*28* 熱情
ふゆと紫陽は、客間に通された。
桜あんのおはぎが出された座卓をはさみ、向かいに鼓御前と千菊が座る。
「紫陽さまは、どのようにしてこちらに……?」
みなに茶を出し終えたひなが、盆を胸に抱き、おずおずとたずねる。
それも無理はない。紫陽は桜の木に根づいた精。本来なら、桜の木が植えられた庭から遠く離れることはできない。
「ふゆに、ちょっと特別な『贈りもの』をしたんです」
紫陽はすこしはにかみながら、かたわらのふゆへ視線を落とした。
そのさきには、ふゆの髪をいろどる花の簪があった。紫陽の瞳とおなじ色をした、桜の簪だ。
「ぼくの神気をもとにつくった簪です。これを依代にして、いつでもふゆのそばにいることができます」
紫陽によると、どうやら今回の一件で、彼の神気が増幅したらしい。
高い霊力を持つふゆと想いを交わしたことで、力を増したのだ。
そのため、はじめは鼓御前しか視認できなかった紫陽も、ひなが認識できるまで実体化が可能となった。
(紫陽さまからは、『癒やしの力』を感じるわ)
──桜は生命力の象徴。
紫陽の神気には、癒やしの性質がある。
ふゆの足取りが以前よりしっかりしているのも、そのためだろう。
もっとも、特別な理由がなくたって、紫陽はふゆのそばを離れたがらないようだが。
「紫陽さまったら、私がちょっとおさんぽに行くだけでも出ていらっしゃるんですよ。そう何度も転びやしないのに、手を引こうとするの」
「仕方ないじゃないか、片時も離れたくないんだもの!」
くすくすと笑いをおさえきれないふゆ。
ふゆにからかわれて、「もう……」とすねる紫陽。
(おふたりとも、とっても仲睦まじいわ)
和気あいあいとしたふたりを見ていると、なんだか鼓御前まで胸があたたかくなった。
「おからだに問題がないようで、安心しました。ふゆさん、その後はいかがですか」
千菊の問いを受け、ふゆと紫陽が居住まいをただす。
「ゆみさんたちのことにつきましては、ごぞんじのとおりです」
門限をやぶる誓約違反。
桜の木を害する器物損壊行為。
さらには、島で祀る御刀さまに対する侮辱罪などなど。
これにより、ゆみは島の出入りを禁じられた。
そのことは、千菊を通じて鼓御前も知るところだ。
「身勝手にふるまいすぎたわ。兎鞠島を追いだされるには、じゅうぶんな理由ですね」
ゆみだけではない。ふゆを連れだそうと躍起になっていた親戚はみな、今後一切ふゆと接触することは叶わなくなった。
「このたびは、大変なご迷惑をおかけしました。それなのに、私たちに親身になってくださって……みなさまには、なんとお礼を言ったらいいのか」
「ぼくからもお礼を申しあげます。ぼくとふゆを救ってくださり、ありがとうございます……」
ぜひとも感謝の気持ちをつたえたい。
ふたりの強い要望があって、今日この場が実現したのだ。
(おふたりの笑顔を、守ることができたのね……)
それを実感することができ、鼓御前の胸に熱いものがこみ上げる。
「お役に立ててようございました。おふたりは、これからどうなさるのですか?」
感慨深い思いをいだきつつ、鼓御前は問いかける。
ちらりと視線を交わすふゆと紫陽。やがてふゆが恥じらいがちにうつむき、紫陽が穏やかに言葉をつむいだ。
「このままゆっくりと、時のながれに身をまかせます。ふゆの余生に、寄り添うつもりです」
ふゆに残された時間は、そう長くはないかもしれない。けれど紫陽は悲観しない。
「ふゆが人としての生をまっとうしたとき、彼女の魂を、ぼくが連れていきます。未来永劫、離れることのないように」
「まぁ……」
思わずといったように、ひなが声をもらす。それは感嘆にも似ている。
「なんと素敵なことでしょう……よかったですね、ふゆおばあちゃま」
「ありがとう、ひなちゃん」
想いあうがゆえにすれ違ってしまったふたりが、数十年の時をへて、結ばれる。
深い絆と愛情でつながった彼らのえにしは、だれにもほどくことはできない。
「ずっとそばにいると、紫陽さまは約束してくれました。こんなにうれしいことはないわ」
「ふゆ……」
淡色の瞳をゆらめかせた紫陽が、ふゆのちいさな肩を抱き寄せる。
「そう、きみとの約束だから……ぼくはずっと、きみのとなりにいるよ。もう離さないからね」
ふゆと紫陽。ふたりを引き離すものは、もうなにもない。
寄り添うふたりのすがたを、鼓御前はどこかまぶしく思うのだった。
* * *
余談だが。
最後に面会許可がおり、島を出るゆみへ言いたいことはないか問われたふゆは、こう返したらしい。
「はんごろしですね」
すりこぎを片手に、「あらやだ。もち米のつぶし加減のことですよ?」と付け足して。
これに紫陽は「きゅんきゅんしちゃった……」と語り、ふゆ本人は「スカッとしました」と満面の笑みを浮かべた。
船に乗る前からゆみが顔面蒼白だったことは、言うまでもない。
「うーん、やっぱりふゆおばあちゃまのおはぎは、絶品です!」
ふゆと紫陽は、日が暮れる前に帰っていった。
ふたりがいるあいだはおしゃべりに夢中になっていたので、鼓御前はこれからゆっくりと桜あんのおはぎを味わうことにした。
だが、すこし困ったことがあり。
「おやおや。お夕飯が食べられなくなってしまいますよ?」
「うぅ……!」
ふゆがはりきっておはぎを作りすぎた。
が、目の前にあるものを残してしまうのも忍びない。
ふたつめのおはぎへ手をのばそうとしたとき、頭上からふってきた千菊の言葉に、鼓御前は萎縮してしまう。
「それは、ひなさんに申し訳ないです……」
ひなは毎日欠かさず台所に立ち、真心のこもった手料理をふるまってくれる。
では食後のおやつにすればよいのだが、残念ながら鼓御前には、別腹という概念がなかった。
「あるじさま、半分こしませんか?」
丸々ふたつはあやしいが、分ければなんとかなるだろう。そう考えた末の提案だった。
無自覚な鼓御前の上目遣いに、千菊は破顔する。
「いいですよ」
千菊は鼓御前のとなりに座り直すと、菓子楊枝でおはぎをふたつに分けてゆく。
「はい」
さらに食べやすくひとくち大にしたものが、差しだされる。鼓御前は「あーん」と口をあけ、ぱくりとおはぎを食べた。
「うふふ、ひとつのものを分けあうのも、いいものですねぇ」
にこにこと話す鼓御前。かと思えば、「そういえばごぞんじですか?」と思いだしたように口をひらく。
それが爆弾だとも知らずに。
「ふゆおばあちゃまのおはぎは、若い娘のあいだで人気なんだそうです。理由は、えっと……気になる殿方と食べると、恋が叶う、だったかしら?」
鼓御前としては、ひなに教えられたことを一生懸命に思い返しただけだ。
だから、ぴくりと千菊が身じろいだことに気づかない。
「……きみは、恋に興味があるのですか?」
「恋というものがなにか、まだ完全には理解できていないのですが……きっと、ふゆおばあちゃまと紫陽さまのような関係のことを指すのでしょうね」
しあわせそうに笑いあうふゆと紫陽。
ふたりを見ているうちに、鼓御前にも芽生えた感情がある。
「うらやましいな……と思いました。できるものなら、わたしも恋をしてみたいです」
「してみますか?」
「いいのですか? もちろんです!」
鼓御前は反射的に返事をしてしまった後、「…………うん?」と首をかしげる。
「あのう、あるじさま。恋は難しいものだと聞きました。したいからといって、できるものなのでしょうか……?」
「できますよ」
千菊の返答は、あっさりとしたものだった。
「私なら、きみの望みを叶えてあげられます」
千菊がほほ笑んでいる。それはいつものことなのに、ふだんとなにかが違う。
「つづ」
「……は、はいっ」
なぜだか鼓御前の返事は、声が裏返ってしまった。
名前を呼ばれただけだ。けれど千菊の声音はいつもより低く、どこか熱っぽい。
「ふふ……かわいい子」
くすり。笑みをこぼした千菊に、両ほほをつつみ込まれる。
間近に迫る青玉の瞳。吸い込まれそうだわ、と見惚れた直後だった。ふに、とやわらかい感触がある。
鼓御前のくちびるに、千菊のくちびるがふれていた。
とたん、鼓御前の脳内が真っ白になる。
(……えっ……?)
呼気を介し、覡が御刀さまへ口うつしで霊力供給をすることがある。
だがそれはあくまで応急処置。さらに鼓御前は、すでに手入れを終えた身だ。
千菊の目的が霊力供給でないことは、さすがに理解できた。
──くちびるとくちびるを合わせるのは、好き合う者どうしのすること。だとするなら。
「あるじさまは……わたしのことを、好いてくださるのですか?」
すくなくとも千菊は、鼓御前に好意をいだいている。それだけは、まぎれもない事実だ。
「心外ですね。私はいまもむかしも、きみを可愛がっていたと思いますが。きみのほかにはなにも要らないくらいに」
たしかに彼がまだ蘭雪であったころ、「鼓御前があるならば妻は要らぬ」と断言していた。
「でも……わたしは刀です。あるじさまの御子を生んでさしあげることもできない、ただの鋼の身でございます」
「……ほう。それで?」
「生涯寄り添える奥方を娶られるほうが、あるじさまもおしあわせになれるのでは、と……」
言いながら、鼓御前は異変を感じる。
「……あるじさま?」
千菊の周辺が、ひやりと冷気をおびたような気がしたのだ。
いや、気のせいではないだろう。
その証拠に、千菊は口もとをゆるめているが、目は笑っていない。
「ふふ……ははっ」
それは、滑稽で仕方がないという笑み。
(あ……わたし)
──姉さま……それぜったいあるじ、じゃなかった立花センセには言うなよ?
このときになって、葵葉の言葉を思いだす。
だがいまさら失言に気づいたとて、時すでに遅し。
「きみの無垢な言葉は、時として残酷なものですね」
ゆらり。青年のすがたをした影が、鼓御前を覆う。
「──私の愛を、見くびらないでもらおうか」
千菊の長い指先が、視界をかすめる。
くっと顎をすくわれた鼓御前は、次の瞬間、呼吸を損なった。
「……んんっ!」
ふたたび、くちびるがふさがれる。
それは、ともすれば痛みをともなうもので。
──噛みつかれているようだった。
「んっ……んぅ……」
呼吸の仕方がわからない。脳に酸素が行きとどかない。
くたりと脱力する鼓御前を、しなやかな腕が抱きとめた。
「かわいそうなつづ。私のような男に執着されて」
言葉とは裏腹に、くすくすと、笑い声がきこえる。
「すこし、だいじにしすぎたのかもしれませんね。……私がどれだけの感情をきみに向けているのか、思い知ればいい」
「あるじ、さま……」
からだの芯から、じりじりと焦がされるようだった。
熱っぽいささやきから身をよじって逃れようとしても、鼓御前を絡みとった腕はびくともしない。
「つづ──私は、きみのすべてが欲しい」
追い討ちのごとく、耳朶に吐息が吹き込まれ。
いつ何時もかたわらに在った青年が、はじめてむきだした熱情の奔流に、鼓御前はただただ圧倒されるばかりだった。




