぁ……黙ってながめてるあんたもいい性格してるよな、立花センセ」
あたふたと慌てる鼓御前から千菊へ視線をうつし、葵葉はため息。
「なんのことでしょう?」
案の定、千菊からはとぼけた返答がある。
葵葉はさらにため息をつきながら、席を立つ。そして。
「からかうのも大概にしとかないと、俺も黙ってねぇぞ」
「わわ……!」
ぐっと、鼓御前の肩を抱き寄せた。
ふいのことで鼓御前は大きくよろけ、葵葉の胸に倒れ込むかたちとなってしまう。
「おやおや。私が悪者みたいですね」
「いじめてるやつが言う台詞か?」
葵葉の言葉はそっけない。
千菊もにこやかな口調のままだが、どことなく周囲の気温が下がったような。
「……葵葉と立花先生は、なんで不穏なやり取りをしているんだ?」
そしてこの場において、莇だけが状況を理解していなかった。
なにせ、筋金入りの刀剣オタクである。要はそれ以外のことに関しては、ポンコツなのであった。
「みなさん、こんにちわぁ。あら? これってまさか修羅場ってやつ?」
そんなときだった。どこからともなく、聞きおぼえのある声が教室にひびいたのは。
(このお声は……!)
助かったわ、と鼓御前は安堵した。
想像どおりの人物──虎尾が、教室の入り口で笑みを浮かべていたから。
「みなさんおそろいねぇ。ところで、困ってるつづちゃんのことは見えてないのかしら?」
虎尾は笑っている。笑っているのだが──
「論外ね。──すっ込みなさい、野郎ども」
……ぞわり。
虎尾の口から地を這うような低音が吐きだされ、鼓御前は肌が粟立つのを感じた。
「まったく……ちょっと用事があってきてみたらコレよ。呆れちゃうわね。つづちゃん、大丈夫?」
「……あ、お、おかまいなく!」
ぽかんとしているあいだに、虎尾によって葵葉と千菊から引き離されていた。そのことに遅れて気づき、鼓御前は慌てて頭を下げる。
「虎尾先生」
「はいはい。言ったでしょ、用事があったって。そんなわけでつづちゃんはお借りするわね。文句は聞かないわよ」
何事か言いかけた千菊の言葉もさえぎり、虎尾は鼓御前の右手を取る。
「それではみなさま、ごきげんよう」
そうして虎尾は、鼓御前を教室から連れだしたのだった。
「……あの、花ちゃんおねぇさま!」
教室を飛びだしてしばらく。階段をおり、昇降口へと向かう虎尾の背に、鼓御前は呼びかける。
「こうでもしないと、男子って気づいてくれないバカばっかりなのよね」
「ば、ばか……」
歯に衣着せぬ物言いに、鼓御前がおどろきを隠せずにいるころ。ふと虎尾が歩を止めた。
「無理やりつれてきちゃったみたいで、ごめんね。でも、どうしてもあなたにたのみたいことがあって」
「わたしに、たのみたいこと……なんでしょう?」
「九条ちゃんのことで、ちょっとね」
「──!」
千菊相手にもはっきりと物を言う虎尾が、言葉を濁している。なにかしらの一大事が起こったのだろうと、簡単に予想はつく。
「事情は行きながら説明するわ。アタシに、ついてきてもらえるかしら」
「はい、わかりました!」
ふたつ返事でうなずいた鼓御前は、虎尾に続いて校舎を出る。
じりじりと肌を焼くような炎天下。
鳴りやまぬ蝉時雨のごとく、鼓御前の胸はざわめいていた。




