*21* 恋心
季節はゆるやかに移ろい、水無月。
水たまりに陽光がきらめく昼下がり。鼓御前は、ひなとともに歩道を歩いていた。
「お手数をおかけしました、鼓御前さま」
「いえ! わたしもひさしぶりにおでかけできましたし、お手伝いができてうれしいです」
鼓御前とひなの手には、買い物袋がひとつずつ。
この日、長くふり続いていた雨があがり、数日ぶりに晴れ間がのぞいた。
休日で授業もないということもあって、鼓御前はひなの買い出しに同行したのである。
「それにしても、ふぅ……小一時間歩いただけなのに、ちょっと疲れてしまいましたね。運動不足かしら」
「夏が近づいて、気温も高くなってまいりましたものね。梅雨が終わると一気に暑くなります。その前に衣替えをいたしましょう」
うっすらと汗を浮かべ、ぱたぱたと手のひらで顔をあおぐ鼓御前に、ひなはくすりと笑みをもらす。
「ひゃっ……!」と短い悲鳴が耳に届いたのは、そんなときだ。
反射的に鼓御前が視線を向けると、前方にうずくまった人影が。
「いたた……あぁ、どうしましょう……」
鼓御前よりも小柄な人影。老婆だ。アスファルトの凹凸につまずいたのだろうか、地面に座り込み、そのまま立ちあがれずにいる。
老婆のまわりには、買い物袋から転がりでたにんじんやじゃがいも、玉ねぎが散乱していた。
「まぁ、たいへん!」
「あれは……大丈夫ですか、ふゆおばあちゃま!」
鼓御前とひなが駆け寄ったのは、ほぼ同時のことだった。
* * *
兎鞠島商店街からすこしはなれた、閑静な住宅地。
その片隅に、『はなや』と暖簾をかかげたむかしながらの甘味処があった。
「いつもごめんねぇ……ひなちゃん」
「これくらい当然ですよ」
「御刀さまにまでお手伝いいただいて、ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして!」
老婆はふゆといい、ひなと顔なじみだったらしい。
あれからふゆを抱き起こし、鼓御前とひなで手分けをして、ふゆの自宅でもある甘味処へ荷物を運んだところだ。
ふゆは転んでいたが、骨折などはしていなかったことがさいわいだ。
あらためてふゆに礼を言われたところで、鼓御前はふと疑問をおぼえる。
「……あら? そういえばわたし、ごあいさつしましたかしら?」
「ふふ、わかりますよ。なんたって御刀さまですから」
「え……?」
「ふゆおばあちゃまは、高い霊力をお持ちなんです」
「そんなにすごいことでもないですよ。ただちょっと、むかしから『視る』ことと、『感じる』ことができるだけで」
ふゆは糸目のような瞳をさらに細め、しわくちゃの顔で笑う。
「目は悪くなってしまったけれど、神さまの清らかな『気』が、そこに在るのが視えます。……おや」
ショキショキ……
どこからか不思議な音がひびき、ふゆが言葉を止めた。
「そうだわ。ひなちゃん、御刀さま、ちょっとお待ちいただけますか? 今日のお礼をさせてくださいな」
なにかいいことでも思いついたのか。にこやかに言い残したふゆが、店の奥へ引っ込む。
静かになると、ショキショキ……とあの不思議な音が際だって聞こえるようになる。
「なんの音でしょう?」
「小豆洗いですね」
「小豆洗い……ですか?」
「ここに棲みついている、ふゆおばあちゃまのおともだちです。無害なあやかしですよ。恥ずかしがりやらしいので、私はすがたを見たことはありませんが」
「ふゆおばあちゃまは、『愛される方』なんですよ」とひなは言う。
その言葉の意味を鼓御前がしばし思案していると、ふゆがお盆をかかえてもどってきた。
「お待たせしました。店のなかが手狭ですいませんねぇ。お天気もいいですし、お外でいかがですか?」
ふゆが運んできたのは、お茶とおはぎだった。
そういえば、店の外に日よけの番傘と長椅子があった。鼓御前は礼を言い、そこですこし休憩させてもらうことにした。
「まぁ……このおはぎ、もちもちで、ほんのり甘くて、おいしいですねぇ。それにかわいらしい!」
おはぎをひとくち食べて、鼓御前は虜になった。
もち米はすりつぶしすぎず、ほどよい粒加減。
餡もほんのりと香りが残る程度の、控えめな甘さ。
そしてなにより鼓御前の目を引いたのは、その餡が桜色をしていたことだ。
「桜餡のおはぎは、『はなや』さんの看板メニューなんですよ。見た目もとてもかわいらしくて、若い娘のあいだで大人気なんです。『気になる殿方といっしょに食べると、恋が叶う』って」
「恋……」
「やだひなちゃん、言いすぎですよ。ちょっと季節はずれですけれど、よろこんでいただけたならよかった」
ふゆは気恥ずかしげに笑い、それからふと眉をさげた。
「でも、そろそろ店の暖簾をおろそうかと思っているんです」
「ふゆおばあちゃま、それはほんとうに!?」
「こんなしわくちゃのおばばだしねぇ。近ごろ足も悪くなってきて。潮時かしらねぇ」
「そうですか……さびしいです」
ふゆの言葉は、ひなにかなりの衝撃をもたらしたらしい。鼓御前から見ても、ひながしゅんと落ち込んでいるのがわかる。
「ふゆおばあちゃま、よろしければ、またひなさんとこちらにうかがっても?」
こんなとき、どんな言葉をかけるべきなのか。
明確な正解という自信はないけれど、鼓御前はそう言葉にすることをえらんだ。
「えぇもちろん。いつでも遊びにいらしてくださいな」
返ってきたのは、屈託のないふゆの笑顔。
ひながすこし涙ぐんでいたのは、見間違いではないだろう。
「鼓御前さま……ありがとうございます」
ふゆとのおしゃべりを心ゆくまで楽しんだ後。『はなや』の店先で、ひなが深々と頭を下げてきた。
「とんでもないです。お店を畳んでも、おなじ島で暮らしているんですもの。また会えますからね」
「えぇ……そうですね」
うなずくひなは、雨上がりのようにすっきりとした表情をしていた。
(わたしもすこしは、だれかの心に寄り添えるようになっているかしら)
鼓御前は澄んだ青空を見上げながら、そうであればいいな、とねがう。
(…………あら?)
ふいに、鼓御前は『気配』を感じた。
ひとではない存在の『気配』だ。
白色のような、青色のような、紫色のような。
どの色にもとれる淡色の着物に身をつつんだ、青年のうしろすがたを見た。
(ふゆおばあちゃまのおともだちの、小豆洗いさん? それにしては……)
『気配』が、あやかしのものとは異なるような。
青年は足音もなく『はなや』の軒下の影を通っていく。やがて住居部分の庭先で、ふっ……とすがたを消した。
(悪意は感じられなかったわ。どなたかはわからないけれど……大丈夫ね)
鼓御前はじっと目をこらしたのち、そう判断する。
胸さわぎはない。けれど。
謎の青年の物憂げなうしろすがたが、なぜか鼓御前の脳裏に焼きついて離れなかった。
* * *
「やっと帰ってきたか、姉さま〜!」
「……葵葉!?」
兎鞠神社へ帰り着くと、住居の玄関前で葵葉が待ちかまえていた。
ひなはまたかとため息をつく。しっかりと茶は出しておいて最低限のもてなしはしつつ、さっさと夕食の支度に取りかかる。
居間にあがり込んだ葵葉は、鼓御前に抱きついて離れない。
「はぁ〜、ひさしぶりの姉さまだ」
「学校で会っているでしょうに」
「昨日は会ってない!」
鼓御前もいまや学生だ。葵葉はクラスメイト。登校すれば当然顔を合わせる。
だが土日を挟むとそうはいかない。しかも最近になって『特別授業』が入った葵葉であるから、なおさらだ。
「なーにが楽しくて、立花センセと土日返上で特訓しなきゃいけないんだよ。なんか莇のやつも便乗してるし!」
「昇級試験のための、特訓でしょう?」
──いまから二週間ほど前。
葵葉は千菊に呼びだされ、こう告げられたらしい。
「ちょっと二級の昇級試験を受けなさい」
葵葉は覡としては見習いだ。そこから三級ではなく二級、つまり飛び級しろという無言のお達し。清々しいほどの無茶ぶりである。
「きみも御刀さまのお付きの覡候補なのですから、がんばれますよね?」
本来脇差である鼓御前の覡としてふさわしい、二級の資格を取得しろ──千菊の言い分としては、そういうことらしい。
そしてさらに葵葉を悩ませたのは、莇の存在だ。ほかのクラスメイトたちが千菊の無茶ぶりに怯えるなか、「じぶんもよろしいでしょうか!」と『特別授業』への参加を表明した。
二級昇級への条件のひとつに、『〝慰〟の討伐実績を有する』という項目がある。その点は葵葉も莇も、一年生で唯一クリアしている。
『鬼神』による『特別授業』──莇に関しては、純粋な向上心による参加表明だ。しかしクラスメイトたちは「委員長って……ドMなんだな」と震えあがった、らしい。
「ていうか、寝ても覚めても莇が俺の視界にいるんだけど。もうあの顔見飽きたわ!」
「おれもだよ!」と反論する莇のすがたが目に浮かび、鼓御前は笑ってしまった。
「『喧嘩するほど仲がいい』……ですね。ひなさんが言っていました。葵葉におともだちができて、わたしはうれしいです」
「……むぅ」
葵葉は不服そうではあるが、否定はしない。
それほど、莇には気を許しているということだろう。
「おまえはむかしから、さびしがりでしたからね」
一日会わないだけで、さびしいと抱きついてくる弟。
仕方ない子ね、と苦笑しつつ、鼓御前は葵葉の頭をなでてやる。
「……そう、俺はさびしいの。だから姉さまが癒やしてよ」
「はい……?」
いつの間にか、葵葉が顔をあげていた。
常磐色の瞳が、間近にある。
吐息がふれるほど、葵葉が近くにいる。
「動かないで……」
熱っぽい声音でささやいた葵葉が、ととのった顔を近づける。
そのくちびるが、鼓御前のくちびるにかさなる──
「……んむ!」
──かさなることは、なかった。
鼓御前が、スッと手のひらで制したのだ。
「……なんで止めるの、姉さま」
「葵葉、この姉を見くびらないでください」
やけに神妙な顔をした鼓御前が、ひとつ息を吐いて告げる。
「口づけは、むやみやたらと、人目もはばからずすることではない」
「は?」
「しかし! 好き合うものどうしがすることだと! わたしはもう知っているのです!」
どやぁ。鼓御前は得意げに胸を張る。
目を白黒させた葵葉は、「はぁ……」と脱力した。
「なんですか、ため息なんかついて!」
「もしかしなくても、あの頭かったいオトーサマに吹き込まれたんだろうなぁ……」
「それは聞き捨てなりませんね。そもそも葵葉、おまえには『だいすきなかぞくとする』などと嘘をついたお説教をしなければなりません。そこにお座りなさい!」
「はいはい」
頭をがしがしとかき回した葵葉が、座布団にあぐらをかく。お世辞にも反省しているとは思えない。
葵葉は腕を組むと、試すような口調で鼓御前に言い放った。
「ちなみに聞くけど。『好き合うものどうし』ってだれのこと言ってるのか、姉さまはわかってんの?」
「……えっと」
「ほーら、わかってないんじゃん」
「ぐぬぬ……!」
葵葉の言うとおりだ。正直のところ、鼓御前はまだよく理解できていなかった。
「姉さまは鈍感だからな。んー……」
葵葉があごに手を当て、なにやら考え込む。『理解している』口ぶりだ。
「『好き』って気持ちにも、いろいろ種類があるんだ」
「種類……? どういった『好き』なのですか?」
「俺がこう言うのもなんだけど……はぁ」
葵葉はぐしゃ、と再度黒髪をかき回すと、言葉を続ける。
「あるじが前世に言ってたろ。姉さまがいるなら、妻は要らないって。そういう気持ち」
「それは……幸福なことなんでしょうか?」
「え?」
思ってもみない鼓御前の反応だ。葵葉はすっとんきょうな声をあげる。
「わたしだって蘭雪さまがすきでした。もし蘭雪さまが奥方をお迎えになり、御子が誕生していたら、こんなに喜ばしいことはないと祝福していたでしょう。だいすきなあるじさまには、しあわせになっていただきたかったですもの」
「…………はぁあ」
鼓御前は飾らない気持ちを口にしたつもりだ。しかし葵葉に、盛大なため息をつかれてしまう。
「姉さま……それぜったいあるじ、じゃなかった立花センセには言うなよ?」
「どうして?」
「どうしても。……同情するぜ、こればっかりは」
鼓御前は、基本的に他者へ好意をいだく。
だがそれは親愛にとどまっていて、『その先』を知らないのだ。
「九条センパイに聞くのもナシな。あの人がまともに青春してきたとか思えないから」
「そんなぁ……葵葉はいじわるです」
「俺が姉さま不足で困ってるあいだ、姉さまにも困ってもらわないと」
とかなんとか言いながら、葵葉はおもむろに座布団から腰をあげる。
そして最後に、鼓御前へこう言った。
「『恋』とはなにか、考えておいて。俺からの課題ね」




