*25* 約束
この世界には、八百万の神が存在している。
太陽、月、海。
風や火や水、草花にも、神がやどる。
物をたいせつにすれば、付喪神がやどる。
青年は、あまたに存在する神の一柱。べつにめずらしくもない桜の木の精にすぎなかった。
「やぁだ〜! かえりたくない〜!」
『そ、そんなこと言わないで! お父さんとお母さんが心配するでしょ、ねっ!』
とある夕暮れの日。
ちいさな女の子が、泣きべそをかきながら駄々をこねはじめたあのときまでは。
* * *
民家の庭に植えられた桜の木の精。それが青年だ。ただそれだけの存在。
しかし、じぶんはふつうの桜とはすこしちがうのではないか。青年はそうぼんやりと認識していた。
(だって、花が咲かないんだものなぁ)
依代である桜の木の根もとに座り込み、青年は苦笑する。
成長は早かった。種をまかれて、たったの一年で民家の屋根よりも高く育ったのだ。
それなのに、春になっても花が蕾むことすらない。次の春も、その次の春も。
(こうなったら……よし、寝るか!)
だってぼくにできることはないんだもの、と青年は開き直る。
なので、青年はひと眠りすることにした。
目を覚ました次の春には、こんどこそ花を咲かすことができていますように。そうねがいながら。
「……にい、ちゃん、おにいちゃん」
『うん……?』
うつらうつらしていたときだ。だれかに呼ばれているような気がして、青年は目を覚ました。
目の前には、いたいけなこどもがいた。女の子だ。
「おにいちゃん、なにしてるの?」
『なにって、お昼寝を……』
ふわぁ……とあくびをした青年は、そのままの姿勢で固まる。そして、すっとんきょうな声をもらした。
『えっ、ちょっ、なんでぼくが見えてるの!?』
青年は焦りに焦る。
それもそのはず。彼は産魂まれたばかりで、力の弱い神。そこにいないも同然の存在。ひとの目に見えるはずもなかった。
それなのに、女の子は黒目がちの瞳で、じっと青年をとらえている。
(ひとでも、霊力が高ければ神やあやかしを『視る』ことができると聞いたけれど……)
まさか、目の前の女の子がそうだというのか。
青年が信じられない気持ちで二の句をつげずにいると、女の子はなにを思ったか。とことことやってきて、ちょこんと青年のとなりに座った。
「かくして」
『え……?』
「おにいちゃんとかくれんぼしてるの。かくして!」
『えぇえ!?』
あたふたとする青年。女の子は青年の袖をぐいぐいと引っぱり、「はーやーく!」と焦れている。
なんという無茶ぶりか。だが相手はこども。冷たくあしらうのはかわいそうだ。
『これでいい?』
ついに折れた青年は、着物の白い袖でふわりと女の子を覆いかくす。
「ふーゆー! どこー!」
そのうちに、こんどは男の子が庭にやってきた。女の子とよく似ている。
男の子が呼ぶ『ふゆ』という名には、青年も聞きおぼえがあった。
この家の夫婦が、生まれてくる娘の幸せをねがって植えた桜。それが青年なのだ。そして夫婦の娘の名前がふゆ。
(そっかぁ。この子がそうなんだ)
ふゆには兄がいたはずだ。となれば、兄妹で遊んでいるところなのだろう。そこへ巻き込まれるかたちになったのは、予想外だけれど。
「……ぐすっ」
『って、なんで泣いてるの!?』
物思いにふけっていたら、なぜかふゆがぐすぐす泣いていた。青年はさらに焦る。
『なんで? ぼくなにかしたかな!?』
「ううん……やなこと、いわれたの。がっこうで」
『学校……? おともだちに?』
こくりと、ふゆはうなずく。
「ふゆのおうち、かみさまがいるっていったの。でもみんな、『うそつき!』って……うそじゃないもん!」
『そっかぁ』
わざわざ桜の木を植えるような家のこどもだ。物をたいせつにするよう、両親から言いつけられているのだろう。
ふゆは霊力が高いようだし、家のなかにいる付喪神を目にしたとしても、なんらおかしくはない。
うんうんと青年がうなずくと、ふゆがぱぁっ! と顔をあげる。
「だよね! おにいちゃんいたもんね!」
『そうそ…………うん?』
うっかりうなずきかけて、待てよと思いとどまる青年。
ふゆはこちらを見あげ、にこにこしている。
そこで青年は気づいた。ふゆのいう「おにいちゃん」はふゆの兄ではなくて、じぶんのことなのだと。
つまりこどものつたない言葉をまとめると、ふゆが「いるもん!」と言い張っていた「かみさま」は、青年自身のことだったのだ。
『えぇえっ! ぼく!? ぼくなんかただの桜だよ? しかも花咲かないし。そんな自慢してもらえるような神さまじゃないよ!』
「ふぇ……」
『あわわわ……!』
全力で自虐をかましていたら、ふゆの大きな目がじわりと潤む。これに対する青年の焦りは尋常ではなかった。
『ごごっ、ごめんね! もう変なこと言わないからね、泣かないで!』
こどものなだめ方など、知るはずもない。
それでもなんとかふゆを泣きやませるため、『ほらっ、えがおえがお! ばぁっ!』と青年が笑みを浮かべたときだった。
──ぱっ!
花が、咲いた。
『…………うん?』
なんだか突然、枝に花が咲いた。
見まちがいだろうか。
『ってそんなわけなぁい! なんでぇっ!?』
突然にもほどがある。
『しかも桜にあるまじき不可解な色してない? ぼくほんとに桜なの!?』
やっと花が咲いたかと思えば、青なのか紫なのかよくわからない色をしていた。こうなると、いよいよわけがわからなくなってくる青年である。
「おにいちゃん、かおまっか! あはは!」
『へっ……』
なのに、ふゆがふきだした。おかしそうに笑っている。
「おはな、きれいだね」
そんなとき、ふとそんなことを言われたら。
「ふゆによしよししてくれて、ありがと、おにいちゃん」
──こんなの、不意討ちだろう。
(この子は……純粋な子だ)
青年は褒められたことが気恥ずかしくて、うつむいてしまう。
「あ、おはな!」
そうしたら、風もないのにひらひらと花びらが舞い散る。青年の胸のざわめきに呼応したかのようだ。
(こら! おさまれ! おさまれったら!)
青年が平常心を取りもどそうとすればするほど、桜の花びらが乱れ舞った。どうにもできない。
『えっと、とりあえず……知らないひとに、お名前を教えちゃだめだよ』
とほうに暮れた青年は、きょろきょろと花びらを視線で追いかけるふゆへ念を押す。
この島の住民なら、そのことはこどもにも厳しく言い聞かせているはず。ふゆというのも本来の名ではないだろう。
「おにいちゃんは、だいじょうぶだよ」
それなのに、簡単にそんなことを言う。
良くも悪くも、ふゆは純粋なこどもだった。
「おにいちゃんが、かくしてね」
青年は、いつの間にかふゆがひざに座っていることに気づく。そして、白一色だったじぶんの着物の袖や裾が、淡い青と紫に染まっていたことも。
『ちょっとだけだよ』
ふゆとの会話が心地いいから、つい欲が出てしまった。
青年はふゆを抱き直し、淡色の袖でそっとつつみ込んだ。
すこしだけ、ほんのすこしだけと、じぶんに言い聞かせて。
──そして、その日の夕方。
「やだ! かえらない! おにいちゃんとあそぶ!」
『帰らないとだめだって!』
このように、駄々をこねはじめたふゆとの格闘がくり広げられることとなったのである。
青年は焦っていた。もう日が暮れる。妹がいないとふゆの兄が両親へ言いに行く声を聞いてしまった。
(七つまでは神の子というし……いまならまだ、間に合う)
もし神隠しにあったとさわぎになっても、ふゆが幼いいまはまだ許される。
『もうお帰り』
「でも……」
『ぼくはずっとここにいるよ』
草花にやどる精霊は、土地神のようなもの。依代がある場所から遠く離れることはできない。
心配しなくても、ここにくれば会える。青年は幼子でもわかる言葉で、そうつたえる。
『また明日も遊んであげる』
「ほんとに……やくそくしてくれる?」
泣き腫らした目で、ふゆが見あげてくる。青年はすこしためらって、
『うん……約束』
と指きりをした。
二度と会えなくなるわけではない。それを理解したふゆは、見違えて上機嫌になった。
「またね、おにいちゃん!」
満面の笑みで家へ帰っていくふゆを、青年はほほ笑みを浮かべて見送る。
『神さまと簡単に約束なんてしちゃだめだよ……ふゆ』
そんなこと、いまさら言ったところで無意味だけれど。
こうして、青年はふゆと出会った。ふゆが七歳の初夏のことだった。
* * *
あっという間に六年がたった。
「ねっ、どうかしら?」
セーラー襟のついた紺のワンピース。
髪はおさげにして、頭には赤いベレー風の帽子。
十三歳になるふゆが、春から通う学校の制服とやらを披露しにやってきた。
いつものように桜の木の根もとに座り込んでいた青年は、にっこりと笑う。
『ふゆはお菓子作りが得意なんだねぇ』
「そうじゃなーい! 花より団子なの? この食いしんぼう!」
ふゆが悔しそうに地団駄をふむ。
というのも、じぶんそっちのけで、青年がもぐもぐと口を動かしているから。
「女の子にもうちょっと気の利いた言葉は言えないの? 紫陽さま……?」
粒あん、白あん、桜あん。
青年──紫陽の前には、笹の葉につつまれた三色団子ならぬ三色おはぎがあった。ふゆお手製の『お供え物』である。
紫陽は力の弱い桜の精だ。一般人は彼のすがたを目にすることも、ふれることもできない。
けれど、ふゆはちがった。豊富な霊力を持つおかげで紫陽と会話ができた。紫陽も、ふゆの霊力が込められたおはぎなら食べることができた。
「私……かわいくない?」
ほほをふくらませたふゆが、すねたように見上げてくる。
『そんなことないよ』
紫陽は否定をするが、明確な肯定もしない。にこにこと笑顔でごまかす。
紫陽に抗議の視線を送っていたふゆが、しばらくしてため息をついた。
「……ごまかしてもだめだからね」
『うん? なにか言ったかい?』
「こっちの話よ」
紫陽が聞き返しても、ふゆはつんとそっぽを向くだけ。
「お夕飯の支度しなくちゃ。もう帰るわ」
『そっか。気をつけて』
「すぐそこよ」
家へ向かって歩きだすふゆを、紫陽も引きとめはしなかった。
いつものように手をふりながら、笑顔で見送る。
そしてふゆのすがたが見えなくなると、ぽつりとこぼすのだ。
『……かわいいに決まってるじゃないか。帰したくなくなるくらい』
できることなら、いつまでもこの庭にとどめておきたかった。
だがそれはだめなのだ。末席といえど紫陽も神の一柱。帰さないと紫陽がひとたび口にしてしまえば、その言霊はふゆを縛りつける。
ふと、紫陽は木の幹に手のひらをふれあわせる。さぁっと、茜色をおびた風が吹きつけた。すこし、冷たい。
──へんないろ? ううん!
──あじさいみたいに、きれいなおはな!
ゆえに『紫陽』と、青年は名をもらった。
名を与えられた瞬間、彼にとってふゆは絶対的な存在となった。
無垢な彼女は知らないのだ。神に名を与えることが、どれだけ危険なことか。
──神というものは、おのれに存在意義を与えてくれた者に対して、ひどく執着する。
『ごめんね、ふゆ。ほんとうはぼく……怒ってるんだ。だってきみ、ぼくじゃない桜に、気を許したでしょう』
紫陽は唯一手をつけていない桜あんのおはぎを見おろし、抑揚のない声でもらした。
はじめて出会った季節に固執して、いつまでもダラダラと花を咲かせて。
そのくせ本心は明かさず、勝手に期待して、勝手に落胆して。
『……ぼくはきみを、人の道から外したくない』
たとえ『それ』が、きれいごとだとしても。
『きみのなかの、やさしいぼくのままでいさせて』
紫陽は、見て見ぬふりをする。
彼女のこころも、じぶんのこころも。
『人として、しあわせに生きるんだよ……ふゆ』
──彼女のためを想ったねがい。それが彼女を傷つけることになるだなんて、紫陽は知るよしもなかった。




