*22* 神隠し
「さてと、俺は日が暮れる前に帰るよ。同室の優等生クンがさびしくて泣いちゃうからなー」
言いたいことだけを言って、葵葉は寮へ帰っていった。
(葵葉が言っていた『恋』って、なにかしら…………『恋』? そうだわ!)
悶々とした気持ちで迎えた夕食の時間。
ふと思いだすことがあり、鼓御前はひなへ問いかけた。
「ひなさん。つかぬことをおうかがいしますが……『恋』って、ごぞんじですか?」
──その瞬間、お茶の間に戦慄が走る。
「…………恋、でございますか?」
「え、えぇ……そうですが?」
なんだろう。いつも夕食のときは和やかに談笑するひなが、急に真顔になった。
(わたし、また変なことを言ってしまったかしら……!?)
鼓御前が焦りをおぼえるころ。静かに箸を置いたひなが、しばしの沈黙を挟み、こう口にする。
「鼓御前さま、このあと、お時間をいただけますか」
「は、はい……大丈夫です、けれど……」
「では、湯浴みが終わりましたら、私の部屋においでください。お話はそのときに」
「わかりました……」
うなずき返しながら、鼓御前は内心気が気でない。
思い返す限り、あんなに感情という感情をそぎ落としたひなを見たことがない。
ほんとうにどうしてくれようか。冗談抜きに、まずい発言をしてしまったかもしれない。
* * *
あれはそう、ふゆがいとなむ甘味処『はなや』をおとずれたとき。
ふゆ手作りの桜餡のおはぎは、見た目のかわいらしさから若い娘に人気があること。そして『殿方といっしょに食べると恋が叶うこと』を、ひなが話していた。
(だから『恋』について、ひなさんなら知っているかと思ったのだけど……)
さっきは名案だと思ったのに、いまは自信がなくなってしまった。
とぼとぼと縁側を歩いているうちに、鼓御前はひなの部屋の前までたどり着いた。
「ひなさん、鼓御前でございます。お邪魔してもよろしいでしょうか……?」
鼓御前はどきどきしながら声をかける。すぐに障子が開いて、ひながまねき入れた。
「お待ちしておりました、鼓御前さま。こちらへどうぞ」
「失礼します……」
ひなの部屋は、よく整理整頓された六畳間だ。
鼓御前はうながされるまま、座布団に腰を落ち着ける。
「本日は、恋についてお知りになりたいということで」
「は、はい!」
向かいで正座をしたひなが、あらたまった様子で口をひらく。鼓御前はつられて居住まいをただした。
「鼓御前さまがなぜそのようなことをお知りになりたいのか、わたくしめがぶしつけにおうかがいすることはできませんが……これだけは」
ひなはそういうと、すす……となにかをさしだしてきた。鼓御前はぱちりとまばたきをする。
「これは…………本、ですか?」
どこからどう見ても、本だ。
学校で使う教科書より小ぶりだが、厚みがある。
「こちらは、私の愛読書でございます」
「あいどくしょ……?」
「はい。鼓御前さまにおすすめの恋愛小説を、厳選させていただきました」
「れんあい……しょうせつ??」
「一般的には、主役の男女がさまざまな出来事の末に結ばれる物語を題材にした、書物でございます。とくにこちらは女性が主人公の女性向け恋愛小説でございまして、鼓御前さまも共感なさりやすいかと」
流暢に述べるひな。あきらかにいつもより饒舌である。鼓御前がそう気づいたころ、ひながぐわっと目をかっ開く。
「王道の学園青春ラブストーリー。姫と従者の切ない身分差の恋。甘酸っぱい恋物語もいいですけれど、私個人としては将来断罪される悪役令嬢に転生したヒロインがその知恵と行動力で断罪ルートを回避していたら、敵対関係にあったヒーローになぜか好かれてしまって、溺愛ハッピーエンドが避けられない異世界転生モノが好きですッ!」
腹の底からの、さけびだった。
このとき鼓御前の脳裏には、なぜか莇のすがたが思い浮かんでいた。
(に、似ているわ……)
刀剣について語る莇と、恋愛小説について語るひな。
ふたりはまぎれもなく姉弟なのだ。それを思い知らされ、鼓御前はただただ、圧倒されるばかりだった。
「──こほん。少々熱くなってしまいました」
ひとしきり熱弁をふるったひなは、咳払いをひとつ。それから気恥ずかしそうに眉を下げた。
「島での生活は娯楽も少ないですから、もともと読書は好きでした。恋愛小説を好んで読むようになったのは……憧れが、あったのかもしれませんね」
「憧れ……ですか?」
「私は神宮寺家の娘です。御刀さまをお守りし、後世へ継承してゆくことが第一の使命。たいせつなお役目を、惚れた腫れたの色恋沙汰でおろそかにするようなことがあってはなりませんから」
思えば、ひなの口から彼女自身のことを聞く機会は、これまでなかった。
どんな思いを胸に秘めて、生きてきたのか。じっと耳をかたむける鼓御前は、ひながどこかさびしそうに見えた。
「ひなさんにとって、『恋』とはなんですか?」
「そうですね……私は実際に恋をしたことがなく、ひと言では言い表せないのですが」
しばらく思案したのち、ひなは鼓御前をじっと見つめ返す。そして、そっと語った。
「命尽きるまで、ともにいたいと強くねがうような……特別な方を見つけること、ですね」
「ともにいたいと強くねがう、特別な方……」
「やっぱり、難しいですよね。恋ってそういうものなんです。人である私たちにとっても、複雑で難しい感情ですから」
ひなは苦笑する。やはり、その表情はさびしげだ。
「私は恋も夢も諦めましたが、納得はしています。大丈夫です」
「夢も、ですか?」
「覡さまになりたいという夢です。しかし、女の身ではそれは叶いませんから……」
「ひなさん……」
「あぁっ、いまのお役目が不満という意味では断じてありません! おやさしい鼓御前さまのおそばにお仕えでき、この上なく喜ばしい限りでございます」
鼓御前の世話をしているのも、納得してのこと。それでじゅうぶんなのだとひなは言う。
しかし鼓御前は、ふと疑問に思う。
「そういえば。どうして覡さまは、男性しかいらっしゃらないのですか? 女性ではいけない理由でも……?」
鼓御前は御刀さまであるから特別に許可されているのであって、神薙高等専門学校の入学資格は男子のみだ。
「霊力を持つ女性であれば、〝慰〟と闘うことができるのでは」
「女性は覡さまになることはできません。高い霊力を持つ者であっても、いえ、持つ者であればなおのこと、です」
「それはなぜ、ですか?」
「あやかしに、さらわれてしまうからです」
女子が覡になってはならない。
そう硬く禁じられている理由は、単純なものであった。
「あやかしは霊力の高い娘をさらい、嫁にしてしまうのです」
「それは──」
* * *
「──神隠し、ですね」
しとしとと、雨がふり続いている。
海沿いの歩道には、傘がひとつ、ふたつ。
雨雲に覆われた週明け。放課後になり、鼓御前は千菊に呼びとめられた。
葵葉もいっしょになって、学校からの帰り道を、いつもとは反対方向へ歩いている。
「何人もの方が、行方不明になる事件……ですか?」
「えぇ、ここ数日で頻発していまして。被害者は島外の方に限られます。夜間に消息不明になり、翌朝発見されるので、一種の神隠しではないかとささやかれはじめています」
「まぁ『暮れの鐘』の決まりを守らないのは、今どき観光客くらいだろ。俺だって兎鞠島に来るときは、船に乗るときに頭が痛くなるような誓約書を書かされたぞ」
午後八時以降の外出禁止令は、観光客においても適用される。そのため民宿もこの時間を門限とさだめる徹底ぶりだ。
「葵葉も決まりをやぶっていましたけどね」
「あれは……俺もガキだったんだって……」
おなじ傘のなかにいて、葵葉は肩身が狭そうだ。反省はしているらしい。鼓御前はくすりと笑った。
「で、立花センセはそれが〝慰〟のしわざだって?」
「まだ断言はできません。ただ、行方不明になった方は無事見つかっているものの、様子が妙なのです。お酒を飲んだわけでもないのに、『昨晩のことはなにもおぼえていない』と」
「たしかに、みなさんがまったくおなじ状況で、まったくおなじことをおっしゃっているのなら、妙なお話ですね……」
「なるほどな。それで〝慰〟が関係しているかどうかの調査を、俺たちに手伝わせようってわけか」
「あぁ、そのことですが。葵葉、きみは今回見学です」
「は?」
思わず足を止める葵葉。前を行く千菊が、ふり返ってこう告げる。
「お付きの覡候補として、私はまだ力を示していませんからね。今回は私とつづが解決するので、きみは見ていてください」
「なんだそれ。今日明日には解決させるみたいな言い方」
「これでも先生ですので。お手本くらいは見せるべきだと思ったまでですよ」
早期解決は当たり前。千菊の言葉は、そう言わんばかりに自信に満ちたものだ。
(あるじさまと……千菊さまと、またいっしょに)
その手で、ふたたびふるってもらえるかもしれない。
そう思うと、鼓御前はどくんと胸が高鳴った。
「では手始めに。気になることがあります。それをたしかめに行きましょうか」
ほほを染める鼓御前に、千菊はふ……と笑みをもらす。そしてごく自然に、少女の手を引いて歩きだした。
千菊に連れられ、住宅地へやってきた。
見おぼえのある景色を進んでいくので、鼓御前もまさかと思っていたら。
「ここは……ふゆおばあちゃまのお店ですね」
甘味処『はなや』──その店先にたどり着く。
「顔見知りか?」
「このあいだひなさんとお買い物の帰りに、知り合ったんです。あの、千菊さま……ふゆおばあちゃまが、なにか……?」
〝慰〟の関与が否定できない事件の調査で、まっさきにここへ案内されたのだ。鼓御前は不安をおぼえ、千菊を見あげる。
「行方不明者が島外の方という話はしましたね。もうひとつ、共通点がありまして。みなさんがここ『はなや』さんをおとずれたことのある、『熱心なお客さん』だったんです」
「え……?」
それはなにを意味しているのか。鼓御前が真意を汲み取れずにいると、千菊が閉めきられた戸口を叩く。
「ごめんください」
返事は、すぐにあった。
「今日は店じまいをしているんです。ごめんなさいねぇ…………あら」
がたりと音がして、申し訳なさそうな老婆が戸口から顔を見せる。
「覡さま、御刀さま……」
「特級神使、立花です。すこし、お話をうかがってもよろしいですか?」
千菊、葵葉、そして鼓御前を目にして、ふゆはなにを思ったのか。
「……奥へどうぞ。お茶をお出しします」
多くを問うまでもなく、ふゆは戸口を開け広げ、鼓御前たちを迎え入れた。




