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御刀さまと花婿たち  作者: はーこ
第二章
22/41

*19* 雷鳴

 暗い。なにも見えない。

 息ができない。苦しい。

 冷たく深い水底へ、葵葉(あおば)は沈んでゆく。


(あぁ、俺は……また死ぬのか。今度は、あっけなく)


 人として生まれ直した今世でも、親に捨てられた。

 兄弟も友もなく、独りで生きてきた。

 そんな葵葉の十五年そこらの人生は、取るに足りないちっぽけなものだろう。


(なんでだよ……)


 思い返せば、後悔ばかりだ。


(俺は地位や名誉がほしいわけじゃない。俺は、ただ……)


 こぽり。のこりわずかな酸素が、肺から水中へ泡となって逃げてゆく。


(ただ……そばにいたかった、だけなのに……)


 たいせつなひとと、いっしょにいたい。

 そんなささやかな願いさえ、叶わないのか。


(もう、無理だ……)


 決まりを破り、自分勝手に飛びだした。

 そんな葵葉のことを、鼓御前(つづみごぜん)千菊(ちあき)も、呆れて見放すだろう。

 もう手遅れなのだ。いまさら後悔しても遅い。


(意地をはらないで……ふみだせばよかった)


 ほんとうの気持ちを、素直につたえればよかった。

 諦め、閉じたまぶたから、ほろりとあたたかいものがこぼれる。

 それさえも冷たい水流に飲み込まれ、葵葉の涙はだれにも届かない──はずだった。


 水が流れを変える。

 水底へいざなうのではなく、水面へ引き寄せるような流れだ。


(……え……?)


 水中に投げだされた葵葉の腕を、がしりとつかむものがある。

 それがなんなのかも理解できないうちに、葵葉のからだが急浮上する。


 ざばぁっ!


 水面を抜けだす。かと思えば、葵葉のからだは岸辺にころがっていた。

 直後視界が回り、背中を強打される。その反動で葵葉は激しく咳き込み、水を吐いた。


「……けほっ! ごほっごほっ……!」


 空になった肺に、酸素がもどる。

 急激に酸素が供給されて、いっそ苦しいくらいだ。

 けれど、息ができる。あの冷たい水のなかじゃない。


「──大丈夫か!?」


 だれかの声がした。それはおそらく、葵葉を水中から引きあげただれかの声。

 ぜぇはぁと荒い呼吸をなんとかととのえ、葵葉は頭上をあおぐ。


「……なんで……」


 そこには、ずぶ濡れで葵葉を支える、(あざみ)のすがたがあった。



  *  *  *



「怪我は? してないな。よし、ここでじっとしてるんだ。無理をする必要はないから」


 莇はすばやく葵葉の容態を確認。立ちあがれない葵葉を木の幹にもたれさせると、自身は浅葱袴の裾をはらう。


「おい……!」


 とっさに、葵葉は莇の袖をつかんでいた。

「どうした?」と莇がふり返る。その素朴な疑問のまなざしに、葵葉は口ごもってしまう。


「い、いや……どうっていうか……なんで助けたんだ?」


 初対面で散々馬鹿にしたし、反抗的な態度ばかりとった。


「俺のこと助けるメリットなんか、ないはずなのに……」


 うなだれる葵葉の頭上で、ため息がもれる。


「だれかを助けたいという気持ちに、理由が必要なのか?」


「え……?」


「おれが助けたいから助ける。ただそれだけのことだし、利益とか見返りは要らない」


 莇はなにを言っているのだろう。

 人間とは欲深いものだ。神社から青葉時雨(あおばしぐれ)を盗んだように。

 気に入らなければ無造作に捨て、墓を掘り起こすことさえ(いと)わない残虐な生き物。

 それが人間だと、そう思っていたのに。


「なんで……」


「なんで? そんなの、簡単なことだ」


 葵葉の混乱も、莇はたったのひと言で解決してしまう。


「おれは(かんなぎ)だから」


 力強く、揺るぎないまなざしで、そう断言する。


「あなたの命が脅かされているなら、おれはあなたを守るために刀をふるう。それが、覡であるおれの使命だ」


 葵葉は絶句する。けれど衝撃を受けたのはすこしのあいだだけで、莇の言葉はすとんと腑に落ちた。


 ──今度はあなたが、あるじさまを守ってくれませんか?


 あぁ、孤独や悲しみにとらわれて、忘れていたのかもしれない。

 だれかを守りたいという、純粋な気持ちを。


「あなたの前世になにがあったのか、おれは知らないけれど──」


 ──ぱんっ!


 顔に衝撃を感じ、葵葉は思わず視線をあげる。

 葵葉の両ほほを打った手のひらもそのままに、莇は葵葉のほほをぐっとつつんで離さない。

 そのまなざしから、目が離せない。


「しっかりしろ! いまのあなたは青葉時雨じゃない、縁代葵葉(よりしろあおば)だ! 過去のじぶんに負けるな、諦めるな!」


「っ……おれ、は……俺はっ……!」


 打たれたほほが痛い。けれど、まったく不快ではない。

 この痛みこそ、葵葉がたしかに、この世に存在しているあかしだから。


(そうだ、俺は)


 莇の手はふり払えない。そのわけを、葵葉はようやく理解した。


(俺は、必要とされたかったんだ)


 ここにいてもいいのだと、言ってほしかった。

 手をとって、情けない葵葉を叱咤してくれる。

 本音でぶつかりあうことのできる存在が、ほしかった。

 それを──人の言葉では、友というのかもしれない。


 ──ざばぁんっ!


 激しく水しぶきが打ちつける。

 魚型(うおがた)の異形が猛烈に波を起こし、いままさに襲いかかろうとしていた。

 そして──


「させませんわ!」


 雲が流れ、月明かりが射し込む。

 反射的にふり返った莇と葵葉の視界で、鮮やかな朱色の衣がひらめいた。


 ──キィインッ!


(ヤスミ)〟が放った尾びれの一撃は、瞬時にはじかれる。

 少年たちは息をのんだ。

 突如すがたを現した少女を、見まごうはずがない。


「鼓御前さま!」


(あね)さま!?」


「わぁ、さすが(はな)ちゃんおねぇさまです! 強力な結界ですね、カッチカチです!」


 見慣れない朱色の長羽織を身にまとった鼓御前が、そんなことを言いながらはしゃいでいる。

(ヤスミ)〟に立ちはだかった鼓御前の目前には、結界が張りめぐらされていた。

 鼓御前の言葉から察するに、朱色の長羽織はおそらく虎尾(とらお)の霊力が込められた霊具(れいぐ)のひとつなのだろう。それも外部からの攻撃を感知して強力な結界を展開するという、すぐれものだ。


「ふたりとも、無事ですね。よかった!」


「姉さま、どうしてここに……」


「莇さんから連絡をいただいたんです。裏山(こちら)で葵葉を見つけました、と」


 葵葉は信じられない気持ちで、莇を見る。

 そう。葵葉を発見してすぐに莇が飛ばした折り鶴の式神は、鼓御前たちに居場所を知らせるものだったのだ。


「あっちにいるお魚さんが、ふたりをいじめていた〝(ヤスミ)〟ですね。なんてかわいくないんでしょう。すぐにこてんぱんにしてあげます!」


(ヤスミ)〟にかわいいもなにもないのだが。

 ぷりぷりと腹を立てている鼓御前のすがたがなんだか可笑しくて、葵葉と莇はふきだしてしまう。


「それはそうと。姉さま、あいつめちゃくちゃ素早いし、水ぶっかけてくるぞ。大丈夫なのか?」


「う……つづはもう、ひとりでおふろにはいれますし、だいじょうぶ、です」


「カタコトになってるし」


 葵葉は知っている。それこそ鼓御前本人が話してくれた。

 前ほど恐怖心は感じなくなったものの、まだ入浴に手間取っているし、『しゃんぷーはっと』は必需品なのだと。


「大丈夫といったら大丈夫なのです! だってここに来たのは、わたしだけじゃありませんもの!」


 葵葉と莇ははたと気づく。

 そうだ、考えてみれば当然の話だった。

 ()()()()()()、ここにいるはずがないというのに。


「こんばんは。よい月夜ですね」


 風がそよぎ、若い男の声がひびく。

 月明かりが、どこからともなく現れた竜頭面の青年を照らした。


「私の可愛い教え子たちに、手はださないでもらえますか?」


 おだやかな声音とともに、青年──千菊が純白の袖を持ちあげる。

 そして、しなやかな指先が天をさし示した刹那。


「──『(とどろ)け』」


 ──ばりばりばりぃっ!


 夜空の月を引き裂くように、雷鳴が轟く。

 はるか天上から襲った稲妻が、〝(ヤスミ)〟を絡めとった。

 目の眩む閃光。水中に高圧の電流がほとばしる。

 のたうち回った魚型の異形は、その白い腹をあらわにして、ぷかりと浮かんだ。


「いまですよ」


 千菊は袖と袖を合わせ、手をおさめる。その視線は、莇に向けられていた。

 ひとつうなずいた莇は、颯爽と駆けだす。


「諸々の禍事(まがごと)罪穢(つみけがれ)を祓え(たま)ひ、清め給え。(かむ)ながら守り給い、(さきわ)え給え──」


 祝詞(のりと)がつむがれゆくほどに、短刀が霊力をまとう。


「──はぁッ!」


 莇は高く跳躍。にぎりしめた刃を、〝(ヤスミ)〟の腹に突き立てた。


 ぷつり──


 それは、禍々しく絡みあった糸が断ち切られる音。

 瘴気とともに、〝(ヤスミ)〟のすがたが霧散してゆく。

 たっと危うげなく岸辺に着地した莇は、音もなく短刀を鞘へおさめる。


「──おれの刃は、『守るための刃』だ」


 しばしの静寂につつまれるなか。


(こいつは……すごいやつだな)


 月明かりを背にたたずむ莇を、葵葉は常磐(ときわ)色の瞳で、まぶしそうに見つめていた。

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