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御刀さまと花婿たち  作者: はーこ
第三章
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幕間 狐の恩返し

 いまはむかし。

 これは京のみやこをさわがせた、一匹の狐のおはなし。

 狐は人に化け悪事をはたらくゆえ、ひとびとを困らせておった。


 ある日のこと。たまりかねたひとびとが、みなで狐を退治することにした。

 狐は命からがら、京のみやこをはずれた山奥へ逃げてゆく。

 それから、狐を見た者はいなかったという。

 京のみやこに平和がおとずれ、ひとびとはたいそうよろこんだそうな。

 めでたし、めでたし。



  *  *  *



 ざくざくと、落ち葉をふみしめる音がする。

 だれかの足音が、近づく音だ。


「こんなところでなにしてる、ちび」


 ひとの声がして、狐は重いまぶたをこじあける。

 とたん、鮮烈なくれないの色が一面にひろがった。

 ──紅葉だ。燃えるような色に染まった葉が、視界を埋めつくしている。

 くれないの落ち葉にまみれ、横たわる狐。それを、ひとりの男が見下ろしていた。


 ──あぁ、人間だ。


 狐はぼんやりとかすむ茶色の瞳で、男を見上げる。

 男も、じっと狐を見つめていた。

 全身に殴られ、切りつけられた痕。しっぽの毛はむしられ、泥や苔まみれになった毛並みは、元の色もわからない。


「妖狐が出たと、まちのやつらがさわいでいた」


 ──ちがう。


 畑を荒らしたわけでも、襲いかかったわけでもない。

 染まりゆく葉をながめたくて、ちょっと山のなかを歩いていた。ただそれだけのこと。

 それなのに執拗に追い回し、痛めつけてきたのは、人間のほうだ。

 なぜ、じぶんがこんな目に遭わなければいけない?


 狐はふと、人影が近づくのを感じる。

 見ればしゃがみこんだ男が、こちらへ手をのばすところだった。


 ──さわるなッ!


 本能だった。狐は男の右手に噛みつく。

 牙が食い込んだ親指の付け根から、たらりと生温かい血がしたたる。


 が、狐はそこで異変に気づく。

 静かなのだ。噛みつかれたというのに、男はふり払うわけでも、怒号を飛ばすわけでもない。


「僕はお人好しじゃない」


 唐突に、男が口をひらく。

 その意味を、狐はすぐには理解できない。


「死にたいやつは好きにすればいい。おまえみたいなちびが行き倒れていたところで、僕も気にしない」


「ただ」と一度言葉を切った男が、数拍をおいて狐を見つめ返す。


「こうして悪あがきをするくらいには、おまえも世の理不尽に腹を立てているんだろう」


 ──虚を、()かれたようだった。

 こんなちっぽけな動物にも、こころがある。

 そうして狐という存在を尊重していなければ、口から出るはずのない言葉だ。


「生きたいんだろう」


 その言葉を耳にして、そうか、と狐は腑に落ちる。

 じぶんは生きたかったのだ。

 あきらめたくなんて、なかった。


「おい、そこの」

「──!」


 ふいに野太い声がひびき、狐は戦慄した。

 あれは、じぶんを追い回していた百姓のもの。もう追いつかれたのか。


「このへんで、妖狐を見なかったか?」


 狐がぴしりと身をこわばらせていると、突然首根っこを引っつかまれる。

 おどろく狐を、男は自身のふところにつっこんだ。それからふり返らないまま、百姓へぶっきらぼうに言い放った。


「そんなもん見てない。妖狐だって? あんた、まぼろしでも見たんじゃないか」

「なっ……!」

「仕事があるんでな。失礼する」


 言うやいなや、男は颯爽とその場を去る。

 着物の袖で覆いかくした狐を、ふところにかかえたまま。


 ほどなくして、男は山小屋にやってきた。

 慣れたように戸口をあけて棚をあさっているところを見れば、男が住んでいる場所だということはすぐにわかった。


「じっとしてろ」


 男はまず、汲んできた井戸水で狐の汚れを洗いながした。

 次に薬草をすりつぶし、特製の軟膏を傷口に塗る。

 無愛想な態度とは裏腹に、狐の手当てをする手つきはやさしいものだった。



 傷の手当てが終わるころには、日が暮れていた。

 ぱちぱちと()ぜる囲炉裏の火を見つめながら、男が口をひらく。


「ひとってのは、つらいことをなにかのせいにしようとする。それは、こころが弱いからだ」

「……?」

「要するに。このところの飢饉も、災害も、おまえのせいじゃないってことだ」

「──!」

「こんな小狐が、ほいほい天変地異を起こせるもんか。阿呆どもめ」


 なぜ、じぶんがこんな理不尽な目に遭わなければならないのか。

 狐を苦しめていたその原因を、男は的確に見きわめ、そして一蹴した。


 ──どうして。


 とたんに、狐の胸にあふれる感情がある。


 ──どうしてこのひとは、わたしにやさしくしてくれるのだろう。


 ここまでくれば、彼がいままで目にした人間とちがうことは、明確だった。


「おまえ、刀は知ってるか」


 唐突な言葉は、相も変わらず。

 けれど狐は、茶色の瞳で男を見上げる。

 たしかな意思をもって、その言葉に耳をかたむける。


「僕は刀を打つ刀鍛冶だ。といっても、兄弟子(あにでし)にも厄介者あつかいをされている嫌われ者だがな」


 男の声に抑揚はない。淡々とつぶやきながら、かたわらの石ころを手にとる。

 いや。石ころなんかじゃない。

 あれは、原石だ。彼の手が、あの原石から鋼の刃をつくりだすのだ。

 それはきっと、うつくしいものなのだろう。

 彼のこころのように。


 ──見てみたいな。


 狐の茶色の瞳が、きらきらとかがやきをおびる。


「おまえをひろったのは僕のきまぐれだ。あとはどこへでも行くなり、好きに──」


 と言いかけて、男は途中で口をつぐむ。


「──なんだ、その顔は」


 そして、怪訝そうに眉を寄せた。

 瞳をかがやかせ、ぶんぶんとしっぽを振る狐に、どう反応をすればいいのか困っているようで。


 ──どこへなりとも、行くがいい。


 この日、告げられるはずだった言葉をよそに、狐は男のもとに入り浸るようになった。

 そのうちに、男が紫榮(しえい)と名乗っていることを知った。

 山小屋でひとりきり。黙々と仕事をする紫榮の背中を見つめながら、狐はずっと考えていた。


 ──わたしはあなたに、いつか恩返しがしたいのです、と。

 ずっと……ずっと考えていた。



「僕みたいなやつのところに押しかけてくるなんて。おまえも物好きだな、風汰(ふうた)



 そう、ずっと考えていた。

 千年ぶりに彼の魂とふたたびめぐりあえたいまも、ずっとずっと、考え続けている。

 たとえ彼の記憶が欠け落ちていたとしても、狐は──風汰は、考えることをやめないだろう。


 ──紫榮さま。わたしは、あなたを……


 ありし日の面影をやどす少年に寄り添いながら、風汰は今日も考えていた。

 狐の恩返しだなんて、おとぎ話みたいなことが実現する日を夢見て。

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